第11話 ガンバレ
「でも、悲しいとかじゃないんだ、本当。むしろ多分……そう、嬉しかった」
慎吾の言葉に、芽衣の身体は驚きから一瞬固まった。
その後時間差で、心の奥底から喜びが湧き上がってくるのを、彼女は感じた。
「……そ、そっか。なら、良かった」
体育座りした膝の隙間に、芽衣は半分ほど顔を埋めた。
そんな彼女の様子に気づくことなく、慎吾は話を続ける。
「あんな風に無条件で味方だって言ってくれる人、いなかったから」
「……家族は?」
「え?」
「お父さんとか、お母さんとか」
慎吾はゆるゆると首を振った。
「母さんはいない。父さんは……何を考えてるのか、正直よく分からないんだ。転校にもほとんど口出さなかったし。もちろん、ここまで育ててくれたのはありがたいんだけど、ホントのところ、僕なんてどうでもいいと思ってるんじゃないかって気も——」
「それは……どうなんだろう」
初めて耳にする慎吾の家庭事情について興味深く聞きながらも、芽衣は途中で口を挟んだ。
黙ってこちらを向く慎吾を横目に見つつ、彼女はやんわりと意見する。
「もちろん私は、村雨のお父さんのこと知らないよ? 会ったこともないし。でも、なんだろう……好きだからこそ言えないとか、素直になれないとか、誰しもあると思うんだ。だから村雨のお父さんも、そうだったりして、とか……」
「……」
じっと黙ったままの慎吾に、芽衣は不安を募らせた。
そもそも慎吾の親の性格なんて、自分より当の息子の彼の方が知っているに決まってる。
他人の家庭事情に口出ししやがって、などと慎吾に思われたのではないか。
一方、慎吾は驚いていた。
自分がそうと決めつけていたことが、他人の目から見るとこうも違うことに。
(思えば僕は、山吹実業での生活で精神的に弱り過ぎて、疑り深くなってたのかもしれない)
今更ながら、転校したてで隣の席が芽衣だったのが、奇跡のように思えてくる。
芽衣じゃなければ、ますます疑り深くなっていただろうから。
「って、こんなの余計なお世話だったよね、あはは」
「……いや、そんなことないよ。雪白の言う通りかもしれないし」
芽衣が誤魔化すように笑っていると、不意に慎吾がすくっと立ち上がった。
困惑する芽衣を、決然とした表情で見下ろす。
「決めた。野球部に入るよ、僕。ただ、その前に——」
慎吾は夜空に目を移した。その視線の先には、一体何が見えているのだろうか。
「——ちゃんとそのことを話さなきゃならない人が、いたみたいだ」
* * *
慎吾の母は、彼が5歳の時にいなくなった。別に亡くなったわけではなく、父と離婚したためだ。
当時の年齢が年齢だったので、詳しいことは慎吾も覚えていない。
母が浮気をした、というシンプルな事実だけが、彼の記憶に残っていた。
以来慎吾は、父との二人暮らしである。
ただ、それで何か自分が不自由な思いをしたとか、そういう記憶は彼になかった。慎吾はそのことを、深く父に感謝していた。
「父さん……ちょっとその、話があるんだけど」
家に帰り、夜もふけた後。
リビングで父の丈晴と夕食を取っていた慎吾は、目の前に座る丈晴に話を持ちかけた。
「……なんだ?」
食器の上を忙しなく動いていたスプーンを止めて、丈晴が応じる。
今日のメニューはカレーライス、それも二日目。カレーは丈晴の十八番だった。
「あのさ……学校でのことなんだけど」
「……言ってみろ」
丈晴は目をカレーから上げずに、先を促す。
「……野球部の練習、見に行ったんだ」
「それで?」
「正直その、入ってもいいかなって思ったり……」
「……」
丈晴は無言でスプーンをかちゃりと置いた。
ティッシュで軽く口を拭いてから、慎吾を見据える。
眼鏡の奥の目は、厳しく光っていた。
「意見ははっきり言え。『入ってもいいかな』じゃこちらはよく分からん」
「……」
父の意見は、厳しかった。しかし同時に、もっともだとも思った。
そもそも丈晴には、学費のことで迷惑をかけていた。
なんせ山吹実業時代は学費免除の特待生だったのが、今は公立校とはいえ、それなりの金銭的負担を強いている。
加えて、野球部が原因で山吹実業を退学しておいて、また野球部に入ろうとする自分の行動に、丈晴の言葉を借りるなら、どこか「筋が通って」ないような気がしていた。そのせいで、堂々と野球をしたいと言うのを後ろめたく感じていたのだ。
そうした懸念が、無意識のうちに慎吾の語尾に現れてしまっていた。
「……ご、ごめん」
「謝る必要はない。……結局、野球をしたいのかしたくないのか、どっちなんだ」
決断を迫る父に一瞬怯んだものの、帰宅途中の河川敷で、最後に芽衣に言われたことを思い出す。
「……ガンバレ」
芽衣がどんな思いを込めてそう言ったのか、正確なところは分からない。
でも、彼女は「頑張れ」という言葉の重みをちゃんと分かっているはずだと、こちらに転校してから2週間とちょっとの会話で、慎吾は判断していた。
そういう人の「頑張れ」は、重みが違う。
(山吹実業から逃げて、雪白にあれだけ情けないところを見せて……ここで父さんに向き合えないで、どうすんだよ)
テーブルの上に置かれた右手を、慎吾はぎゅっと握りしめた。
「その……野球、またやりたいです。やらせて下さい、お願いします!」
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