第17話 随分と、バカになってたみたいだ

 週明けの放課後。

 慎吾と芽衣は自宅の最寄り駅で降りると、いつもと反対側の方へ向かった。

 先週芽衣と約束した通り、二人で病院へ行くところだったのだ。


「週末は大活躍だったね!」


 芽衣が慎吾の顔を覗き込むようにして笑うと、慎吾も微笑する。


 昨日・一昨日とA戦で先発出場した慎吾の成績は、7打数4安打で2四球。

 それほど強くない相手だったことを差し引いても、野球部の連勝に貢献する大活躍だった。


 とはいえ、慎吾にとってそんなのは些末なこと。

 彼が今一番気になっていたのは、もちろん——。


「僕がA戦に出て、良いのかな?」


 慎吾の活躍がいかに凄かったかを熱弁する芽衣の横で、慎吾がぽつりと呟いた。

 芽衣は一転してきょとんとした後、首を傾げる。


「……なんで? 普通に出て良いに決まってるじゃん」

「……夏の大会まで2ヶ月切ったこの時期に、公式戦で使えないヤツを起用するのは『普通』じゃないと思うよ」


 慎吾がやんわり返すと、


「あー、確かに、それはそうかも」


 芽衣は初めて気付いたとでも言うようにぽんと手を叩いた。

 束の間思案顔で何か考えた後、「でも——」と再び口を開く。


「別に気にすることないんじゃない? みんなも、納得してたと思うし。これで村雨よりザキさんの方が——」

「ちょっとごめん、ザキさんって誰?」

「あ、山崎さんのことね。……話戻すと、村雨よりザキさんの方が上手いなら不満も出ると思うけど、正直そんなに変わらないし、バッティングは明らかに村雨の方が良いじゃん? だから、問題ないんじゃないかなー、と」

「……」


 芽衣の意見は楽観論だと、慎吾は思った。

 その上、自分に憧れていたと言うだけあって、贔屓目も入っているように感じる。


(みんながどう思ってるのかは、かなり差し引いて考えないといけないな。……もちろん、山崎さんも)


 口では「遠慮するな」と言ってくれた山崎だが、内心ではどう思っているか分からない。そんなことを考えながら、「……だと良いね」とだけ芽衣に答えた。


* * *


「半年間、ピッチングは禁止ね」


 久々に会った医師の下竹に、そう告げられた時。

 そんなものか、というのが、慎吾の正直な感想だった。


 以前なら焦りのあまり、長期の投球禁止令には絶対逆らっていただろう。

 しかし今は、どのみちしばらく公式戦に出られない身。半年くらいなら我慢するか、としか思わなかった。


 ただ、慎吾がどう思おうと。

 下竹からすれば彼は、投球禁止令を何度も破った常習犯でしかない。


「いいかい? 今回こそは——」


——絶対に破っちゃダメだよ。


 そう続けようとして、下竹は言葉を止めた。

 慎吾の顔が、想定していたより遥かに落ち着いて見えたから。


「……随分穏やかな顔つきになったね。最近良いことでもあったのかい?」

「……少なくとも、焦る必要はもうないので」


 言葉少なに答えると、下竹は真顔で眼鏡をかちゃりとずり上げる。


「……それは良かった」


* * *


「……先生、なんて?」


 待合室に戻ると、不安げな顔の芽衣が、備え付けの椅子に座っていた。

 慎吾の晴れ晴れとした表情に「もしかして——!」と席を立つも、


「半年間、ピッチング禁止だって」


 という第一声に、「え?」とずっこけそうになる。


(そんなイイ顔してたら、普通勘違いするでしょーよ!)


 ツッコミたい気持ちを抑えつつ、「……のわりには明るい顔だね?」と尋ねると、


「しばらく我慢さえすれば、ちゃんと投げられるって分かったから」


 慎吾はそう答えた。 


(……?)


 芽衣は内心首を傾げた。

 彼女の記憶が正しければ、しばらくノースローで病院に通えば治ると以前言っていたのは、慎吾本人だったはず。

 それが今更「分かった」とはどういうことなのだろう。


「えーっと、前に自分で、そう言ってなかったっけ?」

「いや、そうなんだけどさ。前までの自分は、焦り過ぎてその意味をちゃんと分かってなかったというか、視野が狭くなってたというか……」


 考えながら言葉を紡いでいた慎吾が、不意に笑う。


「——随分と、バカになってたみたいだ」


* * *


 翌日の昼休み。慎吾は昼食を食べ終えた後、席を立って教室を出た。

 向かう先は職員室。依田と直接話したいことがあったのだ。


 職員室の出入り口に着くと、緊張気味に学年とクラス、名を名乗った。

 それから依田の名前を出すと、一昨日と同じように奥から低い声が返ってくる。


「……今日はどうした」


 デスクに向かうと、弁当を食べている依田の姿が見えた。

 無精髭にぼさぼさ髪というそのいで立ちは、職員室の中で相変わらず異質な存在感を放っている。


「ちょっと、話したいことがありまして」

「何だ、授業についてか?」


 単刀直入に本題に入ろうとすると、依田がそう返した。


「先生の授業、受けたことないんですけど」

「知ってるよ。冗談だからな」

「……」


(冗談が分かりにくいな)


 慎吾はそう感じた。

 ちなみに、依田が倫理の授業を担当しているらしいことだけは、彼も知っている。芽衣からその話を聞いた時、イメージ通りだなと思った。


 ふっと息を吐くと、気を取り直して話の軌道を元に戻す。


「部活の話です。……監督は僕のこと、これからも練習試合で使うつもりですか?」

「そりゃ、使うだろ。バッティングに限って言えば、今んとこ君が一番良さそうだからな」

「……なるほど。なら、来ておいて良かったです」

「……なんだなんだ? 随分もったいぶりやがって」


 慎吾の言葉に何かを感じたのか、初めて依田が弁当から顔を上げた。

 テンションの低そうな見た目に反して、意外に強い依田の眼力に気圧されながらも、覚悟を決めて口を開く。


「僕は1年間公式戦に出られないので……少なくとも今度の夏までは、練習試合で使わない方がいいんじゃないかな、と」

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