第41話 凡人にはこのくらいが限界か

(とにかく、これでゲッツーは無くなったな)


 木島の盗塁を見届けた後、山吹実業の2番・松井はほっと一息ついた。

 やはりゲッツーの可能性が減ったのは大きい。何としても洋平に回したいこの場面、それだけは松井としては何としても避けたいからだ。


 それに、木島が初球から走ってくれたおかげで、バッティングに集中できる。

 木島のスタートが悪いようなら、何としてもボールにバットを当ててファールにしなければならないというタスクがあったからだ。だが、その必要ももうない。


(ま、集中できたところで、打てるとは全く思わないけどな)


 自分の実力は、松井もよく分かっている。


 お山の大将をやっていた中学時代。

 甲子園で活躍する山吹実業のユニフォームに憧れ、自分ならここでも通用する、甲子園でヒーローになれると、意気揚々と入学した。


 しかし、そんな松井を待ち受けていたのは、残酷な現実。

 自分より遥かに凄い才能ばかりの環境で、特に洋平と慎吾という、二人の才能に打ちのめされた。まさか慎吾が学校を去るとは、当時は思わなかったが。


(その村雨がこうして立ちはだかってんだから、身から出た錆ってやつだよな。客観的に見て、俺たちの立場はダサ過ぎる。泥舟と思われても仕方ない。でも……)


 スタンドで応援する1年生の声が聞こえる。

 彼らはここが泥舟だと分かっていて、それでもこの学校を選んでくれた。


「山吹実業の連中は、野球だけ上手けりゃ良いと思ってるどうしようもない連中」


 そういう世間の厳しい目を知っていてなお、ここに来てくれた。

 彼らに罪はない。

 だからこそ、彼らに何か残してやりたいと、松井は思う。


(そうだ、結局俺たちには、世間様の言う通り野球しかねえ。だったら——)


 1ボール1ストライクから、慎吾の投じた3球目。

 松井のバットが、インコースに来たストレートを捉えた。


(甲子園を手土産にするしか、ないじゃないか!)


 振り遅れ気味の弱い打球が、三遊間へ向かった。


「ショート!」


 福尾が焦ったように声をあげ、石塚がチャージをかける。

 その間、走る松井の姿をちらと見て、石塚は気づいた。


(クソッ、グラブで捕って握りかえてたら間に合わねえぞ! こうなったら!)


 石塚は賭けに出た。

 すなわち、グラブを付けていない右手でそのままボールを掴むと、ファーストに向かって投げたのだ。


 松井の足と、石塚の送球との勝負になる。

 石塚の送球がファーストミットに収まるのとほぼ同時に、松井がヘッドスライディングでファーストへ滑り込み、そして——。


「ヒーズアウッ!」


 一塁審のコールに、青嵐側の観客席が湧いた。

 これで1アウト走者3塁。

 今の打球で2塁ランナーの木島が進塁し、以前ピンチには変わりない。

 だが、ノーヒットノーランは継続中だ。


(あーあ……ま、凡人にはこのくらいが限界か)


 松井は立ち上がると、土埃を軽く払ってベンチに戻った。

 全力を尽くしたので、悔いはない。

 後はクリーンナップに任せるだけだ。


「ナイスプレイ、石塚!」


 慎吾が石塚を称えると、石塚が手を挙げて応じた。

 その光景を見ていた福尾は、石塚が調子に乗ってそうだと何となく思ったので、気を引き締めさせようと声をかけた。


「喜ぶのはまだ早いぞ! もう1回そっちいくからな!」

「ああん? なんだって?」

「喜ぶのはまだ早いぞ! もう1回そっちいくからな!」

「分かってるって!」


 一度聞き直してから、叫ぶように石塚が答える。

 叫ばないと声が通らないほど、観客の歓声が凄かったのだ。


(しかし、今のプレイでまた少し観客が山吹側に傾いてるな)


 福尾はマスクを被り直した。

 周囲の状況に流されず、冷静に考える。


 高校野球の観客は、基本的に判官贔屓である。

 今日の試合では、「強豪校に立ち向かう公立校」という分かりやすい構図のおかげか、今まで青嵐を応援する声の方が遥かに大きかった。

 ただ、先ほどのデッドボール辺りから、徐々に流れが変わりつつある。


 基本的に死球というのは、あまり印象が良くない。

 そのうえ、今は1点差で山吹が負けている場面。


「強豪校に立ち向かう公立校」よりも、「強豪校が意地を見せる」というドラマの方が、観客にとって優先されつつあるのだろう。2番打者・松井のヘッドスライディングは、後者を補強する良い材料だ。


(良くないよなあ、この流れ……こういう時に三振でも取れれば、またこっちに流れを戻せるんだろうが、まあ、そう虫の良い話は——)


「ストライクスリー!」


 福尾の願望を反映するように、慎吾は3球三振を奪ってみせた。

 しかも山吹実業の3番から、自己最速となる158kmのストレートで。

 山吹側の押せ押せムードがかなり萎み、再び慎吾のノーヒットノーランを期待する声が大きくなる。


(この状況で、いとも簡単に三振奪っちゃうんだもんなあ)


 福尾は驚きを通り越して呆れていた。

 いや、多分福尾だけじゃない。

 慎吾の後ろを守る皆の顔を見ていても、似たような感情が伝わってくる。

 

 とにかくこれで、あとアウト一つ。

 一度マスクを外して内野陣に声をかけ、少し落ち着かせてから福尾はホームベース後方に座った。すると、アナウンスがかかる。


「4番、ショート、晴山くん」

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