第59話 406号室

 ♢


 時刻は18時45分を回ったところだった。

 藤原は「電話してくる」と言って病室を出て、4階のフリースペースのソファに座っていた。

 スマホの画面に通話履歴を出して『松江 俊介』の名前をじっと眺めていた。ただでさえ国府の怪我のことも心配なのに、国府が言い放った一言がさらに、藤原の頭の中を混乱させた。なぜふたりが亡くなったのか理由を聞くことすら忘れてしまった。


(松江さんになんて報告すればいいんだ‥‥)

 松江には連絡を待つよう伝えている。『棚橋さん達はきっと生きている』と言ってしまったことに後悔の念が溢れてきた。

 あの時、松江は「自分のせいだ」と自分を非難していた。藤原はこの事実を伝えることで、松江がまた自分を攻めてしまうのではないかと懸念した。しかし、事実は事実として報告しなければならない。

(いや待て。406号室に海藤さんの名前があったな‥‥)

 海藤くんにも話を訊いてみたいとそう思い、藤原はふぅっと深呼吸をしてから立ち上がり406号室に向かった。


 ♢


 藤原は406号室をノックして静かに入った。ベッドが4つあり、カーテンで仕切られていた。手前のベッドには被害者家族が来ていた。

 窓側の奥のベッドに目を向けると、ひとりの男性が無言で窓に目を向けていた。その男性と目が合った時、目を丸くして驚いた表情をしていた。

 ———海藤 広大だった。

「ふ、藤原さん!?」

「海藤さん。無事で良かった。色々話は聞きました」

「そうですか。あれは悪夢というか、地獄としか言いようがありません」

 海藤は国府と同じことを口にした。


 『悪夢』。普段、日常生活でそのようなワードはあまり使わないだろう。しかし、はっきり『悪夢だった』と言えるほどのことが起こったのだ、と藤原は思った。


「国府さんも同じことを言っていました」

「国府さんは何号室にいらっしゃいますか?」

「405号室です。さっき目を覚ましました。今は奥様がついています」

「隣の部屋ってことですか?」

「まぁ、部屋番で言うとそうですが、個室なので廊下を曲がったところの部屋です」

「そうなんですね。意識が戻って良かった。救助が来た時、眠り込むように倒れてしまって」

「国府さんからさっき聞きました。棚橋さんと宗宮さんのこと」

「‥‥‥はい。無残にも殺されました。ヤツラに‥‥」

 海藤はぷるぷると小刻みに震えていた。

「海藤さん、答えづらかったら大丈夫ですが、そのヤツラってどんな身なりだったんですか?」

「‥‥‥人間じゃありませんでした。化け物です。動物の皮を被った5体の化け物が襲ってきて無差別に客達を殺していきました」

「5体の化け物‥‥、動物の皮!?」(そういえば、国府さんも同じように化け物って言っていた)

「死体が無かったことは聞きましたか?」

「えぇ、まるで神隠しにでもあったみたいだったって」

「死体はみんな喰われたんです。棚橋さんと宗宮の死体以外ね」

「なっ‥‥」

 藤原は言葉を詰まらせた。 想像が追い付かない。

(熊でも出たというのか!?  いや、違う。神矢は人造人間と言っていた。生物と人間の遺伝子を組み合わせたキメラ人間。つまり人間ではないモノ。そして殺戮行為を行ったと。本当にそんなこの世に存在してはならない生物兵器が現れ、国府さん達を襲ったということか。神矢の言っていたことはでたらめではなかった‥‥)

「動物の皮ってどんな動物だったんですか?」

「馬、牛、兎、山羊、羊‥‥です。八城という男性がおそらくヤツラの写メを持っているはずです。もし生きていればですが」

「なるほど。そういえば国府さんも『八城さん達はどこ?』って訊いてきました。それと鮫島さんっていう名前も」(神矢の言っていた生物細胞‥‥。この5種の動物のことだったのか)

「はい。僕らはその鮫島さん達に助けられました。あとは八城さん、奥原さん、阿古谷さんです。この4人がいなかったら全滅でした。ひとりも生きて外になんて出られなかった」

 海藤は俯きながら答えた。


(神矢が言っていた。ダイドーが開く条件‥‥。人造人間5体の消滅。海藤さん達や、その八城や鮫島という人達が手を組んで、人造人間を倒したということか。国府さんも一緒になって闘った。神矢の話だと刀や銃などの凶器を持っていたと言っていた。だからみんな傷だらけに‥‥。なんてことだ)


 そして藤原は海藤から詳しい話を全て聞いた。ダイドーが急に閉鎖されてから、自動ドアが開くまでの全てを。海藤の話は、神矢が話していた内容と合致していた。もっと言うと、聞いた内容よりも悲惨なものだった。

 鮫島、八城、奥原、阿古谷という人物が、どのようにして助けてくれたのかや、国府と共闘して人造人間と対峙したこと、その最中で棚橋と宗宮が殺されてしまった話を全て聞くことができたが、どれも現実離れした内容だった。


 そして、『奥原 一』という人物については心当たりがあった。 


—―——南巡査部長の同期


 藤原は記憶を辿るように思い返した。

(そういえば、南さんは奥原という同期が私服警官としてダイドーに派遣されていたと言っていた。ダイドー閉鎖後に音信不通になったと。その人で間違いない。奥原という人物は生きている?)

 と藤原はそう確信した。海藤の話では恐らく重傷患者として運ばれ、集中治療を受けているかもしれない。身元確認がまだされていないだけで、401号室から404号室のどれかの病室が奥原の病室かもしれない。むしろ、重傷患者はその4人で、401号室から404号室の病室はその4人が病室の可能性が高い、と思った。


(相馬さんに至急連絡しないと‥‥)


「わからないのは、どうしてあんな目に僕らが合わないといけなかったのかです」

「もはやテロと言っても過言ではありませんね」

 藤原は神矢からヒュドラー計画の詳細を聞いたので、なぜ人造人間が現れ殺戮行為が行われ、国府達や客達に被害が及んだのか、その理由は知っていた。しかし、その話をするとさらに混乱してしまうだろうと懸念し、海藤に話すことはしなかった。

 


 藤原は406号室を出てから、自分の車に戻り3本の電話をした。

 1本目は相馬だ。国府や海藤が生きており北悠会病院に搬送され入院していることと、ふたりから聞いたダイドー事件の情報をそのまま伝えた。明日、相馬と南ふたりで聞き込みや捜査も兼ねて病院に行くそうだ。

 2本目は松江だった。気が重かった。藤原自身様々な依頼の電話を受けたり、営業電話もしてきたが、ここまで気乗りしない電話は初めてだった。松江の会社携帯に電話をかけた時、3コール目で松江は電話に出た。ショップの営業時間はとっくに過ぎてはいたが、ショップ内で店長業務をやっていたらしい。

 松江は、始めは落ち着いた感じの声色で、『ご連絡お待ちしておりました』と言った。ダイドーで何が起こっていたのか詳細を綿密に伝え、人造人間のこと、棚橋達が共闘して敵と対峙したことを順に話した。しかし、最後に棚橋と宗宮のことを伝えた瞬間、声を震わし涙しながら取り乱した。『色々とありがとうございました‥‥』という言葉を残して、プツンと電話を切られてしまった。

(松江さん‥‥。まぁ無理もないか。今はそっとしておこう。明日、直接会いに宮神店に顔を出そうかな)


 最後の電話は自分の社長にだった。株式会社HOELホエールの代表取締役社長 外垣とがき 隆雄たかお

 外垣社長は一代で今の会社を立ち上げ、軌道に乗せた敏腕社長である。起業したての頃は大学仲間と4人で始め、2LDKのマンションの一室を借りて広告請負の飛び込み営業やテレアポをやっていたそうだ。立ち上げ仲間の3人はとっくのとうに辞めてしまい疎遠になってしまっているらしい。

 外垣社長に電話をした時、同じく今の状況の詳細を説明し、国府が怪我を負って入院している旨を話した。外垣社長はすぐに理解をしてくれて、『お疲れだったな。国府のことをよろしく頼んだぞ、今はゆっくり休ませてやれ。俺も時間作ってそっちへ行く』とのことだった。(社長、ここは私に任せてください。社長もお忙しい方だ。すぐにこちらへは来れないだろう)と藤原はそう思った。


 3本の電話が終わった後、タバコに火をつけた。藤原は今まで自分に襲いかかってきた不安・困惑・恐怖といった黒くて暗い感情を、肺に入れた煙とともに一気に吐き出した。


 腕時計に目をやると時刻は20時を回っていた。

(もうこんな時間か)

 藤原はそう思いながら、この一連の騒動が昨日と今日のたった2日間だけの話なのか、と何度も変な錯覚に陥る。もっと時間が経過してるように感じる。1日の情報量が多すぎるからそう感じるのかもしれないと、そう思った。

 一服しながら茫然と車内から夜空を眺めていると、スマホが鳴りだした。着信だ。事務の林崎からだった。

「イクちゃんか。なんだろ」

 藤原はそう呟きながら電話に出た。



第60話へ続く・・・。

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