第9話 太陽と親友


「あっ、シュージ」

「どうも」


 1学年生での課外活動が始まる数日前、瑠凛学園の昼休みの時間帯の出来事。

 昼休みになれば学園中の生徒達は昼食を取る為に大きく動き出す流れになる。俺はいつものように外で昼食を取る為に教室から出て校舎外へ向かって廊下を歩いていると生徒会書記レイナ・リンデアとバッタリと出会ってしまった。

 一目だけで目立つ天然の黄金色の長髪をポニーテールでユサユサさらさらと垂らしている。モデルのスタイルに、生徒会長とはまた違った貴族らしい風格を惜しみ気なく曝け出しているので昼休みの廊下は人混みが多いのに、周りで通る生徒達は決してリンデア書記にぶつからないように避けている。


「シュージも今からランチ?」

「はい――」


 そうです、と言おうと瞬間。


「あ! この子がレイナがよく話してる生徒会の新人くんだよね」


 リンデア書記の隣から元気よく明るい声で俺に話しかけたのは肩まで流れているセミロングの茶髪。目立ちがハッキリとしている顔立ちだが、同時に美麗な風貌を感じさせる。見覚えのある彼女の姿を直接見ると一瞬だけ緊張してしまった。


「マッテ!? ワタシそんなにシュージのこと話してないわよ!」

「え~そうだっけ? 今朝、教室で話してた時だってレイナから――」

「アレはたまたま生徒会の話で!」

「あの……」


 先輩二人して俺の前で立ち止まって、何やら盛り上がられると普通に困る。

 ……廊下で通っている他の生徒達からも注目されているし。

 気づいたリンデア書記は恥ずかしさを誤魔化すからか顔を逸して、もう一人の女生徒は俺に申し訳なさそうに照れた。


「あっ、ごめんね。私……って自分で言うのなんだけど多分、私のこと知ってるよね?」

「2年の鏡(かがみ) 凪咲(なぎさ)先輩ですよね。日本代表女子フィギュアスケート選手の」

「わー、知っててくれて嬉しいな~」

「今ナギサのこと知らないのなんて学園の外でもいないわよ」


 わざわざ調べなくても、俺もこの人のことは知っている。

 鏡(かがみ)凪咲(なぎさ)。高等部2学年生。

 今の日本スポーツ界隈で話題を呼んでいるフィギュアスケートの女子選手。

 母親が元フィギュアスケート選手で父親は資産家の家。

 母譲りの美麗な容姿に細い腰つきのプロポーション。プロのアスリートとしての自信を持った振る舞いを醸し出している。

 連日のワイドショーのスポーツ特集で鏡凪咲が扱われているのをよく見かけるし、学園内の掲示板には鏡先輩についての活躍の記事が貼られているので、外でも教室内での話題でも耳にする有名人。まさに時の人だといえよう。俺もこうして世間での有名人に直接会えたことに恐縮してしまう。


 ……っと、廊下でいつまでも話し込んで先輩たちの昼食の時間を邪魔しては悪い。


「それでは俺は――」

「ねぇレイナ。この子も、お昼一緒にしようよ」


 え?

 

 鏡先輩にそう言われたリンデア書記は、やや声が上擦って高揚としながら間髪入れずに、


「ソ、ソーネ。せっかく会ったんだし、今日はシュージとワタシ達でランチするのもいいよね」


 待て。

 なんかトントンと、それも勝手に話が進んでいないか?


「いや……俺はこれから外で――」

「いいよいいよ。じゃ、一緒に行こっか!」


 鏡先輩が俺の身体をUターンさせて背中から強引に押し進め、このまま一緒に反対側の食堂に向かうことに。俺の意思なんか全く気にせずに昼食のお供にさせる気だ。

 ……まあ、この後はどうせ、いつもの校舎から離れたとこの物置小屋前のベンチで、多分また注意しにくるあの風紀委員長に嫌味を延々聞かされて食べることになるし、たまには他の人と昼食をするのも新しい情報が得られそうだ。鏡先輩もいるし、きっと生徒会室にいるような窮屈な思いはしないはず。



―2―



(一緒にするんじゃなかったな……)


 瑠凛学園学食堂。

 貴族の生徒であっても昼食を取る為に食堂を利用するのは一般人と変わらない。

 ――そう思っていた。

 実際来て見て、違いがあるといえば、この学食堂は、ほんのちょっとだけ内装が豪華で、ほんのちょっとだけビュッフェのテーブルが並んでて、ほんのちょっとだけ食事のグレードが上で……よそう。何もかもレベルの高い食事処としか言いようがない。一般庶民には畏れ多くて利用出来ないエリアだ。


 俺達3人、正確にはリンデア書記と鏡先輩が足を踏み入れた瞬間、食堂入り口近くに固まっていた大勢の生徒達はモーゼの海割りのように道を開けてくれる。それはそうだ。

 トップクラスのヨーロッパ貴族。スポーツ界のスター選手。

 こんな有名人二人と一緒に居れば注目されるのは予想がついていた。


「お待ちしておりました。レイナお嬢様、鏡様」


 食堂に訪れた俺たちの前に、立派な生地の白いコックコートを着た中年男性のシェフが丁寧に迎えてくれる。書記は俺に目を配りながら当然の態度でシェフに伝えた。


「今日は、彼も一緒に食事するから」

「かしこまりました。風時様ですね。それではこちらへどうぞ」

「……なんで俺の名前を?」

「それはもちろんレイナがよく修司君のことをね――」

「は、早く行くわよ!」


 ほんのり肌を朱くしたリンデア書記が足早に進んだのに続くと、通されたのは食堂の2階テラス。下の1階とは隔離された学食堂の中でも豪華な食卓テーブル席だった。もはや学食堂とは到底思えない高級レストランの内装。喧騒に包まれていた下の階とは違って完全に個室と言ってもいい静かな空間。立派な貴族学園の制服を身に纏ってる俺でも場違いだとヒシヒシと感じる。


「レイナお嬢様。本日のメニューはいかがいたしますか?」

「ホワイトシチューでお願い。それと食後のアフタヌーンティーも今日は彼も含めて3人分用意しといて」

「かしこまりました」

(なんで専属のシェフがいるんだ……)


 案内していたシェフがわざわざ出向いてきてオーダーを承っていた。

 しかもリンデア書記の家のお抱えシェフだとのこと。

 考えてみれば学園とはいえ、大事な貴族のご子息を守る為に信頼の置ける家の使用人や料理人を学園に配置させるのは正しい判断だ。それが過保護過ぎだとしても貴族の子の安全を考えれば……身も蓋もない話だが現に諜報員である俺が接近している事実だが……。

 シェフは慣れたように鏡先輩にもオーダーを伺った。


「鏡様もご注文はいかがいたしますか? 鏡様のコーチからは試合が控えているので食事制限の最中だとは聞いております」

「そうなんですよね~。近々試合があるから、あまり食べられないけど。でも、

しっかり食べておきたいので、栄養がついて美味しいのを!」

「でしたらメインはスタミナのつくパンに、ビタミン、ミネラルたっぷりのスープとサラダをご用意いたします」

「お願いしまーす」


 フィギュアスケート選手の体型維持は大変と聞く。

 鏡先輩は一見すると十分スリムな曲線美の体型で多少食べても問題ないと見えるが、繊細な動きを求められるフィギュアスケートとなれば別だ。

 ジャンプの精度、滑り続ける持久力、美しく魅せる表現。

 これらを身につける為に体重管理のコントロールを徹底的に、グラム単位での僅かなズレがあってはならない。


(こんな食事生活が続けばしんどいはずなのに)


 中にはこういった管理された食事が続くことで摂食障害を起こして引退する選手もいると聞く。鏡先輩はおくびにも出さない姿勢はプロの意識だ。


 シェフは今度はニッコリと俺に顔を向けた。


「本日ご一緒の風時様も、ご注文はどうされますか? わたくし料理人共、和食洋食中華、ご所望なら珍味もご用意します」

(学食の昼で珍味を食うことはないだろ……)


 しかも、珍味の食材を用意してるってどういうことだ?

 自分の分の弁当を持ち込んでいるので、飲み物だけでいいと断わった。

 自信満々だったシェフは残念そうに、それではまたの機会に珍しい珍味を用意しときます、と言った。だから珍味はいらないから。


「……かしこまりました。本日も誠心誠意を込めて腕を振るわせていだたきます」

(ここまでくると至れり尽くせりだな……)


 さすが貴族の学校。食事にも一切惜しげもない。


「ナギサ、いいの? 今日はあまり食べないんじゃなかった?」

「ちょっとぐらいなら、その分運動すればいいしね。修司君誘ったのに私だけ全然食べないなんてのもだし」

「なら今日は放課後にワタシの家のジムに来て。付き合うわ」

「いいの!? レイナのとこってジャグジーあるから運動した後、レイナと一緒に入るの楽しみなんだよねー」

「な、なに言ってるの……シュージの前で」


 聞いてるとこっちが恥ずかしい内容だが、会話が弾んでいる二人を見ていると、興味本位と情報収集も兼ねて色々と訊きたくなった。


「二人は何時からの知り合いで?」

「中等部の頃から。レイナがその頃に外国から転入してきてね」

「ソーネ……ナギサと知り合ったのもその時ね」

「そうそう。あの頃のレイナってね、右も左も分からない大人しいフランス人形みたいで今と全然雰囲気違うの。私から積極的に話しかけていったら、よく話すようになって。でもねレイナって間違った日本知識ばかりでね。『ニホンジンはみんなキンカクジ(金閣寺)みたいな家に住んでないの?』って普通に言ってて笑っちゃった」

「ナギサ!? シュージになに教えてるの!?」

「だから乗っかって、違った意味の日本語教えてみると日常の会話で普通に使ってるのが面白くて」

「ああ、だからリンデア書記ってたまに面白いこと言うのか」

「チョット、シュージも!? フツーに納得しないでよ! あとワタシそんなに変な言葉使ってた!?」

「それでね、レイナは……あっ、これは言えないか」

「もしかしてアニメとかの趣味に嵌っていることですか?」

「あれ? 修司君、知ってたんだ。なになに~? レイナあれだけ隠してたのに~?」

「……ベツにいいじゃない」

「もしかしてそれも鏡先輩が?」

「そうなるかな~? 初めて映画館に一緒に観に行ったのがアニメでね。その時からレイナ、ずいぶんと嵌っちゃってるんだけど、周りには隠してちゃってて」

「オープンにしても良いと思うんですけどね」

「うんうん。好きな趣味は恥ずかしがらない方がいいよね」

「二人してワタシの話で盛り上がらないでよ!」


 なるほど。リンデア書記の日本の馴染み方は主に鏡先輩の影響だと判明。

 2人の話を聞いている内に自然と笑みが零れてしまった。


「ほら……シュージに笑われてるじゃない。モー」

「……違いますって。ただ生徒会以外で楽しそうにしてるリンデア書記が珍しく新鮮で」

「エ? ソ、ソー?」


 俺が知るリンデア書記はほとんど生徒会での用の時でしか会わない。

 生徒会室での書記は、会長や副会長とも仲が良い。

 でも、その時のリンデア書記は生徒会役員としての姿を意識している。

 今の彼女はそういったことを考えていない、自然な姿を見れたことに、どことなく安心感を持ってしまった。


「レイナのことよく見てくれてる、良い後輩じゃない」

「…………」


 リンデア書記は照れ隠しなのか横顔に垂らしている金髪のサラサラなもみあげをクルクルと指で巻いている。


「鏡先輩だってそうですよ」

「へ? 私?」


 鏡先輩は突然と自分の話題を挙げられたことで目を丸くした。


「テレビや学園で見かけたりするとは違って、今の鏡の先輩とこうして話せました」


 鏡先輩は外でも学園で居る時も笑顔を見せている。あれも本心であろう。

 けどプロのスポーツ選手としての意識があるのも確かだ。

 だからこうしてリンデア書記とは気兼ねなく心から楽しそうにしている姿は今、初めて本当の鏡凪咲という人物を見れた気がする。


「素の鏡先輩の面を見れて俺は嬉しいです」

「…………」

「? 鏡先輩?」


 何故か鏡先輩は固まってしまっている。

 頬杖をついたリンデア書記が呆れた表情で、


「シュージ……ソーユーことをヘーゼンと言わないで」

「? どうして? さっきリンデア書記に言ったことも本心ですよ」

「ワザト言ってる? ……モー」


 リンデア書記は変わらずもみあげの毛先を弄ったまま視線を逸した。


「……なるほどねー。ふーん。そっかー、だからレイナが気にいるのも――」


 その横で一人でニヤニヤしている鏡先輩が気がかりになった。



――



 先輩二人が注文していた食事が手元に置かれる。

 それに比べて俺は、目の前にある貧相な弁当の容器を開けた。

 すると鏡先輩とリンデア書記が俺の弁当に興味津々にして、


「うわー。修司君のお弁当、美味しそうだね」

「もしかして……それシュージが作ったの?」

「まあ、残り物ばっかりですが」


 中身は普段同様、唐揚げに卵焼きとプチトマトとシンプルなのばかり。

 前日の夕食の残り物が占めている。


「シュージのお弁当……」


 チラッチラッとリンデア書記が物珍しそうな視線を俺の弁当に送っていた。

 その視線が何を意味しているのかさすがに分かる。


「食べます? どれが欲しいですか?」

「……そ、そんなんじゃないわ。ただ庶民のお弁当が珍しいだけで……カラアゲが食べたいとかソーユーのじゃなくて……」

「はあ……」


 小馬鹿にされた発言に聞こえるが、確かにリンデア書記の前に置かれている高級な食材がふんだんに使われているホワイトシチューのランチセットと比べたら、この弁当はTHE・庶民の食事と思えるのは仕方ない。


 そうは言っても書記の視線が俺の弁当に突き刺さっているし、どうしたものか。

 サラダを食べていた鏡先輩はリンデア書記の反応を見て、にんまりと、何か思いついた顏になると――


「ねぇねぇ、修司君。私のパンとその美味しそうな唐揚げ交換していーい?」

「え? ナギサ?」

「いいですけど……でも鏡先輩って今は――むぐっ!」


 いきなり俺の口にパンが突っ込まれた。

 一瞬だけ息苦しかったが、そのままパンを齧るとふんわりと焼きたての香ばしさが口の中に広がった。鏡先輩はイタズラな顔で、


「あっそっかー。私あまりカロリー取らないようにしないといけないんだった。でも私のパン、修司君が食べちゃったからねー。その唐揚げはもう私のものになっちゃったし~」


 食べちゃったというより食べさせられたんだが……。

 それよりも、鶏のモモ肉の唐揚げはカロリーが高い。食事制限をしているはずの鏡先輩は食べるのか?


「あ、そうだ! だったらさレイナ。そのミニサンドイッチと交換してよ」

「あっ……」


 確信的な意地悪、そして優しさのある笑顔をリンデア書記に投げかけた。

 その意味を受け取ったのかリンデア書記は花が咲いたように嬉しそうな表情になると。


「シ、シカタないわねー。じゃあシュージのカラアゲはワタシが食べる」


 なるほど。鏡先輩はこれを狙っていたのか。きっと普段からプライドで素直になれないリンデア書記をこうして手助けをしているし、リンデア書記もそのことを分かって素直に受けとっている。本当にこの二人は仲が良い。


「……どうぞ」


 リンデア書記はフォークで唐揚げをパクッと齧って味わった。


「……食材は庶民の質だけどショーユがよく効いてるし、これはこれで美味しいわね。……これがシュージの料理の味なのね」


 褒められてるのか微妙だが美味しく食べてくれるなら俺としても嬉しいものだ。

 口ではそう言いつ、緩み切った顔で食べている書記の横顔を見た鏡先輩が俺の弁当にまた視線を向けると、


「ね、ね、修司君。やっぱ私にもちょうだい。なんかカロリー低そうなのある?」

「じゃあ、これを食べてください。さっきはこっちを渡したかったんです」

「え、でもそれ――」


 俺が差し出したのはスイートポテト。

 表面には程よい焼き色に卵黄によってコーティングされてテラテラしている。

 鏡先輩は興味を持ってくれたが、眉を寄せて難色を示した。


「うーん。とっても美味しそうだけどカロリー高くない?」

「大丈夫ですよ。これかなりカロリー低く作ってあるので食べても問題ないです」

「そう? それならいただこうかな」


 俺の言うことを信じて、スイートポテトはアルミホイルで包んであるので、鏡先輩はそのまま手づかみでパクリと一口食べる。

 すると驚愕した表情へと変わって、よく味わいながら飲み込むと――


「なにこれ! こんなに甘いのに本当にカロリー低いの?」

「さつまいも自体に元々甘さがあるので砂糖を入れなくても十分甘い仕上がりにしてます。あと豆腐も加えているので、かなりカロリー抑えてるので」

「これも修司君が作ったの?」

「まあ……」


 なぜこういったのを自分で作って弁当の中に入っていたかというと。

 彩織さんの喫茶店で考案中のメニューだったからだ。

 あれはつい数日前に喫茶店でバイトが終わった後に彩織さんに呼びつけられ――

 

『最近はリリスのおかげで男性客も増えてきてるけど、ちゃんと女性のお客も大事なわけ。美味しいコーヒーを飲みに喫茶店に来たのはいいけどスイーツも食べたくてカロリーを気にするのが女なのよ。というわけで修司。女性向けで低カロリーのスイーツのメニューを考えてきなさい。なるべく早くね』

『それは俺がする仕事じゃ――』

『いいわね?』

『……』

『返事は!』

『了解!』



 と、キツイ睨みと無茶振りを振られたので任務の空いた時間で考案したわけだ。


 …………なんで貴重な時間を、無理やりバイトで働かされている店の新作メニューの為に使わなければいけないのか、と思っていても最近彩織さんには任務でのことで大きく迷惑を掛けてしまったので文句を全く言えない。


「シュージ?」

「どうしたの? 急に頭抱えてちゃって」


 不思議そうなリンデア書記と、スイートポテトを美味しくペロリと食べ終えた鏡先輩は項垂れている俺に心配を掛けてくれる。彩織さんも同じ女性だというのに、どうしてこう違うものなのか。


「……とにかく頑張って作った甲斐がありました」

「ね、ね! それならさ! 私、普段の食事とかちょっと物足りなかったんだよね~。修司君がこういうの作れるんだったらさ、私の食事メニューをこうして作ってくれたりしない? コーチに相談してみるから!」

「いーわね、ソレ。ワタシもスポーツした後に甘いのが食べたくなっちゃうし。シュージ、たまにでいいから、作ってワタシ達に食べさせて」

「…………」


 ……女性というのは本質的には一緒かもしれない。


 ちなみに先輩達の背後向こうに立っていたシェフが項垂れていたのをバッチリ見てしまった。


-3-


 食後はアフタヌーンティーを嗜みながら鏡先輩から話題を繰り広げていた最中。

 鏡先輩はスマホを取り出して画面を見るなり、しかめ顔になる。


「コーチから呼ばれちゃった。まだまだ修司君とお話したかったのになぁ」


 名残惜しそうに食卓から立ち上がった。


「でも次の試合が終わったら、ゆっくり出来るし。その時は一緒に食べようね」


 俺に向かってウィンクする。

 氷上で滑って見せているのとは違った茶目っ気たっぷりの笑顔で珍しい表情だ。


「ナ、ナギサ!」

「あはは。ちゃんとレイナも一緒に、ね。」

「……モー」


 正直また一緒に食事するのは遠慮しときたいとこだが断るのは無粋だ。

 鏡先輩が去ると俺とリンデア書記、二人だけの食卓になった。


「楽しい人ですね」

「ソーネ……もしかしてシュージってナギサみたいな子が好みのタイプだったりする? 良いプロポーションで魅力だし」


 ジーとした目を向けられる。

 確かに鏡先輩は魅力的な人だ。

 目を奪われるというよりも目を奪わせる魅力がある。

 でも――


「リンデア書記だって魅力的ですよ?」

「………………ハァ。やっぱりシュージに訊いたワタシがバカだったわ」


 前にも同じようなことがあったような?


 その後は静かに紅茶を啜るリンデア書記。

 ティーカップに口づける薄いピンクの唇。天然と適度な運動によって美しく整った体のライン。ミルク色の素肌。一つ一つが彼女の生まれを物語っている。

 生徒会や鏡先輩とのやり取りしているリンデア書記とは違った品行方正。

 こうして見ればエレガントの貴族のお嬢様だと改めて思わせる。


「ねえ、シュージ」

「はい」

「シュージはワタシのことどう思ってる?」

「………………いきなりなに言ってるんですか?」

「いいから答えて」


 唐突な質問の意図が読めない。

 しかし、彼女の目を見れば不安の眼差しを向けられたのは分かる。

 俺なりにレイナ・リンデアという人の印象を思い浮かぶ限り並べた。


「……名門の貴族のお嬢様。モデル女優みたいな容姿、スポーツ万能で誰からも頼られる――」

「それは周りのヒョーカじゃない。……それはそれでシュージに言われるとハズカシーけど……」


 リンデア書記は鼻を鳴らしながら嬉しそうにしていた。

 でもそれは一瞬だけで、真剣な目を向けられる。


「……ワタシはシュージが思っていることが聞きたいの」

「俺が?」


 やはり、今の彼女はどことなくおかしい。


「何かあったんですか?」

「…………」


 少し間が置かれると。


「……つい最近ね。ヒトミとワタシの秘密をお互いに知ってしまったことがあったの」

「……っ!」

「ワタシも驚いたし、ヒトミだってきっと驚いてたと思う。でもその時はそんなことよりもワタシ達には、とっても大事で優先するべきことがあったから気にしなかった」


 自分の家がマフィアの家だということを、副会長の家がヤクザの家だということを、何らかのきっかけで、お互い知ったということになる。

 時期的に考えればやはり最近の――


「でもヒトミもワタシも……『カナデ』と一緒に居るから、元々そういうことだった、そういう運命だったのよ。だから、お互いちゃんと理解もしている。でも――そこに何も関係ないナギサがきっとホント―のワタシを知ったら……」

「鏡先輩は変わらずに接してくれますよ」


 速攻で俺は断言した。

 さっきまでの二人のやり取りを見ていれば鏡先輩もリンデア書記に対して気兼ねなく接している。それは家のことが関係ない対等のクラスメイト、それも親友として。

 だからリンデア書記は鏡先輩について心配する必要なんかない。


「ソーヨネ……ナギサは良い子で、きっと――」


 リンデア書記は優しく微笑んだ。

 けど――


「――でもシュージは?」

「っ!」


 エメラルドグリーンの綺麗な目は普段の彼女とは違う眼差しだった。

 彼女の奥底に留まる闇が一瞬だけ垣間見える瞬間。

 さっきまでの楽しい食事の気分など最初から無かったみたいに。


「アナタはワタシのことを知りたい――? 知っても変わらずに接してくれる?」


 リンデア書記の美しく保たれた指先が俺の頬に触れた。

 ヒンヤリとした冷たさが、まるで俺の顔に銃を突きつけているのかと錯覚が起こされた。

 息を飲むことも吐くことも許されない緊張感が全身を襲う。


「俺は……」


 目を逸らすな……――!

 今ここで僅かでも目を逸したら、短い間とはいえ、これまでのレイナ・リンデアからの信頼が消えてしまう。もう二度とまともに接することは出来ない。関係が危険な方向へガラリと変わってしまう。


(しっかりと本当の彼女を見るんだ……!)


 つい先日俺は決心したばかりだ。

 裏の顔を持つ彼女たち3人に対して俺は、諜報員のスパイとして向き合っていくべきだと。

 ――レイナ・リンデア

 彼女とも。

 だから――!


「…………マジメに話しててバカらしくなっちゃった」


 呆れ混じりにクスッと笑って、指先がスッと俺の頬から離れていく。

 開放されたのか。俺は心の中で胸を撫で下ろす。

 ……危機一髪といったとこだ。


「シュージとワタシはこれからユックリと、お互いを知ればいいだけよね」

「……そうですよ。だって俺達はまだですし」


 するとリンデア書記はピクッと意外そうな反応を示した。


「あっそっか……シュージってワタシ達とは――そう……ってるのね」


 後半は含みを持たせて、ぶつぶつと小声になっている。

 俺はさっきの冷たさと緊張感が残ってるせいで全然聞き取れなかった。


「ネ、シュージ。お互いを知るんだったら、それならいっそシュージはワタシの家の使用人になった方がいいよね?」

「どうして会長みたいな発想に!?」

「カナデも? それならワタシがもっと良いジョーケンを出すわ」

「変に対抗意識燃やさないでください!」


 いつもの会話の流れにリンデア書記は、またクスッと笑った。

 安心感を持った柔らかい微笑みの彼女を見ると、俺の緊張も抜けていく。

 気高い誇りを持った貴族。裏社会で名高いマフィアの娘。

 今のリンデア書記の姿はどちらでもなく、太陽のように輝いている女子生徒。


「まだ少し時間あるわね。あっそーいえば、この前見たアニメがね――」


 残された昼休みの時間が終わるまでリンデア書記が好きな趣味の歓談が続いた。

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