回想編 社会の裏 中編

 黒瀬さんの更なる誘いに付き合うために、バーのカウンター席から立ち上がって店内から――また地下奥へと続いていた扉を開けて踏み込むと――


「な、なんだ……! ……!?」


 さっきまで飲んでいた少々狭かったカウンター部屋とは違って、より薄暗い地下的で異様な光景が広がっていた。あれだけ静かだったのとは逆で、今この空間では大勢の人の声がガヤガヤ喧々諤々けんけんごうごうと耳に強く響いてくる。


「……トランプカード?」


 首を巡らせて騒ぎの原因を注視すれば楕円形のテーブルがあちこちに設置されて、いくつもの集団の客らしき人が手にしているのはトランプのカード。

 他の客の口からはクソッ! だの、よっしゃー!だのと嫌な景気の叫びが聞こえてくる。

 年齢層や性別はバラバラでも共通点はどいつもこいつも真剣な――『勝負師』の目をギラギラとさせて、この広い部屋でひしめいていた。

 なんでこんなところが……? バーに入った時から薄々と感づいていたが……ここ絶対普通じゃない店だよな!?

 横にいる黒瀬さんは心底驚いている俺の反応を楽しんでいたが、俺が目で説明しろと訴えると口を開く。


「見ての通り、この部屋はをする部屋でね。歳を取った我々にとって密やかな楽しい場であるんだよ」

「密やかって……もしかして本当にお金を賭けてるんじゃ?」

「賭けのない勝負はつまらないだろ?」

「いや、だからってそもそもこんなの違法――……」


 こうやり取りしながら目の前で繰り広げられていく、『社会の裏』が明らかになっていく光景に怪奇に思っていると――


「おう! あきらじゃねぇか! 来てやがったか!」

「ああ、坂鬼さかきか。これはどうも」


 室内の喧騒よりもドンと強く響き残るほどの野太くデカイ声を発しながら、黒瀬さんの前へと近づいたのは、スーツの上からでも分かる剛腕で悠に2メートルあるガタイの巨漢の男だった。

 煙草を手に傲然とした堀の深い顔からは黒瀬さんと同じく40代と推測するが、どこか力強い若さを感じさせる風貌だった。

 今の二人の挨拶からして長い付き合いがある、気の知れた間柄だと伺わせる。


「オメェも混ざれ! たっぷり持ってきてるんだろ? 今度は取り返してやるからな」

「悪いが今は遠慮しとこう。たったさっき、先約を入れたんでな」

「あ? なんだぁ? もしかしてまた……」


 大男は身長差から目下の俺に気づくと、しかめた強面を向けてきた。


「あぁ? オメェなんで小僧なんかこんなとこに連れ込んで……ん?」


 ギロッと俺より上から見下ろしながらやけに低い声を発すると、急にピクリと太眉を吊り上げる。顎をさすりながら俺に向けられる、その大きな両目からは善人か悪人かを確かめるといった長年培われた眼力でねめつけてくる。

 黒瀬さんはすぐに答えはしないで微笑んでいた。


「まさかこいつ……件の過激派宗教家を追い詰めたっていうか? しかも――あの霧崎が可愛がっている?」

「ああ、そうだ」


 その場の男の推測に対して、黒瀬さんニヤリと当然だと言わんばかりに答えた。


「……あちらのヤマはこっちも追っていたが、『あの場所』のせいで中々手を出せなかったからなぁ……そうか、こいつがそうだったか」


 大男は態度を一転して奇異を含めた眼力でマジマジと俺の全身をくまなく捉えた。まるで今までその存在を噂で聞いていたが、本当に実在していのかと疑惑が払拭された態度だ。次にその大きな口を開けば、


「――こいつを寄越してくんねぇか?」


 俺に太い親指を向けながら、いきなり言い出した。

 それも――かなり大真面目な剣幕での口調で。

 黒瀬さんは人の悪い笑みでニッコリして、


「ははっ、この子と遊びたいと? まあ先に私の用が済ませてからなら少しは遊ばせても」

「ちげぇよ。わざとか? で働かせるより、でってわかってんだろうが? ――こっちの生え抜きの若いのより全然使えそうだ。それに前に言っただろ? 今手を焼いているがあってな。今それにウチのとこが取り掛かりっきりで」

「にしてはここで遊んでいる余裕はあるな」

「馬鹿野郎。場に馴染んで周りの奴からアレコレ聞き取りしてるってわかるだろーが……まあついでに遊んでるのは否定しねーが」

「冗談だ。そもそもこいつはまだ学生だが?」

「その学生を、あの場所にで使っといて、なに言ってやがるテメェ。とにかくこいつを寄越せ。――なんだったら賭けて勝負してもいいぜ。最近買った海外の高級車がある。そいつを賭けてもいい」

「はは、冗談を」

「……本気で言ってるんだがな」


 大男が猛然と食って掛かっても全く相手していない黒瀬さんに業を煮やして、角ばった髪型のでかい頭を大きな手の平で掻きながら呟く。

 大人二人の老成した会話の中で置いてけぼりにされていた俺に――視線を移して見下ろしてきた。

 ……しかし体育委員長の弾階先輩もデカかったが、この人も中々の図体だ。


「おい――」


 ずんぐりとした体で前に出て一層睨みつけてくる。

 その圧に押されかけながらも俺は見上げて相対する。

 数舜の間を置いて――巨漢はニカッと大きな笑みを見せた。


「若い内からこういうのを楽しんどけ! 慣れたら俺とも遊んでやるからな!」

「は……はぁ」


 ごつい手の平でバシンバシンと力強く背中を叩いてきた。

 軽く叩いてるつもりだろうけど、背骨まで響いてる衝撃だぞ……。後で背中に異常がないか確かめないと。


「あと、こいつのとこから抜けたかったら俺のとこにこい」

「いや、あの……」

「私の目の前で引き抜きはやめたまえ」

「別にいいだろうが」

「私はともかく――が黙っていないぞ? まずは彼に通したまえ」


 黒瀬さんが意地悪そうにその名を口にした途端、男はゲッとあからさまに、ばつが悪そうに岩のように固かった顔が歪んだ。あまり聞きたくない人物の名前だったらしい。


「……チッ。そうだったな……霧崎がいたか。あいつだと高級車だけじゃ済まねぇぞ。前だって軽い頼みごとでどれだけ取りやがったかあいつは……」

「もういいかね? 今日はこいつがいるから一緒にするのは無理だが、次また来た時には相手しよう」

「……はいはい、お邪魔な俺は戻りますよっと。次こそはちゃんと混ざれよな!」


 ぐるりんと大きな背中を見せて豪快に笑いながら自分の席へと戻っていく。

 黒瀬さんは、やれやれと首を竦めてから俺に問う。


「あの者の仕草、そして今の私とのやり取りでなのか気づいただろ?」

「まさか……関係者?」

「そうだ、それに彼は刑事課長で警察の中ではなかなかのお偉いさん方だ」

「なんでそんな人が……」


 おいおい、しかもここで警察が取り締まるべき違法の賭け事をやっているとか。それこそ警察というよりは……頭にヤのつく職業の人のほうがしっくりくる。


「あちらにも事情がある。時として、こういったものには目を瞑るものだ」

「目を瞑るどころか、あの人思いっきり遊んで楽しんでいるように見えるけど………」


 先ほどの坂鬼という大男はテーブルに戻ってはガハハと笑いながらトランプで完成した役を披露して同席していた他の客からチップもとい……をごっそり手元に頂いてやがるぞ。本当に警察なのか?と何度も確かめたくなる。

 ……なんという社会の裏側だ。これが大人の世界だというのか?

 唖然して立ち止まったままの俺の肩にトンと手が置かれる。


「さて、見学はもう十分だろ。私達もこの中に混ざろうではないか」


 騒がしい雑踏の間を通るように悠然にスタスタと歩いていく黒瀬さんの後についていく。通る最中、周りの客達がゲームの最中なのに手を止めてチラリと黒瀬さんに警戒の横目を向けていた。誰もがこの男を知っている証拠であり、一目置いている……といよりは――相手したくない脅威だと読める。

 さっきの坂鬼という人物も謎だが、その人と付き合いがある黒瀬さんにますますと謎が深まっていく。

 機関の職員――諜報員は曲者が多い中で、この人こそが最も謎に包まれている存在。

 付き合いだけすれば、俺が機関に身を置いた時から彩織さんや霧崎さんと同じだ。それだけに――あの二人よりも底が見えなさすぎる。

 さっきの坂鬼という警察などの数々な繋がりを持っている。

 ……きっと一流の諜報員とはまさにこの人のことだろう。

 

 ――普段のこういった姿も実はのか?


「お待ちしていましたわ」


 着いたテーブルを挟んだ向こう側にはしなやかに長い髪を垂らした妙齢の女性が鶴の如く佇んでいた。小さな皺がいくつか見えるが、まるで高級料亭の女将さんと思わせる風貌だった。

 俺に向かって、しなやかに柔らかく微笑む。


「あなたが風時修司さんね。お噂はかねがね、彼から聞いてますわ」

「……」


 またまたこの男は一体何を話しているんだと、突っ込みたくなるのを我慢して軽く会釈する。


「この店のオーナーの晴奈はるなさんだ。表のバーは紅葉くんに任せていて、ここを仕切っている」

「表で飲むんだったらいいけど、ここにはちゃんと大人になってから通ってね」


 俺に妖艶に微笑む女性だが……この場所――闇ポーカーを運営している。これだけでだと察する。

 もうイチイチ黒瀬さんと繋がっている人の素性を探るのが億劫になってきた……。

 黒瀬さんは、さて、とテーブル前の席に座って、したり顔を俺に向ける。


「勝負は一対一のポーカーだ。ディーラーは彼女が務める。ルールは……二人だけだからシンプルにドローポーカーでいこうか」


 晴奈さんは上品にお辞儀をする、

 黒瀬さんはチップを手にしてクルクルとテーブルの上で回しながら、俺に座れと促してきた。


「勝負って……まさか、金を賭けるのか?」

「ははっ。それもいいが、これはお金を絡まない勝負だ。子供相手にそんな大人げないことはせんよ」


 これまで散々大人げないことをしといて、よく言う。


「でも――賭けのない勝負はつまらない。だろ?」

「はははっ、その通りだ。よく分かっているじゃないか。子供扱いしたことは取り消そう」


 その発言自体がまだ子供扱いしていることにはわざとなのか?

 黒瀬さんが誘う勝負とやらに全く乗り気にならない白けた目をしている俺の態度すら予想の範囲内として含みのある顔をすると、


「――そうだな……では私に勝ったら、お前の要望を一つ叶えてあげようじゃないか」

「要望?」

「ああ、例えば今後、霧崎くんや雨宮くんの暴走があった場合――私が抑えてあげよう」

「!!」


 それは聞き捨てならない、ずいぶんと魅力的すぎる報酬だ。

 狙い通りの反応する俺に肩をクツクツと笑っている黒瀬さんに普段なら腹が立つはずなのに。


 ――この機関で、の行動を制限出来るのは、この人ぐらいだ。

 もし、この勝負に俺が勝てば今後は強制的に喫茶店で働かされたり、別の遠い地での任務に飛ばされることもなくなるだろう。良いことづくめしかない!


「……でも俺が負けたら?」


 かといって、賭け事には相応のリスクがある。

 つまり――俺が負けてしまえば、どうなることか……。


「なに、難しいことではない。今厄介な案件をいくつか抱えていてな。処理したいのだが空いている者が中々見つからなくて困っていたとこだ。お前に頼みたいが――多忙な君にこれ以上仕事を押し付けるのはどうかと私のがひじょーに痛んでしまってな」

「嘘つけ! 別の危険な任務から終わったばかりの俺をこんなとこに連れ込んで、なに言ってるんだ!?」


 胸を押さえながらわざとらしい演技する黒瀬さんに突っ込まざるをえない。


「私が勝てば遠慮なくお前に押し付けられる」

「……あんたが仕事すればいいだけだろ、それ。ただメンドくさいことを上手いこと俺に押し付けたいだけで」

「面倒な仕事をいかに部下に押し付けるかが上司の仕事だ」


 なんという上司だ。……今更だが、よくこんなふざけた人の下で仕事をしているな、俺は。

 ……受けてしまえば負けられないな、この勝負。


「どうだ、乗るか?」

「……俺は」


 ――ハッキリ言って、こんな勝負、一切受ける必要がない。


 そもそも相手は、あの黒瀬彰。今のように他人の心に平気でズカズカと踏み込んで、暴いて、手に取る男である。この男を知る者ならば誰もが警戒するはずだ。それも、こういった勝負事に慣れている相手と賭け事をするのは分が悪い。

 このまま背中を向けて店から出て帰るのが最善だろう。勝負を断ったところで黒瀬さんもわざわざ止めないと思う。


 だから俺は――


「……受けます」

「やはり大人の付き合い方が分かってきたじゃないか」


 無理矢理とはいえ、ここまで付き合わされた以上は仕方ない。この場の空気に当てられてしまった以上は、とことん乗ってやろう。

 ……それすら見越したであろう微笑んでいる黒瀬さんに内心で腹を立てながらも、俺もテーブル前の椅子に座った。


「かといってこのまま勝負すれば話にはならん。

 だから、ハンデをやろう。私は――カードを交換しない」

「は?」

「配られたカードのみで勝負する。風時、私の手を見抜いて見せろ」


 ドローポーカーというルールは最初に配られた5枚のトランプカードの手が悪ければカードを好きな枚数交換して手札を変えて役を狙う。

 つまり黒瀬さんはハンデを負ってカードを交換せずに――俺だけがカードを交換出来る有利な条件。

 黒瀬さんがやることは一発勝負だ。完全に一度きりの手札だけで運に頼ることになる。


「では、始めてよろしいですね?」


 ディーラーを務めるオーナーの晴奈さんが一礼して箱からテープを切って開封した新品のトランプカードをシャッフルした後に裏側のカードが手元に配られる。これまた手慣れた手つきで綺麗な位置で俺の手前に真っ直ぐな形で置かれた。


 場の手札を覗いて――次に黒瀬さんの表情を視る。


(油断は出来ないな……)


 どんなハンデがあろうと、ものともしないのが『黒瀬彰』だ。

 俺は本気で挑んで黒瀬さんの手を見抜けなければならない。


「勝負だ――風時」


 勝負が始まった。

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