第19話 きっかけ

 山吹実業高校野球部の選手寮、通称「泰星寮」。

 寮内の普段食堂として使われている大部屋ではその日、翌日行われる春季県大会の、3回戦に向けたミーティングが行われていた。


「——試合については以上だ」


 ミーティングがそろそろ終わるらしいのを野球部監督・八木が告げると、室内の空気が緩みかけた。しかし——。


「最後に、ベンチ入りメンバーだが……新1年生も入学したことだし、ここらで少しメンバーを入れ替えようと思う」


 続けて彼の口から出た言葉に、今度はさっと緊張が走る。


 高校野球には、新1年生は入学後でないと試合に出られないというルールがある。この入学後という時期が、神奈川県では概ね春季県大会の2回戦、ないしは3回戦の前。

 全国各地から有望な1年生を集める強豪校——山吹実業もその一つだ——では、このタイミングでベンチ入りメンバーを入れ替え、鳴り物入りで入学した1年生の実力を試すことが多いのだ。


 もしかしたら、自分がベンチから外れるかもしれない。自分がベンチに入れるかもしれない。不安と期待の入り混じったぎらぎらした視線を八木に向ける、当落線上の部員たち。

 そんな彼らをよそに、晴山洋平は全く別のことを考えていた。慎吾のことだ。


 もっとも、別に今に限った話ではない。

 慎吾が山吹実業を去ってからこの方、洋平の脳裏にはことある毎に、彼の姿が浮かんできた。その度に頭から振り払おうとしたが、一向に上手くいかないので、最近ではもう諦めていた。


(流石にあの時は言い過ぎたかな……でも、あいつが約束を破ったのは事実だし)


 もう何度考えたか分からないことをまた考えてるな、と洋平は内心苦笑する。

 最近の自分はずっと同じところで、堂々巡りしているような気がしていた。


「……木島」

「はい!」

「大田と入れ替えで入ってもらう。背番号は、大田の付けていた23番を引き継ぐ。以上だ」


 洋平の思考をよそに、八木が入れ替えの対象となる部員の名を発表する。


(あれ? 木島って、なんかどっかで聞き覚えがあるような……)


 一瞬そんなことを思ったが、すぐにどうでもいいか、と思い直した。


* * *


 ミーティングの後。

 バットを手に外へ出た洋平は、しばらく素振りしてからさっとシャワーで汗を流し、自室に向かった。


 泰平寮は4人部屋。

 洋平の部屋は3年生1人と洋平を含めて2年生2人、そして新しく入った1年生1人という構成だ。


 部屋の前に着き、扉を開ける。

 すると中では、洋平の同居人たちがスナック菓子を囲んでいた。

 彼らの手元にはそれぞれ紙コップが置かれ、中には炭酸飲料らしきものが注がれていた。


「ちょうど良いところに来たな、晴山。今お前を呼ぼうと思ってたところなんだよ」


 唖然とする洋平に真っ先に声をかけたのは、3年生の石井だった。

 続いて同学年の神谷が、「ま、いいからここ座れって」と彼の隣に空いた床をぽんぽんと叩く。部屋の奥では、つい最近入寮したばかりの1年生が、洋平に軽く頭を下げていた。


 お菓子や炭酸はどこから持ち込んだのかとか、聞きたいことは色々あった。

 そういう疑問を全てまとめて、


「……何やってんですか、あんたら」


 呆れ混じりに尋ねると、


「何って、飲み会だ。同部屋の後輩がベンチ入りできたんだ、こういう時はパーッと祝わなきゃいかん」


 きょとんとした顔で石井が答えた。


(ベンチ入りって、俺のことか? 石井さんも神谷も、メンバー入りには擦りもしないし……)


 そう推理した洋平が、


「いや、ベンチ入りも何も、俺は最初からずっと——」


 今更自分のことを祝う必要などないと言いかけたところ、


「晴山のベンチ入りなんて祝うわけないだろ。木島だよ、き・じ・ま!」


 神谷がそれを遮って、横に座る1年生の背中をばんばんと叩く。


(木島? ……あー、そういうことか)


 ミーティングの際に覚えた違和感。その正体に、ようやく気付いた。

 木島修平。

 1年生の名前などほとんど誰も覚えていなかったが、同部屋だから記憶の端に引っかかっていたのだろう。


「……まさかお前、同部屋の後輩の名前を覚えてなかったわけじゃないだろうな?」


 洋平の表情に何か勘づいたのか、神谷が目を細めて言った。

 一方の洋平はさっと笑顔を浮かべ、「始めようぜ、飲み会。俺も盛大に祝ってやるからさ」と神谷の隣に座る。


「晴山さんは悪くないスよ。それだけ自分の存在感がまだないってことなんで」

「そういう問題じゃないんだよ。こいつはほんっと人の名前覚えないから」


 洋平の向かいからフォローを入れる木島に神谷が言い返すと、


「晴山の場合、根っこのところで他人に興味がないんだろうな」


 洋平の分の紙コップを用意しながら、石井が苦笑する。


「……どうでしょうね」


 飲み物を注いでくれた石井に頭を下げつつ、洋平は言った。

 本当に他人に興味ないのだとしたら、なぜ自分は慎吾のことばかり考えてしまうのだろう。

 そんなことを自嘲気味に考えながら。


「じゃ、乾杯の音頭は、最上級生の方にお願いしまーす」

「何? それはつまり……俺じゃないか」


 神谷のキラーパスを受けた石井が、ごほんと咳払いしてから口を開いた。


「……ま、何にせよこの部屋の1年生が、2年連続春大でベンチ入りできたのは喜ばしいことだ」


 2年連続、のところで、皆の視線が洋平と木島へ順に向く。

 洋平も去年の春季県大会で3回戦からベンチ入りし、そこで結果を残して不動のレギュラーとして定着したのだ。


 その後しばらく中身のない演説をした後、石井が強引にまとめに入る。


「——とにかく、全員の今後の健勝を祈って……乾杯」

「「「かんぱーい!」」」


 4人で乾杯したこの時、彼らは考えもしなかった。

 今回のメンバー入れ替えが、のちのち部内に波紋を呼ぶことを。

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