第18話 野球部の目的

「少なくとも今度の夏までは、練習試合で使わない方がいいんじゃないかな、と」


 意を決して慎吾が言うと、依田はきょとんとした顔で彼を見た。


「なんで?」

「なんでって……今言った通り、しばらく公式戦に出られないんで」

「……分かんねえな」


(なんで伝わらないんだ?)


 慎吾はもどかしい気持ちになった。

 公式戦に出られないのだから、自分を練習試合に出すのは本番での勝ちに繋がらない。それだけのことが、どうしてこの人には理解できないのだろう。


「だから、公式戦に出られないんでって——」

「いや、それは分かるんだ。だが、それを理由に練習試合で使わないってのは論理がおかしくねえか? 逆に練習試合で沢山使えってなら分かるけど」


 慎吾を遮って依田が言った。

 今度は慎吾の方が理解に苦しみ、思わず「……は?」という声が出てしまう。


 依田はぼさぼさ髪の生えた頭を掻いた。


「んー、じゃあ、ちょっと聞きてえんだけどさ。野球部って、何を目的にしてんだ?」

「目的? それはやっぱり……公式戦に勝つ、とかじゃないですか?」


 戸惑いながらも答えると、「え、そうなの?」と依田が目を丸くする。


「そうなのって……監督は答えを知らないんですか?」

「知るわけねえだろ。俺なんてど素人だぞ?」

「……」


 開き直る依田に慎吾が唖然としていると、


「……ま、答えは知らないが、素人なりの意見ならある。でも、強豪校でやってた村雨がそう言うなら、そっちの方が正しいのかもしれん」


 依田はさらっとそんなことを言う。


 慎吾の感覚からすれば、あっさりと「答えは知らない」と認めてしまう依田の態度は異常だった。

 今まで彼の当たってきた指導者は、選手より遥かに長い野球経験がある分、良くも悪くも自分なりの「答え」を固めている人が多かったからだ。


 そんな依田の「意見」とやらに、慎吾は興味が湧いた。


「……僕の考えはこの際置いておくとして、監督の考えが聞きたいです」


 直球で尋ねると、依田はなぜか渋い顔をしてから「……笑わないか?」と慎吾の顔を伺う。


「え?」

「素人の意見だって、笑わないかって聞いてんだ」


(そんなことを気にするタイプだとは思わなかったな)


 意外に繊細らしい依田のメンタルに内心戸惑いながらも「……笑いません」と慎吾は約束した。

 依田はそんな慎吾の顔をじっと見てから「よし、分かった」と口を開いた。


「……野球部の目的は、『野球をすること』だと俺は思ってる」

「野球を……すること?」


 慎吾は首を傾げた。

 言われてみれば当たり前の話だが、正直あまりピンとこない。

 彼にとって野球部が野球をするのは大前提であって、それをわざわざ目的と呼ぶのは違和感があった。


「だって、野球部なのに野球しなかったらおかしいだろ?」

「それは、まあ……」


「そういう俺の考えからすると、公式戦に出れないから練習試合で使わないってのは何か変な感じがすんだよな……だって、野球って結局試合だろ? 練習はどこまでいってもあくまで練習で、野球ではないだろ? だから、公式戦で出れない以上、せめて練習試合では出してやろうってんなら分かるんだがな」

「……練習も含めて、部活動の一環だと思いますけど」


 練習と試合は違う、なら慎吾も同意できたが、練習は野球ではない、となると流石に納得できなかった。慎吾の意見に依田は「それはもちろんそうだ」と一度頷いてから「でもな」と続ける。


「例えば体育の授業でサッカーやるぞ、ソフトボールやるぞってなったら、普通は試合をやらねえか? パス練だけして終わりとか、キャッチボールだけして終わりとか、あんまりないだろ?」

「……」


「なのに部活動に限っては、なぜかこの理屈がまかり通ってやがる。つまり、出場機会の少ない控えと、いつも試合に出られるレギュラー陣とで、明確に分かれちまうんだ。部費は同じだけ払ってんのにな」

「……でも、トーナメントに勝とうと思うなら、それも仕方がないんじゃ——」

「そう、そこなんだよ」


 依田は興奮気味に慎吾を指差した。


「そこでさっきの、目的の話に戻るんだ。つまり、村雨の言う通り、『公式戦にできるだけ勝つ』ってのを目的にすんなら、中々試合に出れない控えがいてもしょうがねえよなってなるんだ。だってそれは、チームが勝つ上で必要なことだから。だが、『野球をする』ってのを目的に据えるなら、間違ってることになる。その控え君はホントに野球できてんの? って話になるからな」

「……」


 そんなこと、慎吾は考えもしなかった。

 これまでの人生で「野球はまず勝ってこそだ」という価値観を刷り込まれ、疑ったことがなかったから。

 

 裏返せば、与えられた価値観を疑ったことがないのは、それだけ彼がエリート街道を歩んできた証。

 そして、そんな価値観が根底にあったからこそ。

 山吹実業にいた頃、怪我で満足に投球できない自分には価値がない、と無意識に思い込んでしまったのだ。


「どうよ、この考え。やっぱり、経験者から見れば変か?」

「確かに監督の考えは、僕からすれば変です。でも……」


 依田の意見に、完全に納得したわけではない。

 勝利至上主義とも取れる自分の価値観を覆されたわけでもない。

 あくまで勝敗をつける競技である以上、公式戦での勝ちに拘ること自体は、間違いだと思えなかったから。


 しかし、同時に。

 経験者にはない、素人ならではの依田の考えに、どこか救われる自分がいるのも感じていた。

 

 それは、かつて怪我に苦しむ中、自分を責め続けていた自分。


「……面白いな、とは思います」


 慎吾が告げると、依田は「……ほ、ほんとか!?」と顔を輝かせる。


「はい、ホントです」


 そう答えてから、慎吾はここに来た当初の目的を思い出した。

 だいぶ話が逸れてしまったが、元はと言えば自分を練習試合で使うか使わないかという話だったはず。


「……あ、でも、練習試合の話は無しにしないで下さいね。使うにしても、A戦ではやめた方がいいと思います」


 退出間際、念を押すように言うと、


「わあったよ」


 依田は上げた左手をひらひらさせた。

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