第42話 僕が取る!

 洋平が初めて慎吾を見たのは、中学に上がったばかりの頃。

 地元では硬式野球チームの強豪として知られる水見シニアに入った時、同学年に慎吾がいたのだ。


 元々洋平は投手志望だった。

 もっとも水見シニアの門を叩く選手など、投手経験のある選手ばかり。

 各々チームで中心選手として活躍し、自信を引っ提げてやって来ているのだ。


 しかしそのほとんどが、慎吾の投球を見た時に諦めた。

 そして、それは洋平も例外ではない。


(俺の目指す場所は、あそこじゃないな)


 慎吾の立つマウンドをその他大勢の一人として眺めながら、そう思った。

 そして、すぐに頭を切り替えた。


 ピッチャーを諦めるのなら、バッターだ。

 プロ野球選手を目指すなら、すごいピッチャーを打てるようにならなければならない。身近にいるすごいピッチャーは誰か?


 慎吾しか、いなかった。


(あれから5年……思えば長い年月だった)


 洋平は球審に頭を下げると、すっとバットを構えた。

 大歓声が遠のいてゆく。

 世界に自分と慎吾しかいないような、そんな感じがした。


(せっかく対戦できたのに、ここまで3の0とはな……)


 でも、情けないという感情はもう捨てた。

 相手はあの慎吾なのだ。

 単純に自分のレベルを、相手が上回っている。それだけの話。


(ここまでの打席で分かったのは、個人としての実力じゃ、俺はお前に完敗ってことだ、なのに……)


 1番の木島は自分を信じて、何としても出塁しようと気迫を見せてくれた。

 他のやつも、自分に回そうと頑張ってくれた。

 皆が皆、自分なら何とかしてくれるかも、と思ってくれている。

 なら、自分は——。

 

(何としてもあのランナーを、返すしかないじゃないか)


 初球、慎吾の球はボールだった。

 洋平は手を挙げて一度打席を外すと、3塁ランナーの木島を見た。

 何回か素振りをしてから右腰を触る。

 木島が目を見開いてから、ヘルメットのつばを触った。


(悪い、慎吾。個人としての勝敗は、俺はもう負けを認めてる。だから——)


 第2球。慎吾がボールを投じたその瞬間、洋平はバットを寝かせた。

 慎吾が目を見開くのが、スローモーションで見えた。

 ボールがバットに向かって、ゆっくりと向かってくるように感じる。


(チームとしての勝敗は、こっちに譲ってくれよ!)


 2アウト走者3塁。

 あとアウト一つで負けという場面で、洋平はセーフティバントを試みた。


* * *


 洋平が打席に入った瞬間から、慎吾は何か嫌な感じがした。

 うまく説明できないが、今の洋平には手段を選ばない怖さがある気がしたのだ。


 しかし、根拠のない予感を仲間に話しても、無駄に恐怖心を煽るだけだ。

 慎吾は心の中だけにしまっておくことにして、福尾のサインを覗き込んだ。

 初球はストレート。

 頷くと、思い切りボールを投じた。


 球審の判定はボールだった。

 インコースの厳しいところを突いたつもりだったが、少し内寄り過ぎるということなのだろう。返球を受け取ると、すぐさまサインを見る。

 今度もストレートだった。


 慎吾は頷くと、第2球を投じた。

 我ながら最高のボールじゃないかと思うほど、指にかかったストレートが右手を離れるその瞬間。慎吾は目を丸くした


(洋平が、バント!?)


 まさか、とは思う。

 でも、ある意味予感通りでもあった。


 慎吾は反射的に、すぐさま三塁側へ一歩足を踏み出した。

 右ピッチャーは投球後に一塁側へ身体が流れるから、狙うなら三塁側。

 洋平なら的確に弱点を突いてくる気がした。

 もし一塁側なら、その時はもうファーストの猿田に任せるしかない。


 洋平がバントを決めた。

 慎吾の予測した通り、3塁側へのセーフティバントだった。

 同時にスクイズでもあるのか、ホームへ向かう3塁ランナーの姿も見える。


「僕が取る!」


 大声でサードの三村を牽制しつつ、慎吾はダッシュでボールに向かった。

 捕球するも、ホームへ滑り込む3塁ランナーは無視。

 すぐさま振り向くと、普段のピッチングと同じくらい、思い切りファーストへ送球した。そうでないと、間に合わないと思ったから。


 スパーン、というファーストミットにボールの収まる銃声のような音と、ズザザッ、と洋平の滑り込む音。二つが交錯し、観客からはセーフかアウトか判別がつかなかった。


 しかし、滑り込んだ張本人と、送球した当人。

 そして、ファーストで送球を取った猿田には分かっていた。

 今の勝負で、そしてこの試合で、どちらが勝ったのか。


(くそっ、めちゃくちゃ痛えんだけど。あいつ、ファーストに本気で投げやがって。でも、そのおかげでタイミング的には間違いなく————)


「ヒーズアウッ!」


 9回120球、与四死球3、奪三振11。

 暴投0、ボーク0、失点0、自責点0、被安打0、被本塁打0。


 神奈川県大会決勝は、慎吾のノーヒットノーランで幕を閉じた。

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