第3話 エースナンバー
週明けの月曜日。
部活のないその日の放課後に、依田の予告通り背番号が部員に与えられることとなった。もっともその決め方は、誰も予想だにしないものだったが。
「俺が決めるより、みんなで決めたほうがいいだろ。という訳で、今回はみんなで話し合って決めてもらう。1番からでも20番からでも、どっちでもいいぞ」
ミーティング用に借りた補助教室。
教卓に手をついた依田が開口一番そう告げると、室内がしんと静まり返った。
「えーっと……20番からいく?」
仕方なく慎吾が口を開く。
20番から、と提案したのは、1番からだとまず間違いなく何かが起こるような気がしたからだ。主に自分と、猿田の間で。
どのみち避けられないのだが、難しいことはできるだけ後回しにしたかった。
「いや、順当に1番からでいいんじゃないか」
慎吾の意見に異議を唱えたのは、当の猿田だった。
思わず猿田の顔を見る。
猿田の眼鏡の奥の目は、いつもと何ら変わりなかった。
「そ、そっか。じゃあ、そうしよう。……1番、付けたい人」
猿田一人が手を挙げた。
慎吾は手を挙げなかった。番号に特にこだわりはなかった。
「じゃあ、1番は猿田で——」
「あのさ、村雨。ちょっといいか?」
意外にすんなり決まりそうだ。
ほっとした慎吾が話を進めようとすると、猿田がそれを遮る。
「どうかした?」
「……俺さ、正直1番は付けたいんだ。でも、同時に1番はチームのエースが付けるべきだとも思うんだ」
「……だから、猿田がエースで何も問題は——」
「問題はあるよ。だって、みんな薄々気付いてんだろ。このチームのエースはもう俺じゃなくて、村雨になりつつあるってことに」
「……」
慎吾は何も言えなかった。
部員たちの間でそういう空気があること自体には、既に気付いていた。
まさか、猿田の口からそれを聞くとは思わなかったが。
皆、慎吾の方が投手として優れていることにはすぐに気付いた。
だが、新チームが発足する前から、1年以上このチームをエースとして引っ張ってきたのが猿田なのも事実。
だからこの問題には、暗黙の了解として触れないようにしてきていたのだ。
誰も何も言えない中、猿田が続けた。
「なのに、ここで俺がすんなり1番を貰っちゃったら、それこそ茶番じゃないか」
「……茶番では、ないと思うけど。たぶんここにいる人で、猿田が1番を貰うことに反対する人なんていないし」
「それが茶番だって言ってるんだよ。だって要は、俺に気を遣って忖度してるってことだろ? 1番を失うのは確かに嫌だけど、気を遣われるのはもっと嫌だ」
「……じゃあ、どうするの」
「グラウンド、空いてるよな」
不意に猿田が、芽衣の方を向いた。
窓際の席に座っていた芽衣が、
「空いてるよー。今日はどの部活も休みだから」
場の空気にそぐわない明るい声で答える。
「よし、ならいけるな。……村雨、ちょっとグラウンド出ないか?」
「……? 別にいいけど」
(今からグラウンドに出て、何をするんだ?)
疑問が顔に浮かんでいたのだろう。
慎吾の表情を見て、猿田がにやりとする。
「勝負しようぜ。野球部なんだから、最後は野球で決めよう」
* * *
猿田と慎吾は、グラウンドに出ていた。
二人に釣られ、他の部員も勢揃いで顔を出している。
「勝負は3打席。お互いにピッチャーとバッターを交代でやって、直接対決する。んで、成績の良かった方が勝ち。そいつがエースナンバー」
「もし成績で並んだら?」
「その時は、決着が付くまで続ける。まあ、サッカーのPK戦みたいなもんだ」
「……なるほど、PK戦ね」
猿田の説明に、慎吾は納得した。
じゃんけんの結果慎吾が先に投げることとなり、マウンドへ向かおうとする。
その時、芽衣が慎吾に寄って来た。
「村雨」
「何?」
「……前に私が言ったこと、ちゃんと覚えてる?」
「覚えてるよ。猿田は手加減が嫌い、だろ?」
「……なら、良し!」
芽衣は微笑むと、慎吾の背中を軽く叩いた。
慎吾はマウンドに登った。
面白そうだから、という理由で石塚たちが守備に協力してくれたのを感謝しつつ、福尾の構えるミットを見つめる。
芽衣に言われるまでもなく、この後に及んで手加減するつもりはなかった。
いくら自分が番号にこだわりを持ってないと言えど、猿田はそうでないのだ。
ここで手加減をすれば、猿田の信念を、覚悟を傷つけることになる。
そんな気がしていた。
プレート周りの土を足で軽く均してから、サインを見る。
頷くと、両腕を大きく振りかぶった。
白球が、慎吾の右腕から放たれる。
* * *
「はは、やっぱり負けたかー。ま、分かってたんだけどなあ」
慎吾の打球を眺めていた猿田が、マウンド上で呟いた。
決着が付いたのは、お互いに2打席凡退で迎えた3打席目。
猿田は慎吾の速球に3打席目も三振を喫し、慎吾は猿田の抜けたスライダーをホームランにした。
——でも、猿田だって去年に比べればすごく良くなってるよ。
口にしかけたその言葉を、慎吾は飲み込む。
今の自分が、猿田に慰めの言葉をかけてはいけないと思った。
ゆっくりと、ダイヤモンドを1周してホームベースを踏んだ。
福尾からぼそりと「ナイスバッティング」と声をかけられる。
「これで良かったんだよね」
ベンチに戻ってから、慎吾は芽衣に尋ねた。
良かったでしょ、と笑いながら、芽衣が猿田を指し示す。
釣られて慎吾も、猿田を見た。
猿田はまだ、マウンド上で慎吾の打球が向かった先を眺めていた。
「だってあいつ、何かすっきりした顔してるし」
こうしてエースナンバーが決まった。
その後は特に何事もなく、すんなり番号が決まっていった。
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