第8話 招待試合

 秋の大会での敗戦後。

 奇妙なことに、慎吾たち青嵐野球部員は大会前より練習に精を出していた。

 理由はもちろん、文化祭の招待試合のためである。


 勝てる、と確信していた部員は恐らくいない。

 むしろ県大会での敗戦で、このままでは文化祭でとんでもない恥を掻くのではと皆が感じていた。彼らの動機は、強豪相手に一発かましてやろうなどとという格好いいものではなく、せめて接戦には持ち込みたいという切実な願いだったのだ。


 対戦相手の海王大付属高校は、秋季県大会を順調に勝ち上がっていった。

 勝ち上がれば勝ち上がるほど情報が増えるので、青嵐としてはありがたい。

 慎吾も芽衣に頼んで、海王大付属の偵察に何度か向かってもらった。


 そうしている間に時が経ち、10月の半ば。

「青嵐祭」が始まって1時間ほど経った後、青嵐高校の敷地内に、車用の門からバスが一台入ってきた。車体には「海王大学付属高等学校」の文字が刻まれている。


 車内では、一番前の席に座る禿げ上がった男が、背後の席に座る選手に話しかけていた。


「……もう一度言うが、今日は来なくても良かったんだぞ? 松本」

「せっかくの文化祭なんです。甲子園優勝投手が来なかったら盛り上がらないでしょう?」


 話しかけられた海王大付属のエース・松本は組んでいた腕を解かずに答えた。 

 話しかけた方——海王大付属高校監督・桜井——はその様子を呆れたように眺めてから、また口を開く。


「……一理あるが、それを自分で言うところがお前らしいな」

「天下の名監督から褒めてもらえるなんて、光栄ですね」

「……今のを褒め言葉だと思えるようなら、お前は長生きするよ」


 桜井はため息をついた。

 今までの長い監督人生の中で、生意気な選手を教えることもそれなりにあったが、松本はその中でも特異な存在だった。


 なにせ、単にでかい口を叩くだけでなく、それを裏付けるだけの練習量を実際にこなすからたちが悪い。


 生意気な選手はどこかで鼻っ柱を折ってやらねばならない。

 これが桜井の経験則だったが、松本に関して言えば、ひたすら鼻が伸びたままここまで来てしまったという印象だった。


 一方、そんな櫻井の内心はつゆ知らず、松本は全く別のことを考えていた。


(……村雨慎吾。常に俺の先をいっていた目障りなお前が、まさかこんな学校に転校していたとはな)


 バスが停まるのとちょうど時を同じくして、松本はぎゅっと拳を握りしめる。


(文化祭を楽しんでいるところ悪いが、今日は血祭りに上げさせてもらうぜ。……俺だって中学の頃から成長したんだ。お前がもう俺の相手にならないってことを、証明してやるよ)


* * *


 正午を少し過ぎた頃。

 青嵐高校のグラウンドには、いつになく人だかりができていた。

 天下の名門・海王大付属高校が来るとの知らせに、校内のミーハーたちが群がったためである。


 いつもとは違うグラウンドの雰囲気に、青嵐の野球部員たちは戸惑っていた。

 一方の海王大付属の選手たちは、流石に注目されることには慣れているのか、落ち着いた様子で試合前の準備を進めている。


「やっぱ身体でけぇな」

「夏も見てただろ、あいつらのこと。大して変わらないと思うけど」


 相手校の部員を見ながら好き勝手に言い合う他の部員をよそに、慎吾は一人海王大付属のメンバー表を見ていた。


(クリーンアップと1番バッター以外は控え、か。ピッチャーも予想通り渡辺だし、意外といける、かも? ……まあ、最後はあいつ次第なんだけど)


 そこまで考えたところで、ブルペンで投球練習をしている猿田に目を向ける。

 サイドスローに転向してからひと月と少しの間で、彼は新しい投球フォームをそれなりにものにしていた。


 猿田が慎吾の想定以上に前向きに取り組んでくれたのと、慎吾がしばらくつきっきりで指導したのが功を奏したのだが、それも全ては今日のため。

 あとは彼が実力をフルに発揮してくれれば、それなりに競ることはできる、という希望的観測を抱いていたのだが——。


 猿田の投じたボールは、福尾の構えていたミットを大きく外れ、福尾の後ろに置かれたネットに突き刺さった。


「わりい、ヨシ」

「別に構わんけど、気楽になー」


 そんなやり取りを交わす二人を見ながら、


(たまたまかな? というか、たまたまであってくれ)


 という慎吾の祈りも虚しく、猿田のボールはことごとく福尾のミットを外れる。

 福尾はゴールキーパーのように、猿田の投球を何とか受け止めていた。


「大丈夫なのか? あいつ」


 ちょうど同じところを見ていたのか、困惑した依田が慎吾の方を振り返った。

 慎吾がさあ、と首を傾げると、芽衣も猿田の様子に気付いたのか、記録員用に用意された椅子から立ち上がって、ずんずんブルペンの方へ向かう。


 そのまま猿田のところへ行って何か話しかけたかと思うと、すぐにこちらへ戻ってきた。すると猿田のコントロールが、見違えるように良くなる。

 気のせいか、さっきより表情まで明るくなっているように見えた。


「何話してきたの?」


 不思議に思った慎吾が尋ねると、


「あいつ、好きな子いるんだよね」


 脈絡もなく芽衣がそんなことを言い出す。


「……ええっと、つまり?」

「試合観に来てるから、いいとこ見せなよって言っといた。現金だよね、さっきまでガッチガチだったのが嘘みたい。……まあ、ほんとに嘘ついてるのは私の方なんだけどね」

「……聞かなかったことにしておくよ」

「うん、そうして」


 間もなく、招待試合は始まった。

 先攻は海王大付属だったが、猿田は見事三者凡退に抑えて帰ってきた。

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