第3章

第1話 春

 山吹実業高校グラウンド。

 春季県大会を前にして、部員たちは新たな監督を迎えていた。


「この春から山吹実業硬式野球部の監督に就くこととなった向だ。実は僕もここのOBで、君らの先輩に当たる。まあ、一つよろしく頼む」


 黒沢高校野球部元監督の向が挨拶すると、ずらりと並んでいた選手たちが頭を下げた。選手たちが頭を上げるのを待って、向は続ける。


「僕はついこの間まで神奈川の公立高校で監督をしていたから、君たちの強さはよく知っている。が、弱さも同時によく知っている。

 ……はっきり言って、去年までの君たちは環境に甘え過ぎだ。ポテンシャルだけで野球をやっていた。その体たらくを見ていると、いちOBとして歯痒かったよ。

 だから、これから僕がやることはシンプルだ。

 君たちにポテンシャルの使い方、頭の使い方を教える。いいね」


 部員は声を揃えて返事した。

 その中にはもちろん、洋平の姿もある。


 監督が誰になろうと、洋平の知ったことではなかった。 

 とにかく夏まで、全力で走り抜けることに変わりはないのだから。


 今年の彼にとって、甲子園はノルマ。

 だが、それとは別に、楽しみにしているものもある。


(期待していいんだよな、慎吾)


 洋平は、親友のことを思い浮かべた。


* * *


 職員室で依田が少し早めの昼食をとっていると、横から


「依田先生、聞きましたよ。すごいですね、野球部」


 と声をかけられた。

 見ると、隣のクラスの担任教師・八坂が微笑んでいる。


「……すごいって、何がですか?」

「やだなあ、惚けないでくださいよ。昨日の試合、強豪校と終盤まで接戦だったらしいじゃないですか。去年の文化祭もそうですけど、強くなってますね。野球部」

「まあ、そうですね」


 昨日行われた春季県大会2回戦。

 青嵐野球部は県内有数の強豪・桃明学院相手に9回までもつれ込む接戦を演じた。猿田が好投し、守備陣もそれに応えるように好守備を連発したのだ。


 慎吾は試合に出場できなかった。

 3回戦の日であれば転校後1年の出場規定が解けたのだが、今回は2回戦負け。

 公式戦出場は夏へと持ち越しになった。


 依田の反応がいまいちなのに気付いたのか、八坂は怪訝な顔をした。


「神奈川なんて、どの部活も大抵どこかしら強い私学がいますから、その私学と接戦だったってだけでも誇るべきだと思いますよ」

「……」


(そりゃ、すごいにはすごいんだろうけど……そういうものなのか?)


 八坂の考えが、依田にはやはりピンとこなかった。

 勝利至上主義を標榜するつもりは特に無いが、負けたことを接戦だったからとわざわざ誇るのも、それはそれで何かが違うような気がする。

 もちろん、選手の方から自発的にそう思う分には否定しないが。


 ただ、ここで考え方の違いを露わにしても仕方がない。

 そうですね、と曖昧に笑って八坂をやり過ごしたあと、弁当を食べ終えた依田は席を立った。


 今日は午前中が入学式で、野球部の練習は午後から。

 が、昨日の試合で色々と思うところがあったのか、部員たちで自発的に早めに部室へ集合し、ミーティングを行っているという。


 彼らの顔を、依田は見てみたくなった。


* * *


 部室の扉を開けると、中では部員たちが鮨詰めになって議論していた。


「昨日の試合、何が足りなかったんだろうな」

「やっぱりパワーだろ。ホームラン一本で持ってかれたからな」

「まあ、シンプルに力は大事だよな。他には?」

「僕は走塁も大事だと思う。積極なのはいいけど、まだまだ無駄も多い。積極さはそのままに、もっと状況を見極められるようになるといいよね」

「言うのは簡単だけど、状況を見極める能力ってどうやって上げんの?」

「そりゃ、練習試合から常にトライしてくしかないんじゃないか? 失敗から学ぶ、みたいな」


 彼らは依田が入って来たのにも気付かず、延々と議論を続けている。


 依田の口元には、自然と笑みが溢れた。


(……すげえな、こいつら。話を聞いてるだけで、熱量が伝わってくる)


 依田が手を叩くと、ようやく部員たちが彼の存在に気付いた。


「なんだ、監督いたんですか。それならそうと言ってくださいよ」

「……鉄は熱いうちに打て、じゃないが。どうだ? 部活にはまだちょっと早いけど、ノックでもするか?」

「ああ、監督のノック練ですか。いいですよ、付き合いますよ」

「ちげえよ、お前らの守備練習だよ! 何がノック練だよ、失礼な!」

「でも、監督相変わらずノック下手だからなあ」

「ったく、好き放題言いやがって。これでもちょっとは練習してんだぞ、こっちは」


 依田はため息をつきながらも、バット立てからノックバットを引き抜いた。

 彼が部室を出ると、仕方ないな、とでも言うかのような動きで、既にユニフォームに着替えていた部員の何人かが続く。


 彼らが各々のポジションに散らばったところで、依田はノックを打ち始めた。


「サードいくぞ!」

「わ、ほんとに来た! すげえ!」

「当たり前だろ! ノックなんだから!」


 自分のノック下手をいじってくる部員たちにいちいちツッコミながらも、依田は部長の森にこっそり感謝した。時間がある時に、森からノックのコツを教わっていたのだ。

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