第57話 白別北悠会病院
友里恵が北悠会病院に到着したのは18時を回っていた。
日の入り時が過ぎて辺りは暗くなっていた。病院のたくさんの四角い窓からは部屋明かりが漏れている。
やけに駐車場が混み合っており、入口付近に停めることができなかったので、入口から少し距離がある駐車スペースに仕方なく停めるしかなかった。友里恵は車中から病院を眺めた。
(この部屋のどこかに巧がいるかもしれない)
そう淡い期待を抱きながら車から降りた。
—白別北悠会病院—
白別町にある総合病院。7階建てで、道内では5本の指に数えられる程の大きな病院である。駐車場も300台は停めることができるほど広く、緊急患者の受け入れも積極的に行なわれている。
白別駅からも近く交通の便は良い。各診療科も揃っており、様々な患者が出入りする。がん治療や脳神経治療、不妊治療など最先端の治療が受けられることでも有名だ。
入院患者に対しても病室の設備はしっかりと整えられている。広々とした部屋で清潔に保たれており、テレビ・冷蔵庫の使用は無料、Wi-Fiも使い放題である。病床数は500を超える。
友里恵は駐車場を駆けながら藤原に電話をかけた。
プルルルルル‥‥、プルルルルル‥‥、、
「藤原です。友里恵さん着きましたか?」
「はい。今入口に向かっています」
「わかりました。今外に出ますね」
そして、友里恵は電話を繋げたまま入口に走って向かった。すると、ジャケットを身に纏った高身長の男性がきょろきょろと周囲を見渡しながら出てきたのが見えた。
「藤原さん!」
友里恵は藤原と目が合い、大きく手を振り、電話を切って一礼した。
「友里恵さん、こっちです!」
「え、あ、はいっ」
友里恵は藤原に言われるがままに中へ入った。
病院内は広々としており、白を基調とした壁紙や床がまた清潔感を際立たせている。待合室の壁には、所々に動物やラッパを吹いているとんがり帽子の子供、木や星などの影絵が飾られていた。友里恵はその影絵を見て、何か願いのような意味が込められているのかなと思った。受付窓口は診療科も多いからか、横一帯に広がっている。
受付周辺では、ダイドー事件の被害者家族らしき人達で混雑していた。それに対して病院側は、特別措置として受付中央で整理券を発券しており、その整理券の番号が若い順に従って生存者確認ができるようルールが設けられていた。整理券の発券はあと15分で打ち切りだそうだ。打ち切りの時間も設けておかないと人でごった返してしまう可能性があるからだ。
警備員らしき人達は、整理券を取り順番に案内する旨の呼び掛けをしている。来訪者の中には、受付を通らずに勝手に入ろうとする者や、『早く合わせてくれ』、『確認させてくれ』、『いいから早くしろ』と喚き散らす者もいた。呼びかけに応じようとしない者には、出入り禁止が言い渡されていた。いわゆる『出禁』というやつだ。
病院側からしたら、いくら残忍極まりないダイドー事件の被害者家族や知人であろうと、様々な患者を抱えているため特別扱いはしない姿勢である。
藤原は、友里恵に『3番』と書かれた整理券を指に挟めながら見せた。
「先に引いておきました。友里恵さんとすぐに国府さんの安否を確認ができるようにね」
「え、そこまでしてくれてたんですか! 何から何まで‥‥」
友里恵は、藤原の先を見越した行動に感動した。
「いえいえ。友里恵さんの気持ちはこれでもわかってるつもりですから。ここの面会時間は20時までです。この状況だと今から発券するのは遅すぎますね。会えても少ししか時間が無いでしょう」
「えぇありがとうございます」
「なので私も国府さんの家族のフリをしますので合わせてください」
「了解しました」
そして、藤原は受付カウンターに行き、
「ダイドー事件の被害者家族です。被害者との面会に伺いました」と申し出た。
受付の女性:「ここにお名前をご記入ください」
「はい」
藤原は、紐で繋がれたボールペンで名前を記入した。そして、ペンを友里恵に渡す。友里恵も同じようにボードに名前を記入した。
受付の女性:「身分証のご提示と整理券をお願いします」
藤原と友里恵は、指示に従い身分証の提示と整理券をカウンターに出した。
受付の女性:「ありがとうございます」
確認が済むと、受付の女性は説明を始めた。
受付の女性:「緊急搬送された方達は4階の401号室から411号室の病室です。身元確認がまだ済んでいない方もいらっしゃいますが、確認ができている患者様は病室の入口に名札を掛けてあります。明日には搬送者全ての身元確認は完了させる予定です。また、緊急治療の方もいらっしゃいます。その患者様の部屋には『入室不可』の札が掛けてあり、集中治療室に移動になっております。この患者様とは面会はできません。面会時間は20時までとなっております。よろしいでしょうか?」
受付の女性は淡々と説明をした。もちろんこの受付の女性は、ダイドーで何が起こったのか詳しいことは知るはずもない。
「あの、国府 巧という男性は搬送されていますでしょうか」
藤原は恐る恐る訊いた。受付の女性は手元の用紙をぱらぱらと
受付の女性:「いえ確認は出来ておりません。ただ身元の確認が済んでいない可能性がございます。また、ご希望に添えない場合もございますこと、ご了承ください‥‥」
藤原は思った。ご希望に添えない場合——— つまり、『国府 巧』は殺害されもう会うことはできない、という意味なのだと。この病院に搬送されていなければ、国府 巧の生存確率は極めて低いということになる。
「わかりました」
藤原が暗い表情でそう言った。その隣で友里恵は俯く。
受付の女性:「エレベーターはあちら左手真っすぐ、突き当たりを右にございます。何かご要望がございましたら、3階ナースステーションにてお申し付けくださいませ」
女性はそう言って、黄色い紐に繋がれた入館証をふたつ渡してきた。藤原と友里恵は入館証を首にかけ、言われた通り左側通路を真っすぐ進んでいった。
「階段で行きましょう。その方が早い」
藤原は歩きながらそう言った。
「はい」
友里恵は、受付の女性の『ご希望に添えない場合‥‥』という言葉が頭から離れなかった。
藤原は決して『大丈夫。ご主人はきっと生きている』というような言葉は投げかけなかった。そんな根拠のない励ましは、もしもの時に余計友里恵を悲しませてしまうと思ったからだ。
♢
ふたりは4階まで上がるとフロア内を見渡した。まだフロア内は混雑していないようだった。藤原が引いた整理券番号が若かったおかげである。エレベーター正面の壁にはフロアマップが設置されていた。
マップを見てみると、401号室から405号室は右手側に、その右手側通路突き当たり左に曲がると406号室から411号室がある。401号室から405号室までが個室で、406号室から411号室は大部屋と小部屋の図のようだ。
友里恵は藤原の後をついていくように歩きながら、401号室から順番に名札を見ていく。
「なんだか入室不可の札ばかりですね」
友里恵は、404号室を通り過ぎたくらいでそう言った。
「ですね。あの受付の女性の説明だと重傷患者ということなのでしょう。緊急治療中と言っていましたよね」
藤原はそう言いながら真っすぐ進んでいく。友里恵はぴたっと足を止めたが、藤原は気付かず突き当たりまで歩いて行き、左側の406号室以降の部屋のある通路に目を向けた。そのまま左に曲がったところにある406号室の小部屋のドアに近づいてみると、中から話声が微かに漏れていた。すると、藤原の目に気になる名前が映り込んだ。
————『海藤 広大』
(‥‥海藤、、君!? この扉を開けると、あの海藤君がいるのか!? 生き残ったのか!?)
そう思っている矢先、友里恵の呼ぶ声がした。
「藤原さん!」
藤原はさっきまで後ろを歩いていた友里恵がいないことに気付き、個室が並ぶ通路に戻ると、友里恵は405号室の扉だけをじっと見つめていた。藤原は友里恵の側に駆け寄る。
「あの、藤原さん。この405号室だけ入室不可になっていませんよね」
「ん?」
藤原は5つの個室をちらちらと見比べた。たしかに、405号室だけ『入室不可』の札が掛けられていなかった。
「名札は掛けられていないようですが‥‥」
「確認してみましょうか」
「え、良いんですかね。勝手に開けて入っても‥‥」
「確認するだけです。そのために来たんですから」
藤原は、そう言って恐る恐る405号室のドアをコンコンとノックして、静かにスライド式のドアを横に引いた。
中には、ひとりの男性が酸素マスクをして眠っていた。頭に包帯が巻かれ、心電計に繋がれて、人差し指にはパルスオキシメーターが装着されていた。
その男性を見て、ふたりは息を呑むほど驚いた。
そこにいたのは、国府 巧だったのだ。
友里恵は両手で口を押えて小刻みに震えた。目を見開き、まばたきをせず、横になっている国府を見つめる。自然と涙が零れた。
「国府さん‥‥」
藤原も驚きのあまり言葉を詰まらせた。
友里恵の口を押える両手が涙で濡れる。藤原はそんな友里恵を見て、肩をとんとんと叩いた。友里恵は我に返ったかのように、ぱっと藤原の顔に目を向けた。
「うぅ‥‥、藤原さん」
「えぇ側へ」
藤原は小さく頷きながらそう言った。
「はい‥‥」
ふたりは国府を覗き込んだ。
友里恵はまだ触れてはいけないと思った。国府の肌に触れたい気持ちをぐっと抑え込んだ。
「主人は大丈夫なんでしょうか‥‥」
「呼吸はしていますね」
「‥‥‥えぇ」
友里恵は国府をまじまじと見て確かに呼吸の動きはわかったが、まだ心を落ち着かせることはできなかった。このまま一生目を覚まさなかったらどうしよう、とそんな不安が込み上げてきた。まだ安心はできない。
とその時、ちょうどひとりの女性看護師が様子を診に病室に入ってきた。その看護師は小柄でボードのようなものを持っている。
「あらあらご家族の方ですか?」
「あ、あの!? この人うちの主人です! 主人で間違いありません! この病院に運ばれたって訊いてとんできました。名前は国府 巧といいます。身元確認が済んでいないと聞きました。私は妻の国府 友里恵と申します」
友里恵は少し興奮気味でそう看護師に伝えた。
「クニフ タクミさんね。教えてくれてありがとうございます。奥様ご主人のご年齢を教えていただけますか?」
「29歳です」
看護師はボードに記録する。
「お隣の方は国府さんとどのようなご関係ですか?」
看護師は藤原に訊いた。
「私は藤原 洋臣と申します。家族というていで来ましたが、国府 巧の上司です。まぁ家族みたいなもんですがね」
「藤原さんね。かしこまりました」
「あの、主人は今どのような具合なんでしょうか!?」
友里恵はいちばん気になっていた質問をぶつけた。
「命に別状はありません。ご安心ください。今はただ気を失っているだけです。相当な精神的ストレスだったのでしょう。じきに目を覚ますとは思いますが」
看護師はやわらかな表情でそう言った。
友里恵は、ふぅっと胸をなでおろした。
「ただ‥‥」看護師は寝ている国府に視線を移しながら言葉を漏らした。
「えっ?」
「布団でわかりにくいですが、右脇腹に数カ所の切創と肋骨が数本折れています。かなり強い打撃を受けたんだと思います。あと頭にも傷が。運ばれてきたときには血が垂れていました。何かにぶつかって切ったのかもしれません。どうしたらこんな風になるのかわかりません。しかもご主人だけではありません。他の個室に入られている方々も重傷です。傷を見たらまるで人間の仕業ではないように見えました」
看護師は怪訝そうな顔でそう言った。
「そ、そんな‥‥」
(自分の夫がそんな深手を負っているなんて。夫は任された仕事を全うしようと誠実に仕事をこなそうとしただけなのに。夫がダイドーに何をしたっていうの? 酷すぎるよ‥‥)と友里恵は愕然とした。
藤原も表情が険しくなる。神矢の話が浮かんできた。———人ではないモノ、人造人間、の仕業。藤原は今も尚現実として受け止めきれていないでいた。どんな容姿をしたヤツラだったのか想像もつかない。
「生存者は何人ここに運ばれてきたんですか?」
藤原は訊いた。
「29名です。その内18名は無傷でした。念のため無傷の方達も全員この4階の病室におります」
「え!? たったの29名‥‥ですか!? オープンしたてですよ。何百人ものお客さんで賑わってたはずです!」
友里恵は看護師の言葉に耳を疑った。藤原も驚愕した。
「はい。そのはずですよね。まるで神隠しにでもあったかのような感じだって‥‥。ですがダイドー内は悲惨な状況だったと聞きました。血痕だらけなのに、遺体は2体だけだったみたいです。しかもその遺体は目を向けられないほど痛々しい姿だったって」
看護師も腑に落ちないというような顔で、淡々と自分が聞いた話をそのまま話してくれた。
「2体の遺体!? 他にダイドー内に隠れていたり、避難してるとか、その可能性は無いんですか?」
藤原は目を丸くしてそう訊いた。
「はい。救助隊や警察の方達がダイドー内を捜索したそうですが、今はもうダイドー内には誰もいないそうですよ。今は立ち入り禁止になっているそうです。むしろあんなところもう誰も近づきたくはないですよね」
「ちなみに地下のこととか何か聞いていませんか!? ダイドーに地下があるはずなんですが」
「うーん、特に何も聞いていませんね」
(地下が見つかっていないのか!? いやそんなはずはない。相馬さんにあとで聞いてみよう)と藤原は思い、「そうですか‥‥。ありがとうございます。あの、あっちの通路側の406号室からは大部屋なんですよね?」と訊いた。
「はい。正確には406号室から408号室が小部屋、409号室から411号室が大部屋です。怪我の度合いで部屋を分けてます。重傷者は個室、軽傷者は小部屋、無傷の方は大部屋です。大部屋は6人まで入れますので、18名の無傷だった方達は6名ずつ大部屋に入ってます。悲惨な事件だったようですので無傷でも一晩入院してもらい様子を見ます。何もなかったら明日退院予定です」
「そうですか」
「主人が個室に入ってるってことはやはり重傷ってことですよね」
友里恵は心配そうに言った。
「確かに主人は重傷ですが、他の4名に比べたら失礼ですがまだマシな方ですよ」
「えっ、その4名はどのような具合なんですか!?」
「あまり大きな声では言えないんですけどね、体に穴の空いた女の子、散弾銃のようなものに打たれた男性、毒に侵された男性、大きな刃物のようなもので切り裂かれた男性です。ほんと何がダイドーで起こったのか‥‥。不気味すぎます。とにかく集中治療室で治療に尽力しているところです。もう今ニュースにもなってますし、大事件ですよこれは」
看護師はこっそりと囁くように教えてくれた。
「その4人は命に別状は無いんですか!?」
友里恵は訊いた。
「今はぎりぎり一命を取り留めている方もいますが、油断はできない状況です」
「もう、何があったっていうの‥‥。巧早く起きて教えてよ」
友里恵は国府を見ながらそう言った。看護師の話を聞いて胸がえぐられるような感覚だった。
「まぁあの奥様。ご主人は安定していますので意識が戻るまで待ちましょう。面会は20時までではありますが、ご家族の方ならこの部屋に泊まってっても大丈夫ですから。わたしも今日準夜勤で0時45分まではおりますので。引継ぎもしっかりしておきます」
「ほ、本当ですか!? あ、ありがとうございます」
友里恵は大きくお辞儀をしてそう言った。
「ご主人も側にいて欲しいって思ってるはずですよ。ただベッド等はご用意が難しいので、もしお休みの場合はソファを使っていただくことになります。枕は用意できますので」
看護師はにこっと笑みを浮かべてそう言った。
「全然大丈夫です! 藤原さんも今日いてくれますよね!?」
友里恵は訊いた。
「泊れるのは家族って今言ってましたよ」
藤原は眉をハの字にしてそう言った。
「特別によろしいですよ。他の患者様もおりますのでお静かにしていただければ」
「そうですか。ではお言葉に甘えて。ちなみに看護師さんのお名前は、、」
藤原は看護師の名札を見ながらそう言った。
「私は看護師の
「わかりました。ありがとうございます」
「何かありましたらそのナースコールでお呼びください。では、私は一旦これで」
北出という看護師はそう言って病室を出て行った。
藤原は窓側にあった丸椅子をベッドに寄せてふたりは座った。時刻は18時半だった。
「泊れて良かったですね。寝る時はそのソファを使ってください」
「藤原さんはどこで寝ますか?」
「私は色々と報告しないといけません。警察とか、うちの社長とか、あと店長にも。あと、他にも調べたいことが色々ありまして」
「えっじゃあ藤原さんは帰っちゃうんですか?」
友里恵は不安そうな面持ちでそう訊いてきた。
「帰った方がいいと始めはそう思ってましたが、少し気掛かりなこともありますのでむしろ今日は帰りません。ちゃんと病院内にいますよ。ただこの病室を出入りするかと思いますが。寝る時は車で寝ますね」
「え、気掛かりなことって?」
友里恵は頭を傾げながらそう訊いた。
「まぁ大丈夫です。こっちの話ですので」
「そうですか。ならいいんですけど。藤原さんが今日ついていてくれるってだけで心強いですし」
友里恵は安堵の表情を浮かべた。
「国府さんが目を覚ましたら、何があったのか詳しく聞かないとですね」
「そうですね」
友里恵は国府の左手を両手で包み込むように握った。
第58話へ続く・・・。
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