第2章

第1話 代替わり

 迎えたその年の夏の大会、青嵐高校野球部は1回戦を5対3で突破したものの、2回戦で敗れた。相手は名門の海王大付属、2対12の6回コールドであった。


 試合後の球場外で、慎吾は泣いている山崎に手招きされた。

 すぐさまそばに向かうと、「おい」と慎吾の胸を軽く小突いてくる。


「は、はい。なんでしょう?」

「……正直言うとな、俺はお前が気に入らなかった。なんでか分かるか?」

「……いえ、わかりません」


 嫉妬されているのかも、という憶測はあったが、それを本人に言えるほどの度胸は慎吾にない。すると山崎が、また軽く胸を小突く。


「そうやって遠慮するところだよ。気ィ遣い過ぎなんだ、お前は。練習試合のことも、何やら監督に直訴したみたいだしな。遠慮せずに出ておけば良かったものを」

「……」


 同じようなことをこの間洋平にも言われたな、と慎吾は思った。

 遠慮や慎み深さも、度が過ぎれば人を苛立たせるということなのだろうか。 


 考え込む慎吾に、山崎が「でも——」と続ける。


「今は夏大が終わってちょっとすっきりしたからか、視野が広がってな。別な考えもある」

「……別の考え?」

「そう。お前のそういうところも、美点になるんじゃないかってな」

「……そうでしょうか」


 これも、似たようなことを洋平に言われたばかりだった。

 自覚がないので、どうその性格を生かせば良いのか分からない。


 自信なさげに俯く慎吾の肩を、山崎は抱いた。


「『気に入らなかった』って言った後にこんなことを言うのは説得力無いかもしれんが……お前はそのままでいいと思う。そのままの自分を信じろ。それで良いんだ」

「……はい」


 なぜだか自分でも分からない内に、慎吾の目から涙が溢れた。

 横では山崎が、「泣き虫だなあ、お前は」と笑っている。

 その山崎も、慎吾に釣られるようにまた泣いた。


* * *


 翌日。

 まだ夏休みにはぎりぎり入っていないものの、半分夏休みに入ったかのような空気を醸し出す、休日の青嵐高校の校舎。

 その中のとある教室に、ずらっと座っていたのは野球部員。


 昨日の試合で引退することになった3年生は、もういない。 

 だから今この場にいるのは、1・2年生にマネージャー含む計21人と、監督の依田、それに部長の森だけ。


 ちなみに、慎吾は森を、先日の1回戦で初めて見かけた。

 見た目はただの気のいいお爺さんという感じだったのに、試合前ノックをそのお爺さんが打ち始めたのには驚いた記憶がある。

 しかも肝心のノックの腕前は、完全に玄人の域だった。


 さて、今、一人だけ教卓の前に立つ者がいた。監督の依田だ。

 皆を見回してから、依田は口を開く。


「早速だけど、キャプテン決めるかぁ。てなわけで……誰かやりたい人、手ェ挙げてくれ」

「「「……」」」


 皆、無言だった。

 いくらひと月ほど前の慎吾の告白により、打倒山吹実業を叫んだ部員たちとはいえ、自ら主将を引き受けたい者など一人もいない。


 彼らは皆これまでの野球経験で、主将とは損な役回りであるという共通認識を形成していた。無論慎吾とて例外ではない。


 一方、依田の方でもここまでは予想済みだった。

 にやりと笑い、先を続ける。


「じゃあ、他薦もありでいいぞ。こいつならチームを任せられる! ってやつがいれば、遠慮なく名前を挙げてくれ」


 早速、猿田が「はい!」と手を挙げた。


「どうした、猿田。自薦か? それとも他薦?」

「他薦に決まってるでしょ。……普段バッテリーを組んでる者として、ヨシ、というか福尾は、マジで主将に相応しい逸材だと思います。

 グラウンド全体を常に見渡さなきゃいけない捕手キャッチャーというポジションの性質上、そもそも主将に向いてますし、加えて福尾がそもそも気遣いが抜群に上手いんすよ。……しかも顔も良い」


 顔も良い、のところで部員の何人かが吹き出した。

 猿田自身も、自分で言っておいて吹き出しそうになるのを堪えながら続ける。


「とにかくそういうわけなんで、性格も良くて顔も良い福尾が主将に向いてると思います。あ、一応言っておくと、別に厄介なポジションを押し付けたいとかそういうわけじゃなくて、心の底からそう思うから推薦しただけなんで。以上です!」


「……確かに、福尾なら」

「捕手がキャプテンって、よくあるしな」

「うん、いいと思う」


 皆さっさと主将を決めて自分が推薦されるのを回避したいので、猿田の長広舌に何となく同調し始めた。

 しかし、そんな流れを福尾本人が当然受け入れるはずもなく——。


「はい!」

「お、今度は福尾か。福尾は自薦? それとも他薦?」

「その質問は、もはや意味ないと思いますけど……。

 俺は浩介、いや、猿田を主将に推したいですね。猿田は去年の秋からエースとしてチームを引っ張っていただけあって、責任感は人一倍強いです。チームを背負うという感覚を一番よく知ってるのは、やつじゃないかな、と」

「いや、俺に責任感なんてないです。負けたらいつもチームメイトのせいにする屑なんで、俺は」


 猿田が必死に福尾の主張を否定するも、


「……確かに、猿田なら」

「投手がキャプテンってのも、割とあるしな」

「うん、いいと思う」


 福尾の論にも多くの部員が同調し始めた。


「お前、よくも抜け抜けと……」


 ぐぬぬと唸る猿田を見て、ふっと嘲笑う福尾。

 このバッテリー、同じ小・中学校を出た幼馴染なだけあって、思考回路が似通っていた。


 さて、こうして二人のどちらかが主将になるのではないか、というところで話が纏まりかけた頃。

 正遊撃手ショートの石塚が、ふとこんなことを口にする。


「てかさ、村雨は? 俺ら、打倒山吹をこれからやんだろ? だったら強豪のことを一番よく知ってる、村雨が主将やるべきじゃねえの?」


 一瞬、その場がしんと静まり返った。

 それまで他人事のように会議の成り行きを見守っていた慎吾にとっては、正に寝耳の水。思わず石塚の方を振り返ると、彼は真面目な顔で皆を見渡している。


 ネタで言っているわけでは、なさそうだった。

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