第3話 スカウト
7月ももう終わろうとしている頃。
青嵐高校では夏休みに入り、毎年のように訪れる「記録的な猛暑」の中、野球部は打倒強豪を目指し、例年より厳しい練習に励んでいた。
先日行われた夏の神奈川県大会は、海王大付属の優勝に終わった。
もっとも、そんな上の世界は今の青嵐野球部員の眼中にない。
彼らの目下の目標は、少しずつ、でも着実に、実力を蓄えていくことだった。
慎吾自身は、以前芽衣に「自分のペースでやればいい」と言われた。
しかし、彼も他の部員に感化され、最近では主将らしく、どうすればより勝ちに近づけるのかを考えるようになっていた。ただ——。
「うーん……」
厳しい部活からの帰り道。
いつもの如く芽衣と土手の上を歩いている途中、考えに煮詰まった慎吾は唸り声をあげた。
「どうしたの?」
「いや、みんな頑張ってくれてはいるんだけど、打倒強豪、となるとその……」
「戦力が足りないってこと?」
慎吾が言葉を濁すと、その先を察した芽衣が後を引き取った。
申し訳なさそうな顔で、慎吾は頷く。
「村雨的には、どこが特に足りないの?
「……贅沢を言えば全部足りないけど、一番ヤバいのは
一番と言ったわりに、一つに絞り切れないあたりが慎吾らしい。
「……じゃあ、二人足りないんだね」
「うん。だから、
「それはそれで贅沢じゃない? そんな都合の良い人、身近に……」
いるはずない、と続けかけたその時、芽衣の脳裏にある少年の顔が思い浮かんだ。ちょうど同じタイミングで、慎吾の方でも同じ少年を思いつく。
二人は顔を見合わせた。
お互いに同じことを考えていると分かり、二人とも喜色を露わに口を開く。
「翔平くんがいるじゃないか!」
「翔くんがいるじゃん!」
二人の声が、すっかり日の沈んだ暗い空の下で綺麗に重なった。
* * *
数日後。
練習が午前で切り上げられたその日の昼過ぎ、慎吾と芽衣は以前洋平と再会した例の駅前のファミレスを訪れていた。奇しくも、席まであの時と同じである。
並んで座る慎吾と芽衣の目の前にいるのは、短く刈り上げられた髪に、鋭い目が特徴的な大柄な少年。洋平の時と同じく、芽衣が彼にアポイントメントを取ってこの面会が決まった。
「——久しぶり、芽衣ちゃん」
少年はまず、斜め前に座る芽衣に笑いかけた。
芽衣の方でも久しぶりー! と笑顔で手を振る。
次に少年は、対面に座る慎吾に向き直った。
数秒黙って慎吾を見つめた後、よく刈られた頭を下げる。
「慎吾さん、お久しぶりです。兄が迷惑かけたみたいで、すいません」
「いやいや、君が謝ることないよ、翔平くん。それに、洋平とはもう和解したし」
「……そうですか、なら良かった」
少年——晴山翔平——は、安堵の息をついた。
晴山翔平。
彼は芽衣の幼馴染・晴山洋平の弟であり、慎吾がリトルリーグにいた頃の後輩でもある。
もっとも、慎吾や洋平と違って彼はシニアリーグに進まず、部活動の野球をしていたので、中学時代の慎吾との関わりは薄い。親友の弟に投打どちらも凄いやつがいるらしい、程度の認識しか慎吾にはなかった。
一通り挨拶を交わして何となく温かい雰囲気がテーブルに漂いかけたその刹那、洋平を少し幼くしたようなその顔立ちをきりっと表情を引き締め、翔平が口を開いた。
「……で、今日は何の用ですか?」
「ああ、ええっと、その……もしかして、雪白からまだ聞いてない?」
「はい、聞いてません。用件なんて言われなくても、芽衣ちゃんに来いと言われたら来ますよ」
「……あ、そう」
慎吾は芽衣をちらりと見た。少し困ったように笑う芽衣と目が合う。
どうやら彼が、自分の隣に座る少女にぞっこんだということだけは、慎吾にもすぐに理解できた。
気を取り直して、慎吾は口を開いた。
「……じゃあ、僕から言うね。単刀直入に言うと、翔平くん……君には青嵐高校に来て欲しいんだ」
「それは……いいですよ、って言いたいところですけど。いくら芽衣ちゃんがいるとはいえ、そう簡単には決められないですね」
翔平は困ったように眉尻を下げた。
もっともその答えは、慎吾と芽衣にとって予想の範疇。
慎吾は特に落ち込むことなく、先を続ける。
「そうだよね、そう簡単に頷けることじゃないよね。僕も仮に君の立場で、本気で甲子園を目指すとしたらうちを選ぶかどうか……。だから、何か君の方から条件を出してくれれば、できる限りは応えたいと思ってるんだけど」
「条件、ですか……」
慎吾の提案に、翔平は考え込むように俯いた。
少しして何か思いついたのか、にやっと笑って口を開く。
「……青嵐の予定表を、見せてもらえませんか?」
「予定表? なんで」
「ちょっと、面白いこと思いついたかもなんで……」
訝しく思いながらも、慎吾は頷いた。
「いいよ。……と、僕は今持ってないな」
「あ、私あるよー」
芽衣は鞄を探って予定表を取り出した。
B5の紙にプリントされたそれを翔平に渡すと、彼は上から順に試合予定を見ていき、とある文字に目を止める。
「これ……」
「うん?」
「……この、文化祭1日目の招待試合ってとこなんですけど。対戦相手が『どこか強いところ』ってなってますけど、これは一体……」
「ああ、やっぱり気になるよね、それ。うちの監督が、『どうせなら文化祭で招待試合を、それも強いところとやろう!』って急に言い出してさ。とりあえずそのまま予定表に載ってるんだ」
翔平の呈した疑問に、苦笑しつつ慎吾が答える。
実のところ、依田がそんなことを言い出したのは、慎吾の話を聞いて打倒山吹実業を掲げ始めた部員たちの、めらめらと燃える闘志にあてられたからだ。
もっとも、依田に影響を与えた当の部員たちは、文化祭くらい遊びたいとブーブー文句を言っていたが。
慎吾の説明に、翔平は笑顔を見せた。
「……なるほど。じゃあ、この試合を俺は観に行くんで。もし青嵐が勝ったら、その時は青嵐に入ります」
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