第16話 3番ファースト

「村雨さ……この間私が言ってから、ホントにちゃんと病院行ってる?」

「……」


 慎吾の無言に答えを察したのか、芽衣の口調がいつもより厳しいものに変わる。


「ダメでしょ、病院行かないと。なんで行ってないの」

「……なんとなく、行きづらかったんだよ。しばらくサボってたから、先生に怒られそうな気がして」


 ばつが悪そうにぼそぼそと答える慎吾に呆れ、芽衣はため息をついた。

 それから顔を上げ、睨むようにして尋ねる。


「……この時間はやってないよね、村雨が通ってた病院」

「やってない、と思う」


 中学生の頃から通っていた整形外科を頭に思い浮かべながら、慎吾は言った。

 横浜実業での寮生活時代も、下手に病院を変えるよりかはと、電車を乗り継いでわざわざ通っていたくらい。おかげでその病院の営業時間は、大体把握していた。


「だよね……じゃあ、明日学校から電話かけよっか」

「え、でも、学校でスマホ使うのは禁止——」

「大丈夫、バレなきゃへーきへーき。……あ、当たり前だけど、スマホは絶対持って来てね?」

「……はい」


 芽衣の念押しを、慎吾はなぜか恐ろしいと感じた。


* * *


 あくる日のこと。

 2時間目と3時間目の間の休み時間で、慎吾は芽衣との約束通り、病院に電話をかけた。その結果、来週月曜日の放課後に予約が取れたことを芽衣に報告すると、


「月曜なら部活休みだし、私も付いてくよ」


 有無を言わさぬような笑顔で芽衣が言い、慎吾は首を縦に振った。

 というより、縦に振るしかなかった。


 その後は特に何事もなく放課後を迎え、部活動の時間。

 ノック中に慎吾がファーストを守っていると、依田が彼のところへやって来た。

 ノックバットを寝かせて肩にのせ、腕で抱えるその姿は、見るからに暇そうだ。


「村雨ェ」

「なんでしょう?」

「君は肩の怪我で、ひとまずファーストやってんだっけ?」

「……そうですね」


 順番の回ってきた慎吾が、捕球から送球までの動作を終えてから答えた。

 依田は「そうか……」と考え込むように俯き、少ししてから顔を上げる。

 何を思ったか「試合で守ったことはあんのか?」などと尋ねてきた。


「……少年野球の頃に、2・3回だけ」


 訝しみながらも答える慎吾に、


「なら、問題ねえな。次の練習試合、ファーストで使うから」


 依田があっさりと宣言する。


 慎吾は戸惑った。

 少年野球時代に数回守っただけで、経験者扱いされてはたまらない。


「……あの、話聞いてました? 少年野球ですよ? ほぼ経験ないってことですよ?」

「でも、ちょっとは経験あんだろ? 動きだって見た感じ悪くねえし、バッティングはウチじゃトップクラスだ」

「……」


 慎吾は黙りこくった。

 チーム内での自分の立ち位置を客観的に見た時、依田の意見に頷ける部分もあった。


 そんな慎吾を尻目に、自嘲気味の薄笑いを浮かべて依田は続ける。


「それにな、村雨もそろそろ誰かから聞いたろうが、俺なんて野球のヤの字も知らなかったのに、こうして監督やってんだぜ? こっちの方が、はるかにヤバくねえか?」

「……確かに」


 今度は完全に同意せざるを得なかった。

 そんな慎吾を満足げに一瞥した後、依田は「じゃ、そういうことだから」と三塁側ベンチへ引き返してゆく。

 

 その時、背後から視線を感じた。

 振り返ると、ファーストを守る3年生の山崎が、じっとこちらを見つめている。


(あ、そうか。僕が出るってことは、この人の出場機会に影響するかもしれなくて——)


 そこまですぐに考えが至ると、慌てて取り繕うような笑みを浮かべた。


「……流石にB戦じゃないですか? 夏の大会に出れない僕を、わざわざA戦で使うなんて……」


 練習試合というのは、1日で2試合行うのが基本。

 1試合目でお互いの全力をぶつけあう「A戦」を行った後、「B戦」と呼ばれる2試合目で、A戦に出せなかった選手を出す、という仕組みにしている高校が多い。


 全力というのは、公式戦の先発メンバーで試合に臨むことだ。

 だから、直近の公式戦に出場できない自分をA戦で使うはずがないだろうと、慎吾は判断していた。


 しかし、山崎は表情一つ変えずに「どうだかな。時々突飛なことをやるから、ウチの監督は」とだけ答えた。


「……まさか、ね」


 慎吾が冷や汗をかいていると、山崎は低い声で「それに」と続ける。


「公式戦どうこうを無視して、単に実力で評価するなら……客観的に見て、お前は俺より上だと思う」


 山崎がそう告げた直後。

 動揺した慎吾がトンネルし、他の内野陣にヤジられた。


* * *


 時は過ぎて、週末。

 青嵐高校グラウンドの、一塁側ベンチ前にできた円陣の輪に慎吾はいた。

 その日は慎吾が入部して以降、初めての練習試合だ。


 ユニフォームが届いていないので、一人だけ真っ白な練習着という出立ち。

 胸部に青色の文字で「SEIRAN」とプリントされた白地のユニフォームに、文字と同じ色のアンダーシャツを着た青嵐高校野球部員の中で、慎吾の姿は目立っていた。


「スタメン発表ー」


 主将の藤田が大声で宣言してから、手元のメンバー表を読み上げ始める。


「1番センター坂巻」

「はい」

「2番セカンド千原」

「はい」

「3番ファースト……村雨!」

「は、はい!」

「4番——」


 以降の先発メンバーの名前は、慎吾の耳に入らなかった。

 ただ、「まさかのまさか」が起こってしまったという事実だけが、彼に重くのしかかる。


 先発メンバーの発表が終わって円が崩れると、慎吾は山崎に肩を叩かれた。

 振り向く間もなく「あまり俺に遠慮するな」とだけ耳元で囁くと、すぐさま彼のそばを離れてゆく。


 慎吾はその場に立ちすくんだ。

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