第30話 慎吾の行く末、そして——
数ヶ月前までの経験を、慎吾が洗いざらい部員たちに明かした後。
部室には、重苦しい沈黙が舞い降りた。
慎吾が不安そうに身を竦めていると、正
「……てか、これあれじゃね? 漫画とかでよくある、元いた高校にリベンジする的な、そういう激アツ展開じゃね?」
すると、石塚の言葉に、他の部員も次々と乗っかり始めた。
「おお、それだ! てことはこれから、村雨の逆襲が始まるわけだ!」
「いいじゃん! 面白いよそれ!」
「やろうぜ逆襲!」
「いや、お前ら他人事みたいに言うけどな、その逆襲とやらをしようと思ったら、俺たちも相当練習しなきゃだぞ?」
呆れたように猿田がつっこんだものの、一度動き出した歯車はもう止まらない。部員たちは慎吾そっちのけで「逆襲」という言葉の響きに盛り上がり始めていた。
慎吾は脱力した。
予想の斜め上の反応だったが、変にシリアスな空気になるより良いかもしれない、とも思った。
「……ま、勝手にさせとけば良いんじゃない? 村雨は自分のペースでやればいいよ」
慎吾の隣に来た芽衣は、呆れているようでいて、半分笑っているようでもある、そんな表情でこちらを見上げて言った。
慎吾は困惑気味に頷いた。
* * *
「石井さん、その……本っ当にすいませんっしたァ!」
山吹実業高校、泰星寮の一室にて。
室内の自分の荷物をまとめている石井に洋平が頭を下げると、泣きながら木島もそれに続いた。神谷は3人を、側で見守っている。
「……良いんだ。お前たちの判断は、何も間違っちゃいなかった」
石井は二人を責めることなく、淡々と作業を進めている。
その背中が、洋平の目にはこの上なく痛々しく見えた。
(……俺のせいだ。俺があいつらを、殴ってなければ)
今に至って、洋平は中谷たち3人を殴ったのを後悔し始めていた。
自分の行為が、間接的に今回の処分を導いたのだと。
聞けば木島は、今大会初めてベンチ入りできた同部屋の3年生・石井に気を遣い、夏の大会が終わるまで録音した音声を封印する予定だったらしい。
それが予定より早く音声を提出することになったのは、洋平の一件があったため。だから責任の一端は、自分にもあると思っていた。
一方、木島は木島で責任を感じていた。
洋平の擁護のためとはいえ、石井の背中を見ていると、やはり提出を遅らせるべきだったのではという考えが脳裏をよぎったのだ。
その時、石井が二人の方を振り返った。
暗い顔をする洋平たちを見て、「何辛気臭い顔してんだ」と笑う。
「今言ったろ。お前ら何も悪くねえって。木島は当然正しいことをしただけだし、晴山がやったことにしたって、その場にいたらたぶん俺でも同じことしてたよ。だからお前らは自信持って良い、自分の判断に」
「……でも、そのせいで石井さんたちが——」
「ぐだぐだ言うなよ! ……分かった、そんなに言うならお前ら、今回の責任とって来年は甲子園行け。な?」
なおもぐずぐずする木島を遮って、石井は提案した。
洋平と木島・神谷は顔を見合わせ、しっかり頷く。
「分かりました。来年の夏は……絶対出ます。その、先輩たちの分も」
「……ああ、それでいい」
洋平の宣言に、石井はほっとしたように顔をくしゃりと歪めた。
* * *
山吹実業高校の、音楽準備室にて。
南雲朱莉は、一通の封筒を目の前の顧問に差し出した。
顧問の九重は、封筒に書かれた文字をちらと見てから顔を上げる。
「……最近練習に身が入ってないと思ったら、そういうことだったの」
「はい。どうしても、やる気が湧かなくて」
朱莉が頷くと、仕方ないわね、と九重がため息をつく。
中学3年の頃から慎吾と付き合い始めた朱莉は、甲子園を目指す彼を応援すべく、山吹実業の吹奏楽部に入部していた。
その吹奏楽部、実は野球部と遜色ないほどの実力を誇る。
おかげで初心者の朱莉は、入部後かなり苦労した。
いつか慎吾が背番号1を付けてマウンドに登り、その姿をスタンドから応援する姿を夢見て、なんとか耐えてきたのだ。
しかし、そんな夢は、数ヶ月前に崩れ去った。
きっかけは、慎吾が同じクラスの野球部員にいじめられていたこと。
朱莉は薄々そのことに気付いていながら、彼を守れなかった。
恐かったのだ。
いじめを庇った結果、屈強な野球部員たちの標的が自分に向くのが。
クラスであまり大っぴらにしていなかった、慎吾と付き合っているという情報がいじめの主犯者たちに漏れた時も、慎吾を守るより先に、自己保身を考えてしまった。
その結果が、教室でのあの忌まわしい記憶。
「えー! 南雲って村雨と付き合ってんの!?」
「ち、ちがっ! 私、こんな人と付き合ってなんかないから!」
数日後、山吹実業を去った慎吾とともに、朱莉の夢は潰えた。
自業自得だと、朱莉は気付いていた。
ただ、頭では分かっていても、感情はすぐに切り替わらない。
ショックで数日休んだ後、そろそろ大丈夫かなと登校してみた。
しかし、すでに手遅れだった。
慎吾のいない学校は、朱莉の目には色褪せて見えた。
部活にも一応復帰したが、以前の熱意は完全に失い、今や惰性で音を鳴らすだけ。このまま自分が部にいても、他のやる気ある仲間たちに失礼だと考えるようになり、退部を決意した。
慎吾に連絡はしなかった。
あんな酷いことを言っておいて、今更合わせられる顔などない。
そう思っていた。
「まあ、やる気のない人に続けろというのも酷だし、強く引き止めはしないけど……一応、やる気の出なくなった理由を聞いてもいいかしら? 場合によってはこちらで解決できるかもしれないし、せっかく1年間一緒に戦ってきたのだから、事情くらい知っておきたいわ」
「事情……ですか」
九重の顧問として当然とも言える質問に、朱莉は自嘲気味の薄笑いを浮かべた。自分の「事情」は九重にどうこうできるものではない、と思いながら。
「失恋……でしょうか」
「……そう。それは私には、どうしようもないわね」
九重は軽く笑ってから、朱莉の退部届を受け取る。
「これは受け取っておくわ。……南雲さん、最後に一つだけいい?」
「……なんでしょう」
準備室を出ようとしたところで、朱莉は振り返った。
九重は、真剣な顔で口を開く。
「青春なんて儚くて脆いんだから、後で後悔しないように、今のうちにやりたいようにやっときなさい」
「……はい」
(……九重先生には悪いけど。もっと早くにそれを聞きたかったな)
朱莉の青春は、既に後悔に塗れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます