第34話 焦燥
時刻は13時10分。無我夢中に白都支社に向かって車を走らせていた。
バイパス道路を走行中だったが、あんな状況を見てしまっては気持ちが落ち着かず胸騒ぎしかしない。
法令速度はとうに超えていた。早く神矢から真相を聞き出したい、と焦燥感にかられていた。
藤原は仕事もプライベートでもメンタルが乱れることは滅多にない。
(焦っても結果は変わらない。平常心を持って行動するからこそ気持ちに余裕が生まれ、結果に結びつくんだ)
常に部下や後輩社員には言い聞かせてきたくらいだ。
しかし、今の藤原は心の余裕も平常心も保てていなかった。
(どうなってるんだ。おかしい。おかしすぎる。警察の発言も頼りない。あれだけ周囲の人間が訴えかけていたのに。あの血痕はなんなんだ!? どうして血なんか‥‥‥。不気味なんていうレベルじゃなかったぞ。国府さん‥‥、棚橋さん達‥‥、今どうしてる。何が起こってるのか早く知りたい)
♢
藤原が午前中に見たスーパーダイドーは、昨夜松江と一緒に見に行った時よりも異様さが増していた。
~それは約2時間前に遡る~
スーパーダイドーに到着した時、時刻は10時55分だった。
東側と西側の入口付近や、駐車場に人だかりができていた。
パトカーも数台停まっており、警察官らもかけつけている模様。所々で町民らと話をしているようだ。
藤原は駐車場の角のスペースに車を停めた。
建物を全体的に眺めたが、自動ドアの靄で店内は見えず入ることもできないのは変わりないようだ。
昨日のように薄っすら影でも見えるかもしれないと思い、イベントスペースの広場のガラスブロック壁のところまで歩いた。
その時、藤原は息を呑んだ。
そのガラスブロック壁には内側からべっとりと血のようなものが付着していた。
(いや、あれは血だ)
心拍数が急激に上昇した。
ぼやけていてもはっきりと血だとわかった。血痕のせいで中を覗くことはできなかった。
(なんだこれは!? 昨日は血なんてついていなかった‥‥‥)
藤原は肝がつぶされるような思いだった。
血痕がある時点で異常だ。中で何が起きているというのか予想もできなかった。
すぐさま藤原は走って警察官の元へ駆け寄った。
ちょうどふたりの警察官は、パトカーの前で女性から
『息子が中にいる筈なんです。調べてください』
と訴えかけられていた。
藤原は片方の警察官にガラスブロック壁に血がついていることを話した。
しかし、警察は
『あれが血だとはまだ断言出来ない』
だとか、
『これからしっかりと確認していきますから』
だとか、
『まぁまぁ、落ち着いて』だとか、、、
事の重大さをわかっていない期待外れなことばかり言われ、真剣に取り合ってくれなかった。
(ほんと警察ってやつは
と、怒りさえ込み上げてきた。
こちら側の熱量と警察の熱量に差を感じた。
(なら、俺が明らかにしてやる)
♢
~現在に戻る~
藤原が『大堂N6ビル』白都支社に到着したのは13時40分だった。ジャケットの左側内ポケットにボイスレコーダーを忍ばせて車を降りた。
支社の自動ドアを通過し、バックに『DFE』と刻まれた受付フロントが見えてきた。
ふたりの受付嬢が座っている。
(確か珍しい名字の受付の女性がいた筈だな)
「いらっしゃいませ。ご用件をお伺いいたします」
受付嬢は小さくお辞儀をしながら藤原を迎えた。
「こんにちは」
(あ、この女性だ。以前に神矢との商談で訪れた際にも、この女性が受付をしてくれたんだ。名前は確か‥‥‥)
藤原はそう思いながら、その受付嬢の左胸のネームプレートをチラ見した。
―――『九頭竜』
(あっ! そうだそうだ。クトウリュウさんだ。思い出した)
「私、株式会社HOELの藤原と申します。本日14時に神矢部長とお会いするお約束をしており参りました」
「かしこまりました。恐れ入りますがこちらにお名前とご連絡先、会社名をご記入の上、少々お待ちくださいませ」
受付嬢は訪問者リストの用紙とペンを藤原の目の前に出した。その間に手元の電話で神矢に繋ぎ取り次ぎしてくれる。
「14時にお約束の藤原様がお見えです。‥‥‥はい。‥‥はい。かしこまりました。そのようにお伝えします。‥‥‥はい。失礼します」(ガチャ)
取り次ぎが終わったようだ。受付嬢は受話器を置いた。
「藤原様、お待たせしました。10階の通路奥正面に神矢のオフィスがございます。右側にあるチャイムを鳴らして欲しいとのことです。あちら左側通路のエレベーターをご利用くださいませ」
と伝えられた。
以前の商談の時と同じ入り方だった。
「ありがとうございます。あの、ちなみになんですが‥‥」
「はい?」
受付嬢は顔を上げる。
「失礼ですが、あなたのお名前はなんと読むんですか?」
藤原はネームプレートに掌を向けながら訊いた。受付嬢は自分のネームプレートに目を向ける。
「あ、私の名字ですか? くずりゅう、と申します」
受付嬢はにこりと微笑んだ。
「くずりゅう、さんですか。すみません、急に余計なこと聞いてしまって。ちょっと珍しい名字だなぁと思いまして、つい。あはははは」
(そうか。そう読むのか。間違えていた)
藤原は後頭部を掻くふりをしながらそう言った。
隣にいるもうひとりの受付嬢は、藤原の慌てる様子を見てくすくすと笑っている。目が合ったので少し恥ずかしくなった。
その目が合ったもうひとりの受付嬢のネームプレートには佐藤と彫られていた。黒髪で後ろにお団子のようにまとめていた。
「なかなかいないですよね。よく聞かれるので気にしないでください。あの、もしかしてですけど先月、神矢とのご用件で来られてました、よね?」
「え? はい。そうです。実はその時にもあなたのお名前を見て少し気になってたのを覚えています」
「そうでしたか。では今日で覚えていただけましたね。ウフフ」
九頭竜はまた微笑んだ。可愛らしい笑顔で。
「えぇまぁ。———あぁ、ごめんなさい、余計な手間取らせちゃいましたね。ではまた」
「はい。エレベーターはあちらでございますので」
九頭竜はその可愛らしい微笑みをキープしながら、右手でエレベーターのある方向を手で示しながら言った。
藤原はエレベーターに乗り込み、10階のボタンを押した。
扉がゆっくりと閉まりだす。
閉まる瞬間、受付フロントにふいに目を向けた時、九頭竜と佐藤がこちらを真顔でじっと見ていた。さっきまでの笑みはどこにもなかったが、とくに気にしなかった。
エレベーター内は機械の動作音が静かに響いていた。
10階に止まるまでの数秒間、様々な思いが交錯した。
神矢への真相究明の追求、それに対する焦燥感、九頭竜という受付嬢と他愛のない会話を交わしたことでの緊張の緩和、国府の妻友里恵のこと、国府やクライアントの安否のこと等々、脳内をぐるぐると巡回した。
ピーン。
神矢のオフィスの階に到着した。まっすぐ進んでいき、
ピンポーン‥‥。
チャイムを鳴らした。
黒い影が近づいてくるのが扉の曇りガラス越しからわかった。藤原は深呼吸をひとつして戦闘モードに気持ちを切り替えた。
「入って。早く」
神矢は扉を開け、すぐさま小声で藤原に入室を促し、扉の外をちらちらと確認した後、ガチャンと扉を閉めた。
「そこのソファに座ってくれ」
神矢は言った。
その時、藤原は隙を見計らって左内ポケットに忍ばせていたボイスレコーダーの録音ボタンを、ポチっと押した。準備万端。
藤原はソファに腰を下ろし、神矢も向かいに座った。以前に商談した時と同じポジションになった。
「神矢さん、一体ダイドーに何が起こってるんですか?」
藤原から話を切り出した。
「‥‥‥‥‥‥」
神矢は黙り込む。
「神矢さん‥‥?」
藤原は少し間をおいてから呼びかけた。
「‥‥‥、藤原さん、本当に申し訳ない。ある計画に大勢の人を巻き込んでしまった‥‥‥」
神矢は俯きながらそう言った。
「えっ‥‥、ある計画? 何ですそれは?」
「あぁ‥‥‥、申し訳ない‥‥。申し訳ない‥‥。俺は何もできなかった。止めるはずだったんだ‥‥」
神矢は足を小刻みに揺すりながら、両手で頭を抱えはじめた。
「神矢さんどういうことですか!? 計画って何のことですか!?」
会話が成立していない。
神矢の様子が急変した。藤原は声を上げながらもう一度訊いた。
「はぁ‥‥‥、はぁ‥‥‥、申し訳ない、申し訳ない、申し訳ない、申し訳ない、もうし、、」
「神矢さんっ!!」
「はっ‥‥‥‥‥」
藤原の呼ぶ声で神矢は我に返ったかのようにぴたっと止まった。両手を顔を覆うようにして、人差し指と中指の間から両目を出している。
「神矢さん、まず落ち着いて深呼吸してください」
藤原は優しく問いかけるようにそう言った。
今の状態で神矢から話を聞き出すのは無理だと思った。まずは神矢を落ち着かせることが最優先だ。
神矢の取り乱した姿を見るのは初めてだし、こんな姿を見るとは思いもしなかった。よっぽど精神的に追い詰められるような何かが起こっているのだろうと確信した。
「ふぅあぁ‥‥ふぅぅぅぅ‥‥‥」
神矢は言われた通り大きく深呼吸をした。
少しづつ落ち着いてきたようだ。黙り込みながら呼吸を繰り返している。冷静になろうとしているのか。
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ‥‥。すまない。取り乱してしまった。恥ずかしいところを見せたな」
「いえ。それだけ神矢さんを追いつめる何かが起こっているのですね?」
「‥‥‥‥‥」
神矢はまた俯いた。
「私は神矢さんの味方ですよ」
「あぁ‥‥‥ありがとう。もう大丈夫だ」
神矢は落ち着きを取り戻した。
「もう一度伺います。計画って何のことですか?」
藤原は落ち着きを取り戻したばかりの神矢に気を配りながら、ゆっくりと冷静に訊いた。
神矢は両手を顔から離して姿勢を正し、前のめりになってこう答えた。
「ヒュドラー計画‥‥‥」
第35話へ続く・・・。
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