第21話 夏への切符

 しばらく月日が経って、6月の中旬。

 泰星寮の食堂には部員が一堂に会し、監督がいないにも関わらず、室内は奇妙な緊張に包まれていた。野球部員にとっては夏への切符となる、甲子園の県予選ベンチ入りメンバーがこれから発表されるからだ。


「いやー、今回でラストチャンスですね! 石井さん」

「……他人事みたいに言いやがって。お前も来年は、俺と同じ立場になるんだぞ」


 隣に座る石井に神谷が明るく声をかけると、石井は彼を睨みつけた。


 しかし、神谷の言う通り。

 最上級生の石井にとって、今大会はベンチ入りできるラストチャンスだった。


 その場の空気を読まずに、神谷は続ける。


「や、でも、実際他人事なんで。来年のことは来年になったら考えますよ。石井さんだって、去年の今頃はそんな深刻に考えてなかったでしょ?」

「……何も言い返せないのが、辛いところだな」


 肩を落とす石井に、「ま、大丈夫ですよ」と神谷は笑う。


「石井さん最近調子良かったですし、代打枠ならワンチャンありますって」

「……そうだと良いけどな。あー、吐きそう」


 二人でそんなことを話していると、不意に食堂の至るところで行われていた会話が止んだ。何かを察した神谷が食堂の出入り口を見やると、ちょうど監督の八木が入ってくるのが見える。


「早速だが、夏の大会のベンチ入りメンバーを発表する」


 八木の一言に、他の部員たちが固唾を飲むのを神谷は感じた。

 水を打ったように静まりかえった空気の中、背番号の入ったプラスチックのケースを八木が開け、口を開く。


「1番……柳原(やなはら)」

「はい」


 エースナンバーが柳原の手に渡るのは、これで秋から3季連続となった。

 彼は慎吾や洋平と同じ、2年生だ。


 その後2番から順に読み上げられていき——。


「6番、晴山」

「はい」


 自分たちとは少し離れた席から立ち上がり、至極当たり前のような顔でゼッケンを受け取りに行く洋平。彼の横顔を見つめながら、やっぱりか、と神谷は思った。


「7番——」


 番号が埋まる度に心揺れる部員たちをよそに、八木は淡々とメンバー発表を進めてゆく。そして——。


「19番、進藤」

「はい」


 固い表情で進藤が背番号を受け取ると、室内の緊張感は最高潮に達した。


 夏の県大会のベンチ入りメンバーは20人。

 すなわち、次に呼ばれる部員が、正真正銘最後のベンチ入りメンバー。


 神谷の部屋に関して言えば、洋平以外の3人はまだ誰も呼ばれていない。

 つまり、石井、神谷、木島の3人のうち、2人は確実にベンチ入りできないのだ。いや、もしかすると、3人とも——。


(頼む、頼む、頼む! せめて石井さんだけは……)


「20番……石井」


 その名が呼ばれた時、神谷の隣の男は一瞬呼吸を止めた。

 わずかに間が空いた後、「はい」と掠れた声で返事をし、恐る恐る前へ出る。


 恭しく20番のゼッケンを受け取る石井の背中が、神谷の目にぼやけて見えた。


* * *


「……それで? こんなところに呼びつけて、何か用スか? こっちは部屋で音楽聴いてたとこなんスけど」


 寮内にある、普段は誰も使わない空き部屋。

 その場所に呼び出された木島が怯むところを見せずに言うと、中谷・大田・小山の3人が、彼を囲むように陣取る。


 春季県大会でのベンチ入り以降、木島はことある毎に中谷たちから嫌がらせを受けていた。しかし彼らも狡猾で、自分たちがやったという確実な証拠は残さない。

 故に木島は、彼らの仕業だと当たりを付けつつも、尻尾を捕まえることまではできずにいた。


 しかし、今回は千載一遇の大チャンス。


「……用ってのは他でもねぇ。今回は大田だけじゃなく、小谷野や俺までベンチから外れた。それもこれも、春からテメェが来たせえだ。この理屈、理解できるな?」

「いやー、全然。だって今回、俺もベンチ入りできてないっスよ?」


 あえて呑気な調子で言いつつ、ポケットに入れていた音楽プレーヤーの録音機能をさりげなくオンに。タイミング良く、中谷が木島の横の壁をばん、と叩いた。


「テメエと同部屋の3年が、ベンチ入りしてるだろうがァ!」

「あー、石井さんのことっスね……なるほど、連帯責任ってヤツっスか?」

「当たり前だろ。寮の同部屋の先輩の尻拭いは、後輩がするもんだ。そう教わらなかったのか?」


 中谷の言葉に、木島は以前神谷の言っていたことを思い出す。

 他の部屋の先輩皆が皆、中谷のようなクズだとは流石に思わないが、それでも……。


(どうやら神谷さんの言ってたことは、本当だったみたいだな)


 木島が不敵に笑うと、中谷たち3人は少したじろいだ。


「あいにくっスけど、教わりませんでしたね……あんたらみたいな残念な先輩は、中々いないんで」


* * *


 一方、その頃。

 寮から離れた校舎内の人目につかないところで、洋平は一人素振りをしていた。


 誰にも邪魔されたくない時は、こうしてこの場所でバットを振ることにしているのだ。しかし、邪魔する者などいなくても、


(もし慎吾が残ってたら、今日のメンバー発表では石井さんじゃなくて……って、俺は何考えてんだ)


 心の中に湧く雑念が、注意力を削いでくる。


 洋平は自分のことを、どちらかと言えば集中力のある方だと自負していた。

 しかし今日ばかりは、考えたくもないことが消したそばから湧いてきて、彼の素振りを妨げる。


(……ああ、もう!)


 雑念混じりで自分のスイングが酷くなっていることに気づいた洋平は、振っていたバットを止めた。そこで初めて、自分が肩で息していることに気付く。


「……今日はもう、やめるか」


 洋平はバットケースにバットをしまうと、すたすたと寮へ戻って行った。


 寮内の異様な雰囲気に、改めて今日が背番号発表の日だったのだと思い知らされつつ、自室へ向かう。部屋の扉を開け、中へ。すると、そこには——。


「……木島?」


 青あざのついた上半身を露わにする、木島の姿があった。

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