第2話 変化球と抽選会

 4月の下旬。

 月曜日ながらその日はゴールデンウィーク中の休みで、青嵐野球部は他校の野球部を招いて練習試合を行っている。


 その合間のお昼休み、慎吾は手の空いた数名と視聴覚室に来た。

 先日芽衣の取ってきてくれた、春季県大会決勝のビデオを見るためだ。


「あーあ、本当なら俺もあそこにいるはずだったのに」

「言うねぇ、翔平くん」


 ビデオを見ながらため息混じりにこぼす翔平に、感心したように慎吾が言う。

 すると翔平は、何言ってるんだこの人は、という顔をした。


「いや、慎吾さんは他人事じゃないですよ。3回戦からなら俺と慎吾さんがいたから、もっと上に行けただろうにって意味で」

「……あ、そこに僕も入ってるのね」

「当たり前じゃないですか。むしろ何だと思ってました?」

「……悪かったな、2回戦なんかで負けて」


 二人の会話を遮るように猿田がぶつぶつ言うと、


「そういうつもりではなかったんですけど……すいません、変なこと言って」

「猿田はあの試合、よく投げてたと思うよ」


 翔平と慎吾が慌ててフォローを入れる。

 二人の申し訳なさそうな顔を見て溜飲が下がったのか、猿田は冗談、と笑みを浮かべた。


 猿田の後を引き取るように、福尾が言う。


「正直な話、俺もお前たち二人がいれば、もっと勝てたとは思うぜ。でも、だからこそ二人のことは、夏まで隠しておいた方がいい。春なんかで秘密兵器を使うのはもったいない」

「……確かに、そういう意味では都合が良かったのかもね」


 慎吾は納得したように頷く。


 実際、高校球児にとっては、春季県大会と夏の県大会では重要度が違う。

 春も大事だが、それはあくまで夏への前哨戦という意味合いが強い。

 結局夏に勝ちさえすれば、それまでの負けは全て吹き飛んでしまうのだ。


 彼らがそんなふうに話している間も、ビデオは進んだ。

 映像の中で洋平がホームランを放ち、弟がそれを食い入るように見つめている。


 春季県大会は、山吹実業の優勝に終わった。


* * *


 2週間ほど経った後。

 部活中に慎吾がブルペンで投球練習していると、しばらく大人しく彼のボールを受けていた福尾が、こちらへ近づいてくる。


「どうだ?」

「どうだって?」

「ストレート。仕上がってきたか?」

「うーん……もうちょいかな」


 実は慎吾なりの考えから、今は変化球を封印し、ストレートをひたすら投げ込んでいた。ストレートを投げる時の投球フォームのばらつきを修正すれば、変化球は後からでも何とかなるという彼なりの感覚に基づいたものだ。

 もっとも、これは慎吾が変化球の少ない速球派だからこそ取れる練習法だが。


 ただ、試合で実際にボールを受ける福尾からすれば、たまったものではない。


「……まあ、その辺の感覚は村雨のものだから、別に否定はしないけど。変化球の練習をそろそろ始めないと、村雨じゃなくて俺が困る。本番でいきなりスプリットとか投げられても、こっちは取れないからな」

「あ、スプリットは持ってないよ。言わなかったっけ?」

「今そういう問題じゃないから。話がぶれるから」

「すいません」


 慎吾が大人しく謝ると、福尾はため息をついてから口を開く。


「とにかく、変化球の練習もそろそろ本格的に始めよう」

「分かった」

「確か、2球種だったよな」

「うん。スライダーとチェンジアップ」

「りょーかい」


 早速練習するぞ、と福尾がてきぱきとサインを決め、ホームベースの後ろへ戻る。福尾の股の下で出されるサインに頷くと、慎吾はスライダーを投じた。


 ボールは福尾の構えたミットから大きく横にずれ、後方に置かれたネットへワンバウンドして突き刺さる。


「……やべえな、これ。2ヶ月弱で間に合うかな」


 マスクの奥の福尾の呟きは、慎吾の元には届かなかった。


* * *


 6月の、そろそろ梅雨に入ろうかという時期。

 慎吾は芽衣とともに、県立青少年センターを訪れていた。


「なんか、緊張するね」

「そうかな?」


 この日センター内で行われていたのは、夏の県大会の抽選会。

 春季県大会で県ベスト16以上に入ったシード校から順に呼ばれ、校名の書かれた札を舞台上の所定の位置に各々掛けていく。


 しばらく待っている間に、青嵐高校の番が回ってきた。


「頑張れ」

「まあ、くじ引いてくるだけだから」


 やけに力の入った芽衣からの応援に苦笑しながら、慎吾は「青嵐」とだけ書かれた札を手に舞台へ行く。向かって右手側の舞台袖の机に置かれた抽選箱に指示通り手を入れ、引いた番号が係員によって読み上げられた。


「25番、青嵐高校」


 25番、25番と……。

 既に多くの札で埋め尽くされた壁の中、自分の引いた番号の位置を探す。


 まもなくその場所を見つけた慎吾が25番の下に札を掛けると、何となく隣に目がいった。右側は26番、汐見台高校。聞いたことのない名だ。恐らく、この高校と1回戦で当たるのだろう。続いて左側を見る。こちらは24番、学校名は——。


「……桂泉、か」


 桂泉高校。私学4強の一つで、今大会の第二シードだ。


* * *


 抽選会から芽衣と共に慎吾が帰ってくると、部活中だった野球部員たちが物凄いスピードで彼の元へ集まってきた。どうやら皆、抽選会が気になってそわそわしていたらしい。


「で、どうだった?」


 わくわくしているのを隠しきれない石塚の声に、慎吾は勿体ぶることなく結果を伝える。1回戦の相手が汐見台、2回戦の相手が桂泉、と。


「やってんなあ、村雨」


 不意に訪れた沈黙を最初に破ったのは猿田だった。

 その口元には、にやっとした笑みが乗っている。


「まずかったかな?」

「いや、悪くない。いきなり私学4強とできるなんて、むしろ本望だろ」

「いきなりではないだろ。その前にまず、1回戦がある」


 福尾が猿田を諌めると、猿田は黙った。

 その様子を側で見ていた依田が、皆の顔を見回す。


「福尾の言う通りだ。みんなはとにかく、目の前の試合に集中しよう。先のことを考えるのは、監督の仕事だ」

「でも、監督だけじゃちょっと心細くないですか?」

「……先のことを考えるのは、監督の俺と福尾の仕事だ」


 芽衣が突っ込むと、依田が言い直した。

 福尾の名を挙げたのは、チーム全体を見渡すキャッチャーだからだろう。


「背番号は週明け、つまり明後日に決める。みんな諦めず練習するように」


 依田が最後に告げると、部員の間に緊張が走った。

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