第9話 芽衣のワガママ

「私さ、前までは引っ込み思案で、それは村雨も知ってると思うんだけど——」


 土手に並んで座りながら。


 まだ慎吾が芽衣のことを知らなかった中学1年の頃から、自分は慎吾を知っていたこと。ソフトボールを始めたのも慎吾の影響だったこと。

 今現在野球部のマネージャーをしてるのも、ある意味慎吾のおかげであること。


 自分の慎吾に対する思いのほぼ全てを、芽衣は打ち明けた。

 流石に恋心に近い感情を抱いていることまでは言わなかったが、相手が慎吾でなかったらばれていただろう。


「——だからさ、村雨にはすっごい感謝してるし、今の私があるのは、どう考えても村雨のおかげなんだ」

「そんなことな——」

「いや、そんなことあるよ。だって、私がそう言ってるんだから」


 芽衣の言葉を否定しようとする慎吾を遮り、彼女は力強く言い切る。


「村雨の投げるボールには、人ひとり変えちゃうだけの力があるんだ。それを私はよく知ってる。……でね、ここからは完全に私のワガママなんだけど」


 芽衣は一度言葉を止めると、慎吾をまっすぐ見つめた。

 その眼差しの強さに、慎吾は怯みそうになる。

 

「私は村雨に、野球を続けて欲しい。私が初めて見たときみたいに、見た人のモヤモヤとか、全部吹っ飛ばしちゃうみたいなそんなボールを、またマウンドから投げて欲しい」

「…………」


 黙りこくる慎吾をしばらく見つめた後、芽衣はすっくと立ち上がった。

 スカートについた草を手で払いながら、照れ臭いのを誤魔化すように、


「いやー、こんなことまで話す予定じゃなかったんだけどな。人生って分からんもんだね」


 と早口で呟く。草を取りきると、鞄を手にとって右肩にかけた。


「……さて。変なこと長々と話しちゃって、ごめん! さっきも言ったけど、そっちからしたら勝手なお願いだと思うし、自分でもそう思う。だから村雨は、好きなようにしたらいいと——」

「明日は部活あるんだっけ? 放課後」


 芽衣の言葉を遮って、慎吾は尋ねた。


 意表を突かれた彼女が目を丸くしつつ「あるよ」と答えると、慎吾は「そっか」とだけ言って立ち上がる。

 芽衣の後を追うように尻についた草を払いつつ、「……もしかしたら、見に行くかも」と続けた。


 芽衣はみるみるうちに、顔を輝かせた。


「……ほんと?」

「言っておくけど、もしかしたら、だから。まだ、絶対行くとは——」

「うん、分かった! 待ってるからね、村雨!」


 芽衣は慎吾の背中をばしっと叩くと、溌剌とした足取りで土手を駆け上がった。

 それから慎吾の方を振り返り、「そんなところでぐずぐずしてると、置いてくぞォ!」と満面の笑みで叫ぶ。


「……見に行くかもだなんて、言うんじゃなかったかな」


 慎吾は苦笑いを浮かべて、頬をぽりぽりと掻いた。


* * *


 芽衣とキャッチボールをした翌日。

 慎吾は放課後が始まる直前まで、野球部の練習を見に行く踏ん切りが付かなかった。


 しかし、昨日芽衣に「見に行くかも」と言ったせいで、彼女は隣の席から爛々と目を光らせてこちらを見張っていた。

 そのせいか否か、結局慎吾は大人しくグラウンドに顔を出したのだが……。


「っしゃこーい!」

「オーケーイ、ナイバッチ!」

「ヘイヘイ、そこしっかりー!」


「……みんな、凄い張り切ってるね。普段からこんな感じなの?」


 慎吾の指摘した通り、青嵐高校の野球部員はその日かなり張り切っていた。


 理由はもちろん、慎吾が来たから。

 転校生が山吹実業の野球部員だったという噂(というか事実)を皆すでに知っていたので、同じ野球部として彼に舐められたくないという意識が働いたのだ。


 ただ、彼らは張り切り過ぎるがあまり、普段ならしないようなミスも散々した。

 ボール回しは何度も途切れ、ノックでは度々エラーし、フリーバッティングでは何度もサッカー部の領分やテニスコートに打球を飛ばしては他部活から顰蹙を買っていた。


「あいつら……」


 呆れ果てた芽衣は、額に手をやりため息をついた。

 選手たちの気持ちはもちろん分かるし、張り切ってくれるのも大歓迎。

 しかしそのせいで緊張してプレイが固くなるのなら、本末転倒ではないか。


「……ま、まあまあ。彼らも頑張ってるんだから」


 取って付けたようなフォローを入れる慎吾に構わず「……いい加減アッタマきた」と芽衣が呟いた。

 不穏なものを感じた慎吾がぱっと隣を見ると、その時にはもう芽衣はいない。

 まさかと思ってグラウンドに目を戻すと、そちらに向かってずんずん飛び出して行く彼女が目に映った。


「おい、みんなァ! しっかりしろー! いつも通りやればいいんだよ、いつも通り! 急に上手くなろうだなんて、そんな都合のいいこと考えるなァ!」


 芽衣が叫ぶと、グラウンド内の野球部が使っている場所だけ一瞬声が途切れた。

 サッカー部や陸上部の何人かが、そちらを訝しげに見た直後。

 沈黙が破られたかと思うと、部員たちはさっきまでの固さが嘘のように、自然なプレイをし始めた。


(何? 雪白って監督だったの?)


 戸惑う慎吾の元に、芽衣が戻ってきた。

 彼の内心を知ってか知らずか、彼女は平然と「いやー、ちょっと喝入れてきました!」などと言う。


(……ちょっと?)


 疑問に思ったものの、隣の芽衣のにこにこ顔を見ているとなんとなく恐くなった慎吾は、口にしなかった。

 代わりに「雪白って、マネージャーだよね?」と確認する。


「当たり前じゃん。なんで?」

「……いや、なんとなく」


 きょとんとする芽衣を横目に見ながら、この子は思ったより恐い子かもしれない、と慎吾は思った。

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