第35話 初対決

 青嵐高校の初回の攻撃が終わり、その裏。


「1番、センター、木島くん」


 ウグイス嬢のアナウンスを合図に、木島は左打席に立った。


(いくら早いとはいえ、こっちはあんたの対策のために、150kmのマシンをマウンドより近付けて打ってたんだ。振り遅れるなんてこと、そうそうあるはずが——)


 ズバーン、と音がした。


「——え?」


 恐る恐る振り返ると、ミットには既にボールが収まっている。

 ただ、コースは運良くストライクゾーンから外れていた。

 球審がボールを宣告し、福尾が慎吾へ返球する。


(おいおい、いきなりこれかよ)


 電光掲示板を見ると、156kmと表示されている。

 木島の記憶では、確か慎吾の最高球速は156km。

 初球から早速最速記録タイを出してきたと考えると、調子は悪くないらしい。


 想像を遥かに上回るボールに気を引き締めつつ、バットを構える。

 2球目、3球目ともあからさまなボール球だったので見送ったが、球速はそれぞれ153km、155kmと相変わらずだった。


 3ボール0ストライクからの4球目。

 これも速球がストライクゾーンから大きく外れ、無難に見送ってフォアボール。

 今の球もやけに速かったな、と思いつつ電光掲示板を見ると、再びの156km。


(どうなってんだこの人は)


 呆れながらも、木島はファーストへ向かった。


 一方、マウンドに立つ慎吾の感触は、そこまで良くなかった。

 球速こそ出ているものの、とにかく思ったところへボールがいかない。

 いくら速くとも、甘いコースにばかり投げていれば、いずれ餌食になる。


(この調子のまま、洋平と当たるのはまずいな)


 そう思いながらも何とか2・3番を打ち取り、2アウトまで漕ぎつけた。

 ここで、ネクストバッターズサークルで素振りをして待っていた男が、左打席に入ってくる。


「4番、ショート、晴山くん」


 慎吾が打席に立った時に優るとも劣らぬほどの歓声が、翔平に降り注ぐ。

 その時、慎吾は初めて、自分の手が震えていたことに気付いた。


(ああ、そうか。ここまで制球力が微妙だったのは、武者震いしてたからだ)


 どうやら自分は、思いの外洋平との対戦を楽しみにしていたらしい。

 慎吾はロージンをぽんぽんと手の上で弾ませると、福尾のサインを笑顔で覗き込んだ。


* * *


(あいつ、笑ってやがる)


 打席に入った洋平は、慎吾の表情の変化に早速気付いた。

 この化け物め、と口の中で呟きつつ、すっとバットを構える。


 初球。慎吾の手から放たれたストレートは、洋平の胸元に食い込んできた。

 これを洋平が空振りして、1ストライク。


 2球目もストレート。

 今度はアウトコースへのボールで、洋平は辛うじてバットに当てた。

 弱々しい打球が、サード側ダグアウト方向へ転々とする。

 これで2ストライクとなった。


 3球目はチェンジアップ。

 球種を張っていたのか、ここで1塁ランナーの木島がスタートを切った。

 捕球した福尾が2塁へ送球するも、木島は悠々と滑り込んでセーフ。

 2アウト走者2塁、カウント1ボール2ストライクとなる。


 しかし、慎吾も洋平も、走者など既に気にしていなかった。

 今この瞬間は、お互いにお互いのことしか視界に入っていなかったのだ。

 チームの状況や背負っているものすら全て忘れ、二人は勝負に没頭していた。


(これ、俺なんかがリードしてて良いのかな)


 二人の怪物の対決を一番近くで見ていた福尾は、ふと思った。


 もしかすると今自分は、とんでもない対決の真っ只中にいるのかもしれない。

 しかし、慎吾のボールをちゃんと捕球できる捕手など、青嵐には自分をおいて他にいないのも事実。


(まあ、なるべく水を差さないようにするか)


 この打席だけは、慎吾にとって気持ちの良いリードをしようと福尾は決めた。 

 配球を頭の中で組み立て、慎吾にサインを出す。


 4球目はボール、5球目はファウルと、洋平は食らいついた。

 そして、2ボール2ストライクからの6球目。

 慎吾の投じたボールは、ここまでで一番指にかかったストレートだった。


 しかし、洋平も負けてはいない。

 伸びのある直球をバットがほぼ完璧に捉えたかと思うと、カキーンという金属音とともに、打球がセンター方向へ伸びた。


 電光掲示板には、慎吾にとって自己最速となる157kmの表示。

 ワッと歓声が湧き上がる中、打球は高い角度で上がってゆく。


 センターを守る中井が、ボールを追って背走する。

 やがて中居の足が止まり、ホーム側へ振り返った。

 グラブを構えると、落下してきたボールをがっちりと捕球する。


「……くそっ、負けたか」


 既に一塁を回っていた洋平が、ボソリと呟く。

 二人の初対決の軍配は、慎吾に上がった。


 しかし、なんと言ってもこれは初回。

 二人の対決は、そして青嵐対山吹実業の一戦は、まだまだ始まったばかりだ。


「理不尽だよなあ、野球ってスポーツは」

「なんでだよ」


 洋平を抑えてベンチへ戻る途中、慎吾が呟く。

 耳ざとく聴いていた福尾が尋ねると、慎吾は言った。


「だって、3打数でヒット1本打たれたら、ピッチャーの負けってことになっちゃうじゃないか」

「……ああ、そういうことか」


 福尾は自分の左の掌に目をやった。

 さっきまで慎吾のボールを受けていたので、まだひりひりしている。

 ミット越しでも、彼のボールの衝撃はしっかり伝わるのだ。


「妥当なルールだと思うがな」

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