第15話 労働という名の


 

 俺、風時 修司は今、腕によりをかけてフライパンを揺すって食材を炒める。

 フライパンの中ではジュージューと肉が全体に満遍なく焼かれて美味しそうな匂いが周りの空間を支配しており、隣の鍋ではパスタがグツグツと茹でられてい湯気が視界に染まっていく。


 ――つまり料理している。

 

 料理なんか時間を無駄に消費する非効率的でやらないんじゃなかったって?

 じゃあ今は任務に関わる料理でもしてるのかって?


 半分正解で半分……いや、実は俺にもよくわかってない。


「なーんでこうなったかなぁ……」


 ここは都内のとある喫茶店。俺はこの店の店員の証である黒いエプロンを身に着けて調理していた。そう、俺はここでアルバイト……というのは表向きで、

 でもなく普通にアルバイトとして仕事をしていた。


「ほら、キビキビ働きなさい。料理は味も大事だけど、なるべく迅速に丁寧に提供しなくちゃならないのよ」


 カウンターの方から顔を覗かせて調理している俺を睨みつけているのは美人だけど、いかにも厳しそうな20代後半に差し掛かっている大人の女性だった。この喫茶店の店長、雨宮あまみや彩織さおり――俺が所属している情報機関の上司でもある人だ。


「……分かってるって」

「それ出し終えたら次はカルボナーラにチキングリル」

「…………」

「返事は!」

「はい! わかりました!」


 事の発端は先日この喫茶店で情報機関の同期である透と久しぶりに会っていたら彩織さんにも久しぶりに会ったわけで、その帰りに俺一人にだけ顔を出せと言われた時だった。



――――



 喫茶店の事務室――


「来たわね……。あんたに話があるわ」


 俺が部屋に入るなり彩織さんは早速と真剣な表情で切り出してきた。重たい雰囲気……おそらく機関か任務についての話だろう。彩織さんが使う事務のデスクには喫茶店に出す新作メニューのレシピの紙がズラリと並べられていた。旬の野菜を使ったグラタンに旬の果物を使った特性のパフェと、どれも美味しそうだ。きっと日夜と他の従業員とあれこれ言い合いながらメニューを試作しているんだろうなと俺には関係ないことだと思っていれば、


「修司、今すぐバイトとしてここで働きなさい。拒否権はないから」

「………………はい?」

「聞こえなかった? あんたはこの店で――」

「いや、聞こえてたって……で、なんで俺がこの店に働くことに?」

「この店がどういう店かは分かってるのよね?」

「……俺と彩織さんが所属している機関の局員が利用する場として提供されている情報共有の施設」


 ここは情報機関『ターミナル情報局』が運営している飲食店、

 店名『カサブランカ』

 局員が情報の受け渡しの場所として利用するコミュニケーションの空間がこの店だ。今の時代ネットが便利とはいえ漏洩されたり盗まれる可能性があるので、こういった場が必要だとして用意された。


 たださすがに局員だけが利用する店だけでは利益なんか全然ないわけで2階が局員向け、1階のフロアは一般客向けとして開放されている。正直、普通の喫茶店とそこまで変わらない気がするが。


「そう。一般の客人向けもあるけど、ここで働く人はウチの局員だけだと限られているってわけ。だから機関に関係ない人をバイトで雇えなんかできないから……そこであんたに白羽の矢が立ったのよ。うってつけのね」

「つまり人手が足りないってことですよね、それ」

「まあそうね」


 でも待てよ。何でそこで俺だけなんだ? そうだ透がいるじゃないか。

あいつだって俺と同じく高校生として過ごしている。それにさっきまで俺は透と一緒に居たのを彩織さんは会っていたはずだ。


「だったらなんで透には声かけないんだ?」

「あいつが真面目に働くと思う?」

「ああ……」


 仕事を怠けて女性の客にナンパしている光景が目に浮かぶ。

 あいつは情報屋として優秀な反面こういったことは任せられない。


「だから、修司に働いてもらうわけ。昔からあんたを可愛がってあげたんだから、その恩を今返しなさいよ」

「可愛がってって……」


 幼少より機関で教育を受けた際に俺の教育係の一人が彩織さんだったわけだが、戦闘技術の師である霧崎さんの死のスパルタに負けず劣らずのレベルの訓練の日々で、ある意味で可愛がりを受けていた……あまり思い出したくもない。


「よく可愛がってあげたじゃない。それも一緒にお風呂入った仲でしょ? 私達って」

「……俺がかなり子供の頃の話だろそれ」


 何とも反応に困る。確かに彩織さんと風呂に入ったが、それは俺が小学生になる前の年齢とかの辺りだぞ。

 とはいっても彩織さんは俺にとっては親戚の姉みたいな人だったので師ではあるんだけど、俺が家族みたいに気兼ねなく接している数少ない身近な人だ。


 まあ、ちゃんとが他にいるけど…今は関係ないか。


「そもそも修司に教えた料理や接客の技術は元々この為のつもりで教えたのよ」

「……え? マジで? 潜入捜査の為の技術として教えて貰ったんじゃ?」

「大マジよ。そんなのついででしかなかったわけ。だから働きなさい。いや働け」


 衝撃の事実。

 なんてことだ。彩織さんとの訓練の日々は諜報員の技術として磨かれたものではなく、この店のバイト――もといパシリとして教えられてたとは……もう余計にやる気が気が無くなったぞ。


「……だったら黒瀬さんから許可を取ってくれよ。俺は任務中だってのに他でバイトなんかしてたらマズいんじゃ?」


 機関の作戦本部長を努めている黒瀬彰。瑠凛学園捜査任務の指揮を努めているので、現在瑠凛学園に通っている俺とリリスの直属の上司の人に当たる。

 任務についての決定権を持っているのが、あの人であるので勝手な行動は許されないわけだ。


「……心配無用よ。もう許可は取ってあるわ。はい」

「え? おっと」


 いきなり彩織さんが投げてきて俺はバシっと受け取る。手で握ったのは彩織さんが持っていたスマホで、画面には録音アプリが起動されていた。彩織さんは、ほら聞きなさいと顎でクイっとしてきて、俺は訝しげになりながら再生ボタンをタッチして耳に当てる。そこからは――よく聞き覚えのある壮年の男性の声が聞こえてきた。



『風時が雨宮君のとこでバイトを? おお、いいじゃないか。学生生活だったらバイトも欠かせないだろう。彼をよろしく頼んだぞ。遠慮なくこき使ってくれ、これも全部、風時の失われた青春の為だ。ハハ』


 ………………


「ほら。あと聞いたら、それ消しといて。あいつの声を録音で取っときたくなんかないし」


 あの野郎……。なんで俺が大変な任務中に勝手にこんなことを決めやがるんだ。相変わらず勝手なことばかりされて困る。こういった性格の上司だから、俺含めてリリスや彩織さんにもあまり良く思われてないし、嫌われている。

 機関ではかなり優秀な人なはずなのに……。


「それに、あんた料理なんか全くしないってリリスから聞いたわよ」

「……たまにはしてるぞ。週に一度は」


 週に一度はちゃんと料理することはある。せっかく身についた技術だから腕が落ちるのは勿体ない。……といっても軽い料理だが。

 そう答えた俺に彩織さんは――


「――舐めてんの?」


 あ?っと中々のドスの効いた気迫が返ってくる。殺気紛いの威圧が肌にビリっと沿って襲われる。普通の人がこんなの受けたら恐怖でビビってしまうが。俺には慣れっこなんで気にしない。まあ……幼い時はこの威圧感で泣いてしまったことはあるが忘れとこう。


「週一の料理なんか、たまになんか入るわけないでしょ。その腕を腐らせたら、せっかく私が教えた技術が無駄になるじゃない。だから働け。本当はタダ働きさせたかったけど、このご時世だと怒られるから仕方ないしね。ほら契約書。書きなさい。ほら、書け」

「……」


 理不尽だ。

 やっぱり、この人はもう一人の師である霧崎さんと通ずる所がある。

 俺は言われるがままに強引に握らされたペンでバイトの契約を結ぶことになった。



――――



 ピークが過ぎれば一段落する。カウンター近くで皿洗いしている所に仕事が落ち着いた彩織さんが俺の隣へときた。


「おつかれ。腕は落ちてないようでなによりね。……教えられたことはきちんと吸収している優秀ぶり……相変わらず小憎たらしいわね」

「褒めるんだったら、ちゃんと褒めてくれよ……」


 機関の上の人達の俺に対する評価がよくわからない。褒めたかと思えばボロ糞に言ってくるし。彩織さんとか……特に霧崎さんとか霧崎さんとか彩織さんとか――


「それで、学校の方はどうなの?」

「まるで母親みたいな言い方――」

「――そんなに無賃で働きたいのね」

「……すいません」

「まったく……で、どうなの?」

「それなりにってとこかな。任務もあるし学園では学生として上手く過ごすように徹底してるけど」


 ちゃんと登校して授業を受けたり、放課後は生徒会室で業務をこなす。

 うん、立派な学生生活だ。間違いない。


「……あんた、もうちょっと学生らしいことをしないの?」

「する必要あるのか?」

「はぁ……任務もだけど、あんたが心から学生生活を楽しんでないと周りは不審に気づく可能性が高いのよ。だから私もこうして修司にバイトとして社会経験を積ませることで人間的に成長させたいのよ。まったく私の親切な心を分かって欲しいものね」

「本音は都合の良いバイトが欲しかったんじゃ?」

「おおむねそうね」

「そこは否定してくれよ……」


 さっきの力説が台無しだ。


「とにかく、そんなんじゃつまらないし、もっと具体的に学校であったこと話しなさいよ」

「……今仕事中だけど?」


 ピークが過ぎたとはいえ店内にはまだ客が残っている。あまり私語をするのはよくないのでは?


「店長の私が許可してんのよ、さっさと言え」

「……」


 そうだなぁ……と、ここ最近の学園であった出来事を思い出す。

 例えばつい先日の生徒会室で先輩達とのことで起きたことを、かいつまんで話した。



-2-



「………………」


 彩織さんは呆れを通り越して、げんなりしている表情。とても客に見せられない顔になっているぞ。


「……修司。学校の先輩の女性からそんなに親密に接してくれて、あんたは何か思うことないの?」

「向こうは単に後輩だと思ってて、からかってるだけだって」

「はぁーーーーーーーーーー」


 深い深いため息。だから客前でそれはマズイって。


「……可哀想に。今まで泥臭い任務ばっかやってて、ろくに青春時代を送れなかったから、こんな枯れきった生物が出来上がっちゃうのね……」

「俺のことボロクソに言ってる部分はよく分かったけど、何が言いたいんだ?」

「諜報員として優秀だけど高校生としてダメダメってことよ。むしろ男としても欠如してる」


 酷い言われようだ。


「さっきから彩織さんの言ってることが、よくわからないんだけど……」

「修司、まさかあんた。自分の能力が優秀だから学生として送られたって思ってるわけ?」

「……違うのか?」

「はぁ……。なるほどね。わかった。よーく分かったわ。黒瀬は気に食わないけど、こればっかりは、あいつの言うことに同意しとくわ」

「なんでそこで黒瀬さんが出てくる――ん?」


 またしても溜息をつかれながらポンと肩に手を置かれる。しかも普段はキツイ目のくせに今は温かい眼差しで俺に向けている。


「あんたの死んだ青春を取り戻す為にも、これから遠慮なく、こき使うから」


 えぇ……どうしてそうなるんだ。


「大丈夫よ。ここは大人のお姉さんに任せなさい」

「……俺の知る限り、ずっと男の影が見えないまま独身を貫いてるみたいだけ――いててっ!」


 ギロリとした視線で耳をつねられる。彩織さん美人なはずなのに、こういった性格のせいで20半ば過ぎても男の噂なんか出てこない。俺の青春どうこう以前に自分の心配した方がいいのでは?っと、こんなことを言ってしまえば無賃どころか半殺しにされかねないので黙っておく。


「……まったく。とりあえず適度に息抜きはしときなさいよ。あんたの任務ってすぐに終わらせられるようなコトじゃないしね」

「あ、ちょっと! なんで彩織さんが一人で勝手に納得してるんだ!?」

「あーそうそう。言い忘れたことがあったわ」


 彩織さんは俺の問いに無視したまま後は任せると事務室に戻ろうとしたところで何か思い出して続けて言う。


「今度リリスもここの店員として働くことになったから、あんた達2人ともしっかり働きなさいよね」


 ――――――はぁ?

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