回想編 社会の裏 後編


 ポーカーとはただ単に手持ちのカードで役を完成するだけのゲームではない。

 相手のカードの手を予想しながらも自分の手を知られてはいけないし、いかにして勝負を仕掛けて相手をゲームから降りさせるかといった心理戦。ポーカーフェイスという言葉もこのゲームから生まれた。

 心理を読み合い、揺さぶり、操る情報戦。まさに『スパイ』の本領が発揮されるゲームと言えよう。


「……おおっと、ノーペアだ」


 勝負が始まってから少々と時間が経過していた。ポーカー・テーブルの対面に座っている渋い男は残念そうに肩を竦めながら自身の手札を明かす。

 ノーペア。役が不成立。

 対する俺の手は――


「……ワンペア」

「ははっ、これは私の負けだな。持っていくがいい」

「……」


 弱い手だが、役は成立していたので、このゲームは俺の勝ち。


 ――だが、まだまだゲームは続く。


「このチップは坊やの物になりますね」


 ここ怪しげなバー(違法ポーカー)の支配人であり、今ディーラーを務めている妙齢の女性、晴奈さんが微笑むように告げて、いくつかのチップが俺の手元へと移される。黒瀬さんの手元にはまだまだ積まれているチップがあるので、あれをゲームの終わりまでに多く奪えば俺の勝ちということになる。


「いい調子だな、風時。このまま私に勝てるのではないか?」

「勝たせる気なんかないだろ」

「当然だ。お前に面倒な仕事を押し付けたくて仕方ないからな」

「……」


 今のとこは勝っては負けの繰り返しを経て、今は――

 やや俺が勝っている。でも油断はしていない。

 これまでのは、俺も黒瀬さんもいきなり大きく勝負に出るようなことせずに少額のチップだけ賭けあって時間だった。

 手札を持った時の相手の表情、仕草等の癖(テル)からどんな手を持っているのか読み合っている。俺は黒瀬さんの癖を知らない。だから何気ない動きを一瞬たりとも逃さずに視て、記憶していた。


「次のゲームに移ります」


 再び晴奈さんが新品の箱からトランプカードを開封し、シャッフルしてから配られた手札を見た――と同時に黒瀬さんを視る。

 黒瀬さんも自分の手札を確認した……その直後――手元に置かれていたウィスキーのグラスを手に持った!

 俺はチップをどっさりと手に持ち、前に突きつけるように出して「レイズ」と宣言する。


「……ほお」


 黒瀬さんの眉が一瞬だけひそめた。

 レイズ。チップを倍に賭けることで、勝てばリターンが大きく得られる。

 勝負はここからだ。黒瀬さんはハンデによって、どんなに手が悪かろうと交換出来ない。だが、俺は遠慮なく交換して役を狙える。


「いきなり勝負に出たな。よっぽど自信があるのかね?」

「御託はいい。受けるか降りるかどっちだ?」


 ふむ……と黒瀬さんは口と同時に手も止まっていた。やはり、そうか!

 ――これまでのゲームで黒瀬さんは手が悪い……役が揃っていない場合は決まってグラスを手に持って飲んでいた。

 たった今も同じような動きを取ったのは見逃さずに、俺は勝負を仕掛けた。

 どう出るか? なんだったら降りてもいい。それでも既に賭けられていたチップを頂くまでだ。


「では受けようではないか」

「っ!」


 勝負に乗った……ということは、まさか良い手を引いたのか?

 それともブラフ(ハッタリ)か?

 だが……俺から勝負を仕掛けたからには引き返せない!


「オープンしてください」


 ディーラーの宣言と同時、互いに手札を明かす。


「ツーペア……!」


 どうだ?


「スリーカードだ」

「……ッ!?」


 ヒシヒシと感じていた嫌な予感が明らかになった。

 唖然とする俺に黒瀬さんは意地悪な笑みを浮かべる。


「良い手の時に勝負を仕掛けてきたのは感謝しよう」

「わざとだったのか……!」

「そうするように仕向けた。私ぐらいになれば相手に癖(テル)を掴ませるヘマはしないどころか利用して騙せよう」


 あの仕草は演技……! まんまと引っかかったわけだ。

 悔しそうにする俺に黒瀬さんは満悦な笑みになってグラスを呷る。


「ふっ、まさに『カジノロワイヤル』の場面だな」

「あら? 確かあの映画でしたら、あなたがやったことはボンドに仕掛けた悪役の策略になってしまうわ」

「ははっ、そういえばそうだったな。あの完全無敵のボンドがピンチになった時は驚いたよ。だが、その後の逆転劇はまさに――」

「ふふ、あなたのお好きな映画を熱く語るのは結構ですけど、今はまだゲーム中ですよ?」


 もしかして俺はこの男の007ごっこに付き合わされているだけなんじゃあ……?

 ……それはそうと、今の勝負でごっそりとチップが持ってかれたのは痛い。


「さて――まだ勝負は終わっていないぞ?」

「……チッ!」


 ここからが本番だと言わんばかりにゲームの流れが苛烈になっていく。


 ――4枚チェンジか、よほど手が悪かったのかね?


 ――ちゃんと交換するカードを確認したか?


 ――その手でいいのかい?


 ゲーム中に黒瀬さんが口にする言葉一つ一つ全てが俺の心理を揺さぶってくる。

 どんなに気を取り直しても、この男は僅かな隙を的確に突いて勝負の流れを握っていく。その結果――


「また私の勝ちだな」

「クソッ――!!」


 俺はテーブルに思いきり両手をついて立ち上がって前のめりになる。


「あらっ……!」


 すると晴奈さんが床下にと軽く屈んで何か気づいたように声を上げた。


「……坊や。落としましてよ」

「……すみません」


 勢い余って立ち上がった拍子にスマホが晴奈さんの横の足もとへと滑り落ちていた。拾ってくれた晴奈さんから返して貰う俺の姿は誰から見ても冷静さを欠けている様子で黒瀬さんは嘲笑う。


「ずいぶんと焦っているようだな」

「……っ!」


 テーブルの場を見れば俺のチップがすっかり減っていて、キリキリと追い込まれていた。黒瀬さんは、次のゲームに進めようとカードを取り出そうとする春奈さんに手を挙げて止めさせた。


「少し話でもしようじゃないか。張りつめたままでは、私も面白くないぞ?」


 張りつめさせた張本人がなに言ってやがる!?


 と、叫びたかったが喉の寸前でギリギリ堪えて、代わりに大きく息を吐き出して深呼吸する。

 席に座りなおして俺が落ち着いたのを見計らったのか、黒瀬さんは話を始めた。


「風時が瑠凛りゅうりん学園の潜入の任に就いてから早数か月。でお前は多少なりとも、この任務の重要性を自覚したようだと私だけでなく――上層部も捉えた」

「……」


 周りは他の大勢のプレイヤー達が騒がしい中でも黒瀬さんの発する渋い低音が淀みなく聞こえる。酒を飲みながらまったりと語っているが、言葉の節々からはそこはかとない重みがある。

 張りつめていた空気が緩んだかと思えば――より強く引き締まり直していた。


は『あらゆる組織』が狙っている領域だ。向こうもそう易々と踏み込ませない。だが――ついに我々の組織は念願かなって踏み込むことが出来た。故に『お前』に任せたんだ」


 ズシンと一気にのしかかってくるのは、期待なんかではない。

 使命。厳命。そんな言葉では言い表せない、とてつもない『重荷』が課せられた。

 しみじみと語られる一方で、俺は事の重大性を再確認させられだけの会話だった。

 ……こういった話すら俺の心理を操る手段でしかないのが、この男の手だ。

 そんな奴に俺が対抗する手段は……。


「ゲームを続けてください」


 俺の合図に反応した晴奈さんからカードが配る準備をする。


「風時。にとって、この課せられた任務ルビを入力…をどう思っている?」

 

 その問いに対して、手にした『手札』を見た俺の返答は……。


「……オールインだ」


 これが今の問いの答えだと言わんばかりに手元のチップ全てを前に突き出した。

 最後の最後に全力で勝負を仕掛ける。

 その俺の姿を見た男はフッと微笑を浮かべ、


「では私もオールインだ。ここで勝てば一気に逆転だな」


 真っ向から受けてきた。

 これもブラフ(はったり)かもしれない……。


「5枚全部チェンジで」


 それでも、このまま押し切るしかない!

 手札5枚のカード全てを裏のままテーブルに伏せて交換を要求する。


「……坊や。これが最後の勝負ですのよ? よろしいの?」


 晴奈さんがもう一度よく考えてと確かめるように訊いてきた。

 最後のゲームだ。もう引き返せない。


「……交換をお願いします」


 俺のハッキリとした要求に応えて、新たな5枚のカードが配られた。


「さあ、これがラスト・ゲームになるな。悔いのない結果を迎えようではないか」


 減らず口を叩く男に、俺は手札を明かす。

 黒瀬さんの目が見張った。

 俺が完成した役は――全てのトランプの絵柄がハートで数字が8,9,10,J,Qと並んでいる


 ――ストレートフラッシュ。


「……惜しかったな」


 そう呟いた黒瀬さんもカードを公開する。


「――私もストレートフラッシュだ」

「なっ――!?」


 眼前で広げられたのは全ての絵柄がダイヤで数字が9,10,J,Q……Kと並べられている。お互いストレートフラッシュ同士の対決。

 同じ役の場合は一番高い数字で勝敗が決まる。

 俺のストレートフラッシュの最高はクイーン。

 黒瀬さんは………………キング。つまり……。


「クイーンよりもキングが上になる。――私の勝ちだ」

「…………」

「残念だったな――風時。……だが、もし『ロイヤルストレートフラッシュ』を完成させていれば私を倒せただろうに。では遠慮なくいただこう」


 俺が賭けたチップ――全てが黒瀬さんの手元へと奪われる。

 これが意味することは――


「残念だったわね、坊や」


 この勝負の審判を務めているディーラーの晴奈さんが俺に憐憫の目を向けて、そう告げられた。

 ――俺の負けだ。


「さて、さっそくだが勝者の権利を使わせもらおう。風時、お前に出向いてもらうことになる任務はだな――」


 残り少ないグラスを手にして呷りながら、愉悦に口にする。


「――待て」

「ん?」


 悠々と先を話そうとする黒瀬さんに、俺は制した。

 話の腰を折られた黒瀬さんは不服そうに顔をしかめて反応する。


「なにかね? まさか、この勝負は無しだ、取り消せとは言わんだろうな?」

「そんなみっともないことは言わない。……ただ、これだけは――確かめさせてくれ」


 もう一度頭の中で確認して、今日一番の大きく深呼吸した。

 今から俺が告げることは、間違えてしまえばみっともないどころか大恥もいいとこだ。けど――間違いないと確信していた。

 顔を正面に上げて、黒瀬さん――そして晴奈さん二人同時に両目を向けて視界に収める。



「あんたら二人――グルだな?」



 ハッキリと告げる。

 突きつけられた黒瀬さんは目を細め、晴奈さんは頬に手を当てると、


「バレちゃいましたね」

「ああ、さすがにやりすぎたようだな」


 意外にも、二人はあっさりと正直に吐いた。

 黒瀬さんはグラスを置いて手を組むと。


「風時。どこで気づいた?」


 まるでイカサマがバレるのが想定内だったかのように、黒瀬さんは俺に種明かしを答えさせる。


「……最初に疑問に思ったのは黒瀬さんが俺にテルを掴ませた。あまりにも、


 黒瀬さんの偽りの癖。

 今思えば、あれは俺を欺く為の行動と思っていたが――


「本当の狙いはディーラー……カードを配る晴奈さんの手に目を向かせないようにすることだ。……もっとも最後のストレートフラッシュ。最後の最後であんな役を引けるのはあまりにも出来が過ぎる」


 それこそ黒瀬さんの大好きなあの映画みたいに上手く引けるわけじゃない。

 互いが同時にストレートフラッシュを引く確率としては非常に低い。

 つまり――わざと意図して役を作らせたのだ。

 そんな芸当が出来る、この場のカードを支配する人物こそが――

 黒瀬さんの横にいる人物に疑惑の眼を向けた。


「お見事ですわ、坊や」


 流暢に微笑むディーラー晴奈さん。

 彼女は新品の箱から取り出したカードの山をシャッフルした後に上から一枚抜いて裏のまま置くと、


「これはダイヤのA」


 そう宣言した後に表に返すと――

 ダイヤのAのカード。

 再びもう一枚の裏のカードを置いてから、


「これはジョーカー」


 またまた的中。


「この仕事を何十年以上もやっていると、どんなカードなのか裏でも分かっちゃうの」


 ……それはそれで凄い技能だ。

 やはり、この人も只者ではない。


 感心する俺にパチパチと軽い拍手が鳴る。


「見事だ。これまでのゲームはお前の言う通り私と晴奈くんが


 答え合わせは終わり。


「よくぞ見抜いた、が――卑怯とは思うまい。風時、は?」


 すぐ傍に部外者の晴奈さんがいるのに、答えさせようとしてきた。

 といってもゲームの最中でも普通に機密に触れることを話していたし、今更なことだ。晴奈さんもシンとして目を閉じている。

 俺は正直に答えた。


「……『諜報員』」

「その通りだ。『エージェント』すなわち『スパイ』。人を騙して情報を得る。故にを作るのも我々からすれば立派な仕事の一つだ。私はそれを行ったまでにしか過ぎん」

「この人から事前に連絡があって頼まれたのよ。ここに坊やを連れてくるから一役勝ってほしいって」


 予め協力者を取り付けた上で、俺をこのお店に連れてきた、仕組まれたゲーム。……なにがハンデだ。最初から黒瀬さんの揺るぎない勝ちがあった上での勝負だ。こんな勝負出来レース、はなから引き受けないで逃げた方が大正解だった。


「卑怯な手は存分に使え――バレない限りはな」

「……まさか普段からこんなことを?」

「それこそまさかだ。こんなこと、さっき会った警察の坂鬼さかきみたいな奴には容易くバレるさ。私は常に公平に真剣に勝負している。まあ、それでも私は勝つがな。ハハッ」


 イラっとくるが確かにこの人なら、こんな手を使わずとも勝てそうだ。


「だが、分かっただろ? 風時。全て――理不尽で回っていることを」


 黒瀬さんが再び手に持つグラスの中では、溶けかけている氷がカランと鳴った。


「雨宮くんも霧崎くんもこれまで理不尽な修羅場を潜り抜けてきた――無論、私もだ。苦労している」


 俺からはとてもそうは見えない……が、それは俺が知らないだけの話と胸中で無理矢理留める。


「確かに今のお前にとっては理不尽に感じることが多い。だが、この先――理不尽なんかでは済まない事態に出くわすはずだ」


 それはまるで予想ではなく絶対的だと断言していた。


「断れるなら断れるはずだ。お前にだって、それぐらいの権利はある。だが、任務を投げだすほどお前は子供ではあるまい」

「……」

「つい先日、君が遠地の任務に就いている間にリリス君が私に直談判してきたんだよ。今のお前の負担を減らすようにとな」

「え、リリスが?」

「ああ。ナイフを突き付けてきて脅されてね。久しぶりにスリリングな気分を味わったよ」

「……なにをやっているんだ、あいつは」


 頭が痛くなるように片手で額を抱える。そんな俺を見た黒瀬さんは微笑ましく話を続けた。


「リリス君だけではない。皆常にお前のことを大事に気にかけている。それは『信頼』しているからだ。だから容赦なくお前をコキ使っている。お前が必ずやり遂げるという『信頼』を持ってだ」

「……嫌な信頼だな」

「信頼しているから私は部下を好きにさせているんだよ」

「やっぱり、理不尽だ……」

「そうだ、理不尽だ」


 クツクツと笑う黒瀬さんに、俺はため息を吐く。

 今の言葉を俺に聞かせたい為だけに、こんな勝負を仕組んで、勝って、酒を飲みながら語るのは、さぞかし気持ちよくなっているはずだ。

 ここまで全部この男の思い通りの展開で踊らされていた。


 けど――



 それもそこまでだ。


 俺はわざとらしく黒瀬さんから視線を逸らして、に向けた。


「――ああそういえば、。さっきは、ありがとうございました」

「あら、そうでしたね。でも坊やには驚いたわ。

せっかく私がのに、放り投げちゃうなんて」

「それは――」

「……ん? 風時、晴奈くん。何の話をしてるんだね?」


 俺と晴奈さんの意味深な会話に、黒瀬さんは疑問を挟んできた。

 再び黒瀬さんに目を向ける。


「黒瀬さん。確か言っていたはずだ。最後のゲームで黒瀬さんの手札――ストレートフラッシュに勝てるを俺が持っていればって」

「ああ、そうだ。だがお前が持っていたのは私の手に及ばなかったストレートフラッシュだったはずだ」

「黒瀬さん。俺が交換したカードの枚数は?」

「確か5枚……まさか……っ!」


 俺の手前すぐ横には最後のゲームの交換によって捨てられていた5が裏返ったままで置かれている。その捨てられていた5枚のカードをめくると――

 

 10,J,Q,K……A――それも全てスペードで統一されていたカードが揃っていた。



 今やっと初めて――この男、黒瀬彰の目を剥かせることが出来た。

 俺は最後のゲームでカードを交換しなければ、ポーカーにおいて“最強の役”である


――“ロイヤルストレートフラッシュ”を手にしていたことに。


「……っ! 晴奈くん!?」


 黒瀬さんはハッと晴奈さんに疑惑の眼を思いっきりぶつけ、晴奈さんは少女のような可愛らしいイタズラな表情を浮かべた。


「ごめんなさい――実は坊やに協力してたの」


 バレちゃったとお茶目に笑う。

 当然だ。ロイヤルストレートフラッシュなんか超低い確率の役を運頼みで引けるとは思うまい。がいるからだ。それはもっとも仕組んでいたはずの黒瀬さんがよく分かっている。


「なるほど……風時にというわけか」


 その通り、まんまと黒瀬さんは協力者のはずであった晴奈さんに裏切られたというわけだ。


「とっくにイカサマを見抜いていたのか?」

「勝負の途中から……いや、そもそも最初から何となく気づいてたってぐらいは。黒瀬さんが自分からハンデを課してる時点できな臭くて、裏があるとしか思えなくてな」


 ため息をしながら言う。そもそも、この違法ポーカーの支配人の晴奈さんをディーラーに指定してまてだ。何か仕組んでいるに違いないと感づいていた。

 俺が答えても、黒瀬さんはまだどこか癪全としない表情だ。


「だが勝負の最中に、お前はどうやって晴奈くんを味方につけた? そんな機会など……まさか……!」


 どうやら気づいたみたいだ。

 ゲームの最中で黒瀬さんから隠れながら唯一晴奈さんにコンタクトを……というよりも俺が一方的にメッセージを伝える場面ルビを入力…があった。


「お前が立ち上がった、あの時……わざと落としていたのか」


 ご名答とばかりに、俺はポケットからスマホを取り出す。


「そう、俺は取り乱したフリをして、わざとこのスマホを落として晴奈さんにを見せたかった」


 『イカサマしてますよね?

  黒瀬さんを裏切って、俺に協力してくれませんか?』


 ゲームの最中に、こっそりとスマホに入力していたメッセージが表示されたディスプレイを晴奈さんだけに見せるように仕向けた。落ちたスマホを拾ったと思ったら、画面を見て驚愕した晴奈さんの表情は中々だ。


 ……後はこれを見た晴奈さんが、俺の協力に乗ってくれるかどうかが『賭け』だった。


「まさか坊やが見抜くどころかなんて、驚いちゃったわ。だからラストゲームはサービスで坊やに乗ってあげたの」


 俺に最初に配られた手札が、黒瀬さんに勝たせる為にロイヤルストレートフラッシュが揃っていた。俺の思い通り黒瀬さんを裏切って寝返らせるという賭けに勝ったのだ。


「でも――まさか坊やがその手をなんて驚いちゃったわ」


 全てのカードを交換する。あの時取った予想外すぎる俺の行動に、晴奈さんの隠し切れない驚愕の表情も中々忘れられない。

 黒瀬さんはまだ信じられないといった顔つきで俺に問う。


「……なぜ、わざとを捨てた? あのまま勝てただろ?」

「その顔を見たかったからだ」

「!」


 再び驚愕が染まる顔が曝け出される。

 あのまま晴奈さんが味方についてカードを交換せずにロイヤルストレートフラッシュで勝つよりも、あえて黒瀬さんの思惑に乗って――最後の最後にこうして鼻を明かしたかった。完全に全ての流れが自分の思い通りだと驕っている今この瞬間を狙って。

 ただ勝ったところで、こんな間の抜けた顔した黒瀬さんを見れることが出来なかったと思う。


「ふふ。私もあなたのそんな顔、初めて見ましたわ」


 黒瀬さんが力なく笑う。


「ははっ……これは参ったな。してやられたよ。そうか……勝負の勝ちを捨ててまで得たかったのが、それか」


 苦笑した黒瀬さんは笑いながら身につけている腕時計を見る。


「……もう遅い時間だ。風時、今日は付き合わせて悪かったな。店の外に迎えの者を呼びつけているから、もう帰りたまえ」


 手にしたままのスマホで時間を確認すれば、まだ日を跨ぐのには余裕がある時間だった。

 さすがに俺を夜遅くまでこんなとこで拘束する気はなくて安心した。

 明日は学園があるんだ。さっさと帰ろう。


「坊や。表で飲むのはいいけど、今度は大人になってから、また来てくださいね」


 出来れば来たくはないが口にしないで、春奈さんに会釈してから踵を返す。俺の背中に黒瀬さんの声が掛かる。


「ああ、そうだ。私のイカサマを見破ったんだ。勝負はお前の勝ちにしておこう」


 勝負の件。俺が勝てば、を黒瀬さんが抑えてくれるという約束だった。

 勝負前は願ってもない条件と思っていたが……。

 肩越しに顔を向ける。


「いや……結局勝負は捨てたんだ。俺の負けなのは変わらない」

「ほお。いいのか?」


 黒瀬さんを見返したからといって、さっきの黒瀬さんが垂らした話は無意味だったわけではない。

 上司の理不尽という試練を超えなければ、この先――俺は生きていけないんだと。ここで甘んじてしまえば、それこそ台無しになってしまう。

  そう答えた俺に黒瀬さんはフッと笑って、


「さすがだな。なら引き分けにしとこう。


 ――あの二人を止めるのは私でも苦労するもんでな。助かったぞ、ハハ!」

「……やっぱり俺の勝ちにしていいか?」

「もう遅い」


 クツクツと笑いながら返された。

 これだから大人は卑怯だ。

 きっと、これも社会なんだろう。


「風時」


 最後の話だといわんばかりに黒瀬さんは目を細め、俺を確かに見据える。


「私を出し抜いたことも見事だったが。見抜いたのは本当に見事だ。この私ですら予想外だったぞ」


 それは世辞でもなく、真髄な言葉だった。

 その言葉を聞けただけでも良しとするか。


「黒瀬さんはまだここに?」

「まだ少し飲むさ。ここから先は

 本当のを――ね?」


 すると、黒瀬さんの皺がある手の平が横の女性の手の上から重ねた。

 その仕草は淫らに、いかがわしい連想をさせられる。

 

「もう……子供の前ですよ」


 手を重ねられた晴奈さんも満更でもなく染まった頬に空いた手を当てていた。


 ………………


(こいつらっ――!!)


 大人の世界という、もう一つの世界は理解出来そうにも……いや、理解したくなかった。



 ……――



 外に出れば初夏の時期で夜中の風は温かいはずなのに、やけに冷たく感じる。

 酒は飲まなかったが少々と……いや、かなり熱くなり過ぎたようだ。

 そんな俺を迎えに来てくれたのは――


「なによ、その顔。店畳んでからすぐに迎えに来てあげたのに」


 車のキーがついたホルダーを指でクルクル回しながら現れた、ややきつめな目をしている大人の女性。

 ……すぐそこで見知っているワンボックスカーが停まっているなと思ったが、まさか本当に彩織さんが迎えに来てくれたのは。


「……なんでもない」

「そう?」


 さっき散々店の中での愚痴を吐いてきただけに、非常に気まずい!

 今この人と車の中二人きりで帰るとか耐え難い時間を送る羽目になってしまう。


「さっさと帰るわよ」


綺麗に整ったまつ毛の上の凛とした視線で車を指してくる。


「いや、俺はタクシーで――」

「乗れ」

「はい……」


 やはり、この人には逆らえない。



 -2-


 彩織さんの運転は荒い。車が道を曲がる時なんか体が横のGに引っ張られる勢いで姿勢がおかしくなりそうだ。こうして助手席に座ってる間も一切気が抜けないまま座った心地になれない。

 車のウィンドウから見える外は真っ暗だが、さすがは都会。まだ明かりがついているビルが流れるようにイルミネーションとなっている。

 車内では00年代の恋愛の歌姫と呼ばれた有名アーティストの一昔前に流行ったアップテンポのBGMが流れていた。彩織さん意外とこういう曲なの結構好きなんだよな。


「あんた、あの店で食べてきたんでしょ?」

「ん? ああ、彩織さんの知り合いが働いてたんだな。知らなかった」

「言わなかったしね」


 それもそうだ。俺も彩織さんもこれまでお互いの交友関係を聞くようなことはしなかったしな。私生活について知ろうとはしない。

 ……といってもここ最近は彩織さんに扱き使われて今までより近くに居ることが多いせいで彼女の私生活が垣間見えてしまっている気が。


「でっ――なに食べてきたの?」

「ナポリタン食べてきた」

「そう。どうだったの?」

「そりゃ、もちろん美味しかった」

「それだけ?」

「え?」

「まだあるでしょ?」

「いや……別に」

「――言いなさい」

「……」


 ドスが利いた声だった。

 誤魔化すな、と。容赦しない、と。

 それに連動してか車の揺れも激しくなってきて、ここで死にたくないので観念する。


「彩織さんのナポリタンに全然負けてないぐらいの美味さだった……正直どっちが美味しいか決められないほど」

「よろしい」


 俺の正直な答えに納得して車の揺れも小さくなっていく。


「あんたが私に気遣って嘘でもついてたら、今すぐ熊が出る山にでも放り込んで置き去りにするとこだったわ」

「はは……それは勘弁だな」

「冗談に決まってるじゃない。私がそんなことする?」


 絶対そのつもりだっただろ!?

 この人なら本気でそうするので、危なかった……。

 危うく真夜中の山でのサバイバルからの学園に登校するとこだったぞ。


「とにかく、紅葉もみじの料理の腕はわかったでしょ」


 コクリと頷いた。

 紅葉さんの料理の腕は間違いなく一流だ。


「おかしな話しょ? 腕があるなら独立して自分のお店を持てばいいのに。あんな怪しいお店でバーテンダーなんかやっちゃってさ」


 彩織さんにしては、珍しく悔しさが混じっているように聞こえてる。


「でも、そういうなのよ。まっ、気にしても仕方ないわね」


 そして、なんでもなかったかのようにあっさりと紅葉さんの話を終えた。

 彩織さんと紅葉さんの関係は中々複雑そうだ。気にならないといえば嘘になるが、俺が容易に踏み込める問題ではないので俺からはこれ以上、何も訊かなかった。


「それにしても――の気まぐれに付き合わされたのは同情するわ。閉店して帰ろうとした時に急にあいつからあんたを迎えに来るように連絡がきてね。あんた別件の任務から帰ったばかりで疲れてるってのにね。こうしてすぐ急いで来たのよ」

「彩織さん……」


 彩織さんの優しさにジーンと染み渡ってきた。

 ……そもそも霧崎さんに強引に任務に行かせられたのも、この人のせいでもあるはずだが、そんなことは吹き飛ばされてしまった。我ながら甘い自分である。

 こういう優しさを普段から惜しみなく見せてくれれば、俺も彩織さんのことを悪くは思わないのに。


「今、失礼なこと考えてた?」

「いや、なにも…………ん?」



 ――違和感。



 ……確か喫茶店が閉店して彩織さんが店から出るのはだいたい夜22時以降になる。

 その時間はまだ黒瀬さんとの勝負でのゲーム中の時間だと記憶している。

 ゲームの間は黒瀬さんはスマホを取り出して連絡している姿を見ていなかったし、席を外していない。そう――表立っては。


 ………………


「……彩織さん。黒瀬さんから連絡が来たのは何時頃?」

「え? 一時間ぐらい前よ。それに変なメッセージついてて意味不明だったけどね」

「見せてくれないか?」

「はぁ? ……しょうがないわね」


 怪訝な声音しながらも、俺の真剣な声音を察して運転の片手間に彼女のスマホが放り投げられた。

 受け取った俺はスマホの画面で表示されたのを見た。

 内容はさっきのバーの店に俺の迎えに来てあげてくれとの文面。

 だが、最後に――まだ続いていた。


『しかし、私も隠れながらスマホを打ってみたが中々苦労するな(^▽-)-☆』


 中々イラっときたが、このメッセージが送られた時刻を確認すれば、予想通りまだ俺との勝負――ゲームの最中だった。……それも――俺が晴奈さんに隠れてスマホを使ってコンタクトを取った時間帯とも被っている。


 このメッセージが意味することはつまり――


(……ッ!)


 計り知れないおぞましさが全身を走り抜けていく。

 まさか……気づいていたのか?


 隠れてスマホを使っていたことも?

 俺が晴奈さんに協力を呼び掛けることも?

 あの間抜けの表情すら演技なのか?


 ……こんなこと確かめられない。その『真実』は今となっては不明だ。

 車中の空調が効いてるはずなのに脂汗が浮き出てくる俺に、どうしたのよ?と彩織さんは気にかけてくれた。


は……一体なんなんだ?」

「そんなの私にも分かるわけないじゃない」


 俺の真剣な問いに対して、あっさりと、そして吐き捨てるように応えた。


「でも、あんたも分かってるでしょ? あいつがこの組織で必要不可欠な存在だってことが」

「……」


 この先もあの人の下で仕事をしなければいけない。

 ……只でさえ別任務からの帰りで疲れているので、色々今日はもう考えないようにした。

 あの店で起こった出来事の中で――本当に良かったことを思い返すとすれば――


「まあ、あんなが食べれたし悪いことじゃ――てっ、うわぁ!?」


 急ブレーキが掛かって車が止まる。

 どうしたんだ!?と運転席に座る彩織さんの横顔を見るとイライラを隠し切れない表情。


「……あんたに比較されるとムシャクシャしてきたわ。――変更よ。このまま私の家で新しいナポリタンのレシピ研究に付き合ってもらうわよ」

「え!? 俺、明日学校なんだけど!?」

「そんなの知らないわよ」


 ……やっぱり、あの勝負は俺の勝ちにしてくれってお願いしようかな……。

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