回想編 社会の裏 前編


 つい先日、黒瀬さんに無理矢理と連行された、あの後――


 夜中の街。

 会社帰りのサラリーマンや夜中でも遊ぶことが許された大学生などの人々が行き交う、明るい昼間とは違った世界。その暗闇から隠れるように、街の一角にひっそりとした店があった。

 任務の報告をしたら急に黒瀬さんに付き合わされ、俺が連れてこられたのはバーの店だった。

 地下へと続く階段の先のドア入口と、店の外観から隠れ家的なニュアンスで穴場的なスポットと思わせる。大人達が一息とつきたい場所として、うってつけだ。


 だが――


「俺まだ未成年だけど?」


 大人になっていないどころか高校生になったばかりの俺をこんな場所に連れてきてどうするつもりだ?

 入り口前で立ち止まった俺の疑問に黒瀬さんは、逆にしかめた顔を返してくる。


「何を言っている? 自分を偽る『スパイ』が年齢なんか気にしてどうするんだ。ここでは成人として堂々と立ち振る舞いたまえ。なに、お前ならバレはせん」

「駄目だろ!? そもそもこんな任務でもなんでもないとこで変装してどうするんだ!」


 確かに過去の任務では、変装して成人の振りをしたことはあった。時にはやむなしに酒を飲んだことだってある。――でもそれらは任務の潜入において必要なことで仕方なしとしてきたことだ。今は関係ない場面でわざわざ変装して誤魔化す理由がない。

黒瀬さんは顎に手を当てて、ふむ……と一度考え直す素振りを見せる。


「それもそうだな。だが、安心したまえ。ここは私の馴染みの店だ。ジュースも普通に提供しているから気にせずに入って飲むといい」

「そういう問題じゃ……」

「とにかく入れ。なに、悪いようにはせんさ」

「あっ、ちょっと!」


 半ば言い含められて先に店に入っていく黒瀬さんの背中を渋々と追うように店内に足を踏み入れれば、まずシットリとしたジャズのBGMが耳に心地よく流れてきた。店内はうっすらと暗めだが、見回せば室内所々のテーブル中央に置かれているオシャレなワイングラスの中で灯す蝋燭の篝火によって各々と仄かに明るく照らされている。先に居る客も多くなく少なくといったとこだ。内装もオーセンティックバーと言われる大人の空間を演出しており、カウンター横には大きなピアノが置いてあったりと、こういったとこをあまり知らない俺でも、ここは中々格調が高く、雰囲気の良いバーの店だと思わせる。


「いらっしゃいませ――あら、黒瀬さん」

「やあ、紅葉もみじくん」


 すぐ見えるカウンター向こう側には数々の種類の酒のボトルを背景に20代後半と推察出来るバーテンダーの服装の綺麗な女性が出迎えてくれた。今の親しんだやり取りからして黒瀬さんはここの常連らしい。

 紅葉さんと呼ばれた女性は俺にも気づくと、


「あら、この子は? もしかして……黒瀬さんの息子さん?」

「ハハッ、笑える冗談はよしたまえ」

「……」


 全く笑えない冗談で真顔になってしまう。


「私のだよ」

「もしかして――あの修司くん?」

「え?」


 女性は俺に対して急に知っているかのような親身な口調になる。


「ああ、その彼だ。のな」

「そう……この子がの、ねぇ」


 紅葉と呼ばれた女性は接客の態度から一転して、含みを込めた目を俺に注いでくる。まるで実の弟を見るかのような眼差しになったぞ?

 そもそも今二人の話から出てきた人物って……。


「彩織さんを知ってるんですか?」


 雨宮あまみや彩織さおりといえば、機関上司の一人で、理不尽の存在(その1)の人だ。この女性が彩織さんと近い年頃とならば、おそらくは。


「そうよ。彩織とは昔、一緒にお仕事……料理の修業してたりしてね。その時からちょくちょく修司君のこと耳にすることあったの。――色々と面白い話を聞いたわ、ふふ」


 ……この人に何を吹き込んでいるんだ、彩織さん。それも思い出し笑いさせるようなことを。

 彩織さんとは俺が幼い頃から付き合いがあるとはいえ、ことプライベートに関しては不明な点がある。彩織さんも自分から語るようなこともあまりないので、交友関係など知らないことがまだまだある。だから、こんな人が知り合いに居たとは初耳だ。


「それに――だって、ここに飲みに来るときに修司くんのこと、よく話題に出てくるのよ。こうして初めて会ったのに全然知らない子と思えなくてね」

「……黒瀬さん?」

「ふっ、何を話していたのかは想像に任せよう。とにかくこいつは今夜の私の話相手だ。一人で飲んでばかりだと味気ないんでな。注文いいかね?」

「いつものでいいかしら?」

「ああ、だが言わせてくれ。


 ――ウォッカのマティーニを。もちろんステアでなくシェイクでね」


 カウンター席に座ってウィンクしながら注文する。

 あまり酒に詳しくない俺でも、今の黒瀬さんが注文したのは確か――


「……ほんとに相変わらずさんがお好きなのね」


 バーテンダーのお姉さんは微笑みながら呆れている。やはり、そうだったか。

 さっきの車中でのやり取りでもあったが、どんだけ『007(ダブルオーセブン)』が好きなんだ、この人は。


「こいつにもカクテルを。もちろんノンアルコールでね」

「そもそも車で来てるのに酒飲んでいいのか?」

「帰りはタクシーを呼ぶ。さすがに交通ルールはしっかりと守っておくさ」


 そうでないと困る。翌日飲酒運転で捕まる黒瀬さんなんか……いや、ここは捕まっておくべきか?


「――かといって、すぐに帰るつもりはないがな」

「?」

「……はぁ。承りました」


 黒瀬さんの意味深なに疑問を持った俺の後を追うように、察した様子の紅葉さんが呆れ混じりのため息を軽く吐きながらもドリンク提供の準備に取り掛かった。

 カクテルのレシピとなる、いくつかのボトルの酒を適量に入れたのをシェイカーに注いでいく。流れるような美しい所作と小刻みにシェイクする姿が様になっていて、何年もこの業界に務めている熟練の動きを見せていた。それだけにフォーマルスーツがよく似合う彼女の姿も相まって――


「惚れるだろ?」


 隣で何故かドヤっている黒瀬さんがいなければ、きっとそう思えたんだろうな。


「からかわないの、修司君が困ってるでしょ? いつもこの人に振り回されて大変ね」

「……! 分かってくれるんですか!」

「黒瀬さんも一応大事なお客様なのに、どうしても……ねぇ?」

「そうです! 上司なのに全然そう見れなくて!」

「お互い苦労しちゃうのね、ふふ」


 良い人だ! 俺の知る周りの大人達は基本常識が欠けているような気が……いや、その実際その通りだ。それだけにすごくな大人とこうして接しているのが貴重に感じる。


「こらこら、私の愚痴で意気投合しないでくれたまえ」

「あっ、ごめんなさい。――でもお詫びに黒瀬さんの大好きな『ボンド・カクテル』のレシピを再現する為に貴重なお酒を仕入れて材料に使ってるから、本物のボンドの気分になれるわよ?」

「おお! それは素晴らしい!! 是非いただこうではないか」


 螺旋状に剥かれたレモンの皮が刺さっているカクテルグラスを差し出されると黒瀬さんが子供のように喜びながら手に取って口にする。

 あの黒瀬さんを丸め込むとは……この人出来る!


「次は修司君のも作ってあげるね」


 それも黒瀬さんとは違って素敵なウィンクを見せてくれてから、俺のドリンクを作るのに取り掛かった。

 このままカクテルを作る紅葉さんの様子を静かに見ているのもいいが、なんなので横でカクテルを大変満足そうに堪能している黒瀬さんに会話を振ることにした。


「この店にはよく?」

「私一人で来ることが多い。霧崎くんもここには来るが、彼は一人で飲みたいタイプでね。なかなか私に付き合ってくれないんだよ、はは」


 あの人よく普通に黒瀬さん以外の局員と飲みに行ったって話をよく聞くが……。

 霧崎さんにすら一緒に飲むのを断られるって相当だぞ。


(そもそもこの店……)


 チラッと見える手元のメニュー表を見ると中々と値が張る高い酒が羅列されていて、とてもジュースを飲む場とは思えない。俺が居座っても大丈夫か?


「はい、どうぞ」


 いつの間に出来上がっていたカクテルは最後に紅葉さんの手によってマドラーで軽くかき混ぜてから、出されたロンググラスの中身は淡い赤味のある液体で満たされて、中に入っている氷が反射してシュワシュワとした炭酸の泡がキラキラと輝いて涼しく映える。まるで本物のカクテルみたいだと錯覚した。


「『サマー・デライト』。暑い時期になるからね。ぴったりの名前でしょ?」


 いただきます、と飲んでみると、アルコールが一切使われていないただの炭酸が効いたジュースのはずなのに、深い味わいが喉に通っていく。俺の反応に紅葉さんはニッコリと笑みを見せながら説明した。


「大人でもお酒は苦手で飲めないけど、バーで座って飲みたいってお客さんもいるのよ。だから、見た目や味わいをお酒っぽい雰囲気にした飲み物も提供しているの」


 なるほど。バーは酒を飲むだけの場所だと固定観念があったが、確かに酒が飲めなくても、こういったカクテルみたいなものを飲めるんだったら、この店に通いたくなってしまう。店の工夫に紅葉さんのどんな客にも対応する気遣いに感心した俺の横で黒瀬さんが得意気な顔になり、


「新しい常連を掴んだな、紅葉くん」

「もう、まだこの子は未成年なんだからお店に来るとしても、ちゃんと黒瀬さんも同行してくださいね」


 紅葉さんは呆れるが、くすぐったそうな表情で嬉しそうに応えていた。


「ああ、そうだ」


 ふと、黒瀬さんはなにか思い出したような顔つきをする。


「この店は酒だけでなく、料理も美味しい店でね。特に紅葉くんが作るのは絶品だ。腹を空かせたのでナポリタンをいただこうではないか。」

「……あまり持ち上げるのやめてくれます?」

「事実を言ったまでだ。風時もナポリタンを食べるといい。二人分で頼む」


 そういえば俺はまだ夕飯は食べてなかったし、特に絶品というからには興味が引かれる。


「もう……。でも、料理のご注文ありがとうございます」


 丁寧にお辞儀をしてから紅葉さんはカウンター奥の傍にある簡素なキッチン台に移動して調理に取り掛かった。カウンター席から遠目からでも調理中の様子がよく見える。具材を炒めたフライパンに茹で置きしているだろう麺と暖めていた作り置きのケチャップベースのソースを絡ませて皿に盛り付けたりと時間は全然掛からなかった。


「はい、ナポリタン。まずは修司くんの分ね」


 目の前に出された皿の上には、オレンジ色の麺に色彩ある野菜が絡まっている

 ――至って普通のナポリタン。

 正直バイト先の彩織さんの喫茶店で出しているナポリタンの方が凝っているぐらいに、このナポリタンはオーソドックスに見える。でも、ここはバー。あまり料理に拘る店ではない。

 いただきます、とフォークで巻いて、口に入れてモグモグと咀嚼する。



 ………………



「手が止まっちゃったけど、修司くんのお口に合わなかった? バーだし、ちょっと大人向けな味付けになっちゃってるけど」


 ゴクリと飲み込んで皿から顔を上げて、目の前で紅葉さんを――思わず見つめてしまった。


「その……これ……――

 

 とても美味しいです」


 俺の真剣そのものな味の感想に紅葉さんは一瞬だけ目を見張ってから、安心して微笑んだ。


「このソースは隠し味に赤ワインを?」

「あら? 分かるのね。ちゃんとアルコール飛ばしてるのに」

「紅葉くん。知っての通り、こいつは今――雨宮くんの店で働いていて、彼女から直々に『技術』を学んでいるからな」

「そうだったわ。ふふ、さすが彩織のお弟子さんね」


 黒瀬さんがグビッと飲みながら付け足して、紅葉さんは愉快な反応で返した。

 そうだった。この人は以前は彩織さんと料理の修業をしていたんだった。当然料理が美味いのは頷ける。それも――


「……なんか、本当に感動しました。こんな美味しいナポリタンが存在するんだって驚いて……」

「そんなに褒められると照れるわね」

「初対面の年上の女性を口説くとはやるな風時」

「……! 黒瀬さん!」


 水を差してくる隣の黒瀬さんを睨んでから、また美味しいナポリタンを食す。

 どうせなら、がいない時にじっくりと食べたかったものだ。

 紅葉さんはクスクスと笑いながらも、黒瀬さんの分のナポリタンを作って差し出す。

 しかし――この時一瞬だけ紅葉さんの顔にはどこか不安な表情が滲み出ていたのに気づいた。どうしたんだろうか?


「では、私もいただこうかね。

 ――ん? 紅葉くん、がないではないか!」


 すると黒瀬さんはもう一度と手元のナポリタンの皿の周りを見回すと信じられないといった表情で紅葉さんに強い語調で問う。

 問われた紅葉さんは露骨に困った表情を前に出した。


「……本当にがいるの?」

「もちろんだとも。ナポリタンにはが無ければ食べた気にはなれんよ。あるなら、すぐに渡したまえ」


 困ったままの紅葉さんが仕方なくと黒瀬さんの手元に置いたのは――だった。


「あっ」


 俺は気づいてしまった。

 ナポリタンにはタバスコが合う。俺もタバスコが置いてあるなら食べる途中で掛けて食べてみたい。それに粉チーズも欲しいとこだ。


 でも――黒瀬さんの場合は。


「そうそう。これがないとな」


 意気揚々と手に持って開かれたタバスコの口から赤い液体が上からポタッとナポリタンへと垂れる。

 1適……

 2適……3適……


 更に……4適……5適……6……更にと――

 鮮やかだったオレンジ色のパスタが次第に鮮血と見間違うほどに真っ赤に変化していく。横で距離を取っている俺の目と鼻にも強烈な赤から発生する辛味のツンとした刺激が伝わってきた。


「「…………」」


 俺と紅葉さんは見ていられないと、同時に目を伏せてしまう。


「いくらなんでもそれは辛くなりすぎじゃあ……?」

「私は常に刺激を求めているのだよ。これぐらいがいいのさ。では、いただきます」

「……だから彩織さんに嫌われるんだよ」


 そうだ、この人の味覚はに狂っているのを失念していた。

 今この場に彩織さんが居たら料理への冒涜だとかで怒り狂いそうだ。


「やっぱりそうよね……。私もお客さんの好みにはあまり口出ししたくないけど、これはちょっと……」


 困った紅葉さんと、お互い目を合わせて心底同意する。


「む、二人してなんだねその目は? 目上の者に対するものではないぞ?」


 そう言いながらも、真っ赤な麺をとても美味しそうにズルッといただいている黒瀬さんを無視して、俺は自分の食事を楽しむことにした。



-2-



 食事を堪能した後は、おかわりのドリンクをいただいて一息つく。

 黒瀬さんは綺麗に角ばった形の氷が浮いているウィスキーが入ったグラスを呷っていた。

 紅葉さんも今はカウンター奥でグラスを拭いたりして静かに徹している。


「風時、この店に入った時から薄々と感づいているはずだ」

「……まあ」


 黒瀬さんが言わんとしていることに俺は頷いた。

 店内にまばらに居る。一見、会社帰りと思わしき人達に見えるが……


 ――この場にいる客たちが全員、只者ではないと俺には分かる。


「だが――お前が今を見せたことで周りも、より注意を払うようになってしまった」

「あっ……」


 周りの客たちは他の席に移動したりと居住まいを正している。

 向こうも――俺に対して『ただの子供ではない』存在だと気づいたように。


「お前はによって周囲から異常を感じとれるが、故に過敏に反応する傾向がある」


 黒瀬さんの指摘通り、俺は異常を感じ取れば余計な反応をしてしまう。


「紅葉くんを見て、気づいたことがあるだろ?」


 黙って頷いた。

 この店に入った時から紅葉さんは俺と黒瀬さん――そして他の客たちの動向の小さな機微を一瞬たりとも見逃していない。この部屋全体のを読んで動いている。


「彼女はただ店員として酒を提供するだけではない。バーデンダーも一筋縄ではこなせない職業だ。だからこそ私含め、『この店』に来る者たちは安心して飲める」


 フッ、と軽く笑いながらウィスキーを飲んでグラスを置くと氷がカランと鳴る。

 まるでここから本題に入る合図と思わせる。


「では風時――話してもらおうではないか」

「話って……なにを?」


 いきなり振られても思い当たることがない。


「なにを言っている。私が、ただ遊びだけでお前をここに連れてきたと思ったわけではあるまいな?」

「思ってたけど?」

「……そうか」


 いつの間に手前に戻ってきた紅葉さんがグラスを拭きながらクスッと笑っていた。


「お前も『大人の世界』に浸かって、愚痴や悩み事でも吐き出してみたまえ」


 部下の愚痴に付き合うのが上司の役目だといわんばかりの態度だ。

 ただ単に遊びとワガママだけで俺をここへ連れてきたわけではなさそうだ。

 ……正直疑わしいところがあるが、


「でも……」


 チラッと、すぐ目の前に居る紅葉さんを見やる。

 俺が正直に話す内容――仕事柄について聞かれたら不味いような話が彼女の耳に入るのは如何なものかと。俺の視線を察した黒瀬さんは、


「ああ、心配ない。紅葉くんは我々の事情をある程度は知っているし、言い触らすこともしないのは私が保証しよう。それに彼女は雨宮くんとの仲だ。遠慮せずに話すといい」

「もちろん。言い触らしたりなんかして――消されたくないしね」

「むっ、別に我々の組織はそこまで物騒でもないだろうに。そうだろ? 風時」

「はは……」


 同意を求められるが、乾いた笑いで応える。

 この組織、普通に滅茶苦茶物騒なんだけどな!


「ほら、とにかく話してみろ」


 黒瀬さんはわざとグラスの中の氷を揺らしてカランと鳴らして急かしてくる。

 ここまでされれば、この場の雰囲気に呑まれた俺は……。


「……はぁ。わかりました。……そうだな――」


 残っていたドリンクをグイッと飲み干して、心労を吐き出してみた。



 ……――



「――大体おかしいと思わないか!? 学園では全くなにを考えているのか分からない『あの女達』の相手するだけでも大変で胃がキリキリするし! ……最近はがあったのに、以前よりも妙に絡んできて何を企んでいるのか……! それに加えて機関の方でも霧崎さんにも久しぶりに会ったかと思えばいきなり危ない任務に行かされて……あやうく死にかけるとこだったんだぞ! 俺!? 一発でも体に弾丸食らってないのが奇跡で!」

「……紅葉君、こいつのグラスにまさかアルコールは入れてないだろうな?」

「……一応ちゃんとジュースにしているはずだなんだけどねぇ。隠し味がワインのナポリタンのせいだったかしら?」

「ふむ。まあ、これはこれで面白いが」

「……それと!」


 確かに連日の疲れがあったせいか、ずっと張りつめていた気を緩めてしまうと、決壊したようにつらつらと、ここ数日の一連の心労を吐き出してしまう。それも、このバーの独特な雰囲気に呑まれてしまえば、頭がやけくそになってしまうのも無理はない。


「彩織さんも毎日毎日まるで奴隷みたいにコキつかってきて最近は酷いし……」

「あら、彩織が?」


 俺がこぼした愚痴に紅葉さんは明るく反応した。


が仕事中に他人を傍に置きたがるって中々ないわよ? いつも自分一人だけでなんでもでこなそうとする固いとこあるんだから。それだけ修司くんを期待して頼ってるってことよ」


 目を瞑りながら労わるように磨かかれるグラスが反射して。俺の情けない顔が映るのが見えてしまった。


「……そうかなぁ」


 過去の記憶を振り返っても脳内に映る光景には容赦なく俺をコキおろす傍若無人の女の姿しか想像できない。


「それに修辞くんだって彩織のことを――本当に悪く思ってるわけでもないんでしょ?」

「……」


 そう言われてしまえば、これ以上は愚痴を吐けない。

 さすが、あの彩織さんと付き合いがある人だけあって彼女のことを理解している。

 それだけに料理の腕といい、も謎に包まれているのが気になってしまうが。


「お前も大分苦労しているようだな」

「そもそもあんたがを制御しないのが悪いだろ!?」

「はは、なんのことかね?」


 ぐだを巻く俺をあしらってウィスキーを堪能している上司には腹が立つ。

 この人、本当に俺の悩みを聞く気があるのか?

 悩みを吐き出したことに後悔を感じていると、


「はい、お水。気休めだとは思うけど」

「……すいません」


 冷たい水を一気に流し込むと火照った体が冷えていく。

 水ってこんなに美味かったんだろうか?

 頭のてっぺんから足のつま先まで一気に冷静になった。


「……で、黒瀬さん。わかってくれたのか?」

ウチ機関の労働環境を見直したくなるぐらいにはな」


 やれやれと両肩を竦める。

 全然まともに取り合う気がないようだ。


「だが……そうだな――風時」


 黒瀬さんは飲み終えたグラスを置いた同時に口元を釣り上げる。

 企みを含んだ表情が露わになった。


「……なんですか?」


 黒瀬さんは座っている姿勢を横へと座りなおして、真剣な目が真っ直ぐと俺を捉えた。

 なにを言い出すんだ?、と固唾を呑んで身構えると――


「私と勝負しないか?」

「…………え?」



あとがき

今週多めに投稿します!(´・ω・`=´・ω・`)

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