第29話 殺戮 —サツリク— ⑧

 国府達はイベントスぺ-スの円柱付近に固まっていた。


 八城は歩行スペースに少し出て、西側のずっと遠くを見つめていた。

 その表情はどこか寂寥感せきりょうかんを感じる。そんな八城の様子を国府は無意識に眺めていた。


 突然に、八城が目をかっと見開いたように見えた。目をつむり俯いたのだ。左手を額にあてて、両目を覆いながら肩を小刻みに揺らしている。

(笑っているのか? いや泣いている?)


 八城は口角を上げながら国府達のもとへ戻ってきた。

「どうしたんですか? 八城さん」

 国府は怪訝な面持ちでそう訊いた。


「そろそろ時間のようです」

 八城は抽象的な返答をした。

「なんの時間さ」

 阿古谷も、意味がわからないっと訴えかけるような表情をしている。


「対策を練る時間ですよ。作戦会議ってやつです」


「ん? でもさっきまだ揃っていないって……」

 海藤は冷静に言った。

「ふふん、あちらを見て下さい」

 八城はそう言う海藤をちらっと見てほくそ笑み、右手の指先をイベントスペースの入口に向けた。

 国府達は揃って目を向ける。


 すると、ふたりの男が西側歩行スペースから現れこちらに歩いて来て、イベントスペースに入ってきた。ふたりの身長差は頭ひとつ分くらい違う。


 ―——鮫島と奥原だった。

 あれだけの事態が起こったにも関わらずふたりとも無傷だ。


「ようっ」

 鮫島は足を止めて低い声を発した。


 宗宮は「鮫島さん!!」と声を弾ませた。

 国府も目玉が飛び出しそうになった。

 と同時に、湯水が湧くかのように強い歓喜が心の底から込み上げてきた。棚橋も海藤も驚いていた。


「あっ、緊急措置の時の」

 阿古谷は鮫島をしっかり覚えていた。

 なぜなら、鮫島が自動ドアを破壊しようとした時、2階フロアからその光景を見ており、鮫島の拡声器での話も聞いていたからだった。


 国府は思った。

 八城のどこか寂寥感を感じるさっきの表情は、鮫島は絶対に生きている、ここで死ぬような玉ではない、という思いとは裏腹に、もしかしたら本当にヤツラに殺されてしまったのか、という考えが過ったのではないか。

 歩行スペースに出てまで西側方面をずっと遠い目で見ていたのは、八城自身の思いや願いが行動に出てしまったのかもしれない。

 あれだけ賑わっていたダイドーが、ヤツラの殺戮行為により罪のない客達がほとんど殺害され、寂寞せきばくたる別世界に変貌してしまった。


 あの鮫島だ。

 鮫島がこの世界で生きているのなら、間違いなく彼の気配をすぐに感知できるはずだ。八城が2階フロアで阿古谷といる時や、国府達と合流した時までは、確かに鮫島の気配は感じられなかったのだろう。

 しかし、さっきの見開いたような目は、鮫島が突如現れた瞬間の反射的な表情だった。

 生きていたことが確信に変わったからこそ俯きながら肩を小刻みに揺らしていたのだ。八城の対策案に鮫島がいないということは最悪のシナリオなのだろう。

 その線は崩れた。やはりあれは笑っていたのだ。

 同時に国府も、鮫島が生きていたことは途轍もないほどの安心感だった。


 八城は円柱の柱に備え付けられている木製のベンチに腰を下ろし、前かがみで座りながら奥原に目を向けた。

「あなたは?」

 鮫島も横目で、自己紹介してやれと言いたげに奥原を見る。


「奥原 一、白別中央署の警察官です」

 奥原はコートの内ポケットから警察手帳を出して皆に見せた。


『警察官!?』

 国府達は驚嘆した。八城は冷静な表情に笑みを浮かべた。



 ―――警察官。

 このような状況だからこそ最も安心感のあるワードだ。

 この場に警察の人間がいるだけでどれだけ心強いか、どれだけ安心か、みんなの思いは同じだった。

 

「俺はこのダイドー内でオープン初日から私服警官として店内の巡回にあたっていました。まさかこんなことになるとは予想外でしたよ。今回のこの事件の詳細は署に報告します。証拠の映像もばっちり撮りましたから」


「奥原は正義感が強いし頭も切れる。俺はこの惨劇中ずっと一緒に行動していたんだ」

 鮫島は奥原の存在を説明した。


「鮫島さんが合流したいと言っていたのはあなた達のことだったんですね。軽く皆さんのこと教えて欲しいです」

 奥原は鮫島に顔を向けた。


「まずそこのベンチに座っている白いパーカーの男は八城という。あぁ見えても医者で、かなりの切れ者だ」


「え、えぇ! 医者なんですか!?」

 奥原は八城を二度見した。

 阿古谷は自分と全く同じ反応をした奥原を見て吹き出しそうになった。


「なんで皆同じ反応なんでしょうか?」

 八城は、あははは、と引きった笑みを浮かべ首を傾げた。


「んで、この4人はSoCoモバイルショップの店員。この場でケータイのイベントをやってたんだ。右から国府、海藤、棚橋、宗宮だ。俺と八城にこの事態の気付きや情報を色々提供してくれたんだ」

 鮫島は4人をひとりひとり掌を向けながら丁寧に紹介した。


 国府は内心、(自分はショップ店員ではないんだけど、まぁいいか)、と思いながら4人は少し照れ臭そうにしていた。

 宗宮に関しては、えへへー、とまぬけな顔をしていた。

 海藤はその宗宮の表情を見て小さな溜息をついたが、とくにツッコミは入れなかった。


「ほう、浅川店長がケータイイベントやるって言ってたのは聞いてました。SoCoモバイルのイベントだったんですね。俺もSoCoモバイル使ってますよ。重宝させていただいてます」

 奥原はぺこっと小さく頭を下げた。

 4人は『ありがとうございます』と礼を言った。


「そんで、こちらのお嬢さんは?」

 鮫島は阿古谷の顔を見ながらそう言った。

「あれ? 鮫島さんこちらの女性は面識ないんですね」

 と奥原は言った。


「こちらの女性は阿古谷 唯さん。最強少林少女です」

 八城は前かがみの姿勢から、脚組みの姿勢に変えながら阿古谷を紹介した。

 阿古谷は「あーもう、また少林少女ってー!」と横目で見ながら言ってきたのを、八城は、まぁまぁと手を仰ぐような素振りをしながらなだめた。


「少林少女!?」

 奥原は八城の慮外りょがいな言葉に驚いた。


「えぇ、先程も話していたんですが、ヤツラのひとりとタイマンを張っていたんですよ彼女。蹴りで吹っ飛ばしていました」


「え!? 本当ですか!?」

 奥原は一驚した。

 鮫島は無表情のまま口を開いた。「次ヤツラをぶっ飛ばすのは俺だ」っと。

 鮫島の瞳孔が開いている。阿古谷に興味を示したように見えた。

「ふん、嫌でもその時がくるよ」

 阿古谷は負けじと言い返した。


「まぁまぁ一旦冷静に。にしても、鮫島さん達はこの惨劇中どこにいたんですか?」

 八城はふたりに訊いた。


「俺らは従業員用更衣室にいました。ヤツラの虐殺行為が始まった時にすぐさまバックヤードに逃げ込み、そこで初めて鮫島さんに会いました。鮫島さんが適切な避難場所として更衣室を選び、周囲の客達やバックヤードにいた従業員をふたりで匿ってました。今もそこに待機してもらっています。おかげで避難させた全員が助かりました。浅川店長も無事です。2階フロアにも5名の生存者を発見したので同じく更衣室に避難させました」

 奥原は説明した。


「なるほど、浅川店長も無事でなによりです。避難させていただいて感謝します。2階フロアの5名の生存者に関しては、私と阿古谷さんで一時的に即席の避難場所をつくり待機してもらってました。負傷していましたから、時を見計らって安全な場所へ移動させるつもりでした」

 と八城。


 その時、国府はひとりの女性がイベントスペースの入口からじっとこちらを見ているのに気が付いた。

「ん? あの子は?」

 棚橋達も国府の視線を追う。それに続いて鮫島、八城達も入口を見た。


 くるぶしくらいまであるスカートを穿いた細身の女性だった。見た目は20代前半くらいだろうか。その表情は哀愁が漂っている。

 こちらに小走りで向かってきて、きょろきょろと何かを探しているようだ。国府達には目もくれていない。ガラス張りの壁の周辺や、ガチャポンの物陰など事細かくやはり何かを探している。

 そして床に何かを見つけて拾い上げた。それを胸の前でぎゅっと握りしめ急に泣き始めた。

 八城は立ち上がりその女性に話をかけた。

「どうされましたか?」


「こ、ここに、男の人‥‥…いませんでしたか」

 女性は俯きながら訊いた。髪の毛で顔が隠れてはいるが、涙が頬を伝っているのが見えた。

 国府達は沈黙しながらその様子を伺う。


「いえ、私達がここに来たときには誰もいませんでした。どなたか探しているんですか?」


「そうですか。ダメだったんだ。約束したのに‥‥‥」

 女性は呟くようにそう言った。


「どういうことですか?」


「これ、雅志のです‥‥‥」

 女性は両手の掌を重ねながら前に出した。

 ペンダントだ。

 シルバー色のチェーンに文字が彫られた小さな円形のエンドパーツがついている。何かのイニシャルのようだ。そして、その女性も同じペンダントをしている。


「恋人ですか」


「はい、婚約者でした。このペンダントにはお互いのイニシャルを入れてるんです。だから雅志のもので間違いありません」


「何があったんですか?」


「私は雅志と一緒にあのガチャポンの隅っこに隠れていました。馬の顔した化け物があそこの道を通ってホームセンターにゆっくり向かっているのを息を殺しながら見ていました。でも、ポケットからスマホが落ちちゃって……、う、うぅぅ、うぅ‥‥‥」

 女性涙を堪えながら頑張って話そうとしてくれたが、耐えられずに涙を流した。


「なるほど、その音で馬のヤツに気付かれた‥‥と」

 八城は何が起こったのかおおむね理解した。


「うぅ‥‥‥、雅志は飛び出してその馬のお面をがぶったヤツに食らいつきました。先に逃げろって、あとで俺も追いつくからって‥‥‥でも戻ってこなかった」

「‥‥‥‥‥」

 八城はかける言葉がすぐには思いつかなかった。

 今どんな言葉をかけても他人事のように聞こえてしまう気がした。残念ながら雅志という婚約者がもうこの世にはいないだろうと思うと、胸が締め付けられた。


「ここに血がついてるんです‥‥‥。これ、多分雅志の血だと思います。多分ダメだったんです」

 チェーンの切れたペンダントをずっと見つめている。


「一旦座りましょう。こちらへ」

 八城は女性を落ち着かせるためにベンチに座らせた。


「でもどうして雅志の体がどこにもないの? どこにいっちゃったの? せめてどんな姿でもいいから会いたい‥‥」


「あなたのお名前聞いてもいいですか?」


「明海‥‥‥です。富田 明海」


「明海さん、これから僕達は策を練るところでした。色々酷な話も出てくると思います。この事態の―――—」


「お願い! ヤツラを殺して!! 仕返しして!! なんだってするから!!」

 明海は八城の話を遮って自分の思いを口にした。両手で雅志のペンダントをぎゅうっと握っている。


 国府は、明海の悲痛な叫び声が胸に突き刺さった。

 もし友里恵が殺されたら自分もきっと同じことを思うだろう。友里恵だって自分が殺されたなんて聞いたらどうなるのかわからない。

 立ち直れないくらい落胆し、最悪自分のあとを追って‥‥‥、なんていう事態にもなり兼ねない。

 (俺は絶対こんなところで死ねない、殺されてはならない、生きてここから出て絶対に友里恵のもとに帰るんだ)

 と心の奥底で叫んだ。


「えぇ、明海さんのお気持ち尊重します。だからこれから僕達が話し合うことに耳を傾けて欲しい。雅志さんのためにもあなたはここから生きて出なければなりません」

 八城は真剣な顔でそう言った。

 決して、きっとどこかで雅志さんは生きていますよ、希望を持ちましょう、というような期待を抱かせる言葉はかけなかった。

 現実的に考えて、そして、医者として。

 それが明海の今後の人生に大きく左右する大切なことだと思ったのだ。


「‥‥‥わかりました」

「このまま座っていてください」

「はい」


 八城は皆の方に顔を向けた。

 国府達や阿古谷、鮫島と奥原は、うん、と頷いた。

 みんなの気持ちはひとつになったようだ。


「役者は揃いましたね」




第30話へ続く・・・。

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