第5話 時計の針は進まない

 転校してから2週間ほど、慎吾は新しい学校に馴染むので精一杯だった。

 元々それほど明るい性格ではないから、新しい環境は不得手だ。

 もっとも、クラスメイトは幸運にも優しい生徒ばかりだったので、馴染みにくいということはなかったが。


 次第に環境に慣れてくると、今度は別の問題が生じた。

 すなわち、放課後にぽっかりと空いた時間を、どう過ごすのかという問題だ。


 野球で鍛えられたおかげで、誰の目から見てもスポーツマンらしい、引き締まった肉体を慎吾は持っている。

 そのせいかこの2週間、様々な運動部から勧誘を受けたが、今のところ彼はその全てを断っていた。


 野球の強豪校という少々特殊な環境とはいえ、部内でのいじめをつい最近まで経験していた以上、今すぐ何かの部活に入るという気にはなれなかったのだ。

 当の野球部からなぜか一度も声はかからなかったが。


 しかし、何も部活をしないとなると、それはそれで暇だった。

 特に慎吾は今までが野球漬けだったので、普通の高校生と比べても、放課後の過ごし方をよく知らない。


 歓迎会という名目でクラスメイトとゲームセンターに行ったり、カラオケに行ったりもしてみたが、野球の試合で投げていた時ほどの高揚感は、全くと言っていいほど得られなかった。


(やっぱり僕には、野球しかないのかな? でも……)


 自分一人だけで競技が成立するのなら、どれほど良かったことだろうか。

 しかし、残念ながら野球とはそういうスポーツではない。

 それが痛いほど分かっているからこそ、慎吾は野球を再開する気になれない。


 山吹実業で味わった苦痛を、今度こそは味わない。

 そんな確信を持てなかったから。


「村雨ェ、今日ゲーセン行く?」

「あ、僕はいいや」

「そっか。じゃあな」

「うん、ありがとう」


 迎えた4月下旬のとある日。仲良くなったクラスメイトの誘いを断ってから、慎吾はため息をついた。

 ゲーセンだろうとカラオケだろうと、今日はそういう気分になれなかった。

 代わりに何かしたいことでもあるのかと言えば、そういうわけでもないのだが。


 不意に、左隣から視線を感じた。

 見ると、じーっという音が聞こえてきそうな芽衣の視線とぶつかる。


 転校初日以来、芽衣とは時々ジャブ程度にLIMEのやり取りをしていた。

 隣の席だから普通に話すし、彼女は相変わらず明るいが、初日ほどの積極性がないのを慎吾は訝しく思っていた。


(そう言えば、雪白って野球部のマネージャーだったよね。野球部から接触がないのって、もしかして……)


 慎吾が芽衣の顔を見ながらそんなことを考えていると、


「……もしかしてだけど、最近暇してる?」


 彼女が口を開くなりそう言った。


(バレてたのか)


 図星を指されてばつが悪くなった慎吾は、頭を掻きつつ「……どうだろ」と目を逸らした。

 芽衣はそんな慎吾をじっくりと見てから「よし」と軽くガッツポーズを作る。


「……どういうこと?」


 不思議に思った慎吾が尋ねると、


「あ、いけない! そろそろ部活行かないとだ! じゃ、じゃあねー!」


 誤魔化すように慌てて鞄を肩に掛け、教室を飛び出して行った。


 残された慎吾はぽかんとした顔で、


(なんだったんだろう……)


 と芽衣の出て行った教室後方の出入り口を眺めていたが、やがて、少し寂しい気持ちになった。

 慌てて教室を飛び出してまで放課後にやりたいことのある彼女と、やることのない自分を比べてしまったから。


 一言で言えば、教室を出る芽衣の背中が、今の慎吾には眩しすぎたのだ。


「……僕も行くか」


 慎吾はのろのろと荷物をまとめ始めた。

 今の自分には、放課後をワクワクさせてくれるようなものがないのだと、改めて実感した。


* * *


 自宅に着いた慎吾は、「ただいま」と声をかけつつ屋内に入った。


 家の中はしんと静まり返り、慎吾の挨拶への返事はない。

 彼は特に驚くことなく、洗面所へ直行して手を洗ってから階上にある自室へ向かった。


 自室に入り、制服姿のままぼすっとベッドに身を沈める。

 こんなに早く帰宅するなど慎吾の経験上ほとんどなかったから、どんなことをして時間を潰せばいいのか分からなかった。


 ひとまず、スマホをいじってみることにした。

 クラスメイトの誰かに勧められてインストールしたゲームを始めてみたものの、すぐに飽きる。

 部屋の時計を見ると、ゲームを始めてからまだ数分しか経っていない。


 今度はスマホを置いて、部屋の掃除を始めることにした。

 といっても慎吾の部屋は元々それほど汚くないので、掃除にはさほど時間がかからない。十分ほどして、これ以上はもういいかなというレベルに達した。


 そうこうする内にいつの間にか、部屋に置いてある金属バットを握っていた。

 カーテンを開け、窓ガラスを鏡代わりに使ってフォームを確認しようとしたところで、制服姿でバットを構える自分にようやく気付く。


「……何やってんだ、僕」


 慎吾はバットを元の位置に戻し、再びベッドに仰向けに飛び込んだ。

 時計の針は遅々としていて、やはり中々進まない。


* * *


 午後7時より少し前。

 青嵐高校ではどの部活も着替えや片付けを始めるその時刻に、用具をしまおうと芽衣が部室の扉を開けると、着替え中で半裸状態の野球部員たちが目に入った。


(この光景にも、もうすっかり慣れたな)


 初めの頃は、校内でも随一と言っていいレベルの美少女である芽衣に、部員たちは戸惑っていた。

 そのせいか、彼女が部室に入る度、お互いに妙な緊張を感じたものだ。


 しかし慣れとは恐ろしいもので、今では芽衣に見られるのを彼らは何とも思わなくなった。

 同時に芽衣の方でも、部員の上半身など見ても何も感じなくなっている。


「そういや、どうなった?」


 部員との関係の変化に芽衣が謎の感慨を覚えていると、その一人から声がかかった。


「どうなったって、何が?」


 声のした方を振り向くと、


「転校生だよ、転校生。任せろとか言ってたわりに、なんもしてなくね?」


 不満げな顔で腕を組む、上半身裸に眼鏡をかけた少年の姿が目に入った。

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