第32話 決戦前夜、それぞれの決意

 準決勝が終わった日の夜。

 山吹実業高校野球部の選手寮、通称「泰星寮」の食堂では、明日の決勝戦に向けたミーティングが行われていた。


 スクリーンに映る青嵐高校対海王大付属の準々決勝の映像を皆が見つめる中、偵察班に選ばれた選手たちが分析結果を語る。それに耳を傾けつつも、洋平は一人考えていた。


(ようやくだな、慎吾。ついにお前と、戦える)


 目標はあくまで甲子園で勝つこと。

 山吹実業硬式野球部という組織にとって、県大会決勝など通過点でしかない。

 なのに、心がめらめらと燃えているのを、洋平は認めずにはいかなかった。


(慎吾と一緒に甲子園で暴れるのが夢だと、前は思ってた……でも、それは間違いだったのかもしれない)


 映像を見ながら、洋平は思う。

 スクリーンには、海王大付属の選手からバッタバッタと三振を奪う慎吾の姿がちょうど映し出されていた。


(甲子園をかけた大一番で、お前と戦える。こんな幸せなことはないじゃないか)


 洋平はぐっと拳を握り締めた。


 しばらくすると、映像と偵察班の話が終わる。

 今春から監督に就任した向が「偵察班はご苦労だった」と労いつつ、前へ出た。

 厳しい顔つきで、皆の顔を見回す。


「いいか、みんな。明日は総力戦だ。たとえどの打順であろうと、こっちは遠慮なくサインを出すから、そのつもりでいてくれ。……ただし、晴山」


 向が洋平の方を見た。

 洋平も睨むような目で向を見返す。

 良い目だ、と向は思った。

 勝負の前の4番打者は、そういう顔つきでいて貰わなければ困る。


「お前の打席だけは全て任せる。いいな」

「はい」


 このやり取りだけで、皆に監督の意図は伝わった。

 そして、誰もが納得していた。

 神奈川県内で、真の意味で村雨を攻略できるのは洋平しかいない。

 そう信じていたから。


(個人としての勝敗も、チームとしての勝敗も……明日きっちりつけてやるからな)


 同じ空の下にいるであろう慎吾に向かって、心の中で洋平はそう宣言した。


* * *


 ミーティングが終わった後。

 木島は一人、寮の外で素振りをしていた。


(明日は絶対に勝ってやる。石井さんとも、そう約束したんだ) 


 去年の夏の、例の事件の後。

 かつて寮の同部屋で、今はもう山吹実業を卒業したOB・石井との約束を、木島は決して忘れてはいなかった。石井は去年の夏初めてベンチ入りメンバーに選ばれたにも関わらず、あの事件のせいで甲子園を目指すことすら許されなかったのだ。


 木島は石井の無念の胸に、厳しい冬練を乗り越えた。

 そして春にはレギュラーを奪うと、山吹実業不動のリードオフマンとして、今大会の決勝進出にも貢献していたのだ。


 ビュン、ビュン、と思いの篭ったスイングの音が辺りに響く。

 と、そこへ木島の思考を邪魔するように、一人の男の声が耳に届いた。


「気合入ってんねー」

「……神谷さん」


 神谷は木島の同部屋で、一つ上の先輩。

 今大会は3塁コーチャーとして、ベンチ入りを果たしていた。


 その神谷が、木島のすぐ近くのベンチに座る。

 こっちは集中してるのに何しに来たんだ、と木島は思った。


「……あの、そこに居られると気が散るんスけど」

「まあまあ、良いじゃない今日くらい。こっちは明日が最後かもしれないんだし」

「……縁起でもないこと、言わないでくださいよ」


 木島は神谷を睨んだ。神谷が頭を搔く。


「別にそういうつもりじゃないけどさ。3年はみんな、覚悟してると思うぜ。村雨のことはそれなりに知ってるからな」

「……村雨さん、ですか」


 あいにく、木島は慎吾と在学が被っていない。

 木島がこの高校に入学した頃には、慎吾は既に転校していた。


 ただ、噂には聞いている。

 木島は千葉出身だが、そこでも中学の頃から慎吾の名は知られていた。

 映像を確認した限り、その噂はどうやら真実のようだ。


 一つ上の「嫌な連中」に目を付けられていた木島としては、同じ境遇だったという慎吾には、会ったことがないとはいえ親近感のようなものもある。しかし、だからと言って負けるわけにはいかない。

 こちらは卒業していった二つ上の学年の、無念を背負っているのだから。


「相手が誰だろうと、俺は勝つつもりでやります」

「……頼もしい後輩だねえ」


 木島が宣言すると、神谷はぽつりと言ってから空を見上げた。

 山吹実業高校は、横浜市内とはいえかなり外れの田舎にある。

 おかげで、満天の星空を神谷は見ることができた。


* * *


 時を少し戻して、夕刻。

 慎吾は芽衣と家に帰っている途中だった。

 いつもの土手を、二人で並んで歩いてゆく。

 慎吾が転校してきてから、既に1年以上が経っていた。


「ついに決勝まで来ちゃったね」

「そうだね。今日は猿田様々だったよ」

「あいつ、初回はめっちゃ青い顔してたのにね。準決勝で完投するようなやつには、とても見えなかった」

「確かに」


 二人で顔を見合わせて笑う。

 なんとなく良い雰囲気だな、と慎吾は思った。


 それから、しばし沈黙が訪れた。

 とても決勝前夜とは思えない穏やかさ。

 自分でもあまり実感は湧かないが、ネットでニュースを確認すると、やはり明日は試合のようだった。


「どう、決勝戦を明日に控えて。緊張してる?」

「うーん……正直、緊張とかあんまりないんだよな。今はとにかく、試合で投げれるのが楽しくて仕方ないから」

「そっか……やっぱりすごいな、村雨は」


 芽衣がぽつりと呟く。

 純粋に褒めているというよりは、何か別の感情を含んでいるような口調だった。


「どうかした? 雪白」

「どうもしてないよ。なんで?」

「なんか今……寂しそうだったから」


 自分で口にしてみて、慎吾は「ああ、そうか」と気付く。

 さっきの芽衣に感じたのは、寂しさとか心細さとか、確かにそんな感情だった。


 慎吾の指摘に、芽衣は目を丸くして足を止めた。

 慎吾も足を止め、芽衣の方を振り返る。

 芽衣は諦めたような笑みを浮かべていた。


「村雨って、どうしてこういう時だけ鋭いかな」

「……もしかして、怒ってる?」

「ううん、別に怒ってはない」


 ふっと息をつくと、芽衣が続けた。


「私ね、だんだん怖くなってきたの」

「え? ……何が」

「村雨がどんどん、どこか遠くへ行っちゃうんじゃないかって」


——そんな風に思っていたのか。


 今度は慎吾が目を丸くする番だった。


 自分としては、今までと何も変わっていないつもりだ。

 でも、確かに周囲の扱いは、ここ数日で目まぐるしく変化している。

 県内での評判は鰻登りに上がり、練習を観に来る人が徐々に増えていた。

 スピードガンを持ったスカウトらしき人を見かけることも珍しくない。


「……僕はどこにも行かないよ」


 慎吾が言うと、芽衣は慎吾の目をじっと見た。

 芽衣の黒々とした瞳が、ゆらゆらと揺れている。


「本当に? 誓ってそう言える?」

「ああ、言える。なぜって、僕は……」


——雪白のことが、好きだから。


 そう言いかけて、慎吾は口を閉じた。


 恥ずかしくて躊躇ったわけではない。

 自信がないわけでもない。

 芽衣が自分を好きなのかもしれない、というのは何となく察している。


 でも、果たしてこの言葉は今言うべきなのか。

 ここまで支えてくれた彼女への感謝を示したいなら、先に形にすべきものがあるんじゃないか。慎吾はそう思った。


 続きをじっと待つ芽衣に向けて、慎吾は口を開いた。


「明日の試合で勝ったら、雪白に言いたいことがある」

「……試合が終わったら、じゃなくて?」

「勝ったら、だ」

「じゃ、永遠に聞けない可能性もあるわけだ」

「そうはならない……と、思う」

「そこは言い切ってよ」


 少し自信なさげに慎吾が言うと、芽衣が笑った。

 ばつが悪そうに頬をかく慎吾を横目に見つつ、芽衣が言う。


「ごめん、村雨。試合前に、こんな話しちゃって」

「いや、謝ることないよ。そもそも僕から聞いたんだし」

「そう言えばそっか。じゃあ、謝らない」

「……そうやって開き直るのも、どうかと思うけど」

「あはは、確かに」


 その後は先ほどの湿っぽい雰囲気など無かったかのように、二人は笑い合った。

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