第26話 予想外


 

「…………なんで黒瀬さんが?」

「そりゃあ修司に込み入った話があるからでしょ」


 喫茶店でバイト中の時間帯に機関の局員が利用する2階には黒瀬さんが来訪していた。あの人は何時も突拍子な行動を起こすので、こうしたことは特段不思議ではないが急なことは急だ。


「じゃあ、後は任せたから」

「え? 彩織さんは一緒に居てくれないんですか!?」

「用があるのはあんただけなんだから。私には店があるの。付き合ってらんないわよ」


 彩織さんに肩をポンポンと叩かれて投げやり気味に言われれば、そのままスタスタと階段で一階へと降りて行って俺は残される。渋々と黒瀬さんが座る席に近寄った。


「どうも」

「やあ。うーん……彩織くんにツンケンされてるなぁ。それにさっきだって久し振りにリリスくんにも会ったというのに全然構ってくれなくて私は寂しい思いをしていたとこなんだ」

「はぁ……」


 四十過ぎた年齢で表情筋に皺がありながらも渋く整っている壮年の男性はニコニコとしながらも軽い愚痴を零していた。


 黒瀨くろせあきら


 ターミナル情報局で今回の俺の任務の作戦リーダーを務めており、俺が幼少の頃より機関ではお世話になっている人だ。諜報員として高い能力を持ち、数々の困難な任務を成功し続けていて、国内や海外の他の情報機関からも黒瀬さんを危険視して恐れているとのこと。しかも、ただ有能なだけではない。あのくせのある彩織さんや霧崎さんや多くの機関の人間をまとめているカリスマ性も持ち合わせている。諜報員として見れば隙が無い完璧な人だ。


 ……それだけに黒瀬さん本人もくせがあって周りからは機関の仕事から外れれば人間性的には嫌われているといった欠点があるのが玉に瑕だ。なにせ彩織さんだけでなくリリスからも何かと嫌われている。さっきリリスが浮かない顔をしていたのも店に入った黒瀬さんに会って何か言われたせいだろう。


「黒瀬さん。本日はどういったご用件で?」


 俺はまだ喫茶店のバイト中。

 今は店員と客。

 黒瀬さん相手にもしっかりと接客を心掛ける。


「それはもちろん可愛い君達の働きぶりを見にだぞ」


 パチンと軽くウィンクをする。

 40超えている壮年のオジサンがだ。


「……ふざけてるんだったら、お帰りください」


 前言撤回。まともに相手していられない。

 彩織さんが仕事中でも、あんな態度を取ったのも今なら理解出来る気がした。

 この人は事あるごとにこうやって他人の神経を逆撫でる。

 きっとさっきも俺が来るまでに彩織さんはこうやって黒瀬さんの悪ふざけに付き合っていたのが想像がつく。そりゃあ、さっさとここから離れたいに決まっている。


「ははは、いやいやすまない。それにしても久しぶりだな風時。こうして直接会うのは何時以来だったか」

「瑠凛学園に潜入直前の作戦会議が最後かと」

「ああそうだった。3か月ぶりになるな」


 最後にこの人と直接会ったのは俺が瑠凛学園に潜入する任務を受けた時だ。

 その後は通信機器等のモニター越しでの定期の報告でしか会話していない。


「悪いですけど世間話したいだけだったら俺まだバイト中なんで」


 今はくだらない会話に付き合うほど暇ではない。

 それに仕事を放ったらかしにして後で彩織さんからアレコレと言われそうだ。

 

 呆れて踵を返そうとしたとこだった。


「まあまあ、とにかく座りたまえ。彩織くんにはちゃんと了承を取っているから。それに君の分のコーヒーとケーキも用意してある。ゆっくり話し合おうではないか。

 

 ――風時」


 お茶目な雰囲気から一転して真剣の雰囲気に呑まれた。

 口調もさっきよりもトーンを落としていた。

 この黒瀬さんは冗談を言わない真面目。

 テーブルの上を見れば黒瀬さんだけでなく二人目の分のコーヒーとケーキのセットが置かれている。

 こうなっては俺もいつものようにあしらうわけにはいかなかった。


「分かりました」


 俺は促されるままテーブル対面の席に座って話を聞くことにした。



――――



 席に座って手元に置かれていたコーヒーカップを手にして飲む。

 ストレートのまま飲んでみると口の中に真っ先に広がるのはビターな苦み。喉を通る頃には丁度いいバランスの酸味と甘味がじんわりと流れてくる。この喫茶店『カサブランカ』のオリジナルブレンドコーヒー。ブレンド配合を考えたのはもちろん彩織さんで、今このコーヒーを淹れたのも彼女だと分かる。

 セットのチーズケーキも一口食べてから再びコーヒーを飲めば相性抜群。


(まだまだ彩織さんには敵わないな)


 彩織さんから料理だけでなくコーヒーについても厳しく叩きこまれていた。

 コーヒー豆の銘柄。生の豆の状態。豆の焙煎。コーヒーの淹れ方。ブレンドの配合について。とにかく徹底的にだ。店で出せても文句ないコーヒーを淹れられる自負があるが、やはり彩織さんの淹れたコーヒーを飲むと自分はその域に達していないと実感してしまう。


「うん美味い。さて――あれから君を襲った瑠凛の元生徒達について調べたが」


 一緒にコーヒーを堪能した黒瀬さんの手によって目の前のテーブル上に広がったのは数枚の資料の紙。それらには顔写真や、その人物の情報が記されていた。

 先日、放課後の帰り道で俺を襲った連中のデータだ。記憶に新しい俺を直接襲った3人も資料に含まれており、そいつら以外も襲撃に関わっていた元瑠凛の生徒のことが載っている資料も見られた。



「――この全員が行方不明になった」



「……………………は?」


 あまりにも突然過ぎて素っ頓狂な声で反応してしまった。

 俺を襲撃した瑠凛の元生徒達が全員が行方不明? どういうことだ?


「更には、この者達の家の会社の倒産も進めている最中だ。近々ニュースなりで発表があるだろう。といっても、どれも小さい会社だからそこまで騒ぎにはならんがね」

「……ちょっと待ってくれ」


 黒瀨さんは普通に淡々と説明しているが俺は追いついていけない。


「? 何を言っている。この瑠凛の元生徒達の会社は知っているはずだろ」

「そうだけど……」


 郷田建設。飯島家具ファクトリー。俺を襲った奴らの家、中小規模の会社だ。

 しかし、その会社が急に倒産するって……まさか雅人が言っていたのは、このことだったのか?


「それに、あれからもう襲われてはいないようだな」

「……」


 確かにあれから学園からの帰り道で襲われることも気配も感じなかった。

 といっても俺に……というよりリリスにあんなコテンパンにやられれば逆恨みの復讐なんか意気消沈していると思っていたが……。まさか彼らの会社がああなったり、それに本人達が行方不明となってはそれどころの話ではない。


「倒産の原因は何でも投資していた事業を一方的に切られたり、懇意にしていた取引先も強制的に打ち切られている。。なにかおかしいとは思わないかね?」


 大ありだ。

 あまりにも不自然すぎる。


「外部から圧力が掛かった……のか?」

「ふむ。そう考えるのが妥当だな」


 この会社の取引先全てに根回しして倒産まで追い込んだ?


「この元生徒達を唆して君を襲うように仕向けた者が証拠隠滅して消したと考えるか?」

「それにしてもあまりにも大胆過ぎる。これだと返って目立ち過ぎてますって」

「だろうな」


 こんな会社を潰すような真似が出来る人なんか限られている。

 彼らの家よりも格も権力もある家だ。

 それも貴族の学園、瑠凛学園に関わっている人の手によるとしか考えられない。


「風時、君はもう予想はついているんではないか?」

「――ッ! ……それは」


 黒瀬さんはまるで俺の考えを読み通すかのように突いてきた。

 この人は何時だってそうだ。

 何でも見透かして答えを知っているのに泳がせたままにする。

 それは黒瀬さんの手ではなく、俺達自身に解決させたい思惑なのか――


フッと黒瀨さんは微笑した。


「風時。君は優秀な諜報員だ。我が機関が誇るエージェントの1人だということは私が自信を持って言えよう。だから君を瑠凛に送り込んだ」


 もう用は片付いたとばかりに黒瀬さんはテーブルに広げた資料を束にしてまとめる。


「しかしまだまだ甘い部分がある。それは若さゆえの仕方ないことだとも言える。だが、この世界では関係ない。どんな物事に直面しても冷静に判断して処理をするのが我々諜報員の仕事だ。だから――私情を持ち込むな」


 それは理解している。

 任務において私情なんかあってはならない。

 私情によって迷えば任務は失敗する――そして死に繋がってしまうから。


「そうだな……ついでに私から一つヒントを言おう。今回この件に関しては何事も一つの結論に結びつけてはならない。君が考えている複数のケースは分けたまま考えるべきだとね」


 何時の間に黒瀬さんの分のコーヒーとケーキは飲み終えて食べ終えていた。

 資料を鞄に仕舞った黒瀬さんは席から立ち上がった。


「さて、私はここでおいとましよう。この件はもうお前に任せるぞ」

「……はい」



-2-



「お先に失礼します」


 喫茶店の営業時間が終了。

 厨房と客席の掃除をすれば本日の俺のバイト仕事は完了。

 喫茶店の制服から着替えた俺は帰り支度を済ます。


「あ、マスター! 私も一緒に帰――」

「駄目よリリス。よくやったとはいえ、まだまだ反省点があるから改善に向けて、みっちり付き合ってもらうわよ」

「そんな!?」


 どうやらこの後もリリスはまだまだ彩織さんにこき使われるようだ。

 リリスの初バイトの仕事はあのメイド服のせいで恥ずかしさがあったとはいえ大きなミスは無かったし彩織さんの狙い通りに十分に客寄せも出来ていた。あと何回か仕事をしていれば慣れるだろう。……これから俺の仕事が増えそうなのは気が滅入るが、彩織さんに文句言ったところで仕方ない。


「修司」


 帰ろうと事務室のドアノブを掴んだとこで後ろから声が掛かったので振り向くと――目の前に彩織さんがいて。


「あんたもお疲れ」


 俺の頭に彩織さんの手が置かれる。

 わしゃわしゃと少し強く撫でられるが不思議と嫌な気持ちにならない。


「……なんなんだ急に」

「それはこっちの台詞よ。二階から戻ってきてからずっと上の空だったでしょ?

そのくせ、ちゃんと仕事はしているのが小憎らしいわね」

「……分かるのか?」

「私が何年あんたのこと見てると思ってるのよ? 舐めないでよね」


 ため息交じりながらも微笑んで、中々見られない優しい眼差しを向けてくる貴重な彩織さん。


あいつ黒瀬から何を言われたのか知らないわ。でもね、何でもかんでも1人で抱えこむのはやめなさい。頼れる人が周りにいることを忘れないで」


 黒瀨さんだけではない。彩織さんにも見透かされている。

 やっぱり俺はまだまだ未熟だと思い知らされてしまう。


「分かったから、もう撫でるのはやめくれ……」

「昔からこうやってあげたのに、もう恥ずかしくなったの? すっかり思春期ね」


 年上の女性に励まされる。

 何か最近の俺はこんなことばっかりだ。



――――



 喫茶店の建物から外に出れば周りはすっかり暗くなって上を向けば幾多の星が散らばる夜空が広がっていた。普段は喫茶店から家までバスで帰宅しているが、そこまで遠くない距離だし、何より今は歩いて帰りたい気分なので徒歩で帰路につく。


(そろそろだ……)


 俺に逆恨みしていた瑠凛学園の元生徒を唆して襲わせた存在。

 そいつを今度は俺が追いつめる段階まで進んでいた。

 しかし、まだ不可解な部分が残されている。


 今までの情報――そして黒瀬さんからの情報を頭の中で整理しながら思考を巡らせて夜中の道をたった1人で歩いていると、


 ポケットの中のスマホが振動した。一瞬ではなく長い。通話の着信だ。

 取り出したスマホの着信画面を見ると掛かってきた相手は――


 『山之蔵 奏』


「――ッ!?」


 予想外だった。

 まさか今、彼女、生徒会長から直接電話が掛かってくるとは。

 このまま電話に出るべきか?

 

 ……出るべきだ。


 迷うことはない。

 いつも通り会長と接すればいいだけだ。落ち着け。

 ゆっくりと画面の応答をタッチしてからスマホを耳に当てる。


『こんばんわ修司くん』


 電話越しからでも凛々しく澄んだ耳に響き渡る美声が聞こえた。

 やはり生徒会長本人だ。


「どうしたんですか? それもこんな時間に」

『悪いわね。最近は色々と立て込んだ用件が入ってしまって生徒会に出向けなくて』

「……会長は何かと忙しい身なのは分かってますよ。それに生徒会の方は大丈夫です。副会長も書記もしっかりしてますし」

『……そう。ありがとう』


 ここ数日、生徒会長は生徒会室に来ていない。

 山之蔵家のご令嬢とあらば学園以外でも忙しい身分なのは皆が知っている。


 ――それとも俺には言えない何か別の用件があったからなのか


『やっと暇が取れるようになってね。それで修司くんの声が聞きたくなって電話を掛けたくなったの。その様子だと外で歩いているようだけど迷惑だった?』

「……いえ。いきなり電話きたのは驚きましたけど」


 本当に相変わらず何を考えているのか分からない人だ。

 人の気を知らないようでいて、しっかりと見ていたりする。

 そんな人だから周りから慕われているのは、これまで彼女と接して分かった。


「じゃあ俺の声を聞いた会長は満足したようなので、もう切っていいですか?」

『……君は何時の間に随分と意地悪なことを言うようになったね』


 声色から電話越しの向こうで軽く膨れっ面になっている会長が想像出来て苦笑する。


「そりゃあ誰かさんに何時も意地悪なことされれば仕返ししたくなりますって」

『ふふっ。その誰かさんはとても修司くんのことが気に入ってるようね。

その人の想いにしっかり応えてほしいものだけど』

「……」


 なんともまた返事しづらいことを。

 顔が引きつってしまう。

 これはやられた。


『ところで修司くん。明日は休日なのは知っているね?』

「? はい……知ってますけど」


 明日は休日。

 つまり学園へ行かなくてもいい日だ。

 なぜ会長はそんなことを聞いてきたのかと疑問に思った瞬間だった。


『――だから明日は私とデートしない?』

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