第5話 四方八方
とある昔の出来事を思い出した。
俺が今よりも、まだまだ諜報員としては、あまりにも未熟だった頃――
「オラァッ!」
「――!? ……がはっ!」
場所は情報機関の施設内部に設置された訓練部屋。
俺の胸の鳩尾に――手合わせしている相手の男の鉄拳がモロにめり込んだ。
拳を食らったのになにも感じなかった直後、一気に全身に強烈な痛みが渡り走らせて意識が朦朧として身体全身が倒れて床に膝折れる。
駄目だ……もう立てない。
「こんなもんにしといてやるか。今日はここまでだ」
「……ハァ……ハァ」
目の前に居るのは俺に一撃を与えたサングラスを掛けている男の名は
情報機関では特殊作戦の実行部隊の担当を任されており、俺の上司の1人でもあり、こうした戦闘訓練の師匠だ。俺が幼き頃から機関においての戦闘技術はこの人からの教育を受けていた。本日は定期的な訓練で、この人との一対一の勝負形式を行ったわけだが、結果は当然このザマ。全く歯が立たない。
「まあ、ちったぁやるようになったじゃねぇのか」
霧崎さんはそう言いながらライダージャケットの胸ポケットから煙草を取り出しては安っぽいライターで火を点けて吸う。俺は口から血をペッと床に吐き捨てフーフーと息継ぎしながらも、言葉を腹の中から力を込めて声を出す。
「一方的に……俺だけがボコられた気がするけど……」
「それでも前の時よりは長く保ってるだろうが。それに死んでねぇじゃねぇか。大抵の奴は今の一撃を受けたら目ん玉飛びてて倒れて死ぬんだがな。ハハハ」
そんなヤバい一撃で弟子に放って殺そうとしてたのかよ!?
「気にするな。この地球上の生物は俺に勝てねぇんだから、勝とうだなんか俺が死ぬまでねぇぞ。まあ俺は一切死ぬ気はねぇけどな」
それは暗に俺は一生この人に勝てないってことじゃ……。
この男は豪胆な性格で――とにかく滅茶苦茶な人だった。ただ実力は正に折り紙付きでこの人の言う通りだろう。なにせ化け物みたいな強さだ。正面からでは勝てるだなんて思えないし、不意打ちでも勝てる自信もない。
「反省会だ。倒れながらでもいいから、よく聞け」
意識がさっきよりはマシになってきているが、それでも体中どこも重い。タバコを吸っている霧崎さんの話を聞くように無理やりと集中する。霧崎さんは俺を見下しながら口を開いた。
「テメェには諜報員として必要な技術は備わっている。教われたことは何でも吸収して何でもそつなくこなすのは優秀なところだ。だがな、そんな褒め言葉は腐るほど聞き飽きたはずだったな。『只の優秀』なだけのテメェには、な」
「………」
褒められているはずなのに全然嬉しくなかった。霧崎さんが言ってることは――俺は只の器用貧乏で、特別に特化している才能なんか持ち合わせていないということだ。 機関の中には工作が得意な人。情報収集に長けている人。霧崎さんみたいに戦闘で滅茶苦茶強い人が何人も存在していて、俺はそのどれにもなれていない中途半端だ。耳が痛い話だ。
「それに決定的に足りないのが一つある。しかもあまりにも致命的のな。
――お前は予測不能な場面に遭遇した時に乱れて隙がありすぎなんだよ。いくら技術を持ってて優秀なだけだろうが、そんなんじゃあ――」
その先の言葉は俺の全てを否定する言葉だと予想出来た。
「――
-2-
夕食を食べ終えた頃合いにスマホに掛かってきた画面を見ると着信相手は――生徒会長だった。今まさに予測不能の事態になって頭の中の思考が鈍くなってし混乱している。手に取る前に恐る恐ると、
「あ、あのさ……リリス。電話、出てもいいか?」
何故かわからないけど、ここでリリスに確認を取らないと後が怖い気がした。
「………………………………どうぞ」
なんだ、今の間!?
まだ手元のスマホは着信中なので、ひとまずリリスは置いて通話ボタンを押してスマホを耳に当てる。
『――こんばんは、修司くん』
スマホの向こう側から聞こえたのは優雅に澄み切った声で耳に優しく響いた。
生徒会長――山之蔵奏、本人の声で間違いない。
俺は冷静を取り戻して、落ち着きながら返事する。
「……こんばんは会長。こんな時間に何の用で……それも電話を?」
基本的に生徒会の連絡はスマホにインストールされてあるチャットアプリによるメッセージを送り合うのがほとんどだから、電話なんか急な用事ぐらいしかなかったはず。
『電話をするのに理由はいる? 私はね、修司くんと話したいから電話したんだよ。わかる?』
「はぁ……そうですか」
相変わらず何を考えているのか、よく分からない人だ。
『でも――妙に遅かったね』
「えっ? ああ……すいません。出るのが遅くなって」
『普段の修司くんはスマホは肌身離さず身につけるか、すぐ取れるように近くに置くように心掛けているはずよ。私が電話を掛けて君が手に取る間の遅れた時間を考えたら、お風呂中でもお手洗いでもなく……そうだね……もしかして今は誰かと一緒にいるのかな?』
………………
背筋がゾクッと震えた。
『ふふ、少し疑い過ぎたみたいね。ごめんなさい、私はどうもこう深く考えちゃう癖が身に付いてしまってて。直したいとは思うけど、なかなかとね』
「は、はは……そうですか」
やはり、この人はどこか末恐ろしい。
あの生徒会の中で一番の要注意人物だけなことはある。
瑠凛学園高等部生徒会長
瑠凛の歴史において稀代のクイーンと謳われる生徒会長。
俺が生徒会に入ってから1ヶ月程、会長と接する機会は多くなったが、この人の思考は独特過ぎて中々読めない。
……さすが裏では『秘密結社』を牛じている家の娘だけあるのか。
『電話でも修司くんは固いわねぇ。今はプライベートな電話なんだから、私のことは――奏と呼んでくれてもいいんだけど』
そんな気軽に呼べるわけないだろ!?
しかも今はリリスが目の前にいるってのに……。
「……普通に恥ずかしいので遠慮しときます」
『いいじゃない。今は家に居て周りには誰もいないはずと思うけど? なにせ修司くんは1人暮らしなんだし』
――ん?
「俺、会長に言いましたっけ? 今1人暮らししているって」
俺の記憶では間違いなく……。
会長にそんなこと言ってなかったはずだ。
『直接は聞いてないね。でも私は知ってるよ。確か修司くんの現在の住所は瑠凛学園から、すぐ近くの……○○○-△△△-□□□のマンション702号室で合ってる?』
…………部屋の番号室まで正確に当てられて怖い。
他人の秘密を暴く諜報活動している俺が人のことを言えないが、秘密を探られてる人ってこんな、おぞましいことだったんだな……。
「……一応訊きますけど、何で知ってるんですか?」
『ふふ、それは私が『生徒会長』だからだよ』
答えになっているのか? それは?
にしても場所を知られたからには引っ越すべきか? いや……引っ越したとしてもすんなりと特定されそうだ。
おそらく生徒会長の『家が家』だ。きっと瑠凛学園では特別な権力を持っていて、生徒の個人情報など軽く手に入るだろう。
……俺も瑠凛の生徒については調べているので、とやかく言えないが。
しかし、こうなれば自分の経歴は絶対にバレないように、きっちり偽装しとこうと強く誓った。
『私はね、修司くんの一人暮らしに興味があるの。だから今度遊びに行ってもいいかな?』
「……!」
まずい!?
この人には絶対に来てほしくない――!
「……別に男の一人暮らしの部屋なんかに来ても、つまらないかと」
今の通話の会話で横からのリリスの視線が一層強烈に感じているが……気のせいにしておこう。
『つまらないかどうかじゃないのよ。私は純粋に修司くんの部屋が気になって見てみたいだけなんだ。なに、いかがわしい物があろうと私は全く気にしないから隠さないでいいわ』
「そういうのじゃなくて……っ!」
いかがわしい物って多分、会長が想像しているのはアダルト雑誌とかそういうのを指してるはずだよな……? まさか今部屋で散らかしているスパイ道具とかではないよな?
『あるいは私を部屋に入れたら、なにか『困ること』でもあるのかな?』
「……別にそんなわけないじゃないですか」
滅茶苦茶困ることが山程ある!
いざというときには天井に隠し収納スペースがあるので、ヤバい物は咄嗟に隠せるようにはしているが……。
『でも、そしたら君の部屋には私と2人だけになってしまうわね。男女二人……そうなったら――修司くんは欲情してしまって私を押し倒すのかな?』
くっ……完全に向こうのペースで捲し立てられている。このままでは埒が明かない。
だからここは――
「じゃあ、その時は――俺が会長を押し倒してしまってもいいんですよね?」
おそらく会長は本心ではなく、からかっているだけで俺の反応を楽しんでいるに過ぎない。つまりこういった相手に対して、あえて乗り気に飲んでやることで拍子抜けをさせやすい。だから会長にも効果が高い
……はず。
会長の反応ははたして――
『――――――――』
あれ? 返事がない。
「会長、聞いてます?」
『――……ごめんなさい。修司くんもそういう冗談を言うようになったのかと驚いてね。ふふ、これはさすがに予想外ね』
思ったよりも効果が高かったようだ。
「……そりゃあ、からかってばかりだと俺も返したくなりますよ」
『そうか、君は本当に面白い。さすがは私が見込んだ男ね』
その言い方は何か変な意味に捉えちゃうけど……。
『電話してみて良かったよ。今、修司くんに電話してみたらら面白そうなことがある直感がピンときたからね』
どんな直感だ。
本当にこの人は学園でも学園買いでも気の向くまま、思うがままに行動するのが困る。それが彼女にとって得になることが尚更厄介だ。
「……話したいことがあるんだったら明日学園で聞きますんで」
『むっ、まだまだ話したいことがあったのに』
声色でとても残念そうだと伝わるが……まだまだ何を話すつもりだったんだ?。
『おやすみ、修司くん。また明日ね』
「……はい。また明日」
静かに通話を切った。これで安心……したかと思えばスマホの画面にはメッセージの通知が着ていた。アプリを開いて確認すると、生徒会グループのチャットではなく、俺と個別でのトークで……それも生徒会書記のレイナ・リンデア先輩からだった。急いでトーク画面を開く。
リンデア書記
『ちょっと! 電話したのに出なかったじゃない! すぐに電話で連絡しなさい。メッセージだけだとわからないんだから! Vite!(急いで)』
(……え? 副会長からも来てる!?)
更には副会長の火澤仁美からも個別のメッセージが来ていたので開くと、
火澤副会長
『夜分遅くにごめんなさい 先にこちらから電話したのですが通じなかったので……。折り入って話したいことがあるのですが、よろしいですか?』
(なんでよりによってこんな時に一斉に連絡がくるんだ……!?
――ハッ!)
真後ろから殺気めいたオーラが発されていたのを感じ取ったので振り向けば、完全に俯いたリリスが……そういえばさっきの会長との通話中からやけに静かだったな!?
「私ちょっと外にでかけてきます……多分時間が掛かると思います。――あとマスター、さっき『押し倒す』とか、おかしなこと言ってましたよね?」
「おい!? 包丁持ちながら会話するな!? 普通に危ないから落ち着けっ!!」
結局この後はリリスの頭を撫でて強引に
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