第18話 回想 圧倒的な力を持つ男
「この馬鹿が!! んな型だと丸腰だぞ」
……訓練とは言うが、それはもはや指導という名目としか思えない一方的で、えげつない攻撃が容赦なく俺に襲い掛かってきて、俺はそれを避けたり防御したりとひたすらやり過ごしている。防御に徹するのが長引けば相手の男――霧崎さんの攻撃と口調が荒げていって大雨……いや暴風雨のような激しさでガンガンと増大していく。
「テメェ(自分)を守ってばっかいねぇで、とっとと俺に攻撃する素振りでも見せろ! つまらんぞ!」
「攻撃しろって……そんな隙、全く見せないじゃないですか……!」
「どこにわざと隙を見せる敵がいんだ!? テメェーで隙を作りやがれ! もっとも俺は隙を見せる気は一切ねーがな。オラァ!」
「い、今! 攻撃しちゃいけない場所に攻撃しようとしましたよね!?」
「あ? 金的に蹴り入れようとして何が悪いんだ? そこも守れねぇテメェが悪いんだろうが。無理なら金玉取る手術しろ」
「んな理不尽な!」
と、いつも通りこんな訓練が行われる。
――
人間の域を超えたとしか思えない桁外れの、この人に喧嘩を売って歯向かえば五体満足で……いや、生きて帰れる人はいないだろう。
過去にはいくつもの過酷な戦場を渡り歩いた特殊部隊の切り込み隊長だとか、裏世界の格闘技大会で名を馳せていたとか、はたまた闇の用心棒や破壊王とかそういった色々と滅茶苦茶すぎる経歴の噂が絶えない。
全部本当だしても全く驚かないな……。
「たくっ。んなままだとやっていけねぇぞ。いいか? 一撃を取るために相手の頭と首を狙う敵もいれば、相手が男と分かれば真っ先に金的を潰そうとする奴もいる。戦場にルールなんか存在しねぇ。どんな敵の攻撃にも対応しとけ。だったら金的を狙われるのも知っておくんだな」
「だから話してる途中でもすかさずそこに攻撃はやめて!?」
諜報機関に所属する諜報員は基本的に潜入工作や交渉の技術を備わっているが、同時に格闘術を極めているのがほとんどだ。諜報員の多くは軍隊や警察上がりが多い。自身を守る護身術だけではなく、相手の人間を無力化……はたまた人を殺してしまう術を持ち合わせるほどの暴力的な力を身に着けている。
「あと今のテメェがそうやって逃げねぇでいられるのは、その頑丈なモノがあるおかげだろ?」
「!」
霧崎さんはニヒルに笑いながら、俺の胸元に忍ばせている物をゴツンとドラムみたいな音を立てて小突く。
そうだ。今、俺の上半身のジャケットの内部には一見シャツにしか見えない強度なセラミックプレートを利用した『ボディアーマー』を着込んで装備している。それもただのボディアーマーではない。防弾機能はもちろんのこと、耐衝撃機能がかなり優れている。普通だったら気絶か……死にかねない霧崎さんの凶悪な打撃の攻撃威力を分散させている。そんな頼もしい装備をしているのを見抜くとは、さすがだ。
「! そりゃ霧崎さん相手に生身で戦えませんよ! この装備に頼って情けなくても、俺は死にたくないんで!!」
「フッ。別に情けなくねーぞ。戦闘において、いかなる攻撃に耐える為に防弾装備するのは基本だろうが。それにすぐに死なれちゃあ、つまらねーからな。俺はむしろ歓迎するぜ」
その通りだ。戦闘が起こりえる危険な任務に臨むなら、装備を徹底的に揃えて生存率を上げるのは重要だ。生身で霧崎さんと訓練するならば命がいくつあっても足りないので機関のスパイアイテム開発部に半ば泣きついて頼み込んだところ、現代の軍隊でも使われている装備よりも最先端技術を盛り込んだらしい特殊繊維と軽量化を実現した開発中の試作品装備が提供された。
つまり! この装備がある限り霧崎さん相手に、まともに訓練出来る!
「でもな――それは俺には意味ねぇってのは分かってんだろ?」
「はい?……ぐっ!!」
今の発言に気を取られたのか、霧崎さんのストレートな拳が腹に、もろに直撃した。
……多少腹部に衝撃が入ったが、生身の体自体にはなんともない。さすが開発部お墨付きの頑丈な装備だ。これなら――!
「――まず一発目」
――ピキッ
「……え?」
う、嘘だろ……。内部のアーマーから……とてもとても――嫌な音が聞こえてしまったんだが? 気のせいだよな?
呆気に取られた俺に対して霧崎さんはニヤリと笑うと、
「もう一発目だ」
更に容赦なく俺の腹部、さっきの一撃目と同じ場所に――もう片方の拳がダイレクトに直撃した。
……するとアーマーのヒビが一気に周囲に広がっていき……。
――バキン!
「ええ――!?」
上半身から地面へと、バラバラに砕け散って落下したアーマーが見るも無残な『ゴミの破片』だらけとなっていた。
これには愕然とするしかない。
「いいか? とにかく物質ってのは、どんなとこにも必ず脆い部分ってのがあるもんだ。そこに一度ヒビさえ入れば、また衝撃を与えることで――こうやって破壊できんだよ」
「………………。いやいやいや!? 拳だけで……しかも素手でこんな芸当出来るの霧崎さんぐらいだ!」
開発者によると、このアーマーはアサルトライフルのAK-47やデザートイーグルみたいな威力の高い銃の弾丸も防くことが可能で……破壊するならばせいぜい大型動物相手に使う超大型弾丸でも使われない限り安全だって聞いていたのに……!
「そうかぁ? まあ確かにこんなこと出来るの俺ぐらい……いや、もう1人ぐらいは……」
ぶつぶつと呟く霧崎さんだが……このまま訓練が続行すれば、さすがにボディアーマー無しのまま霧崎さんの打撃をモロに食らったら死んじゃう!!
「……や、休ませてください……!!」
「あ? どこに休憩を挟ませてくれる優しい敵がいるんだ? まだ軽いウォーミングアップだろうが、こんなの。続けるぞ!」
「ひぃ!」
と、訓練は続行され……
――いつも通り、お決まりで俺は床に這いつくばっていた。
「たく……鎧が失ったら弱腰になるとか、それこそ情けねぇぞ」
霧崎さんは唾を吐き捨てるように、足元に倒れている俺を見下す。こんな光景はもう何十回……何百回も慣れたことだ……。
「言っとくが、あれでも手加減したんだがな? 本来だったら一撃で、んな鎧壊せる。……わざと隙を見せてやる為に、あえて二撃にしてやったのに驚きながら固まりやがって」
「…………」
ば、化け物だ……この人は。ただただ愕然とするしかない。
しかも長時間あれだけ激しい動きをしていたのに、全く汗一つかいてやしない。本当にこの人は『人間』なのか……?
「……チッ。最近の若い奴は根性がねぇな」
呆れた霧崎さんは一息つくのかジャケットの胸ポケットからタバコの箱とライターを取り出して吸い始める。しかも地面に倒れている俺に向かって吐き出した煙草特有の濃い煙が足元の俺の鼻の中にまで侵入してきた。
このままだと立ち上がろうとする思考さえもボヤけてしまうので煙ったいのを手でバタバタ払いながら、よろよろと立ち上がる。
「……タバコはよくないって彩織さん言ってましたよ。任務中に吸ったら臭いで敵に位置とか追跡されやすかったり、嗅覚と味覚を狂わすだけの得が一切ない薬物同然の代物で死んでも吸いたくないし吸ってる人に近寄りたくないって」
「……あいつはいちいちうるせぇんだよ。そのくせ臭いだけでタバコの銘柄を細かく特定しやがって厄介でよぉ。……ただでさえテメェのことであーだこーだ言われて面倒だから俺の方から避けちまいたいぜ」
グダグダ言いながら濃い煙をスパスパ吸って吐いてを繰り返す辺り、やめる気は毛頭ないなこれ。余計苛つかせてしまったので話題を変えてみる。
「……最近戦闘訓練だけでなくても、やたら厳しくなっているのは気のせい? こんなんじゃあ俺の体が持ちませんよ」
「さあな、んなのは俺が知ることじゃねぇ。今出来るのはとっととテメェが任務でくたばらないようにビシバシ鍛えてやるぐれぇだ」
「……だからってこんな死にかねない訓練ばっかしても……俺は霧崎さんみたいに頑丈じゃないですよ!」
「そりゃあ俺は特別なんだよ。易々と死ぬ気なんかねぇ」
「じゃあ普通の訓練をしてくださいよ……!」
「はぁ? 普通だろ?」
やっぱり理不尽だ……。
この人を相手にすると、訓練のはずがいつも死の間際まで追い込んでくる。こんなのを毎日続いてれば命がいくつあっても足りない。まだ任務を受けて臨んだ方がマシなぐらいだ。
「上もとっとと本腰入れてぇんだよ」
「……」
彩織さんとの訓練でもそうだったが最近、近々と感じている『予感』。
任務が下されるペースも早くなっている。まるで近々、『大きな仕事』が入ってくる前触れみたいな気配が日増しに伝わってきている。
「ああ、それとな――修司」
そんな考えごとをしている最中だった。
――鋭い風切り音が眼前で鳴る。
「――っ!」
「――俺はまだ休憩とも終わりだと一言も言ってねぇぞ?」
煙草を咥えたまま……霧崎さんの腕はいつの間にか横に伸びており――俺の喉先寸前の手前でナイフの刃が密着して止まっていた。一瞬でも息をしてしまえば首筋に当てられた刃先によって喉が裂かれそうなほどにナイフと喉の隙間が一切ないぐらいピッタリと。
俺は息を止めたまま死の手前の感覚にヒヤリとしながら、冷汗がダラリと流れた。
そんな俺を見た霧崎さんは、
「訓練中になに気ぃ抜いてやがる。さっきから10回は殺せる隙見せやがって……本当に死にてぇのか?」
霧崎さんは素手だけでなく武器の扱いも超一流。銃を手にすれば視界に入った瞬間に脳天が弾丸に貫かれ、はたまた道端に落ちている小石も霧崎さんが手に持てば凶悪な破壊兵器と化する恐ろしさだ。……ナイフだって今のように、まるで体の一部と同化しているかのように自在に手に持って使いこなしている。
「言っただろ? 戦いにルールなんか存在しねぇ。相手を倒すんなら、どんな手使おうと卑怯もねぇからな。敵であろうが味方であろうが警戒しろ。この世界で生き残りたければな」
「……」
言いたいこと言って気が済んだのかフンと鼻を鳴らしながらナイフを下げてジャケットの懐に仕舞う。死の寸前から解放された俺はみっともなく息を吐いたり吸ったりした。
「なんで武器のナイフがなんで最も使われやすいか知ってるよな?」
「……最も手に入れやすいから」
「そうだ。刃物なら街中どこでも買えて手に入れられる。ナイフや包丁がなければカッターでも十分代用出来る。素人だろうと、刃がついてれば持てば立派な武器にも、凶器にもな。任務で敵対する奴はほとんど刃物を手にするのばっかだ。お前だって経験してきたし、これからも遭遇するぞ」
「……そんな状況ばっかにはなりたくないけど」
「この仕事をやってれば、そういったのは、嫌でも遭遇すんだよ。まあ、料理中で包丁持っている彩織と揉め事起こすよりは大分マシだろ?」
「それは……冗談でも笑えないから……」
霧崎さんはククッと冗談半分で言ってるけど、刃物を持っている彩織さんとか一瞬でも想像しただけでも意識を失いそうだ。
「とにかくテメェはナイフ使う相手の対応と、ナイフの使い方もしっかり身に付けとくんだな」
霧崎さんはメンドくさそうに言ってから、再び右手で持つ煙草を吸って――大きく息を吐いた時だった。
「フー……
――っ!」
俺は今その瞬間に――地面に落ちていたボディアーマーの破片を掴んで霧崎さんに目掛けて投げ飛ばした。
「チッ」
すぐに反応した霧崎さんは煙草を放り投げて、目前にまで迫った破片を拳で弾く。
俺はその隙に急接近して――ジャケットに仕舞っていたナイフを取り出し、掲げて――この刃先を霧崎さんの胸に目掛けて突く!
「まだ訓練は終わっていない……でしたね!」
どんな相手にだって無防備になる瞬間は存在する。
無論、例外の塊である霧崎さんにだって煙草を吐いたときにリラックスしているその瞬間こそが無防備になる隙だった。伊達に今までの訓練で何百回も観察をしてきた。
だからこそ今確実に、この瞬間を、見逃さなかった。
これで――!
「まあ――惜しかったな」
――ナイフが止まった。
霧崎さんの胸に刺すはずだった刃先を、霧崎さんはまるで煙草を掴むように二本の指で挟むという怪物らしい芸当で防いでいた。
……本気で刺し殺す勢いでやっても届かない。
まだまだこの人には敵わない。
圧倒的な力量の差があるのを改めて実感した。
「ほう……最初から狙ってやがったのか。俺に煙草を吸わせるようにしたのも」
「……そこでしか攻撃の隙は無かったから」
「最初から騙しやがったってわけか」
フッと軽い嘲笑を見せる霧崎さん。
まあ……ボディアーマーがぶっ壊れるだなんて、さすがに予想していなかったが……。
刃先を掴んだ霧崎さんの素手の指には、わずかなスッパ切れた跡から赤い液体がスーッと流れる。
この人(怪物)にも、ちゃんと血が通ってたんだ……と心のどこかで失礼なことを考えてしまう。
「ちったぁやるようになったじゃねぇか。その経験と感覚を忘れるんじゃねぇぞ」
霧崎さんの数少ない褒め言葉だった。
すると、
「――まあ、まだ訓練は終わってねぇよな?」
「はい?」
指でひとひねりするとナイフが――パキンと折れた。
ええ!?
同時に目の前にはニヤリと――阿修羅の片鱗を覗かせる好戦的な笑みを見せられて……。
「気が変わった――。ナイフだけじゃねぇ。てめぇにはありとあらゆる武器の使い方を叩き込んでやる。――その前に今ここでブチのめしておくがな」
「……え?」
「この俺に騙し討ちかまそうとしたんだ。覚悟できてんだろうな?」
「……ひぃっ――!?」
この後しばらくは地獄という名の訓練が続き、容赦なくボコられたのは言うまでもない。
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