第12話 冷たい声 2


「やっぱりこの部屋に居ると、とっても落ち着くわねぇ~。ね? そうでしょう? 修司さん」

「……え? そ、そうですね。とても心地いい部屋で……まるで旅館に来た時のような安らぎがあるというか」

「……」


 どうしてこうなったのか……?


 上品なお香の香りが、ほのかに漂う広い和室。

 室内奥の真ん中の壁には達筆な文字の掛け軸が垂れており、左右には華麗な生花が飾られている。部屋から見える庭は和やかな光景。全く知らない他所の家を初めて訪れたのに、不思議と落ち着く空間。

 整然に並べられている上質な畳の上に正座で座っているのは俺含めて3人。

 あれから俺は火澤仁美副会長の実家に――。


「静音ちゃんが修司さんを、にお招きするなんて驚いちゃったわぁ。でも、いいの? 一緒に行く約束していたお店には行かなくて?」

「…………あのまま学園前で騒がれるのが見過ごせなかっただけよ。あと、その事はもういいから」

「そう? ふふ」

「先輩、そのお店って――」

「あなたには関係ないわ」

「……」


 ではなく。


 ここはなんと……春川静音先輩の実家の屋敷!


 あの後すぐに春川先輩が呼び出した車で俺は副会長と共に、何故かここ春川先輩の家である屋敷に連れて来られて、通された客間の和室で3人でお茶をすることになってしまった。

 しかも何時の間に着物に着替えていた火澤副会長は俺の向かい側に座って、流れるように見事な作法でお茶を点てる。普段見慣れている制服姿とは違った、その姿には思わず魅入ってしまう。……着物でも隠し切れないは置いといて。


「はい、どうぞ」


 目の前に淡い色合いの抹茶が入った立派な茶碗が置かれる。


「……頂戴いたします」


 目の前に置かれた茶碗の質感、茶の色、茶の香り、どれを見ても一級品の抹茶。わびさびとはまさにこのことか。

 俺も作法に習って礼をしてから受け取った茶碗を回してから口にすると濃厚な渋みの中に甘味や旨味も広がっていく。数回に分けて飲み干して、茶碗をまた回して返すように置いた。


「結構なお点前です。……そういえば、こうして副会長から抹茶をいただくのは初めてですね」

「そうよねぇ~。こうして修司さんにお茶を出す機会があって良かったわぁ」


 この場で飲んだ抹茶は普段の生徒会室では副会長が淹れてくれたりするお茶とは違った味わい。

 ……ただ生徒会室に置かれている茶葉や食器だけでも相当高級なのに、今頂いている抹茶も茶碗も、おそらくとんでもない価値があると手に持つだけで分かってしまう。使われるからこそ価値がある物だと理解はしているが、そんな高価なのを日常のように扱っているのはさすがだとしか言いようがない。



「でも生徒会のお部屋だと、こうやってお茶をお出しするのも難しいわよねぇ……。あ! 奏に頼んであそこに茶室を作ってもらおうかしら?」

「それは絶対やめてください……」

「そう?」


 只でさえ生徒会室には豪華なキッチンがあったりと普通に寝泊まりで過ごしても問題ないレベルの機能美が充実している。そこに茶室専用の部屋を作るとか会長もノリノリになって本気でやりかねないのでやめて欲しい。


「う~ん、いつも修司さんを誘っても中々茶道部や、には来てくれないし……」


 残念そうな視線を俺に送りながら零してくる。

 いつもの仕草なのに今は着物を着ているせいなのか、いちいち色っぽい。


「はは……こうして頂くことが出来たじゃないですか」

「ふふ、それもそうね。良かったわぁ」


 引きつった顔をなんとか誤魔化しながら応える。

 やはり副会長は学園や生徒会室の外でも相変わらずほんわかとした人だ。

 それが彼女の魅力でもあり、学園の生徒から慕われているのも頷ける。

 今着ている着物がよく似合っているし、立ち振る舞いも含めて大和撫子そのもの。


(それにしても、この人は――)


 チラッと向かいの副会長の隣に座る春川先輩は、学園帰りの制服姿のままで普通の湯呑みを手にしていた。

 俺と副会長が会話している間でもムスッとした真顔の表情を崩さない。

 しかし同じく正座で座っている彼女は真っ直ぐに背筋をピンと伸ばしていて、両膝をきっちり揃えた、とても美しい姿勢で行儀よく茶を飲んでいる。

 さすが茶屋の家の娘だ。しっかりと作法を心得ている。

 だからこそ、こうして目の前で見れば火澤副会長に並ぶ容姿なだけに色々と勿体ない。

 こんな性格でなく、もっと愛想が良ければ、笑顔でいれば、きっと副会長みたいに学園の生徒から慕われていただろうに。

 ……全く想像出来ないな。


 ――それだけにこの二人の仲が良いのは不思議なところでもある。


「……なに?」


 目が合えばキツく睨み返された。

 とてもこの家に招かれた客人に対する態度ではない……。

 どんなに美人でもこんな反応で返されたら、そそくさと逃げてしまいたい。

 めげずに愛想笑いで返す俺を完全に他所にした春川先輩はフゥと軽くため息を吐いた直後、副会長に視線を移した。


「仁美。お祖母様から、あなたにお話があるそうよ」

「あら、私に?」

「ええ。大事なお話だと」

「……そう」


 この屋敷に入ってからはお手伝いさんが迎えてくれたり、すれ違ったのでこの部屋に入るまで春川先輩の親族らしき人とは会っていない。今の会話からして先輩の祖母はいると見られるが。

 思うとこがある顔をした副会長は音を立てることなく立ち上がって、この場から離れる。


「それでは修司さん、少し席を外しますね」


 俺に向かって微笑みながら襖が静かに閉まった。

 つまり今この部屋に残されたのは俺と……春川先輩の二人だけになってしまった。



「「……………………………………」」



 ……き、気まずい!


 張り詰めた空気の中で、聞こえてくるのはこの場から見える庭からの風の自然音のみ。

 いつもならお互い学園で、主に昼休みに会う時は春川先輩とは軽口叩き合う仲だと思っていたのに、今の雰囲気では同じ用に接することが出来ない。

 ――今日の彼女はピリピリしている。いや、春川先輩はいつも常にピリピリはしている人だけど今は一段と二段と増して、かなりピリピリしまくっている。

 この緊迫感はかつての任務で時限爆弾を解体していた時を思い出すレベルだ。

 つまり、彼女(爆弾)にうかつに触れればどうなるのか……。


(そういえばここのとこ昼休みに春川先輩と会うことがなかったな)


 手元の小皿に置かれているお茶請けの菓子をつまんで思いながら、このまま副会長が戻るまで2人黙って茶を飲む過ごすだけなのは、なんなので俺から彼女に話題を振った。


「まさか、春川先輩の家に招かれるとは思ってなかったので驚きました。外から見た時もだけど家の中もよくお手入れしてて趣もあるし。あっこのお菓子もとても美味しいです」


 俺がにこやかに、そう言うと斜め向かいに座っていた春川先輩は顔を上げる、が俺の方へ全く顔を向けないまま、


「あなたと話す必要はない。食べたら仁美が戻る前にさっさと帰って」

「……」


 バシャリと冷水をぶっかけられたかのように冷たく返された。

 季節は夏に近づいてジワジワ暑くなっているというのに、今この瞬間はとても冷え切っている空気。

 で距離が縮まったと思っていたが、どうやら俺の勘違いだったみたいだ。

 こんなんでは彼女から協力を得られるのはメインの任務と同様に大変厳しくなってしまう。このままだとまともに会話出来ないので俺は心を一旦落ち着かせてから改めて――


「なにかあったんですか?」

「……」


 伺ってみた。

 明らかに今の彼女は不機嫌を通り越して、を気にしている。

 女性が不機嫌になる日といえば、『女のあの日』だという知識はあるが、今そんな失礼なことを、しかも春川先輩に言ってしまえば今この瞬間に俺は確実に殺されてしまってもおかしくないので言うわけがない。


 春川先輩は一旦、湯呑みのお茶を少し飲んでから愚痴を零す口振りで、


「そうね……強いて言えば今日は帰りにに会って、私の楽しみを……いえ、約束を台無しにされたことにとても苛ついているだけ」

「……すみませんでした」


 やや頭を下げて詫びる。

 間違いなく俺に対して怒っていて根に持っていらっしゃる……。

 今度から下校する時は気をつけとこう。


「……」


 春川先輩は苛立ちを隠す為なのか再びお茶に口をつけようとした時、俺はすかざす――


「でも――先輩が今一番気にしているとこは、そこではありませんよね?」

「……何が言いたいの?」


 俺の一言に反応してピタッと手を止めた先輩が――今度こそ俺の方向へ顔を向けた。

 それも険しい目つきで睨んでくる。

 ちゃんと俺と会話する気になったようだ。


「先輩はさっきからずっと、火澤副会長のことを気にしている」

「……」


 更にピクッと彼女の整った眉が僅かに動いた。

 当たりみたいだ。

 俺の問いに対して苛ついたのか先輩は口を開き、


「だからあなたは――」

「まず春川先輩は最近、副会長となるべく一緒に行動を取るようにしていると見られる。約束があったにせよ今日の放課後も副会長の近くにいるように……

「……ッ!」


 これも当たりのようで先輩は不意を食らったように黙る。

 最初に不審に思ったのは、さっきの下校時に2人に会った時だった。

 あの時、春川先輩は俺に会ったのがマズイと一瞬でも思案していた表情を見逃さなかった。

 春川先輩の個人的な約束なことだと思ったが、それとは違う事で副会長を気にしている素振りが見えたからだ。


「昼休みもきっと副会長と一緒に昼食を取るなりしているはずです」


 学園でも副会長の近くに居るようにしたから最近の昼休みは俺に注意しにくることはなかった。

 そして決定的だったのが――


「俺をこの家に招いたのも、こうやって副会長を自分の家に居させることが都合がいいからですよね?」


 ついさっき春川先輩が礼儀正しく飲んでいた時にも副会長のことをやけに気にかけていた。


 ――まるで常に副会長を監視しているかのように。


「よって春川先輩は火澤副会長を見張なければいけない理由があると思ったけど、当たってますか?」

「……」


 これが今日の春川先輩の仕草や態度から得た俺の分析。


「そう……よく分かったわ」


 先輩はまだ残っている茶の湯呑みを傍のお盆の上に置いた。


「あなたが今すぐにでも私に殺されたがっているほど失礼極まりない人ってことが、ね」

「えー……?」


 あれ?

 先輩の眉間がピクピクと強張って、怒りをアピールしている。

 さっきよりも睨みがキツくなってるのも気のせいではない。


「やっぱりあなたは気に食わない。いつも人の考えを読んで、まるで分かったつもりでいるのが」


 容赦ない軽蔑混じりの眼が俺を捉えてくる。

 人を観察して対応する術は心得ているつもり……なんだが、いつもなら慎重に考えているのに、ついこの人相手には余計なことまで喋ってしまう。


「でも――今ので、あなたでものも分かった」

「?」


 主導権は私が握ったといわんばかりに目くじらを立てた。


「丁度いい機会だから、忠告してあげる――」


 只でさえ細い切れ長の目つきが、より鋭利に尖った。


「しばらく仁美に……生徒会には近づかない方がいい」


 そう淡々と冷たく言い放った。


「俺が生徒会に? どうして?」

「私としては出来れば学園を退学して二度と関わらない方が嬉しいけど」


 シレッと追い打ちを掛けてくる。

 まるでこちらが本音だと言わんばかりだ。


「……それは一体どうしてなのか、理由を教えてくれませんか?」

「理由を教えて貰わないと分からないほど、心当たりがない?」

「勿体ぶらせたことを言ってる先輩が悪いと思うが……」


 どんな理由にせよ説明を聞かずに、はい、そうしますとか納得出来るわけがない。

 応じようとしない俺に、先輩はわざとらしげに溜息をついた。


「……ハッキリ言っとくわ」


 苛立たし気に語気を強めて。


「あなたは不必要に、余計に、無駄に、『生徒会』に関わりすぎなのよ」

「それは俺は生徒会のいち役員なので」

「そう。だから今までは見逃していた……」


 わざとらしい間を置かれる。


「けど最近のあなたは、触れてはいけない所まで触れようとしている」


 鋭い視線を解かないまま先輩の反撃は続ける。


「あなたはただ生徒会の雑員として働いていればいいのよ。単純に与えられた仕事をこなすだけで余計なことはしなくていい。それなら私は何も言わない」

「でも昼休みには俺がで昼食を取っていたら注意しにきますよね?」

「……それは風紀委員としての仕事よ。あなたと話していると調子が狂う……」


 今度は片手で頭を抱えながら渋い表情になった。

 調子よく続いていた反撃は止まったようだ。

 いつもこうやって困らせているのは自覚している。

 ……なんでだろうな?


 先輩はすぐに調子を整えた。


「あなたはといい、どれだけ危険な場にいるのか理解できていないの?」

「……さあ?」

「しらばくれて」


 もちろんある程度は知っている。


「深く関わろうとしたところで、元々関係のない、あなたにはどうしようもないのよ」


 傍から見れば俺が関係ないと見えるのは当然だ。

 けど俺は彼女達と関わらなければいけない。

 諜報員として瑠凛学園に入学して生徒会に入った以上は――


「たとえ事情を知らなくても分かるはずよ。本能では生徒会の彼女達には関わってはいけないって」


 生徒会の彼女達3人は学園において憧れの的。偶像崇拝の存在。

 同時に近づいてはならないと、生徒達……教師ですら本能的に理解している。

 裏の家を知らなくても、彼女達の表の地位だけでも絶大な影響力を持っているからだ。


「生徒会を辞めるなら学園や生徒会には、私から手を回しておく。それなら喜んで協力してあげる」

「協力って……」


 言葉には全く伝わってないが、彼女本心の嬉しさが込められていると感じ取れた。

 本当にこの人は学園から俺を排除したいつもりだ。


「断ります」


 当然の返事をした。


「せっかく善意の交渉してあげてるのに」


 ため息をつきながら拗ねるように呟く。

 普段なら珍しく彼女らしくない可愛らしい表情のはずなのに、今そんな顔されても俺は嬉しくない。



「先輩のは只の脅迫ですよ。交渉でも何でも無い。

 春川先輩……一体何を焦ってるんですか?」

「…………そう」

「っ!」


 今度は空気が切り裂かれる錯覚が起きた。


「なら――力ずくでもいいのよ?」


 酷く冷たい声が耳に響く。

 圧倒的な威圧感が冷気と思わせてしまうほどに俺の全身を冷たく走らせる。

 これが春川静音。瑠凛学園の氷の風紀委員長として数々の問題生徒をこうやって凍りつかせて黙らせてきたのか。


 けど――


「だから俺を脅しても無駄なのは分かってるはずですよ?」

「……」


 舌打ちをしそうに威圧を放つのをやめた。


「……前より、ずいぶんと生意気になっている」

「ここ最近で色々と改めましたから」


 命を掛けるなんか、瑠凛学園に入学した時から決意している。

 更に最近、その決意を強く固めたところだ。

 3と向き合いながら俺は瑠凛学園の謎を突き止めて任務を成功させてみせる。


「春川先輩は俺の事をどう思っているんですか?」

「異物よ」


 即答で断言された。

 おまけに先輩は二の腕をさすって虫唾が走るような仕草もする。


「とても気味が悪くて仕方ない」

「こないだは協力してくれたのに酷い言い草だ」

「勘違いはやめなさい。あれは他の異物の一つを排除するのに好都合だったから。……お詫びも気まぐれだっただけ」


 本当にそうなのか?


「……もういいわ。とにかく危険な目に遭いたくなければ、しばらく仁美に会わないようにしておくことね」


 これで話は終わりだと示すように黙り出した。

 けれど思案を巡らせている表情。次の一手を考えているのか。

 それも、まだ俺を生徒会から……いや、学園からどうやって追放しようと考えているのか丸わかりなのが悲しいとこだ。

 

 でもこの人は――


「なに? まだ言いたいことでもあるの?」

「そうですね……」


 こっちも、わざとらしく間を空けてから、


「なんだかんだ春川先輩はつまり――俺を危険から遠ざけようとしてますよね? やっぱり俺のことを心配してくれてるんですか?」

「――ッ!」


 途端、春川静音の目が大きく見開いた。

 絶対的にあり得ないのを見てしまったかのようなリアクションの彼女の表情には俺もつい驚いてしまった。


「そんなわけないでしょ! なんで私があなたなんかの心配を……!」


 彼女らしくない荒々しい大声で忌々し気な感情が露わになる。

 今にも本当に水どころか、彼女の手元に置かれているお茶をぶっかけられてしまいそうだ。

 さすがに先輩もそこまですることはなく拳を強く握り締めて我慢していた。


 ……本当にそのお茶でぶっかけてこないよな?



「「…………」」



 会話が止まって睨み合う……というか一方的に強く睨まれているだけだ……。

 そこへタイミングよく襖が開かれた。


「遅くなってごめんなさ……あら?」


 火澤副会長は手のひらを口に当てながら俺と春川先輩の様子に驚いて、


「二人とも、そんなに見つめ合っちゃって……いつの間にそんなに仲良くなったの?」

「っ! 違う…………!」


 気恥ずかしさを誤魔化すのか、湯呑みを手にしてはまたも先輩らしくなくズズッと音を立ててお茶を飲み干した。



――――



「お茶ごちそうさまでした。また飲みに来てもいいですか?」

「あの後で、よくそういう態度でいられるわね……」


 玄関口で靴を履いた俺の近くで立っていた春川先輩は、腕を組みながらも肩を竦めて呆れている表情を浮かぶ。


「もう二度と来なくていい」

「今度は春川先輩が点てたお茶も飲んでみたいです」

「……まったく本当に仁美はなんでこんな男を」


 またも頭を抱えながら俺には聞こえないように小声で吐き捨てた。

 もうこれ以上は俺を相手するのは無駄だと諦めた証拠だ。

 結局は学園の昼休みと同じ流れ。


「風時君」


 さっきみたいな強い睨みはない……と言いたいとこだが普通に睨んでいるのには変わりない。――でも、心なしか落ち着いている様子だ。


はしたわ。それでも無視するというなら――勝手に自滅しなさい」

「春川先輩」


 今度は俺から真剣に目を合わせた

 もしかしたら今日初めて、俺と春川先輩がちゃんと向かい合った瞬間。


「――やっぱり俺に手を貸してくれませんか?」

「消えなさい」

「……お邪魔しました」


 最後は半ば追い出される形になってしまい屋敷から出た。

 中々上手くいかないな……。

 彼女は協力者としては最高の人材ではあるが、相性が悪いとハッキリと改めて確認出来た。

 今のままでは自分の正体を明かせば容赦なく排除してくる、中々厄介な相手だ。


(着実に信頼を得ておくべきだな……)


 振り返って春川家の屋敷を改めて見ると中々立派な家だ。

 伝統を積み重ねている風格を感じさせられる。お堅いとも言える。

 この家で過ごした彼女の堅実な姿も納得いく。


 と、いつまでもここに居たら春川先輩が出てきてどやされそうなので出て行かなくては。スマホを取り出して時間を確認すると、いつもだったらバイトの時間だ。

 ……って、なんでこんな時にバイトを気にしている。

 とにかく帰ったら数日後の課外授業の準備しなくてはと、あれこれ考えながら屋敷から少し離れた門へと着いた時だった。


「――修司さん」

「副会長?」


 一足先に帰ったはずの副会長が待っていた。

 着物から制服に着替え直している。

 門の外前には黒いリムジンが停まっているので副会長の家の迎えだろう。このまま彼女は乗って帰るんだと思っていたが……。

 副会長は疑問を浮かべている俺に近づいて、


「少し、お散歩しませんか?」



-2-



 空はすっかり夕暮れとなっている。

 今、俺と副会長は最寄りの自然公園の敷地で一緒に散歩?をしていた。

 夜に近づくからか、さっきまで公園で無邪気に遊んでいた子供たちが帰ろうとすると、副会長が子供達に優しく手を振る。子供たちも手を振り返しながら公園から居なくなる。子供からも好かれるとはさすがだ。副会長からは母性を感じさせるのだろうか?


 そういえば以前ここで春川先輩と会っていたことを思い出す。

 ……副会長とは二人きりにならないように心がけていたのに、つい誘いを受けてしまった。


「…………」


 周りはのんびり静かな光景なはずなのに、どこかとした空気が俺だけに襲っている。

 ……それも公園のあちらこちらの周囲の物陰に、この場に似つかわしくない黒服とサングラスを掛けている人が沢山いるのは気のせいなのか? いや……確実にいる!

 俺を殺しかねない目つきを……ギラリとした殺気を送っているの分かるぞ?

 きっと副会長の家のお付きの者……。


 そもそも副会長はなぜ俺を人気が少なくなってきたこの場所に連れて来たのか……。


 ――ハッ!?


 もしかして俺を連れ込んでヤクザ共々、痛めつけるつもりなのか!?

 これまで恐れていた事態がついに……!

 まだ手を振っている副会長の近くで俺は脳内であらゆるケースを想定したシミュレートしていると、


「修司さんとこうして二人で、お出かけするのも初めてねぇ」

「え……? はい」


 のんびりと朗らかな声が遮って殺伐とした思考が中断される。

 すぐ目の前の副会長の顔を見ればニコニコとした顔のままだ。


「いつも修司さんって放課後やお休みの日には忙しそうにしてますし。でも奏とは一緒にデートしていたりして……」

「だからあれはデートじゃありませんって!」


 そりゃあ、あまり学園以外で2人きりにならないように気を付けていたし。

 ……生徒会長と休日に出かけたのは例外ということで。


 しかし公園の陰では殺伐とした状況について副会長は全く気にしてないいまま会話を続けている。……そもそも気づいてないのか?

 彼女は天然な部分もあるので判断出来ない……。

 とりあえず今は周囲の危険な人たちのことは今は一旦置いておこう。

 殺気を送られても無視だ。無視。


「先日は修司さんの生徒会入会のお祝い会をしたり、その後だってすぐに……ううん」

「……」


 途中から口を濁されたとこが非常に気になるとこではあるが、そこにも、が関わっていることが嫌でも察してしまう。

 本当にここのところは色々なことがあった。


「だから私は嬉しいわぁ。修司さんと、静音ちゃんのお家で一緒にお茶したり……こうして一緒に公園でお散歩出来たりして……もっと修司さんとは生徒会以外でも仲良くなりたいの」


 優しい目で俺を見つめながら微笑む副会長の表情を注意深く観察しても、嘘偽りない純粋な気持ちと取れる物言いだ。

 こうして接していると彼女が本当にだと思っているのが何だか馬鹿らしくなってしまう。


 ふと副会長の顔に影が曇った気がした。


「……でも修司さんって特にここ最近なんだか距離を置かれているように感じるのよねぇ」

「それは……」


 お互い立ち止まった。


「ねぇ、修司さん」

「……?」


 副会長はいつもより低い声色だった。

 美しい顔が俺の顔へと近づいてくる。

 このまま顔と顔がくっついてしまいそうな距離になると、




「――――――静音ちゃんになにか言われました?」




 シンと静まり返る。

 近くの周りの小鳥も怯えるように飛び去っていく。


 油断は一切していなかった。

 今この瞬間に――とてつもない重々しい迫力が俺にのしかかった。

 もう少しでも警戒心を解いていたら……俺は

 今でさえ気圧されるて唾を飲み込むことすら許されない迫力に一生懸命耐えるしかなかった。

 やはり彼女……火澤仁美は正真正銘のヤクザの家の娘――『極道の女』だ……!


「……春川先輩が副会長のことを、とても心配していると聞かされただけです」


 嘘はついていない。

 それでも命の危険を感じて必死に絞り出した答えだ。


「そう……」


 顔を離された同時にスッと重圧から解放される。

 もう少しだけ長ければ過呼吸を引き起こしてもおかしくなかった。

 でも、まだ気を緩んでは駄目だ……!

 

 昔から機関で霧崎さんや彩織さんの恐い迫力に慣れていなかったら寿命が縮んでいたとこだ。……ここ最近、こういった感じのことが続いているな。


「あっ、ごめんなさい。つい強張っちゃったわ。……さっき修司さんが静音ちゃんとあんなに仲良くしてるの見たら、なんだか羨ましくなっちゃって……」


 会長は頬に手を当てながら慌てて弁明する。

 え!? そんな理由で、あんな失神しそうな気迫を飛ばされたら、たまったもんじゃないんだが!?

 しかも俺と春川先輩があれだけの険悪の雰囲気だったのに、この人には仲が良いと見えたのか?


「ふふ。あんなに感情的な靜音ちゃんなんて久し振りに見たわ」


 ただ単に俺が春川先輩を怒らせてるだけだと思うが。


「静音ちゃんはずっと私の心配してくれてるのは分かってるんだけどねぇ。最近はなんだか過保護な気がして私の方が心配しちゃうくらい」


 やはり副会長も分かっていたのか。


「それだけ副会長のことを大事にしているからかと。大切に思われてるんですよ」


 確かに過保護といってもいいぐらいだ。

 けど春川先輩なりの事情で副会長を大事にしている。

 この二人の過去は知らなくても、俺が思うよりも深い仲だというのは今日だけでよく分かった気がする。

 こんなことを春川先輩に言ったら怒られてしまいそうだが。


「ええ、私も静音ちゃんのことはとっても大切な親友よ。……あっ、もちろん修司さんも大切な人よ?」

「はぁ……」


 こうもストレートに言われると、どう反応を返していいのか困る。

 もしかしてリンデア書記が学食堂の時、俺に指摘していたのはこのことだったのかもしれない。


「あら。すっかり暗くなっちゃったし、帰らないとね」

「……はい」


 いつの間にか夜に差し掛かっている。

 このまま何事もなかったと帰ろう。

 そう思っていたはずなのに。


「火澤副会長――!」


 やはり、さっきの春川先輩の忠告……いや、がずっと頭の中で引っかかっている。真剣な俺を見た副会長はきょとんとした表情。


「? どうしました?」

「副会長は……なにか困ってることありませんか? もし困っていたら――俺で良ければ力になります」


 どうして俺の口から、こんな言葉が出たのか分からなかった。

 きっと俺はただ火澤仁美から信頼を得る為に言っただけなんだ。

 そうに違いない。

 副会長は驚いたのか目をぱちくりしている。


「そうねぇ……」


 副会長は困った表情になって、


「確かに、これから大変なことが起こりそうねぇ」


 本当に困っているみたいだ。


「なら――」

「でも、それはで修司さんには関係ないことなの――修司さんの助けは必要ありません」

「……」


 生徒会副会長――火澤仁美――彼女にここまでハッキリと拒否を示されたのは初めてだった。春川先輩に拒絶された時よりもギュっと胸が痛むのは何故なのか? 自分でも理解出来ない。まだ彼女からの信頼が足りなかったのか? 自意識過剰だったのか?


「気持ちはとっても嬉しいのよ?」

「……」


 彼女には彼女の――『事情』がある。

 下手にこちら側が突っ込んで、俺の本来の任務に支障をきたしてはならない。

 なんでもかんでも干渉してしまうにはリスクがある。


「……そうですか。わかりました」

「ふふ、修司さんにも心配かけちゃって、ごめんなさい」

「いえ」

「……本当は私が……」

「え?」

「そういえば聞きましたよ? レイナと一緒に学食で昼食を食べてたなんて。ズルイわ」


 いきなり怒りっぽくなっているが、なぜか可愛らしく見えてしまう。

 まあ……さっきのあの剣幕を見てしまった以上はな。


「それは……たまたま会ったからで、そもそも別にリンデア書記だけと一緒に食べたわけじゃ……」

「でも途中からは二人きりでアフタヌーンティーを楽しんだのよね? その日の夜にレイナから電話掛かってきて自慢されちゃったわ」


 なんでリンデア書記が自慢したんだ……。

 しかし……あれから会長と書記も仲が良いようだ。


「やっぱりここはせっかくですし、このまま私のお家で、一緒にご夕飯とかどう?」

「帰ります!」


 本当に命の危険を感じたので、俺はここで副会長と別れた。

 

 今日は春川先輩の家を訪れて先輩の珍しい姿を見れて、

 同時にほんの少しだけ二人の間の影が垣間見えた時でもあり、

 彼女――火澤仁美は『極道の娘』だと理解した日だった。

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