第31話 準備のひととき


 日曜、夕方近く。

 二日目の休日を迎えると本日の天気は、澄み切って晴れていた昨日とは違って、まさに梅雨らしいどんよりとした曇り日よりだ。


 まるで俺の行く末を案じるかのように――


 現在、俺は瑠凛学園から近くの公園の雑木林の真下にいた。

 この直前の昼までは彩織さんの喫茶店で昨日の欠勤の分を取り戻せと言わんばかりにバイトでコキ使われたばかりで、やっと抜け出したばかり。

 なぜ俺がこんなところにいるのかといえば、を待っていたからだ。

 予定した時間が近づくと見知った足音と気配が俺に近寄ってきたので挨拶する。


「どうも」

「……」


 現れたのは瑠凛学園高等部の制服を着ている女生徒。

 薄緑掛かった艶のある髪に、切れ長の目の上には整ったまつ毛で、外見は美人。

 ……あくまで普通にしていたらの話だが。

 そんな美人も、普段から仏頂面なせいで台無しだ。


 ――春川靜音

 瑠凛学園高等部の風紀委員会委員長。

 いつも氷のような態度で周りには徹底的に冷たくしている。

 もちろん俺に対してもだ。


「今日学園は休みなのに、なんで制服なんですか?」

「なぜあなたなんかに会うのに、わざわざ私服で来なくちゃいけないの? ただでさえ休みの日にあなたに会うのは不本意なのに」

「……それはすみません」


 忌々しい表情で俺を睨みつける。言葉も相変わらず辛辣だ。

 俺以外の人だったらビビって今すぐ逃げ出してしまいそうだが、こんなのはもう日頃の学園で彼女に会う度に慣れているので今更動じることはない。


「じゃあ、ここではなんだし。良い店があるので、そこでゆっくり――」

「結構よ。長話するつもりはないから。それに、あなたと店で二人きりなんて死んでも御免」


 一刀両断。

 それも酷い言い草付きで。

 誘いに乗ってくれるとは思わなかったが、何もそこまでバッサリと断わらなくても……。

 こんな俺の心情にお構いなしにと先輩は続ける。


「……そもそも明日学園がある時には駄目だったの?」

「どうしても今日までには用意して欲しかったんで。どうやら急がせてしまったみたいで」

「まったく……。はいコレ」


 苦い顔でA4紙サイズの封筒を渡されたので、手で受け取る。今日彼女とこうして会ったのは、を受け取る為だったからだ。春川先輩には学園内部で別に調べてほしいことがあったので、その報告結果の受け渡しが今日となった。


「それで、どうでしたか?」

「……中身を見れば分かる事よ。わざわざ口頭で答える気はない」


 今にも舌打ちしそうな口元で言われる。

 この様子からすると、どうやら俺の予想していた通りになっていたとは素直に認めたくないようだ。


「感謝します。できれば俺から先輩に、お礼でもしときたいですけど……」

「だったら態度を改めるか、今すぐにでも学園に退学届けを出して消え去りなさい。それで充分」

「……」


 平然とこんな酷いこと言ってくる人に協力を求めて大丈夫か、俺?

 気を取り直して再び感謝を示す。


「とりあえず助かりました。確実に証拠は揃えておきたかったので。これで……」

「――生徒会には言わないつもり?」


 先輩個人の純粋な興味で聞いたのか、それにしてはまるで犯人を問い詰めるような迫真なのは気のせいか?


「なるべく生徒会の先輩達には迷惑掛けたくないですから」

「……歓迎会を開いて貰ったくせに」

「え? 先輩、もしかして生徒会で俺の歓迎会やっていたの知ってたんですか?」

「……仁美から聞いただけよ。それも誘われたけど」

「だったら先輩も来れば良かったのに」

「なんで、あなたなんかの歓迎会に私が出なくちゃならないのって断ったから安心して」

「今すごくザクザクと俺にダメージ受けてるんですけど……」

 

 苦虫を噛み潰したような表情でダイレクトに言われれば普通に傷つく。

 先輩からは心底嫌そうにため息が吐き出された。


「……どうしてあなたと世間話なんかしなければならないのよ」


 そっちから話を振ってきたのでは?とは思うが、余計怒りそうなので黙っておこう。


「では、こっちから話いいですか?」

「もうあなたと話す気はない」

「先輩は、どうしていきなり――してくれる気になったんですか?」

「……」


 ついこの前までは、あれだけ俺に協力するのは嫌がっていたのに、どういう風の吹き回しなのか今回限りで頼みを引き受けると先日、春川先輩から返事が来た。それはありがたいことだったから頼んでみたが、やはりどういう理由なのか気になるのは至極当然で疑問を持っても仕方ない。


「……私はただ学園に蔓延るゴミを排除したいだけ。その為だったら仕方ないことよ」


 前にも聞いた話だ。

 正義感とは違った信念が彼女を動かしている。


「……。あなたはどうなの? 同じゴミになるつもり?」


 春川先輩から送られる切れ長の眼力の視線は強烈だ。

 相手が彼女が言う『塵』ならば誰であろうと容赦はしない。


「……俺はそうならないようにしますから」

「そう」


 どうでもよさそうに、くだらなさそうに、全く信じてないまま、

 春川先輩は踵を返して帰ろうとした。

 ――が、立ち止まって横顔を僅かに見せる。


「……それともう一つ。今回協力した理由の中には…………あなたに迷惑を掛けてしまった……お詫びもあってのこと。癪に障るけど」

「え、お詫びって?」


 歯痒そうに途切れ途切れとはいえ、とても春川先輩の口から出るとは思わなかった言葉に驚きつつも続く話を聞いた。


「私が退学まで追い込んだ瑠凛の元生徒達が、あなたに直接、して襲った件。本来は学園や私に強い矛先が向かうはずなのに、あなたへと向けられた。……だから今回はこれで手を打って」


 珍しい。絶対に怒られると分かってても、ひよりから貸して貰った漫画やラノベの知識で言えば、もしかして先輩デレたんですか?とからかってみたくなるが……


 ――今はそんなことよりも、気になった部分があった。


「…………どうして先輩がそのことを知っているんですか?」


 部活動予算の不正で学園から退学した元瑠凛生徒達に、俺が襲われた件は学園では誰にも吹聴していない。


「……」

「まさか、春川先輩があの人達の会社を? それも――」


 彼らの会社が倒産して――しかも彼ら本人は現在も行方不明だとは、つい先日、機関の調査によって知らされた話だ。


「……もう、その話は知っているのね。でもそこまで追い込んだのは――私じゃない」


 背を向けたままでも覗かせる先輩の横顔からは嘘は言っていないと分かる。

 あくまで春川先輩がやったことは彼らを学園から退学するように仕掛けたぐらいまでだ。


「それじゃあ――‼ そこまでした人ってのは――」

「……」


 春川先輩は答えなかった。

 俺もこの先を言おうとしたけど続く言葉が詰まってしまった。

 それはだと本能が俺を縛り付けたのか。


「その先を言わなかったのは賢明な判断ね。……とにかく私が言いたいことは言ったから、もういいわ。用件も済んだし」


 そう先輩はそっけなく言って俺に完全に背を向ける。

 これ以上は話すつもりはないとの合図だ。


「もう夜は近いし、女性1人だと危ないので家まで送っときますか?」

「……! 結構‼」


 今度は本当に怒ってしまって早足でスタスタと俺の目の前から消え去った。



-2-



 一度自宅マンションに戻って、部屋のソファに座りながら春川先輩から受け取った封筒から取り出した、数枚の紙をテーブルの上へと広げて読み漁る。


(なるほど……睨んだ通りだ)


 パズルのピースを組み立てるように情報が揃って合わせていくとは導かれていく。やはり春川先輩に頼んどいて正解だ。こういった瑠凛学園に関することは機関でも情報屋の透には出来ない役割だ。

 やはり学園では春川先輩の協力が必要だと改めて認識する。


(でも、あの態度のままだと実現は厳しそうだな……)


 苦笑しつつも彼女が調べてくれた資料を頭の中に入れて、情報を整理する。


「あっ……」


 ふと目下のテーブル上に置かれたに気づく。

 コレはシール状にまで薄めている形で張り付けることで目立たないし探知機にも引っかからない。更には盗聴器まで仕込んであるというターミナル情報局の開発部門から送られた自信あるスパイアイテムだとのこと。


 ――本来、昨日の会長へ渡したプレゼントに仕込むつもりだった。

 そのはずだったが……。


「……クソッ」


 発信機を仕掛けることが出来なかった自分に対して苛立ちを感じる。

 そんな自分の行動に、今でも理解出来ずにいた。

 俺は何を恐れている?


(機会はまだある……。その時には――!)


 そう無理矢理自分に言い聞かせるように発信機の事は一旦頭から離れる。

 に集中しろ、と思い込んで。


 その時、手元に置いていたスマホに着信が鳴った。

 通話の着信だ。


「きたか!」


 しかしスマホを手に取って画面を見れば――

 同じクラスメイト。

 冬里ひより、という名前が表示されていた。

 なんで今、ひよりが俺に電話を? 

 予想外だった人からの着信に疑問を持ちつつスマホ画面にタッチして耳に当てる。


「もしもし」

『……あ、シュー君。今いい?』


 声はひより本人のはずだが、どことなく元気がない声色。


「ああ、いいけど。どうした? もしかして前に借りたラノベについてか? 悪い。最近忙しくて、まだ全部読んでないから今はまだ語れないけど」

『ううん。そうじゃなくて……てか、ちゃんと全部読んでよね? あはは』

「? ああ。じゃあ、どうしたんだ?」


 そう俺が返事をすると、一瞬だけだったが間があったのは間違いない。

 通話越しから聞こえる、ひよりの重い呼吸音を一拍と聞いて――


『シュー君って生徒会の一員じゃん? だから……

 ――最近、生徒会で変わったことなかった?」

「……生徒会で?」

『うん……例えば生徒会長とか生徒会の先輩達について……とか』


 恐る恐るといった緊張した声色で聞いてきた。

 なぜ、ひよりが生徒会……それも会長達について聞くんだ?

 

「いや、あったといえば会長達が俺の為に生徒会の歓迎会を開いてくれたぐらいだが」

『…………』


 答えても向こうは黙ったまま。


「どうした?」

『……ううん! そ、そっかー……生徒会長達ってシュー君のためにそんなことしてくれるなんて優しい人達だね!』

「……ああ、そうだな。――あの人達は良い人達だよ……きっと」

『……?』


 今俺が言ったことは本心なのかは自分でも分からないが、ひよりにはこう言っておいた。でも今はそれよりも、


「ひより。何かあったのか?」

『――……!』


 一瞬だけ息を呑んでいた反応がしっかりと伝わってくる。


『あはは、なんでもないよー。ただシュー君って生徒会で忙しそうだから勝手に、あたしが心配しちゃっただけだから! 気にしないで!」

「……そうか。俺は大丈夫だから」

『うん……。聞きたいことはそれだけだったから! じゃあねシュー君。また明日教室で!』


 最後はやや早口になって一方的に通話が切れる。


「……どうしたんだ? あいつ」


 そういえば、ひよりとは前に一緒にハンバーガーを食べた次の日から、学園で会ってもあまり元気なかったな。

 どことなく引っかかるが……。 


 またもスマホから着信が鳴った。

 画面を見ればリリスから。

 今度こそ俺が待っていた連絡だ。

 ということは――


「俺だ」

『マスター。――が動きました』

「場所は分かるか?」


 リリスとの通話を続けながら俺はソファから立ち上がる。

 時計と窓の外を見れば、すっかり22時を過ぎている夜中になっていた。


『今……瑠凛学園高等部――生徒会室に向かっています』

「……そうか。ありがとう。今すぐ向かうからリリスは待機してくれ」

『了解です。マスター……無事を祈ります』

「ああ」


 俺は支度を整える。

 機関から支給された黒いスーツに着替えて準備をする。

 今度は不用心にはならないはずだ。


「よし……!」


 これからやろうとしていることに――自身を奮い立たせて俺はマンションから飛び出して――瑠凛学園へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る