第71話 おかえりなさい
国府が自宅に着いた時、時刻は16時50分だった。
「ただいまー」
国府は疲弊したようすで自室に入っていった。
リュックを雑に床に置いて部屋着に着替えていると、友里恵は心配してちらっと顔を覗かせた。
「おかえりなさい。遅かったね」
「ごめんごめん。会場で八城さん達にばったり会ってさ。急遽一緒に参加してたんだ」
「え! あの助けてくれたって言ってた人達だよね? 皆いたの?」
「そうそう」
「かなりの重傷だって聞いてたけど」
「あの人達はある意味超人だからね」
「巧は八城さん達が参加すること知らなかったの?」
「うん知らなかった。たまたま同じ日だったんだ。積もる話もあったから、会が終わった後もずっと皆で話してて遅くなったんだ」
「それはそうだよね。八城さん達は日にちを合わせてたのかな」
「うん、そうみたいだった。皆と連絡先も交換できたよ」
「そっかそっか。感動の再開ってやつだね」
「ほんとそれ」
「被害者の会はどうだった?」
「まぁまぁだったよ。話聞いて終わったって感じだね」
国府は浮かない顔をしてそう言った。
被害者の会で実際に起こった出来事に関しては何も口にしなかった。
香咲のことや八城達と立てた仮説を話してしまうと、友里恵をまた不安にさせてしまうと思ったからだ。
ダイドー事件から解放されたとは言え、まだ日は浅いし、あの悲劇で受けた心の傷はそう簡単に癒えはしない。それは友里恵も同じだ。
今の国府と友里恵にとっていちばん大切なのは時間だ。贅沢など求めていない。この戻ってきた日常が、普通の日常としてずっと続いていけば、時間の経過こそふたりの心の傷を癒していってくれるのかもしれない。
「そうなのね。でもまぁ1回目だしね。次もまた行くの?」
「いや、もういいかな。参加してどんなものかはわかったし、参加したところで気持ちはすぐに癒えないからさ。むしろもう忘れたいんだ」
国府にとって被害者の会に参加したことは、八城達に会えたということ以外なんのプラスにもならなかった。
あんな会だったからこそ、もちろん心など癒えるわけもなかったし、逆に悲しくなった。被害者の心をさらにもっと深く
ダイドー事件に巻き込まれたという現実は消えなどしないが、あとの人生は友里恵と平穏な日常を静かに過ごしていきたい。ただそれだけを願った。
神は時に残酷になると言うが、ダイドー事件のことは何もかも記憶から消し去りたい気持ちだった。
「うん、いいと思う。私も『参加してみたら?』なんて余計なこと言っちゃったね。逆に辛くさせちゃうよね。ごめんね」
「いいんだ。ああいうセラピー的なの初めてだったし、勉強にもなったしね。友里恵も俺のこと色々考えてくれてありがとうな」
「うん」
友里恵は小さく頷きながら、国府をそっと抱きしめた。
「友里恵‥‥」
国府もぎゅっと抱き寄せた。腕いっぱいに友里恵の体温を感じる。ちゃんと生きてるんだと実感した。
「‥‥‥」(グスン)
友里恵は鼻をすする。
「命があることに感謝しなくちゃな」
「うん、そうだね」
「もうひとりにしないから」
「じゃあさ‥‥」
「ん?」
国府は返事をすると、友里恵はくいっと顔をあげて、
「巧の言うとおり、いっそのこともう忘れよ? きれいさっぱりふたりで忘れるの。いっぱい楽しい時間過ごしてさ、過去を上書きしていこ? 少しづつ少しづつね」
「過去を上書き‥‥か」
「そっ。この先夫婦の時間は長いんだよ。上書きするくらいの未来はあるでしょ?」
「そうだな。ふたりの日常に戻ろう」
「そうだよ。でも今日はお疲れ様。ゆっくり休んで。コーヒーでも淹れようか?」
「あ、うん。お願いしようかな」
「おっけー。ソファにでも座って待ってて」
「ありがとう」
「私は晩ご飯の支度の続きもやっちゃうね」
友里恵は涙で濡れた目を袖で拭きながら、笑みを取り戻してキッチンに向かっていった。
国府は友里恵の言葉に救われた気がした。
(そうだ。前を向いていかないと。ダイドー事件からはもう開放されたんだ。俺はもう関係ない。関わりたくもない。あとは警察に任せておけばいいんだ。行方を
ふたりで。
おいしいごはんを食べたり、
温泉旅行に行ったり、
映画やドラマを見たり、
演劇やライブを見に行ったり
バラエティ番組を見てげらげら笑ったり、
買い物に行って野菜コーナーやお総菜コーナー、お肉コーナーやお酒コーナーをぐるぐる見て回ったり、
クリスマスや年末年始を過ごしたり、
記念日を過ごしたり、
実家に帰って田舎を満喫したり、
そして、
『子供』のこととかもちょっとづつ考えてみたりしてさ。
日常の、その積み重ねが幸せに変わっていくんだ。
ダイドー事件に巻き込まれる前まではそれが普通だったよね。あって当たり前みたいな感覚だった。
でも、決して当たり前なんかじゃない。
毎日朝を迎えられることって奇跡なのかもしれない。
俺は第二波の死闘の時、もう明日を迎えられないと本気で思った。もう二度と友里恵に会うことはできないって思った。今ここにこうして生きていられることに感謝しよう。
香咲 真理のあの一件で、八城さん達とはまた新たな仮説が生まれてしまったが、いくら八城さんの仮説だからといって、また何かに巻き込まれるなんて想像できない。いや、むしろあるわけがない。
こんなにも世間で報道されて、警察の厳重な警戒態勢が布かれている中で、どう攻撃してくるというんだ。首謀者達は逃げることで精一杯のはずだろう。そうに違いない。
うん。だからこそもうきっぱり忘れたい。もう振り返らない。そうしよう。考えるのももう疲れた。
平和に、平穏に、新しい未来を生きるんだ。
友里恵と一緒に)
国府は心の中で強くそう思った。
「巧、コーヒー淹れたよー」
「はーい今行くー」
「ブラックでいい?」
「うん、ブラックでいいよ」
「はいどーぞ。熱いから舌火傷しないようにね。巧猫舌だからさ」
「大丈夫だよこれくらい。———アッ! アッツッ」
「あははは、ゆっくり飲みなって。今日の晩ご飯は肉じゃがだからさ、後でジャガイモの皮剥くの手伝ってくれる?」
「はいよ」
「あ、今日19時からドッキリ選手権スペシャルやるよ」
「え! マジかっ。絶対見る」
「ね。見よ見よー」
国府は、このたわいもない会話も日常に戻れているんだと感じて嬉しくなった。
(日常が送れるって幸せなことだ。かけがえのないことなんだ。
そうだ。来週には仕事、復帰しようかな)
シーズン1 ―――Fin
次話―――番外編:72話『大堂家の過去』
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