第3話 片想いの始まり
「見覚えない? これ」
「……これは、まさか——」
差し出されたボロボロのバッティンググローブを前に慎吾が呟くと、少女はごくりと唾を飲んだ。
(やっぱり、覚えていてくれたのかな)
芽衣の心臓は、どくどくと早鐘を打った。
永遠のようにも感じられた、慎吾が口を開くまでの数秒の後——。
「——坂本モデル?」
「……そういうことじゃないよお」
少女はがくりと頭を落とした。
* * *
「ごめんごめん。まさか僕があげたやつだったとは」
「別に良いけどね? そっちが覚えてなくたって」
1時間目が終わった後。
膨れっ面で拗ねてますという感情を分かりやすく表現する芽衣に、慎吾は平謝りに謝っていた。
それというのも、どうやらあのバッティンググローブは、中学2年——つまり、二人が同じクラスだった時——の頃に、慎吾が彼女にあげた物らしい。
芽衣の隣の席で「そろそろ捨てるか、これ」と慎吾が机の上に出して眺めていたのを、彼女の方からねだったそうだ。
もっとも、なぜねだったのかまでは教えてくれなかったが。
(あれ? ていうか……)
ふとあることに気付いた慎吾は、笑い混じりに口を開いた。
「よく鞄に入ってたね、それ。しかも、ちょうど僕が転校してきた今日に。まさか毎日持ち歩くわけないだろうし」
「……アハハ、ソウダネー。タシカニスゴイグウゼンダ」
「? なんか日本語が片言になってるけど、大丈夫?」
「ダイジョウブ、ダイジョウブ」
日本語が怪しい状態を抜け出していない芽衣に首を捻りながらも、慎吾は改めて彼女の机に置かれたボロボロのバッティンググローブを見つめた。
かつて自分の物だったと知ってから見ると、ボロボロのその姿にも、不思議と懐かしみを感じる。
「……ていうか、当時の僕も酷いな。そんなボロボロのやつ貰っても、困ったでしょ? 雪白は」
「そんなことないよ!」
冗談混じりに慎吾が言うと、思いの外強い口調で芽衣が否定した。
目を丸くする慎吾を見て何やらハッとした後、机の上のぼろ切れに目を落とし、語調をトーンダウンさせて、
「そんなことない……嬉しかった、すごく」
と改めて言う。
その口調はやけにしみじみとしていて、彼女の本音のように聞こえて。
照れ臭くなった慎吾は「そ、そう」と芽衣から目を逸らした。
* * *
「ねえ、LIME交換しよっか」
「え?」
2時間目の数学が終わった後の休み時間。
授業の内容をまるで理解できず、脳がショートしかけていたところに隣の芽衣から話しかけられた慎吾は、緩慢な動きで彼女の方を振り向いた。
「聞いてなかったの? LIMEだよ、LIME。ほら、中学の時は交換してなかったでしょ? 私たち」
正気に戻った慎吾が慌てて「ああ、もちろんいいよ」とQRコードを差し出すと、芽衣はそれを読み込んでから「ふふ、やった!」と微笑む。
その美しさにしばし目を奪われた後、そう言えば、彼女が変わったのは見た目だけではないな、と慎吾は気付く。
そう。慎吾の記憶の中の雪白芽衣は、こんなに明るく積極的な子ではなかったはずなのだ。
「雪白って、前より明るくなったよね」
慎吾が言うと、芽衣は「そ、そうかな?」とこちらをちらっと見てから「それよりさ」と話を変える。
「村雨って、さ。野球、やってたよね?」
「……まあね」
慎吾は何となく身を縮めた。
その動作に何かを察したのか、芽衣は「……そっか」と呟くと、「野球の話、あんまりしない方が良い?」と気遣わしげに慎吾の様子を窺ってきた。
「話を聞く分には、全然問題ないけど」
あまり気を遣われるのも嫌だと思って慎吾がそう答えると、芽衣は「りょーかい」と頷いてから、
「私今、野球部のマネージャーやってるんだ。だからその、もし野球がしたくなったら、いつでも言ってね!」
と芽衣は言った。
(野球部をやめてこっちに来ておいて、それでまた野球をやろうっていうのも……)
そう考えつつも、気付くと「……うん」と返事をしていた。
芽衣の人柄のせいだな、と慎吾は思った。
* * *
「ふんふふーん」
慎吾が転校してきた日の夜。
雪白芽衣は自室のベッドで、機嫌良さげにスマホの画面を眺めていた。
彼女が見ていたのは、LIMEに新たに登録された「村雨慎吾」というアカウント。
(まさか村雨が、うちの高校に転校してくるなんて。夢みたい)
芽衣は自分の頬を何度か抓ってみた。
しっかりとした痛みが、彼女に現実感を与えてくれる。
* * *
芽衣が初めて慎吾を見たのは、中学1年の秋のことだった。
陰気な性格と肥満体型のせいか、学校でいじめられて引きこもり気味だった当時の彼女は、両親に無理やり引っ張り出される形で、幼馴染の少年が所属する野球チームの試合を観に行くことになった。
その幼馴染の家と芽衣の家とで、家族ぐるみの付き合いをしていたからだ。
とはいえ芽衣自身は、幼馴染の少年のことが嫌いだった。
彼は他の生徒と違って彼女のことを決していじめたりはしないし、むしろ虐められている人がいれば助ける性質の人間だったが、昔からなぜか自分にだけさんざん子供っぽいちょっかいをかけてきたからだ。
だからその日、グラウンドに着くまでの芽衣に、自ら進んで試合を観ようという気持ちは全くなかった。
むしろ、幼馴染のいるチームが負けてくれたらちょっとせいせいするな、くらいの気持ちだったのだ。
ところが、到着したグラウンドである選手のピッチングを見た途端。
(……すごい。私もあんな風に、投げれたら)
芽衣は暗く曇っていた自分の心が、すかっと晴れ渡っていくような、そんな気がした。そして、彼女がグラウンドで見たその選手こそが——
「あれ? 来てたんだ、芽衣。なら、俺の活躍も見てたか? 今日はサイクルヒット——」
「あの人、だれ?」
「え?」
「あの、13番の人」
「……ああ、あいつか。村雨慎吾って言って、一応俺らと同じ中1なんだけど……凄え球、放るよな。とても同い年とは思えねえよ」
「……むらさめ、しんご」
幼馴染の晴山洋平と同じチームに所属する、村雨慎吾だったのだ。
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