第40話 今だから、だよ
Team 123456789 R H E
青嵐 000000010 170
山吹 00000000 000
* * *
1対0のまま、試合は9回裏に入った。
ここまで未だ山吹実業はノーヒット。
球場内は、慎吾のノーヒットノーランを期待するような雰囲気で包まれている。
「1番、センター、木島くん」
ウグイス嬢のアナウンスの後、木島が左打席に入る。
木島はここまで2打数ノーヒット、1四球だ。
ヒットを打って出塁するのが、チームにとっては1番良い。
だが、木島本人としては、とにかく塁に出れさえすれば良いと思っていた。
彼は4番の洋平を、まだ信じていた。
いや、木島だけじゃない。山吹実業の選手全員が、そう思っていた。
信じるというより、洋平に回してそれでも打てないのなら諦めがつく、と言った方が真実に近いかもしれないが。
打席の土を均し、バットを構えた。
初球、インコースへ来たボールに対して、木島はバントの構えを見せる。
予見していたのか、サードが猛チャージしてきた。
木島はバットにボールを当てることこそ成功させたものの、打球はファールゾーンに切れていく。
(クソッ、セーフティーもダメか)
2球目以降はフォアボール狙いに切り替えた。
何とか2ボール2ストライクまで粘ったものの、ノーヒットノーランのプレッシャーなどないかのように、慎吾はがんがんストライクゾーンへ投げてくる。
フォアボール狙いは無理か、と思った7球目のことだった。
(ヤバい、こっちに来るっ!)
手元が滑ったのか、慎吾の投じたボールが木島の身体目がけて来た。
避けられる、と木島は思った。
だが、避けては意味がない、とも同時に思った。
(こうなったら、痛いのを我慢して——!)
木島はボールに背中を向けた。
こうすると、一見避けているようで、実はボールに当たりやすくなる。
避けていない、とさえ審判に認識されなければデッドボールになるので、ルール上は問題ない。さらに背中なら、当たるにしてもまだましな方だ。
とはいえ、慎吾の速球はこの終盤でも150km代後半を計測している。
当然痛いはずもなく、
「痛って!」
木島は大きなうめき声を上げた。
しかし、痛みと引き換えに、狙い通りデッドボールの判定を得る。
痛みに意識が一瞬朦朧としながらも、「デッドボール!」という球審の声を聞いて、思わずガッツポーズした。
「お、おい、お前歩けるのか」
「いやー、全然余裕っす!」
心配そうに声をかける福尾に手を振ると、木島は一塁へ向かって歩き出した。
頭部じゃなかったためか、球審による臨時代走の要求はない。
一塁へ小走りに向かう木島の姿に、スタンドから大きな拍手が送られた。
少しだけ、球場の空気が変わった。
(さあ、松井さん。次はあんたの番ですよ)
一塁ベースに到達した木島は、2番の松井を睨むように見る。
松井は頷いた。
自分がこの場面で何をすべきで、何をしてはいけないのか。
そのくらいは、重々分かっているつもりだった。
* * *
「おい、あんまり気にすんなよ」
「ああ、それなら大丈夫」
マウンドへ向かった福尾が声をかけると、慎吾は存外冷静な表情で頷いた。
木島に何度も頭を下げていたから、てっきり引きずっていると思ってたが……案外、そうでもないようだ。
つくづくマウンドへ上がると性格が変わるな、と感心しつつ、福尾は続ける。
「この場面、相手はどう出ると思う?」
「さあ……バントと言いたいところだけど、残り3アウトだもんなあ」
「盗塁もあるかもな」
福尾は木島をちらりと見た。
一塁ランナーは県内随一の俊足。
自分の肩で彼と勝負できるとは、福尾は思っていなかった。
「バントなら、楽できるんだけどな」
慎吾はため息をついた。
向こうが送りバントしてくれれば、自動的にアウト一つ計上できる。
そうなれば、勝利まであとアウト二つ。
一気に精神的に楽になれる、と慎吾は思っていた。
「……まあ、ないとは言い切れないけどな。とりあえず、村雨はバッターに集中してくれ。走られたらもう、俺のせいだと思って」
「ああ、そうだな」
「後は……いや、もうないか」
何か言わなければならないような気がして言葉を探したが、あいにくこんな状況は初めてなので、探し物は見つからなかった。無言でその場を去りかける福尾の背中に、慎吾が「福尾」と声をかける。
「何だよ」
「甲子園、絶対行こう」
「……今それを言うか」
「今だから、だよ」
「……意味分からん」
そう言いながらも、慎吾に背中を向けた福尾の顔には、笑みが浮かんでいた。
自分の探していた言葉を、慎吾が代わりに見つけてくれたような気がした。
福尾がホームへ戻り、試合が再開した直後のことだった。
初球、いきなり木島が走った。
ストライクという球審のコールを聞く前に、福尾はセカンドへ送球する。
ボールが2塁ベースへ到達してまもなく、木島が2塁へ滑り込む。
「セーフ! セーフ!」
2塁審のコールに、球場が湧いた。
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