第16話 リリスと俺の部屋


「相変わらず私が見てない間にこんなに散らかしてて……あ、お帰りさないマスター」

「ああ、ただいま……でいいのか?」


 自宅のマンション一室に帰宅すれば俺の部屋の中でパーカーと短パンを着ている小柄な少女が可愛らしく屈んでサイドテールの結んだ髪を揺らしながら、いそいそと服や機材が散乱している俺の私物を片付けていた。そういえばここの合鍵を渡したままなんだっけか。困るようで困らないから別に渡したままでもいいが男一人暮らしの部屋に帰ったら目の前に女の子の小さなお尻が入口のこっちに向けられれば何か思う事はあるはずだ。

 そうだ。今日はリリスが家事してくれる日だったと、朝メールで知らせてくれたことを思い出した。


 リリス・ノアー。俺と同じく情報機関に所属しており、つい先日追加の潜入員として機関から送られた女の子。現在は瑠凛学園の中等部の生徒として過ごしながら俺と一緒に学園を探っている最中のパートナーだ。


「そんなにテキパキと片付けなくていいぞ。大変だろ」

「いいんです。私が好きでやっているんですから」

「だとしてもここ俺の部屋だし、リリスにそうさせるのは悪くてな」

「……私にこうさせたくないんだったら、家でもしっかりしてください」

「……面目ない」


 言い返せない。自分でも気をつけているつもりだが、家に一人でいると気づかぬ内に物があれやこれと散らばってしまう。


「だったら俺も一緒に片付けるか――」

「マスターは私が片付けている最中に、よく分からない場所に物や服を置こうとするし私一人で大丈夫です」

「……じゃあ俺は何をしたら?」

「私が片付けているのを邪魔にならないように部屋の片隅で任務の報告資料でも作っててください」


 確かここ俺の部屋だよな?



-2-



「はい、お疲れ。ありがとうな」


 部屋の片付けをしてくれて、綺麗に終えたリリスに渡した透明なグラスの中ではフツフツと炭酸によって泡立った琥珀色が綺麗に映える。今回はディンブラの茶葉を使用して、よく冷えたティースカッシュを出した。生徒会室に置かれているような高い茶葉ではないが、しっかりと美味しく淹れといた。ティースカッシュはアイスティーに炭酸水と砂糖を少量と入れた飲み物。リリスは特に甘いアイスティーが好きだから、以前これを出してみたら、お気に召したようだ。


「マスターが淹れてくれるティースカッシュとっても好きです」

「それは良かった。あとこれも」

「高そうなお菓子です。いいんですか?」


 今日の生徒会でリンデア書記から生徒会の皆へとクッキーの詰め物を頂いた。なんでも有名店であり中々手に入らないとのこと。いかにも高級で立派な包装箱なので家に帰って一人で食べるのはなんだったのでリリスが居たのは丁度いい。


「美味しい……」

「ああ、塩で美味しさを引き出しているな」


 二人で食べてみればクッキーはフランスのゲランド塩というのが使われており、まろやかなしょっぱさに絶妙な甘みのバランスのサクサクとした生地で一緒に飲むティースカッシュと抜群に合って美味さが倍増する。リリスは両手でハグハグとリスみたいに食べてて可愛らしい。ただお互い黙って食べてるのは何なので俺から話を切り出す。


「リリス、はどうだ?」

「そうですね……。問題なく瑠凛に編入出来ましたが……これといった情報はまだで……ごめんなさい」

「まだリリスは学園に入ったばかりだしな。それに全然掴めてないのは俺も同じだし、お互い様だ」


 シュンとしてしまったリリスを励ます。俺とは違って、つい最近と瑠凛に転入したばかりだ。俺は入学してから二か月と経っているが特に手掛かりを得られずのまま。かといって何も空回りばかりしているわけではない。


「今の俺達は任務に取り組んだばかりだ。そこで諜報員として大事なことがある。リリス、情報を得る為にはどうすればいいか、もう分かってるはずだ」

「はい、まずは周りに溶け込んで信頼を得ることですよね」

「そうだ。最初は周りから信頼を得らなければ事は進まない」


 信頼関係の構築。

 機密情報というのは絶対的に強固ではない。

 特に信頼を得られれば相手は安心して、うっかり情報を漏らす。

 俺達、諜報員はそこを突く為に長い時間を掛けて周囲と馴染む必要がある。

 今がその期間と言えて、これは公安/FBI/CIA/と他の情報機関と共通。


「リリスも瑠凛の中等部で目ぼしい相手を見つけて接触しているはずだろ?」

「……ですね」

「だったら、まずはその相手から信用を得る為に動けばいいだけだ。焦る必要はまだない。だから頑張ってくれリリス」

「はい! マスターの為に頑張ります!」


 俺の為に?の部分は気になったが、そこを触れてもどうしようもない。というか分からない。これでお互い任務に対する取り組みの意識を再度改めたことで任務に関する話は切り上げよう。

 

 ……他に話すことといえば、やはり――


「そうだな……後は学校の生活はどうなんだ? 楽しんでるか?」

「……え? どうしたんですか、マスター? そんなこと聞くなんて」


 リリスの両目は大きく見開かれて心底意外そうな反応だった。まるで新種の生物でも発見したかのような珍しさ。


「? なにかおかしかったか?」

「はい。基本マスターからの話は大体機関についての話がほとんどなので……」

「そうか? よく話したりしてないか? ほら……世間話とか」

「いいえ、全然。間違いありません」

「そう断言されるのはどうも……」

「事実ですし、ハッキリ言ってマスターらしくありません」

「……」


 ……言われてみればそうだな。前までの俺は基本リリスに話を振る場合は機関や任務のことばかりだ。こういった世間話なんか話した記憶があまり……というか全然ない。

 

 きっと学園で学生として過ごして周りと接したり彩織さんがあれだけ俺に学生生活について聞いてきて青春がどうこうたら言っていたから、それに当てられてしまったんだろう。俺らしくないと言われたら複雑な思いだが……。


「あー……俺達は学生として暮らしている以上、こういう世間話でもしておいた方がいいと思ってな」

「そうですか……分かりました。私は大丈夫ですよ。クラスの皆さんは私の家のことをよくご存じで贔屓にしてくれているみたいだし」


 俺と違ってリリスの家は高級食器メーカーの名家で正真正銘のお嬢様。贔屓にしているお得意様の家がクラスに居てもおかしくない。皆まずは家との交流で、お近づきになりたいと接しているはずだ。リリス自身は実家のことをよく思っていないのは知っているが――

 

「それに……よく私の相手をしてくれる人もいますから」


 何か言いにくそうにしているな。そこはリリスのプライベートだし俺に話す必要はない……が、ちょっと寂しい気もする。でも、この様子だとリリスの学生生活は特に問題なさそうだ。見た目もこんな可愛らしければ周りは放っておけないし。


「だったら安心したよ」

「あ、あのマスター。今度は私からも聞いでいいですか?」


 モジモジとしながら俺を見つめる。

 そんなお願いされたら――


「ん? ああ、いいぞ。何でも聞いてくれ」



「――マスターは学校では女の人と仲良くなっていませんよね?」

「……ッ!」



 ゾクッと背筋が一気に凍りだした。

 さっきまであんなにキラキラしてたリリスの両目には光が失われている。

 ……そうだった。この子の家は裏では殺し屋の生業をしている一族で、その血が流れている。昔からリリスは俺に懐いてくる一方で俺が他の女と仲良くするのはよしとしない。例外なのが彩織さんなど機関にいる周りの女性で、そこら辺は今のようにはならない。こんな緊迫感は半年前に外国で潜入捜査していた際に敵対してた機関の諜報員と戦闘した以来だ。


「……リリスが思っているような仲ではないと思うぞ」

「本当ですか?」

「……ああ」


 そうだよな?


「ではマスター。しっかりと私を見てください」


 視線をしっかりとリリスの光が失った両目に合わせる。

 諜報員の必須技能の一つに嘘を見抜くテクがある。

 目の瞳孔の開き具合、呼吸の乱れ、仕草から判別するのだ。

 今リリスがやっているのは、まさにそう。

 そしてもう一つ必要なのが嘘を見抜かれないことだ。

 今俺がやっているのは、まさにそう。


「わかりました……信じましょう」


 内心で安堵を得るが表に出さないようにする。

 俺の勝ち、だが、かといって俺にやましいことはないので当然だと言おう。

 ……多分。


「すみませんでした。日に日にマスターの体からは別の女の匂いが強くなっていってるので」


 どんな匂いだよ。


「……でも、それでしたらおかしいことがありますね」

「え?」

「――この本は女性から借りましたよね?」


 リリスが手にしている本。それは、同じクラスの冬里ひよりから借りたライトノベルだった。数冊と一気に借りたので読み終わった分は自分の部屋に置いたままにしていた。


「普通そういった類の物は男からとは思わないか?」

「そうですね。こういったのは男性が所有している物だと思ってました……。よく調べるまでは――」


 その本の所有者は女性だと断定しているリリス。つまり証拠があるというわけだ。本に何か付着していた可能性がある。しかし俺が読む限り本には特に何もなかったはずだ……いや何も証拠となるのは視覚だけではない! そういえばさっきリリスは俺の体から……まさか――!


「コレに女性が使用するような化粧品の香りがあるのはどうしてですか? 到底、男の人から借りたとは思えませんけど」


 嗅覚――そうか、所有者の生活空間の匂いが本に付着していたのか。

 ……確かに本をめくる時にほのかに良い香りで鼻がくすぐられた気がしたな。

 は! いかんいかん、俺は何を考えてるんだ。今はそんなことよりもリリスだ。


「……ああ、そうだ。借りたのは同じクラスの女子だよ。単に趣味の読書を広げようとして借りただけだ」


 ここは大人しく白状しよう。

 下手に隠しては状況が悪化する一方なのは嫌でも分かる。


「やっぱり……マスターには仲良くしている女性がいるじゃないですか」


 リリスはプクーと頬を膨らませる。ますますリスみたいで可愛らしくなっている。……そういうことか。俺が任務や学園の事ばかりで、あまり構ってやれないから寂しかったんだな、きっと。


「悪いな。これからもリリスとはこういう風に世間話をするからさ」

「い……いえ! 私はそんなつもりじゃ――!」


 図星だったのか、打って変わってあたふたしている。何とも分かりやすい態度だ。この子も諜報員の前に一人の少女であったことを俺は忘れかけていた。


「それに彩織さんのとこでバイトすることになったんだろ?」

「そ……それは……彩織さんがマスターも働いているから一緒に居られるって言われて……」


 口元を両手で隠しながらゴニョゴニョと言ってて、よく聞こえなかったが悪い反応ではないのは分かる。何だかこれで前よりもリリスと距離が縮まった気がしてきた。


「あ……あとマスターもう1ついいですか?」


 またしてもリリスはモジモジとしだして俺を伺う。全く可愛い子だ。そんな風にお願いされたら何でも聞いてあげたくなってしまう。


「ああ、いいぞ。なんだ?」



「――この詰め物のお菓子も別の女性から貰ってましたよね? 誰ですか?」

「…………」



 振り出しに戻ってしまった。

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