第17話 一夜 【後編】

 友里恵はスマホの電話帳アプリを開いての名前を探した。


(どこだどこだ)

 スマホの画面を人差し指でスクロールしていく。友里恵はまばたきするのを忘れて少し目が乾いた。


「あった‥‥」


――――藤原 洋臣


 以前、国府が入籍した月に社員数名と藤原で結婚祝いをしてくれたことがあった。その時、友里恵も同席し国府は自分の妻を照れながらも紹介した。だから友里恵と藤原は面識がある。

 その夜、国府は「俺が仕事で万が一事故に巻き込まれたり、何か病気で意識を失ったりした時は、藤原さんに連絡をしてくれ」と、友里恵に自分の上司である藤原の連絡先を教えていたのだ。

 友里恵は「そんなことあるわけないでしょ~」と、その時は一蹴したのだが、まさか本当に夫の上司に連絡しようとする日がくるとは思いもしなかった。


 (電話するしかない)、友里恵は思い切って藤原に電話をかけた。


 プルルルル、、プルルルル、、プルルルル、、


「はい。藤原です」藤原は電話に出た。


「あ、あの‥‥‥」

 友里恵は心拍数が急に上がる。緊張している。言葉がすぐに出てこなかった。


「ん? どちら様です?」


「く、国府の妻の‥‥‥友里恵です」


「え、あぁ! 友里恵さん! お久しぶりですー。ごめんね、びっくりしちゃってさー。あはははは。 どうしたんです? 友里恵さんからお電話をくれるなんて」

 藤原はどうやら車の中のようだった。電話口からカーナビの音声が聞こえた。


「あ、す、すみません。急に電話なんかしてしまって。今お電話って大丈夫ですか? あ、運転中とかですよね?」

 友里恵はまだ緊張が取れない。早口気味になり言葉がつまりそうになる。


「あぁ~大丈夫ですよ。イヤホンで電話してるんで。今ちょうど高速道路を走っておりまして、パーキングあったんで今入りますね。出張からの帰りでして。あははは。ちょっとこのままお待ちくださいねー」


『50m先〇〇パーキングエリア‥‥‥』ナビの音声とエンジン音がかすかに聞こえる。


「そうだったんですね。お忙しいところ本当にすみません。ご迷惑を承知で電話してしまいました‥‥‥」


「いえいえ、大丈夫ですよ」

 藤原はパーキングエリアに入り、車を停めた。

「はい、今車停めました。どうかしたんですか? まさか国府さんとケンカでもしましたか? あははは」


「あ、いえ、あの‥‥‥、夫がまだ帰って来ないんです。何回電話をかけても通じなくて‥‥‥」

 友里恵は藤原の冗談を受け入れたい気持ちは山々だったが、そんな余裕もなく今にも泣き出してしまいそうな声で話した。

 藤原も友里恵の声の調子から真剣な電話だと感じ、冗談を言ってる場合じゃない、そう思い、聞く態度を変えた。


「ん? あれ、今何時だ‥‥、ん? 20時50分か。国府さん今日はダイドーイベントの初日ですね。もう終わってるはずなんですけどね」


「はい、夫は朝に『今日は17時くらいには終わる』と言ってたんです。いくら手続きが長引いたとしても、こんな時間になることなんて今までは一度も無かったものですから心配になってしまって‥‥、そもそも電話が通じないのがおかしいんです」


「なるほど。私は今日国府さんとはお昼に一度電話で話してるんですけどねー」


「え、そうなんですか? どんな話をされたんですか? 夫の様子で変なところはありませんでしたか?」

 友里恵は少し息を吹き返したかのように声のトーンが上がった。


「ダイドーイベントの途中経過報告の電話をもらいましてね、報告を受けていたんです。特にいつも通り元気な国府さんでしたよ。それ以降電話はしていませんが」


「そうですか」

「わかりました。今私から国府さんに電話してみますよ」

「え、本当ですか! お願いしますっ」

「おっけーです。じゃあ、またすぐに電話折り返しますんで。ところでよく私の番号知ってましたね。名前出ていなかったから、クライアントからかと思いましたよ。あははは」

「夫から事前に教えてもらっていたんです。もし自分に何かあった時は藤原さんに電話するようにって」

「なーるほどね! 国府さん用意周到だなぁ。とりあえず今電話かけるんで、ちょっと待っててくださいね」


「あ、はい。 よろしくお願いします」


「はーい。ではでは」

 藤原は電話を切った。

 藤原が国府と電話を今日していたという事実を知ることができたのは、ほんの小さな安心になった。

 ただ、心配なのは変わりはない。友里恵は藤原からの電話を待つことにした。


(5分後)

 藤原から折り返しの電話がかかってきた。


プルル、


「はいっ、国府です」

 友里恵はスマホの着信音が鳴った瞬間すぐに電話にでた。


「藤原です。友里恵さんの言う通りですね。何度かかけたんですが、確かに国府さんに電話が繋がりませんでした。むしろ『おかけになった電話は電波が届かないところにあるか』って音声が流れましたね」


「はいそうなんです。私もそうでした。藤原さん、夫は何か変な事件や事故に巻き込まれたとかないですよね?」

 友里恵の安堵は一瞬で消え去り、重たい不安が一気にのしかかった。


「まさかそんなことは。私も調べてみます。わかり次第またすぐ電話しますので、電話番号はこの番号でよろしいでしょうか?」

 藤原はさっきまでのテンションとは打って変わって真剣になっていた。まさか本当に何か変な事件に巻き込まれてないよな、という考えがよぎった。


「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」

 友里恵は、今すぐにでも探しに出たい、という気持ちを抑え込み、まずは藤原に自分の意思を託した。


「ありがとうございます。ではまた」

 藤原は電話を切った。


(国府さんどうしたんだろう。確かに電話が繋がらないのはおかしい)

 藤原は松江に電話をしようとしたが、時間も時間だったのでかけるのを止めた。

 宮神店に直接電話しようにも営業時間外の電話は繋がらない。

 藤原は松江が店にまだいる可能性があると考え、直接宮神店に行ってみることにした。

 タバコに火をつけ一服した後、車を走らせた。



 ♢



 (その頃、ダイドー店内では)

 21時が過ぎた頃だった。浅川が国府達のところにやってきた。


「浅川店長!?」

 先に気が付いたのは棚橋だった。

 浅川は、どこか疲れているような虚ろな表情を浮かべていた。棚橋は立ち上がって浅川に近づく。


「ああ、宮神店の皆さんごめんなさいね、今日まだ一度も顔合わせもできていなくて。朝から物凄く忙しかったものですから」

 国府は浅川がその虚ろな表情を浮かべているにも関わらず、にこっと愛想よく振舞おうとしているのがわかった。浅川の今の気持ちがひしひしと伝わる。


「いえいえ。昨日は偶然にもお会いできて良かったです」

 棚橋は浅川の様子を伺いながら言う。


「こんな事態になってしまいましたから、お怪我をされた方や休まれている方、体調が優れない方に歩き回りながら声をかけておりました。あなた方のことも心配で」


「解決策はやはりまだ見つかりそうにないですか?」


「えぇ、お手上げ状態です。できることは全て試しましたし、緊急時に繋がるはずの本社への連絡手段も遮断されていて一切連絡が出来ません」

「そうですか」

 棚橋は確信した。浅川はこの事態が意図的に起こっている可能性があると気付いていない。だから、浅川にその可能性を伝えておくべきだと思った。

「浅川店長はこの事態が地震の影響で偶然こうなったと思いますか?」


「え!? どういうことですか?」

 浅川はやはり地震の影響からこうなったと考えていた。

 それもそのはずだ。浅川はあの揺れ以降ずっと、改善・復旧作業、客への対応やアナウンス、緊急措置などの対応に追われていた。もちろんクレームも色々あっただろう。

 この事態が誰かの圧力で意図的に起こった可能性があるなんて考えるわけがない。

 だからこそ、棚橋は仲間内で話し合っていた見解や仮説を浅川の耳にも入れておく必要があると考えた。

 海藤も棚橋の顔に目をやり『教えてあげてと』と言うように小さく頷いている。


「さきほど鮫島さんもここにいらして、色々話し合っていたんです」


「え、えぇ」


「そもそもあれは地震ではなく、この建物だけが揺れたという見解に至りました。しかも誰かが圧力をかけ、この異常な事態を意図的に引き起こすための何かが発動したから揺れたんだ、と」


「え、まさか‥‥」

 浅川は棚橋の言葉に狼狽した。


「はい。そう考えるのが妥当かと。だからこの先もまた別の事態が起こってもおかしくない。だからこそ警戒しておく必要があると思います。また仲間がある仮説を立ててくれましたので、浅川店長にも共有しておきますね」

 棚橋はそう言って、鮫島や八城が話してくれた見解や仮説、国府達が気付いた不可解なことなどを洗いざらい全て話をした。

 それによって狼狽していた浅川も納得したかのように、きりっと表情を変えた。


「なるほど、確かに‥‥。あなた方の言う通りかも知れません。私は店長でありながらこの事態を疑うことすらしていなかった。もしそれが本当ならむしろ事件ですし、誰がどんな目的でこんなことをって思ってしまいますね。あ! まさか犯人はこのスーパー内にいるとか!?」


「それすらもわかりません。警戒だけはしておいた方が良いですね」


「ただ、あくまでもすべて推測や仮説の段階です。決まったわけではありません。もしかしたら、このまま一夜明けて出られる可能性もあります。わからないことだらけですが、大きな騒動にならないようにお客様への配慮は不可欠かと思います」

 国府も浅川にそう伝えた。


「わかりました。実際こんな時間です。ご年配の方やお子様たちはお休みになる方もいると思います。まずはすぐ次のアナウンスを流します。その後に日用品も自由に使ってもらうつもりです。また毛布など手配したいと考えています。その時にこのことは店内のお客様にも伝えた方が良いでしょうか?」


「いや、今の内容をアナウンスしたら大きな混乱が起きると思います。今は浅川店長が把握してスタッフさんへの共有だけにとどめておいた方が良いです」

 棚橋は浅川にそう言った。眼鏡のエッジをくいっとあげる。


「そうですよね。あの鮫島さんのおかげで状況を理解してくれているお客様も多くて助かってます」


「えぇそうですね」


「では、アナウンスを流してきますのでこのまま待機でお願いします。水分補給もしっかりしてくださいね。ご自由に飲料コーナーからとって構いませんから。もし小腹が空いたらお菓子やお総菜コーナーからもご自由にとって食べてくださいね。随時並べていますんで」


「ありがとうございます」

 4人は小さく礼をしながら言った。


「ではまた」

 そう言って、浅川は走ってその場を去っていった。



(15分後)

 ピーンポーンパーンポーン。


≪店長の浅川です。未だ状況の改善・復旧が出来ておらず、復旧の目処が立っておりません。皆様に多大なるご迷惑、ご負担をおかけして大変申し訳ございません。スタッフ一同諦めず尽力していく次第です。お客様にははっきりと申し上げます。このまま改善の余地が無ければ、一夜過ごすことになるのは覚悟いただきたいです。それは我々スタッフも同じ状況下にあります。ただ、お客様のご不安やご心配がピークに達していることは重々承知です。私事ではありますが、私浅川も家族がおります。妻と子供3人家族です。子供はまだ2歳になったばかりです。私も家族の元へ帰りたいという一心です。だからこそ今一度、お客様のご理解とご協力が不可欠です。どうかよろしくお願い致します。時刻も21時半を過ぎました。いつもなら就寝しているお客様もおられると思います。歯ブラシ類や洗顔、生理用品、コンタクトの保存液、目薬などの日用品は日用品コーナーから自由にとって使っていただいてかまいません。水道は今まで通り利用できるため、洗面に関しては各階にあるお手洗いと、バックヤードにスタッフ用休憩所に大きな洗面所がございますのでご利用ください。スタッフや警備の人間がご案内致します。混雑が予想されますので時間をずらしたり等の譲り合いでお願い致します。また、水分補給も欠かさないでください。引き続き店内の飲み物や食べ物の商品は自由にとってください。また、就寝するためのサポートもしていきます。スタッフにて毛布を配布していきますので、お体を冷やさないようにしてください。随時、暖房の調整もしていきます。就寝場所に関しては、お客様にお任せになってしまいますこと深くお詫び申し上げます。今後、就寝する方もいらっしゃいますので、周囲のお客様へのご配慮もお願い致します。当店は、警備会社の方達とも連携し常に警備員も安全維持のため巡回していきます。0時過ぎましたら徐々に店内の照明を暗くしていきたいと思います。明日開放される可能性もゼロではありませんので、誠に申し訳ありませんがこのまま店内にてお過ごしください≫


 ピーンポーンパーンポーン。

 

 ザワザワザワザワザワザワザワザワ‥‥‥


 店内はまたざわつく。


 国府はアナウンス後立ち上がり、店内や歩行スペースに目をやった。店内ではスタッフ達が客に毛布の配布を始めている。

 歩行スペースであぐらをかいてポテトチップスを食べている人、友達同士で固まって地べたに座りお喋りしている人、女子学生らしき人達はスマホで写真を撮っていたり、家族同士身を寄せ合っている人、スーパー内で何か食べるものを探している人、医者や看護師と思しき人達は、体調が悪い人や怪我人の看病をしていたりなど。

 まるで避難所の様な光景が広がっていた。


 そんな光景を眺めつつ、国府は友里恵のことが心配でたまらなくなった。

(友里恵、今頃めちゃくちゃ心配しているだろうな。今どうしているかな。ごめんよ、友里恵。今すぐにでも連絡したい‥‥‥)


「よっ! 国府さん」

 宗宮が国府の肩をポンっと叩いてきた。宗宮が近づいて来たことに気付かなかった。


「宗宮さん」

「奥さんのこと考えてたでしょ?」

「え、まぁ」

「大丈夫大丈夫! 明日になったらきっと出られますってー」

「だと良いんですけどね。内の妻は心配性だから、もしここまで来たら危険だなーとか色々考えてしまって」

「いちばんは藤原さんに電話してくれていたら良いですよねー」

「そうなんですよね」

「まぁなんとかなるって! とりあえずみんなで乗り切りましょうよ」

 国府は宗宮のプラス思考に救われた気分になった。



 ♢



(その頃、藤原は)


 21時20分。

 藤原はSoCoモバイル宮神店に到着した。店内はロールカーテンが下がっており消灯しているが、バックヤードの明かりだけがついていた。

(ん? こんな時間に電気が点いている)


 藤原はバックヤードの従業員入り口のチャイムを鳴らした。


 ガチャリと扉が開いた。松江が扉を開けたのだった。

「藤原さん!?」


「松江さんまだお店にいらっしゃったんですか」

 藤原は息を呑んだ。


「中へ‥‥‥」

 松江の様子がおかしい。



第18話へ続く・・・。

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