第22話 ホームラン
「お前、その傷……」
木島の上半身についた青あざを見た洋平が、ぽつりと呟いた。
一方の木島は、洋平を品定めするようにじっと見つめた後、にかっと笑う。
「どうやったらできると思います? こんな傷」
「……殴られたんだろ、お前。誰に、やられたんだ」
無表情で拳を握りしめる洋平に、木島は首を振ってみせた。
「そんなわけないじゃないスか。ほら、こないだの練習試合で、デッドボール受けたでしょ。あの時のスね」
「……あれはもう2週間前だろ? 大体、お前が当たったのは背中で、腹じゃなかったはずだ」
「……マージか。晴山さんは他人に興味ないって神谷さんが言ってたから、イケると思ったんだけどなあ。意外に見てるんスね、人のこと」
「興味のある相手ならな」
首を傾げる木島を、洋平が忌々しげに見つめる。
「……それで? 誰にやられたんだ、その傷は」
「……まあ、いいじゃないスか。今日は石井さんがベンチ入りできためでたい日ですし、細かいことは気にしないでいきましょうよ。神谷さんは『石井さんを祝うぞ!』とか言って早速買い出しに出かけちゃいましたし、石井さんなんか居ても立っても居られなくて、素振りしに出ちゃいましたよ。そういや、晴山さんも今まで素振りしてたんスよね? だったら、石井さんとすれ違ったり——」
「誰にやられたのかって聞いてるんだ。話を逸らすな」
早口で捲し立てる木島を遮って、洋平は言った。
(これは俺が言わない限り、梃子でも動かないやつだな)
洋平の頑強な態度に早くも諦めの気持ちを抱いた木島は、仕方なく口を開いた。
こちらの事情を全て話せば、目の前の頑固な先輩でも、すぐに軽はずみな行動を取ることはないだろう——そう、信じて。
しかし、結論から言えば。
木島は洋平の行動を読み誤った。
「中谷たち3人スよ」
「……あいつらが」
その名を聞いた瞬間、数ヶ月前の寮で見た光景が洋平の脳内でフラッシュバックする。
あの時、洗濯物を慎吾に押し付けようとする中谷たちに、嫌な感じがしたのは確かだ。しかし、慎吾がいじめられているとまでは思っていなかった。
体育会系にありがちなノリの、悪いところが出ているなくらいに考えていたのもあるが、あの慎吾がいじめられるはずなどない——そんな思い込みがあったのも確かだった。
その上、あれ以降3人組が慎吾に絡むのを全く見なかった。
自分の目の届く範囲では何もないから大丈夫、と安心しきっていたのだ。
陰で何が起きているのかも、全く気付かずに。
だが、目の前の木島の傷から類推するに。
慎吾に対しても同様のことが、行われていたかもしれない。
洋平はすぐさま、その可能性に思い至った。
そして、それがもし本当なら。
最後に見た慎吾の姿も、怪我で追い詰められて憔悴していたのではなく——。
「……絶対許さない」
洋平は「ちょっと! どこ行くんスか!」と追いすがる木島の手を払うと、機敏な動きで部屋を出て行った。
* * *
「バッター3番、レフト、センター打ってまーす!」
6月中旬の日曜日。海老名農業高校のグラウンド。
慎吾が打席に入ると、相手チームの外野手3人が大きく後退した。
今は海老名農業との第2試合の最中。
ここまで2打数2安打という慎吾の活躍もあってか、青嵐は大量得点を記録していた。
そしてこの回も——。
「レフトバーック!」
相手方の指示も虚しく、慎吾の打球はレフトの頭上を超えた。
どころかその奥に張られたキャスター付きネットをも超えてゆき、その向こうでポーンと弾む硬球がかすかに見える。
「マジかよ……」
「やべえな、あの3番」
三塁審の福尾が猛然と右手を回す中、慎吾は悠然とダイヤモンドを一周した。
* * *
「何だかんだで、ホームランはこっち来てから初めてだよね?」
試合後の帰り道。
他の部員と別れた後、同じ駅で降りた慎吾と芽衣は、いつもの如く土手の上を歩いていた。
つい2週間ほど前に衣替えがあったため、二人とも涼しげな夏服姿。
半袖から伸びる芽衣の白い腕が、慎吾の目には眩しく見える。
「そうかな? ……うん、たぶんそうかも」
「たぶんって。普通自分で覚えてるもんじゃない? そういうのって」
「良いことはあんまり引きずらないタイプなんだよ、僕は」
「じゃ、悪いことは?」
「引きずるタイプ」
「何それ」
そんな風に他愛もないことを話していると、ブーッというスマホの着信音が慎吾の耳に届く。
「あ、私だ」
とスマホを出した芽衣が、画面を見てまず「なんだ、ママか」と形のいい眉をひそめる。続いてすぐさま、大きく目を見開いた。
「……どうしたの?」
慎吾が尋ねると、芽衣は神妙な顔で「……ねえ、村雨。晴山って知ってる、よね?」とこちらを窺ってくる。
その名を久々に聞いた慎吾は、山吹実業を出て行く間際の、洋平の目を思い出した。もう遠い昔の出来事のように感じられるが、それでもまだ少し、当時のほろ苦さは残っていた。
「……もちろん」
「私、晴山と家が隣で、腐れ縁みたいな感じなんだけど——」
「ちょ、ちょっと待って。家が隣? 幼馴染ってこと?」
「うん、幼馴染ではないかなー。全く馴染んでないし、私たち」
「……あ、そう」
芽衣の有無を言わさぬような笑顔に、それ以上の追求を封殺された。
慎吾が黙ったのを機に、芽衣は再び口を開く。
「ともかく、家が隣なんだけど……あいつ今、家にいるらしい」
「家? 誰が?」
「だから、晴山が」
慎吾は混乱した。
山吹実業高校野球部は全寮制で、「出所日」と呼ばれる特別な日以外は、実家に帰るのを許されない。
そして、彼の記憶が正しければ。
夏の大会1ヶ月前というこの時期に、出所日などなかったはずだ。
「……なんでまた、こんな時期に」
「うん、それがさ……」
芽衣はそこで一度、言葉を止めた。
彼女の黒々とした大きな瞳に、慎吾はなぜか初めて見るもののような印象を受ける。
「謹慎なんだって、あいつ」
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