第10話 世界は彼を待ってくれない

 2時間ほど部活を見学した慎吾は、練習の終わりを見ることなくグラウンドを後にした。

 芽衣に送ると言われて最初は遠慮したものの、彼女が頑として譲らないので、昨日と同様二人で帰ることになった。


「どうだった? ウチの連中」


 学校から駅までの道中、芽衣が慎吾の顔を覗き込むようにして尋ねてきた。

 慎吾の目には、その表情に一抹の不安が乗っているように見えた。


「うん……良いチームだと思うよ」

「ホント!? よかったァ。正直さ、村雨が幻滅しないか心配だったんだ」


 慎吾が答えると、芽衣は安心したように息をつく。


 別に慎吾も、彼女に気を使って世辞を言ったわけではない。

 青嵐高校野球部は、技術レベルこそ良くも悪くも普通の県立高校という印象だったが、慎吾の目から見て上手いと思える選手もいないではなかったし、何より雰囲気はかなり良かった。

 強豪校特有の、緊張の糸がぴんと張り詰めたような練習風景とはまた違う楽しげな様子は、素直に羨ましいと思えた。


 それでもなお、慎吾はある不安を拭えなかったが。


「……今考えてること、当ててみせよっか」


 電車に乗った後。

 ドア付近に立った慎吾が黙ってドアガラスの外を眺めていると、ガラスに映る芽衣がにやりと笑う。


「不安なんでしょ。みんなに受け入れられるか」

「……ごめん。みんな悪い人たちではなさそうだし、むしろ良い人だとは思ったんだけど、正直、うん」


 芽衣の仲間を疑っているみたいで、慎吾は申し訳ないと感じた。

 とは言え自分の感情は変えられないので、謝りつつも本音を明かすと、彼女は黙って首を振る。


「しょうがないよ。向こうでそういう経験をして、恐いと思わない方が変だし」

「……そう言ってくれると、助かる」


 慎吾は息をついた。


 またあの時と同じようなことに、なりはしないか。

 彼らとあの3人は別の人間のはずなのに、心のどこかでそう思ってしまう。

 そんな自分が、たまらなく嫌だった。


「うーん、そうねえ。私はあいつらが割といいやつらだって知ってるけど、それは村雨からしたら関係ないもんね。そう思えるのはこの1年の付き合いがあるからで、村雨には今それがないから恐いわけだし」

「……そうだね、その通りだ」


 扉が開いて、二人は最寄り駅のホームに降りた。

 芽衣の話に同調しつつも、そういえば彼女は昨日、前は引っ込み思案だったというようなことを言ってたな、と慎吾は思い出していた。


(もしかして、雪白にも僕と同じような経験があったのかな……?)


 今の彼女からは想像もつかないが、2年前同じクラスだった頃の様子を思い浮かべると、あり得ない話でもない。

 そんなことを考えつつ、隣を歩く芽衣を横目に見ていると、


「ま、確実に言えるのは——」


 改札口を抜けるその時、芽衣が口を開いた。

 慎吾の視線に気づいたのか、彼の方をちらと見てから続ける。


「私はどうあっても、村雨の味方だよってこと。ないとは思うけど、もし仮にウチの部員たちがその、村雨をハブるようなことがあれば、私は村雨の側に絶対立つし、立てる自信がある……と思う」


 慎吾は思わず足を止めた。

 彼女の言葉を聞いた瞬間、胸の奥からじんわりと温かいものが込み上げてくる気がしたのだ。


 一方の芽衣は、自分でもクサい台詞を言った自覚があったので、なるべく慎吾の方を見ないようにして歩いた。

 そのせいか、数歩先へ進んでようやく、彼が隣を歩いていないことに気付いた。

 振り返って、「どしたの?」と声をかけようとしたところで、彼女はギョッとする。なぜなら——


「……村雨? もしかして、泣いてるの?」

「え? ……あ、ホントだ」


 慎吾の目から、涙が溢れていたから。


 なぜ自分が泣いているのか、慎吾はよく分かっていなかった。

 ただ、少なくとも悲しいから泣いているのでないことだけはよく分かった。


 感情を落ち着けた後で冷静に分析すれば、何か分かるのかもしれない。

 そんなことを頭の隅で思ったりもした。


 しかし、世界は慎吾を待ってくれない。

 立ち止まって呆然と涙を流す慎吾のところで、改札口からの人の流れがちょうど二手に分かれているのが、芽衣の位置からもはっきり分かる。


(あれじゃ邪魔になっちゃうし、私がなんとかしないとだよね)


 芽衣は慎吾の手を引いて、その場を離れた。


* * *


 駅を離れた後。二人は昨日訪れた河川敷の土手に、再び並んで座っていた。

 なんとなくそうするべきだと、慎吾も芽衣も思ったから。


「さっきはごめん、雪白。迷惑だったよね」


 気持ちの落ち着いた慎吾が謝ると、芽衣は笑って「まあねー」と頷く。


「そこは否定して欲しかったんだけど」

「『そんなことないよ』ていう否定を最初から期待して聞くような人は、あんまりモテないらしいよ?」

「なるほど、だから僕はモテないのか」


 冗談を真に受ける慎吾に、芽衣は色んな感情を込めながら「……ソーデスネー」と棒読みで答えた。

 そんな彼女の気持ちなどつゆ知らず、慎吾は話を軌道修正する。


「……初めてなんだ。高校生になってから、その、泣いたのなんて」

「……わー、私ってば罪な女」


 芽衣は平静を装って肩をすくめた。

 内心ではその貴重な瞬間とやらを自分の前で見せてくれたという嬉しさと、そもそも泣かせた原因が自分なのではという不安で、感情がぐちゃぐちゃになっていたが。


 そんな彼女でも、続く慎吾の言葉にはその身を硬直させた。


「でも、悲しいとかじゃないんだ、本当。むしろ多分……そう、嬉しかった」

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