閑話 男の悩み 後編


 前生徒会長、華霧琉歌先輩に捕まった俺は高等部校舎の廊下でジワジワと追い詰められて、のけ反りながらの姿勢で後退していった。いつの間にか廊下奥の壁に背中がぶつかって、これ以上逃げようがない。華霧先輩とは鼻と鼻がくっつきそうな至近距離まで接近を許していた。ふんわりとした花のような香りがほのかに漂って鼻孔をくすぐるので思考が鈍っていくばかりだ。物理的に逃げようと思えば逃げられるはずがないのに、彼女から発される計り知れない見えない気迫の糸が俺の腕と足、四肢に絡みつく錯覚で動けずにいた。


「んふふ……あの奏ちゃんが気に入る男なんて、どんな子かしらと調べてみたけれど……――風時修司くん。そこまでの名家の人間でしかない外部からの入学者。この学園で言えばの学生でしかない身分なんだってね」


 微かに息を荒くして、獲物を逃がさないルビーに近い紅い両目が俺を確実に捉えている。舌なめずりしている口元は妙な、いやらしさが増していた。


 ついさっきまでは正直、本当にこの人が前の生徒会長なのか? と懐疑的にしか見当たらなかった。


 けれど、こうして目の前で対面すれば彼女――『華霧琉歌』という存在は紛れもなく『山之蔵奏』と同じくとしての風格を持ち合わせ、この瑠凛学園の王女たるとして君臨していた貫禄を確かに感じる。


「でも、あなたの周りって妙に謎だらけなのよねぇ。調べても調べてもしか出てこないのよ。この学園に入学するまでの経歴も普通に過ごしてきた学生で何も面白みがない。まるでそうであるべきかのようにように私は思っているんだけど、実際のところどうかしら?」

「……」


 今度は華霧先輩から懐疑的な目を俺に向けてくる。

 俺は内心では焦りながらも表情には出さないようにして、


「さあ? 俺は特に目立った活動はしてないんで、そういった普通の経歴になるのは仕方ないのでは――……!?」


 こう答えた瞬間、華霧先輩の紅い瞳孔が大きく開いた。

 蕾が開いて咲き誇る花のように、より美しい薔薇に例えることが出来る彼女の瞳が今度こそ俺を逃がさないと閉じこめた。

 先輩の美しい顔が更に近づいて、距離が縮まっていく。

 このままでは鼻だけではなく……口と口が触れ合えそうになっていて……!


「目立った活動? この学園の『生徒会』に入っておいてそれは無理があるわねぇ。本当に普通なら、生徒会に入れないもの。ただ才能がある? 能力を買われたから? それだけで入れるもんじゃないわ、生徒会っていうのは。あそこに入るのには『覚悟』がいるのよ。今の生徒会のメンバー全員。リンデアの家、火澤の家、そして山之蔵家の奏ちゃんにも『覚悟』を持って生徒会に入ったの。『私』だってそう。家が大きいからだとか私が特別な立場だからだとか、そんなだけで生徒会に入って生徒会長を務めようと思ってなんかいない。――風時修司くん、あなたはどうなの? 今の生徒会長の奏ちゃんにスカウトされたから生徒会に入っただけなんて単純に思っていないはずよ。

 ――だって、あなたには理由があって、『覚悟』を持って生徒会に入った。違う?」


 違う――!

 とは言わせない断言とした物言いだった。

 華霧琉歌は今――嘘まみれである俺の中の真実を掴み取ろうとしている。


「ねえ、答えて……あなたは普通でありながら、そうじゃない矛盾を抱えてるんだもの。そういう所がミステリアスで魅力的なのも良いけど……」


 まずい!?

 先輩のスベスベした白磁の手が俺の顎を沿うように撫でる。


「あら? 顔の形も普通だけど、よく見てみると素材は悪くないわねぇ。何色にも染められるって言った方がいいかしら? つまり私好みにもなりそう……ふふ、とっても素敵じゃない」


 マ、マズイ!?


「どうかしら? あなたも奏ちゃんと一緒に私のモノになってみない?」


 ジリジリと詰め寄ってくる先輩に対して俺は何とか喉から言葉を発して抵抗して――そして訊き返した。


「……なら、華霧先輩は何の『覚悟』を持って生徒会に入っていたんですか?」

「……ふぅん。で私が質問している立場なのに、答えないで訊き返してくるなんてねぇ。んふふ、ますますあなたの気に入った部分が増えちゃった。じゃあ一つ答えてあげる。私が生徒会に入った理由……――それはね」


「それは……?」


 ――瑠凛学園の秘密に関わっているのか?


 今こそ、その答えの片鱗が――元生徒会長である彼女の艶のある唇から開かれようとした時だった。


「――そこの二人。今すぐに離れなさい」


 鋭い声色が俺と華霧先輩の間を切り裂くように放たれた。

 反応した華霧先輩はほんの少しだけ俺から離れて後ろへと振り返る。続いて俺も安堵をつきながら、声が発された向こう側を見る。


 薄翠色の長い髪、切れ長の細い目とした美人な女子生徒だった。

 高等部2年の風紀委員会委員長――春川静音。

 氷のように非常に冷たい対応で学園の風紀を取り締まっていると有名だ。


「華霧会……いえ、今はでしたね。華霧先輩。それと………………

またあなたね」


 春川先輩がギロリと強い眼光で俺を睨みつけてくる。 

 この前入学したばかりの俺が昼休みの時に丁度いいスポットを見つけて、そこで昼食を食べたら、この人、春川先輩が現れて注意されたんだったな。それ以来やたらと目を付けられる始末だ。

 調べてみたら何でも茶を取り扱う名家の娘であって今の生徒会副会長、火澤仁美とは幼少の頃より仲が良いようだ。


「汚らわしい……」


 ゴミを見下す目で俺を見る。

 どうやら春川先輩からは俺と華霧先輩が逢引していると勘違いしている。


「ち、違いますって! 別に俺は華霧先輩とは何でもないんで!」

「あら? 私は本気であなたを口説いてたんだけど?」

「華霧先輩は黙っててください!? 余計にややこしくなりますから!」


 この華霧先輩の調子、今の生徒会長とソックリで、やはり生徒会長だったんだなと思い知る。

 華霧先輩はつまらなさそうに俺から距離を取って腕を組みながら、翻して春川先輩へと体を向けた。不敵な笑みで口を開いた。

 

「そういえば、あなたは春川の家のところだったわね。こないだ、あなたの家のお店から取り寄せた宇治抹茶は中々だったわよ。在庫があるだけ全部ウチが買い取ってもいいかしら?」

「……それはどういたしまして」


 不愛想なお礼。


「けど、他のお得意様の分もあるので過剰な購入は控えてください」

の家が買うのよ? 優先するべきは、ウチではなくて?」

「関係ありません。取引先がどこであろうと家の商品全て、平等に行き渡るようにしていますから」

「へぇ……」


 華霧と春川。

 翠と紅の両者の視線がバチバチとぶつかりあっているのが錯覚で見えてしまう。

 他の生徒が通りすがりで、こんな場面に出くわしたら避けて、他の道へ通ってしまう。

  

 しかし二人共、目の前に集中しているせいか俺のことを道端の石ころみたいに完全に気に掛けていない状況。


 この隙に俺は――!



――――



「あら、何時の間に逃げられちゃった」


 華霧琉歌はさっきまで接近していた風時修司が突如消えてしまったことに気づくと肩をすくませて不満を露わにしたポーズを取りながら春川靜音に訊く。


「彼って中々魅力的に見えない?」

「……どうでもいいです」


 ほんの寸刻の間を空けてから、靜音は興味なさそうにばっさりと切り捨てるように返す。


「もしかしてあなた、彼とお知り合いだったかしら? なんだか悪いことしちゃったわね」

「…………」


 靜音は強く睨み返すだけで、これ以上弄り甲斐がないと判断した琉歌はそのまま靜音の横を通り過ぎる。


「華霧先輩。この学園にただ遊びに来るだけなら迷惑です」

「へぇ……いくら私がもう生徒会長じゃないからって、そこまで強く言えちゃうなんて中々ね。さすが


 背中越しからでも意志を強く持った靜音の物言いに、飄々とした態度のままでいる琉歌は、面白そうなことを思いついた無邪気な笑顔で靜音に告げる。


「そういえばあなたって今の副会長『火澤』の家と交流があったはずよね」


 尋ねるようにではなく断言するかのように言った。

 それに対して靜音は一瞬だけ眉をひそめる。


「……それがなにか?」

「今の所はまだだけど、そろそろが起こるわ、ってことだけ教えといてあげる」


 琉華がそのまま立ち去ろうとする、が。


「待ちなさい。それと仁美……火澤の家と何の関係があるの?」


 靜音は相手が先輩であるにも関わらずに強い口調で問う。


「詳細はさっき私の邪魔したお返しで教えてあげない。後は自分で調べてね」

「……」


 ギリッとした歯軋りをして黙った靜音。

 その反応を見れたことに満足した琉歌は軽やかな歩調で靜音の前から遠ざかった。


-2-


 生徒会室へと帰って……というより、やっと戻れた。

 途中で工藤先生と話していなければ、華霧先輩に会うこともなく、すんなりと戻っていたはずだ。自分の軽はずみな行動に反省する。


(しかし……聞きそびれたな)


 華霧先輩が言おうとしていたことが引っかかってしまう。

 もし、を聞いていたら、それは俺が求めていた答えになっていたのだろうか?

 もう一度聞こうにも返って怪しまれてしまうはずだ。


 今の生徒会長、『山之蔵奏』も厄介な人ではあるが、前生徒会長『華霧琉歌』も只者ではない。今の生徒会の人達を調べるので手一杯だったが、華霧の裏も調べてみるべきだったか……。


 何とも言えない疲労感だけが無駄に蓄積されて本当は家に帰って寝たいと思ってしまう、が、会長達に悟られないように何事も無かったかのように切り替えて、生徒会室の派手な大きな扉を開いた。


「ただいま戻りました……ん?」


 俺が生徒会室内の床に一歩足を踏み入れた途端――空気が違っていた。

 正確には、俺がさっき生徒会室から出て行った前の時とは――生徒会室にいる……彼女達3人の周りで漂う雰囲気が変わっていた。


「え、ええ。おかえり修司くん。その……よく戻って来てくれたね」

「?……はい」


 生徒会室奥窓際のデスクに座っている会長は、さっき軽々しく見送った態度とは打って変わって神妙で、どことなくぎこちなく迎えてくれた。


「……なにツッ立ったままでいるのよシュージ。ほ……ほら、座りなさい!」

「ささ、修司さん。どうぞ座ってください」


 中央の会議テーブルに座っているリンデア書記と火澤副会長も妙にソワソワしている気がする……。


 とりあえずと、促されるままに中央の会議テーブル前の椅子に座る。

 会長はデスクから立ち上がって俺の方へと近づいてきた。


「それで修司くん……。


 会長が反応を窺うように訊いてきた。


「弾階先輩のことですか? 球技大会とは関係ありませんでしたけど……」

「そうか、それはどうでも……いえ、それはなにより」


 ん? 今どうでもいいって言おうとしてなかったか?


「修司さん……何かのことがありますか?」


 そそくさと俺の隣側に近寄っていた副会長は心配そうな表情で俺に顔を近づける。


「ソ、ソーヨ、シュージ! でもあるんだったらワタシが聞いてあげるわ!」


 俺の向かい側に座っている書記も上半身を俺の方へ傾ける姿勢で近づいてくる。


「え!? 二人共! な、なにが?」


 困惑している俺にお構いなしと会長は矢継ぎ早に、


「ほら、修司くん。例えば……

知りたいこととかあったりしない? 出来れば『私達』に関わっていることとか?」

「……――ッ!」


 な……なんだ!? 

 なんでそんなピンポイントで俺のを当ててきてるんだ!?

 ……しかし丁度良い機会。向こうから話題を振ってくれたのなら乗ってみるべきだ。

 それに工藤先生から教わったことを思い出す。


『まず単刀直入に訊いてみましょう。遠回しで訊いたら気づかれてしまいます』


 相手の情報を探る際、決して怪しい素振りを見せてはいけないのは基本だ。

 俺は極力落ち着きながら自然のように話を切り出す。


「女性のことだったら会長達に訊こうと思ってて……会長達の好きな男性のタイプってなんですか?」




「「「………………」」」




 一瞬空気が――ピタっと止まった気がした。

 何とも言えないこんな空気の中で開口一番リンデア書記が、


「ソ、ソーヨ! やっぱりオトコらしいとこがいいわね! それも、ただベンキョーとスポーツが出来るだけじゃなくて……ちゃ、ちゃんとワタシのことを理解してくれる男性がいいわね! 特にワタシをいっつも相手してくれる人とか――」


 矢継ぎ早に言いながら書記はチラッチラっと何故か俺に目線を送ってきて窺ってくるが、俺はどんな反応で返せばいいのか分からないので何も言わなかった。


「……。ヒ、ヒトミはどーなのよ?」 


 書記は煮え切らない態度で、副会長に話のバトンタッチする。


「私はそうですねぇ~。あまり望むようなことはありませんが……優しくて気配り出来て、いつも私達をひっそりと支えてくれる男性が素敵よねぇ」


 副会長はニコニコとした笑顔で何故か俺の顔をジーっと見続けてくるが、俺はどう返せばいいのか困ってしまって、視線を会長の方へと投げる。


 ――会長からの答えを待っていた。


「わ、私? そうだね……」


 会長はコホンと謎の空咳をしてから、


「……レイナと仁美の言う理想の男性像も中々素敵だが……やはりに向き合ってくれる人が良いと思っている」


 落ち着いたように淡々と言っている会長だが、真っ白な雪の肌の顔がほんのり紅潮としていた。


 3人の妙な挙動に訝しげになりながらも話を聞けたことに感謝する。


「そうですか……。答えてくれてありがとうございました」


 なるほど……会長達3人の異性の好みはそうだったのか。

 なら、今聞いたこれらの情報を、弾階先輩に伝えておけばいいということか。

 なんだ。聞き出すのは難しいと思っていたが案外すんなりと知れることが出来た。

 ただ一つ気になったのは……、


「――でも、っているんですかね?」

「「「………………――!」」」


 今度は――と空気に亀裂が走った。

 

 え? なんだ?


 リンデア書記の肩がワナワナと震える。


「だ……だったらシュージ! アナタの気になるオンナのタイプを言ってみなさいよ!」


 突如と勢いよく椅子から立ち上がった書記が俺に近寄って食って掛かろうとしてきた。


「そうですわ修司さん! 私もぜひ聞いてみたいです!」


 副会長も立ち上がって珍しく興奮した態度で俺に詰め寄る。


「修司くん」

「か……会長?」


 会長は俺との距離を一気に縮めた。それも迫真の表情で。

 華霧琉歌とは対照的なサファイアに近い蒼く輝く両目がしっかりと俺を逃がさないように捉える。


「男性は……修司くんはどういった女性が好きなの? 容姿は? 趣味は? 年齢は? 家柄は? 仕事は? 財産は? 男性の場合はやはり女性の胸の大きさに拘ったりするの? でも胸は大きさよりも形も質感も重要と思って欲しいんだけどね」

「い……一体、何の話してるんですか!?」


 会長を筆頭とした3人にジリジリと追い詰められて、俺の背中は生徒会室の扉にぶつかった。


「さっさと言いなさいシュージ!」

「聞かせてください修司さん!」

「さあ答えなさい修司くん!」

 

(なんでこんなことに……一体どこで間違ったんだ――!?)


――俺はただ逃げるほかなかった

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