第19話 仮面と正体


 突如と現れた赤味掛かった黒フードを纏い、顔全てを仮面で覆っている人物が阻んだ。一触即発の状況になっていた……――が


「お、が良い飯を食わせてくれるって持ちかけてきたから、乗ってやったのに……偽の招待状を渡しやがって……! のせいで飯を食えないどころか……」


「「……」」


 妙な緊迫感の間に水を差すように罵った声の男は、件の『山之蔵』のを利用してレストランで騒がせた迷惑な客だ。俺は店から逃亡した、こいつを追っていた。

 この様子からすると、忽然と現れた目の前にいると関わり合いがあると見えるが……。この仮面の人物は後ろの男とは関係なさそうな態度を見せていた。


「まさか山之蔵の関係者がいる瑠凛の学生が居るとは……聞いてないぞ! ど、どう責任を取るんだ!」


 つい直前まで、あいつなりに全速力で逃げて走っていたせいか合間にゼェ……ゼェ……と息切れをしながら文句をつけている。仮面の人物は真後ろで乾いた地面に尻餅をつきながら罵倒と命令してくる男に見向きどころか反応も一切していない。

 無機質な仮面はただ真っ直ぐと――俺だけに向け、見据えていた。

 あからさまに無視されてると気づいたあいつは、更に苛立てるように声を荒げた。


「と、とにかくあの邪魔なやつを追い払え!」

「……」

「聞こえないのか!? いいから俺の言うことを


  ――……ひぃっ!」


 仮面から繰り出されたグローブの拳が男のデコのギリギリの手前で止まる。……もし直撃していたら男は、この場で気絶していたぐらいの目に見えぬ速さの振り拳だった。

 ここまで黙っていたはずの仮面の人物は、仮面越しから男か女か分からない加工されたような淡々とした声で放った。


「さっさと消えろ。――邪魔」

「ああぁっ……くっ!」


 無機質さと鋭さが入った言葉をぶつけられた男は何も言い返せなく、表情がグニャリと曲がってから、こちらに背を向けてトロトロと無様に逃げ去っていく。

 今すぐあいつ追いかけようにも……――目の前に立ち塞がるが俺を全く通させないつもりだ。



「「………………」」



 辺りの森林から夏を思わせる湿気混じった風と匂いの空気が送られる。

 本来なら心地よく穏やかな雰囲気になるはずだが……。

 目の前に居る仮面の全身からは穏やかとは到底程遠い――闘気が放たれていた。

 ここで話し合いなんか通じさせない緊張感だけがこの場を支配している。


「……通させる気がないなら」


 仕方なく応じた俺は右足を前に、後ろの左足を強く地面に踏み、両手を前にして――構える。機関で徹底的に叩き込まれて生み出した護身術にクラヴ・マガと様々な格闘術を組み込んだ『攻防の型』。

 俺の構えを見た仮面はピクッと軽く反応すると、


「手本みたいなかたち――多少は武術の心得はあるんだ」


 無機質ながらも、やや声色が上がって発してから、

 トン……トンと軽く足踏みした直後に


 ――踏み込んできた。


「っ!」


 一瞬で距離を殺す間合いまで一気に縮まる。速い!

 さっきの逃げた男に脅しで見せていたグローブの拳が真っ直ぐに捉えた俺に迫りくる。

 それが当たる直前、瞬時に自分の身体が脊髄反社で動いて左手で相手の拳の軌道を逸らす。


「!」


 今の俺の動きに仮面が小さく反応すると同時に、俺の右手の手刀を仮面真下の空いた首へと叩き込もうとすると――仮面は顔を後ろへ傾くように反らして、俺の右手の振りは空ぶってしまった。

 反撃を躱した仮面はすかさず俺から離れて、再び間合いを取った。


「すごい反射神経……」

「……ずいぶんと体が柔らかいみたいだな」


 今の一瞬の取っ組み合いについて互いに軽口を言い合ってから、再び構えを取り合う。言葉を交わしても隙を見せてはならない。

 しかし、あの足の動き……。


「中国拳法か?」


 さっきの踏み込みから震脚しんきゃくと呼ばれる中国拳法独自の間合いの詰め方だ。

 確か霧崎さんが全ての格闘術でも使える基本の動きだと教わった。

 ……あの人の場合、目で捉えられない一瞬で迫られるから参考にならなかったな。


 俺にそう問われると仮面の下から、「へぇ……」とポツリと漏れる声が聞こえ、


「そう。半分当たりで、半分


 ――――はずれ!」


 また速い踏み込みで、俺の懐に潜り込んてきた。

 次に繰り広げられたのは拳……ではなく蹴り!

 俺はすぐに反応して、今度は顔面に迫りくる足を弾こうとする。


「フェイク」

「なっ!?」


 仮面越しでもニタリとした声が耳にねっとりと入り込む。

 相手の蹴りは引き戻されて、空振りして上空へと注意を向いていた俺の腕の真下に、低い体勢で潜り込んでくる。

 がら空きとなった俺の胸に目掛けて、鞭のようにしなやかな腕が伸び、その先の拳が迫る。


 しまっ――


 相手の掌底が俺の胸に触れると、


「がっ!」


 打撃による衝撃が胸を中心にして広がる。


「クッッ!」


 吹き飛ばされるところを足で地面がめり込むぐらいの勢いで立ち留めた。

 足の爪先から痛みが全身に走っていくのを我慢する。


「ふぅん。今ので倒れないんだ」


 若干感心が混じった呟きが聞いた俺は、


「……なんどもキッツイのを食らってるんでな!」


 半ばお決まりの台詞を吐きつつ体勢を整える。

 ……正確に言うと相手の掌底を食らう直前に体を曲げて後ろへと逸らしてダメージをある程度逃していた。

 正直、今の拳をまともに食らったら……意識が持ってかれてたぞ。

 ついでに、さっき食べた料理を戻しそうだ。胃の中から食道辺りが気持ち悪い……。


「……」


 再び仮面から間合いを詰められて接近して、互いの攻防の取っ組み合いを繰り広げる。


「やっぱり手応えがあると思ってた通りだ! まだまだ!!」


 眼前の仮面は現れた当初よりも段々と口数が増えてくる。


(こいつ……!)


 素顔が隠されて表情は全く見えなくても動きからして、こいつは俺との戦闘を楽しんでやがる!

 ――これまでの任務でも、こういった戦闘に発展するケースは少なくなかった。

 攻撃を仕掛けてくる相手は常に俺を始末しようと――殺しを厭わなかった。

 しかし――こいつは違う。

 つい最近、夜の学園で室岡と相対した時のようなは感じられない。

 それだけではない――すらも感じられないんだ。

 ただ伝わるのは全身を戦かせている闘気の気迫。

 目の前にいる俺に闘って勝つことだけだ。


(だからって気を緩めば死にかねないぞ!)


 それでもこうして格闘戦を行っている以上は、攻撃の当たり所が悪ければ普通に死ぬ。


「どうした? 反撃してこないならこのまま攻める!」


 相手は素早い拳の連撃を緩めずに一方的に続けている。


 ――かといって俺はただ攻撃を受けているだけではない。


 相手の動き、癖、……目の焦点も見ときたいが、あいにく相手の顔は仮面に包まれているので完全には見切れない。それでも、この中で俺は集中する。観察していく。

 中国拳法相手の戦い方も習って散々シゴかれたんだ。


(太極拳――八極拳――いや、違う……)


 記憶の中にあるあらゆる格闘術、武術一つずつの『情報』を拾い上げる。

 同時に戦闘の訓練で体に刻み込まれた経験から、身体がこの闘いに適応するように慣らしていく。


「――そらっ!」


 仮面から大きく繰り出された蹴りをクロスした腕で防御した。


(……?)


 この時――俺は気づいた。


(まさかこいつ……!)


 攻撃を仕掛けようとする目の前の仮面の動きをもう一度――『視る』

 そうだ。こいつが現れた時の動きからがあった。

 その違和感を突けば――!


 仮面が再びフェイクをかました攻撃を出すと、


「――っ! 躱した……!?」


 俺の顔面、横スレスレで相手のが掠った。


「反射神経……感覚が鋭いのね。でも!」


 もう一度、俺に攻撃を仕掛けてくる。


「チッ!」


 また躱す。

 そう、俺はもう仮面の攻撃全てを見切っていた。

 相手の一つ一つの動きを――『視て』、『思考して』、『反応して』、と全て同時に動いて対応した。

 この仮面が使う格闘術には独自のリズムでの動作だった。

 ダンスのリズムに乗って戦うブラジルの格闘技であるカポエイラと組み合わせた中国拳法に自分のテンポを乗せている独自の武術だ。


 仮面は踏み込む前にステップを踏んでいる動作を一度挟んでいた。

 普通に攻撃するのも、フェイクをかけるのも、それぞれ違うリズムのステップだ。

 そのリズムさえわかれば――

 何度も何度も仮面の攻撃を捌いていける!


「…………チッ!」


 仮面はこのまま攻撃を続けても無駄だと気づいたのか一旦、離れる。

 仮面越しからでも声の焦りがハッキリと確かに聞こえた。

 ここでのタイミングで俺は仕掛ける。


「どうした? 攻撃が全部俺に通ってないぞ? 降参するか? それとも――逃げるか?」

「……――っ! お前!!」


 わざと挑発して相手の神経を逆撫でる。

 『言葉の攻撃』は相手の神経に毒を塗り込む行為だ。

 こうやって相手の心理を突くのも立派な闘いと言えよう。


「………………く」


 トン


「………………つく」


 トン


「――むかつく!」


 激昂の怒声と同時に大きく深く踏み込んできた。

 そのリズムに合わせて俺は――


 待っていた!


「――なっ!?」


 レストランから外へ出る際、嫌な予感がして手持無沙汰で店から離れたわけではない。

 制服のポケットに仕舞っていた――店から拝借したを手にして――投げる。

 そういえば、霧崎さんに教えてもらったな。


 ――石ころだろうと使えるものはなんでも使え!

 

 物を使って投げるのも立派な護身術だ。これで相手を怯ませればいい。

 放ったフォークは狙い通りに相手の仮面の中心に突き刺さる。

 それも只のフォークではない。

 『グラード・ノアー製』は非常に粘土の高いステンレス銅で作られており、軍隊で使われるようなナイフのレベルと同等以上の強靭さがある。コンクリートに突き刺さっても容易に折れることはない。それはもはや……


 ――凶器として作ったとしか思えない作り


(こんな使い方しているのが、にバレたら怒るだろうけど……今は仕方ない!)


 今この場に居ないパートナーの少女リリスの裏の事情と心情を省みずに、相手の身につけていた仮面は突き刺さったフォークの先端によって周囲に――亀裂が入る。


「っ! 小癪な!!」


 相手は刺さったフォークを引き抜いてその場で捨てながらも攻撃を繰り広げようとしたが、もう遅い。

 俺は攻撃の構えを取っていた。

 その動きを見た、ひび割れた仮面の向こうから驚愕の甲高い声が上がった。


「動きを読んで……? 違う、これは……先(未来)が見えているの……!?」


 戸惑いを見せたその隙を突いて俺は――仮面のヒビ割れた個所に拳を――掌底突き。

 掌底は打撃の中でも最も重いダメージを与えやすい技。

 その威力は格闘術を齧っているこいつなら嫌でも分かるはずだ。


 ――ピキリッ


 思いっきり打撃が入った仮面が波紋に広がって割れていき――

 相手の素顔が明らかとなる。


「……え!?」


 その素顔を見た瞬間、驚き、目を見開いてしまった。

 窮屈な仮面から解放されたのか、肩までファサっと所々三編みしている漆黒の黒髪。

 クリクリとした眼。瑞々しい褐色の肌。あどけない小さな唇。

 その――目と目が合い、


「幼女!?」

「……――はあ!?」


 俺の驚愕に対して、素っ頓狂な悲鳴混じりの怒鳴り高い声で返された。

 ……フードや仮面で隠していても、闘っている最中に時折漏らす発声や仕草、動きを観察していく中で薄々と女……それも幼い子だと察していたが……こうして直に目の当たりにすると驚きを隠せない。それも民族の踊り子が似合いそうな少女だ。


「……今なんて言ったの!?」

「幼女」

「お兄さんとはそこまで歳変わんないですぅ!?」


 地団駄を踏みながら激昂した。とてもさっきまで仮面を着けていた時と同じ人間とは思えない感情豊かな少女だ。


「それに、お兄さんとは背だって同じぐらいだし!」

「いや…………その足……というかシークレットブーツだろ?」

「!?」


 戦闘の中で感じていた違和感。

 それは、この少女の足が背丈を誤魔化すシークレットブーツを履いていたことに気づいた。蹴りを防御した時に確信となった。


「しかも10センチ……いや、20センチ以上は盛っているだろ、それ。そのせいで足の動きが妙に慣れていなかったぞ。そんなの履いてなかったら低い身長と持ち前の身軽さでもっと潜り込みやすかったのに。そもそもそのシークレットブーツのせいで足踏み音が大きくてリズムも簡単に読まれて――」

「……~!?」


 長々と指摘すると、プルプルと赤面してワナワナを小さな唇を震わせていた。

 これだけはこの子にとって一番屈辱的なデリケートな部分だったんだろう。

 ……もしかして、とそこまで年齢が変わらないのか?

 なにより、もしあの子リリスと同じ戦闘能力で、ブーツなんか履かずにまともに戦っていたら……


 いや、それはともかくだ。


「……お前が、あの男をレストランへ仕向けたのか?」


 本題に戻す。

 そうだ、俺はレストランで騒いで逃げた男を追っていた。

 それに、この少女との一連の会話で関わり合いがあると推測出来る。


「……大体お兄さんの予想通りかな」


 俺の問いに対して、少女は飄々と曖昧に返す。

 俺は「そうか……」とわざと一泊置いて、


「つまり俺を狙っていたんだな? それも関係ない他の人がいるあの場で――? 


……

「っ!?」


 目の前の少女はゾクッと小さな全身が引き攣って――怖気づいていた。

 きっと今の俺の形容し難い感情が渦巻いた眼光を向けられた恐怖から竦ませていたんだろう。

 レストランには……ひよりや雅人や委員長、あの場で食事を楽しんでいたクラスメイト達が巻き込まれていた可能性だってあった。

 俺があの場に居たせいだったら――!


「……!」


 少女はキッと俺を睨み返しつけて、小さな震えを抑えながらも竦んだ足で、懸命にニタリと小賢しい笑みを浮かべると、


「半分ハズレで……


 半分当たり」


 精一杯の強がりの言葉が返ってきた。

 まともに答えてくれる気はなさそうだ。

 そんな無理に虚勢を張る少女を目の前にしていた俺は毒気が抜いてきて。


「……まあいい」


 どうやら戦闘を続行する意思はないと見た、もう無抵抗同然の子供相手になに感情的に苛立っているんだ俺は……。


 少女はまだ小さな震えを誤魔化すようにして――


「ふ、ふん。お兄さんだって周りを騙してるのに、よくそんな一方的に言えるね!

『嘘まみれの存在』のくせに!」

「!」


 この子――やはり俺について知っているのか……!


「……あの男を逃したのは痛いが、お前は捕まって貰うぞ。訊きたいことはあるからな。幼女だろうと容赦する気は」

「だから幼女じゃ……!」

「いいからこのまま……――っ!?」


 後方からとてつもない殺気を感じて――咄嗟に後ろに飛び退いた。

 目の前に振ってきたのは――レストランで使われていた『グラ―ド・ノアー制のナイフ』。俺が直前に立っていた地面に深く突き刺さっていた。


「助かった! それっ!」

「うわっ!?」


 同時に俺と離れたことで好機を逃さなかった少女が、フードの懐から取り出した煙幕が発生する。一気に視界がぼやけて一面真っ白に支配された。

 煙の中で見えないが、すぐそこにもう一人の気配が居る! おそらく今ナイフを投げた人物だ。こいつは――!


「――遊んでくれたお兄さんには名前を特別に教えてあげる」


 薄れる煙の中で余裕を取り戻した少女は、声を遠くしながら愉快に告げる。


「李美(リーメイ)。――リリスってガキんちょにもよろしく伝えてね」

「! リリスを知ってるのか!?  何者だ!?」


 何も返ってこなかった。

 煙が消えて視界が僅かに晴れれば、周りにはあの少女と、も存在していない。くそっ――逃げられた。

 

「……はあ」


 まだ感覚を鋭ませ気配を探れば、そう遠くへは行ってないと察知出来る。

 今なら走ればなんとか追いつけるかもしれない。

 けど、これ以上追い続けたら……


「さすがにクラスの人達にはまずいな……」


 今の自分はの学園の生徒だ。

 店を離れてから、そこまで時間経ってないとは思うが今すぐにでもレストラン――食事中のクラスの下に戻らなければ怪しまれて、これまで積み上げてきたのが崩れてしまう。 それだけは避けたかった。

 ……ここまでしても怪しまれるとは思うが、なんとか誤魔化そう。うん。

 それと後で情報機関にこのことを報告して……そしてあのという少女が知っていたリリスにも連絡して確認を取らなければ。


 ――にしても……


「また敵を取り逃がすとか、さすがに……」


 ぼやきながら地面に突き刺さったままのナイフを引っこ抜く。


「……」


 最近続けてターゲットに逃げられてばかりだ。

 この体たらくが続いてしまうと上司の霧崎さんや彩織さんに――本当に殺されかねない……。少なくとも持ち帰れるだけでも良しとはしたいが。

 ブルッと全身に怖気が走ってから、息を整える。


「うっ」


 しかも、ついさっき食事したばかりで激しい運動をしすぎたせいか、胃から逆流してきそうだ。


「……せっかくあんな美味しいのを食べたのに台無しだな」


 吐き気を我慢しながら急いでレストランへと戻った。



 ――――

 あとがき

 明日も更新予定です!

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