第34話 駆け引きか、それとも単にバカなだけか
慎吾はベンチから、柳原の投球練習を見ていた。
気のせいか、何度か向こうがこちらをちらりと見ていたような気がする。
「今日はとにかく、あいつから点を取らないとな」
隣に来た福尾が呟く。
慎吾は昨日のミーティングで聞いた情報を思い出した。
「確かここまで、柳原は無失点だっけ」
「ああ。19イニングを投げて自責点0、防御率0.00だ」
「エグいな、それは」
「……お前が言うか?」
福尾は慎吾に聞こえないように、ぼそりと呟いた。
ここまで対戦してきた相手のレベルや、守備陣の実力を考慮すると、慎吾の投球内容の方がよほど「エグい」。
福尾の呟きが聞こえなかった慎吾は、頭の中で昨晩得たデータを復習した。
山吹実業エースの柳原は、多彩な変化球と制球力が武器の右腕。
とはいえそこは強豪校のエース、真っ直ぐにも力がある。
最速143kmのストレートは球速以上の伸びがあり、映像でも多くのバッターが、柳原の速球に差し込まれていた。
(隙のないピッチャーって感じだよな……でも、こんなに良かったっけ?)
慎吾が山吹実業にいた頃の柳原は、まだまだ絶対的エースではなかった。
ベンチ入りこそしていたし、公式戦でも投げてはいたが、背番号1を付けるほどではない。慎吾の記憶の中で、柳原とはそういう存在だった。
それがしばらく見ない内に、ここまで成長しているとは。
(あいつも、あれから相当頑張ったんだろうな)
心の中でそう言ってみてから、慎吾はかつてのチームメイトを素直に応援できる自分がいることに驚いた。どうやら自分は、思っていたより山吹実業での苦い思い出を「過去のこと」として消化できているらしい。
(多分、今が楽しいからだ。なら、そう思わせてくれる人のためにも——)
慎吾は芽衣を見た。
彼女は今日も、椅子に座ってスコアブックを付けてくれている。
(僕は勝たなきゃいけないんだ)
* * *
プレイボールがかかり、試合が始まった。
柳原の投球は、恐ろしくテンポが良い。
どちらかと言えば早打ち気味な青嵐の1・2番コンビとの相乗効果もあり、気付いた時には2アウト。慎吾の第一打席が回ってきた。
「3番、ピッチャー、村雨くん」
慎吾の名がアナウンスされる。
地鳴りのような大歓声が、スタジアム全体に湧き起こった。
相手エースの柳原が苦々しく思っていることに、慎吾は当然気付いていない。
(柳原の投球スタイルは、追い込むまではツーシームやカットボール等、小さく動くボールが主体。これに簡単に手を出せば、相手の思う壺だ。それに、この回はまだ5球しか投げてない。ここは慎重に狙い球を絞って——)
と考えている間に、初球がもうやってきた。
スイングが遅れ、インコースへのストレートを空振りする。
柳原がふん、と鼻を鳴らし、キャッチャーからの返球を受け取った。
電光掲示板に、140キロと表示される。
(なんて打席の中で余計なことを考える暇は、与えてくれなさそうだな)
慎吾は心の中で苦笑すると、手を挙げて一度打席を外した。
解けた靴紐を結ぶふりをしつつ、思考は止めない。
(初球から裏をかいてきたな。とはいえこのまま真っ直ぐを続けるとは思えない……いや、どうだ? 逆に今のスイングを見てストレートに合ってないと思って、案外このまま押してくるかも?)
そこまで考えをまとめたところで、球審に礼を言って打席に戻る。
間を取ったのは思考を整理する他に、柳原のリズムを崩すという意図もあったが、あいにく効いている様子はない。
柳原は一貫して、不機嫌そうな表情を維持し続けている。
2球目はまもなくやってきた。
今度もインコースへのストレート。
予想が当たり、慎吾のバットはほぼ完璧なタイミングで肩口から出された。
しかし、思いの外ボールが落ちない。
そのせいかバットはボールの下を叩き、ファールチップが真後ろに飛ぶ。
(ここまで全くなかったストレートを、僕には2球続けるのか……まさか、3球続けて、なんてことはないよな?)
そのまさかだった。
3球目、柳原の投じたボールが、1・2球目と同じコースにやってくる。
追い込まれている分、ストレートに山を張り切れなかったのだろう。
慎吾のバットは空を切り、ボールは真っ直ぐミットに収まった。
注目選手からの空振り三振に、山吹実業側の応援席が大いに湧く。
ネクストバッターズサークルにいた、次打者の翔平が話しかけてきた。
「柳原のボール、どうでした? やっぱり動いてました?」
「……いや、全球ストレートだった」
「えっ?」
驚く翔平をよそに、慎吾は控え選手からグラブを受け取った。
代わりにヘルメットとレガースを渡すと、マウンドへ向かう。
(駆け引きか、それとも単にバカなだけか……とにかく、柳原の対戦は、思ったより面白いかもしれない)
慎吾の口元には、笑みが浮かんでいた。
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