第14話 生徒会長 山之蔵奏の場合


「こんにちは、修司くん」

「……」


 放課後になれば俺はいつも通り生徒会室に入ると部屋奥窓際前の立派なデスク椅子に座っている瑠凛りゅうりん学園高等部生徒会長 山之蔵さんのくら かなでが微笑んで迎えてくれた。部屋の照明のせいか会長のキラキラと輝く自毛の銀髪に、雪のように白い肌と、この空間の中では異様な眩しさで目立っている。どうやら今生徒会室にいるのは俺と生徒会長の2人だけだ。


「……こんにちは」


 内心で警戒しているのを悟られないように会釈して挨拶を返す。

 先日起きた生徒会員1学年A組教室襲来から以前よりは接しやすくなったとはいえ、俺の中では要注意人物の一人だということに変わりない。なにせ彼女は社会の裏を支配する秘密結社の家の娘。任務によって瑠凛学園を探る上で最も巨大な壁……もとい敵と言っていい相手だ。潜っている諜報員が任務の対象になる人とは必要以上に接してはならない。


「お茶でも淹れときますけど、なにか飲みたいのありますか?」

「そうだね……たまには緑茶でもいただこうかな」


 了解、と返事して会議テーブルに鞄を置いてから同室のキッチンで緑茶を淹れる。やかんで沸騰した湯を先に湯呑みに入れて若干冷ましてから、茶葉を入れといた急須へと湯を投入。後は再び湯呑みへと急須を回しながら均等の濃さになるように注ぐだけだ。湯呑みから漂う爽やかな草原みたいな香りを嗅ぐとリラックスする。


「どうぞ」

「ありがとう」


 会長は手元に置かれた湯呑みを両手で手に取り姿勢正しく飲む。見た目は日本人離れしているのに、その佇まいはまるで着物を身に付けた気品がある。和室の畳の上で飲んでいても違和感がない。


「うん。紅茶も美味いが緑茶も美味しい。特に君が淹れてくれるのは格段に違うように感じるよ」


 緑茶の淹れ方は別に指導された技術として身に付けたわけでない。機関の上司で戦闘訓練を受けてもらっている霧崎さんがよく緑茶を飲むので、俺がお茶汲みしていた最初の頃は『不味い!』『熱すぎる!』『ヌルイ!』と毎度、理不尽な鉄拳を食らう羽目になってしまい、下手な茶を出せば死にかねないので必死で生きていく為に自然と身に付けたことだった。こうして役に立つことになったのかは幸いと言っていいのか。


「茶の質が良いからですよ」

「ああ、この茶は春川のとこだったね。あの家の茶は昔から贔屓にしているから体に馴染むわ。……最近は中々取り寄せられないことが多くて家では好きに飲めないことがあるけどね」


 貴族御用達の茶の名家といえば2年の春川靜音先輩のとこだ。それも貴族の中の貴族といわれる『十王じゅうおう名家』に君臨する山之蔵家、それに続く火澤家やリンデア家が愛用する茶の店ならば、より多くの貴族に嗜まれることになるので需要が増して注文が殺到していたのが予想出来た。この生徒会室に置かれているのも火澤副会長が春川先輩から個人的に譲り受けたのを置いてくれている。副会長だけではなく春川先輩にも今度会った時に礼を言っておこう。


 ……俺にお礼を言われて苦虫を噛み潰したような嫌そうな表情されるのが容易に想像出来てしまうが――


「それでも仁美が淹れてくれる茶も美味しいし、今こうして君が私の為に淹れてくれているのが嬉しいんだよ、私はね」


 前にリンデア書紀と同じことを言っているんだが、何故か妙にニュアンスが違う気がするのは気のせいか? 釈然としないのでちょっと意地悪めいたことを訊いてみた。


「じゃあ、そこら辺のスーパーの市販で売ってる安物の茶を淹れても美味しいと思ってくれるんですか?」

「安物の茶……飲んだことないから、それはそれで飲んでみたいね。たまには庶民が嗜む物をいただくのも風情があっていい。ぜひ君の手で飲ませてほしい」

「……」


 瑠凛にいる貴族の生徒だったら普通は拒むはずことを自然と受け入れる。この人は一般庶民……いや貴族の人の考えすら、かけ離れているのか? 相変わらず読めない人だなと思いつつ俺も自分の席へと座って緑茶をいただく。


「君がこの学園に入学してから2ヶ月になるね」

「……そうなりますね」


 向こうのデスクから距離は若干離れているが会長の声が部屋全体へと鮮明に響く。俺が瑠凛学園に潜入……もとい入学してから早2ヶ月……短いようで長くも感じた。それだけ様々な出来事の記憶が思い出す。


「ふふ、修司くんを生徒会に入れてみて私の期待通りだったよ」

「……いきなり俺を指名してきたのは驚きましたけど」


 入学してから、まずはターゲットとなる生徒会に立候補して当選する為に事前にあれやこれやと工作する手筈の算段だったが、まさかこの生徒会長に直接指名されて、そのまま生徒会の一員になってしまった。

 

 そして生徒会で任されたのは『会計』。俺が偽装した親の家が大手IT企業だから数字に強いはずだという印象もあってか会計というポジションに配置してくれて、俺にとってうってつけだった。金の流れの中には人の動きがある。この中にについて手がかりの一つがあると踏んで学園の裏を探れると思えたからだ。


「私の目に狂いはないからね。君を見た時に相当な能力を持っている人間だと直感があったんだよ」


 会長の直感。それは天性の才能なのか。彼女は思うがままに動けば、それら全てが彼女が思い通りへと導かれる。実力と強運が持ち合わせた力。やはり恐ろしい人物だ。


「先日の予算組み直しの件では見事に不正を看破してくれた」


 俺が会計に任命されて早速と瑠凛の部活動における予算管理を任せてくれた。一部の部活動では想定しているよりも多めな予算要求があったので、その部活動の生徒に問いただしても頑なに正しいと通そうとしてきた。


 ――なので俺は情報機関で培ってきた諜報活動を駆使して密かに裏で調査を行い、全ての部活動に関わっている業者からも金の流れを徹底的に調べ上げたことで不正を見抜いた。明らかな過剰分の予算が私的流用として着服している証拠となる資料を叩きつけたことで問題となった部活動の生徒は学園側は公にしない条件として金の返還および問題の生徒は退学となったのが先月のこと。


「でも、そんな大金の管理を生徒に任せていいんですか?」

「瑠凛のモットーは生徒の自主性を重んじているからね。それに大金といっても瑠凛からすれば、はした金でしか過ぎない。それよりも流れ込んでくる大金が他にあって……そこは大人の世界になる」

「……」


 あれで瑠凛の裏に近づけると思ったが、所詮いち生徒個人の私利私欲でしかなかったので骨折り損だったとは思う。でもこうして生徒会から信用を得られるんだったらそれなりの価値はあったな。


「それでだ。よく頑張ってくれている君には、をしなければね。修司くん、デスクの前にではなく、私の横に来てくれ」

「? はい」


 茶を一気に飲み終えてから言われた通りに席から立ち上がって、部屋奥のデスクの裏へと回って座っている会長の目の前へと立つと――


「――ほら」


 会長は椅子に座りながらも両手を広げた。

 それも、物凄く満面の笑みで。


「あの……どういうことですか?」


 俺に向かって両手を広げる会長に対して、どうしろと?


「? 分からないかしら?」

「……さあ?」


 実はなんとなくは予想しているけど出来れば違って欲しい。違ってくれ!


「私が君にハグしてあげるんだ。さあ、おいで」


 思いっきり予想通りだった……。


「いや……ちょっと意味がわかりません」

「ん? なんで? 良い働きをした者には褒美をあげるのは当然なはずよ? これは社会の常識なはずなんだけど……」

「いやいや! なんでそこで不思議そうに首を傾げても!?」


 本当にこの人の行動は読めないし調子が狂わされてばかりだ。

 俺はコホンと空咳を打つ。


「……百歩譲って褒美があるのはいいですけど、なんでハグですか?」

「私がしたいから」

「直球すぎますって! はぁ……出来れば別のにしてくれませんか?」

「却下」


 即答……。

 きっとこれ以外の褒美なんか用意するつもりは毛頭ないはずだ。

 だったら俺が返す答えなんか一つしかない。


「じゃあ褒美はいりません」


 呆れながら元の席に戻ろうと踵を返して会長に背中を向けようとした、

 その瞬間――


 グイッと俺の腕が掴まれて引きずり込まれた。


「――なッ!?」


 そのまま体勢が崩れて引かれるようにして座っている俺の顔は会長の胸辺りへと思いっきり埋まる。視界が女子制服のブレザーで覆われ、顔面全体には制服の生地との感触、そして会長の体から漂うなんともいえない香りがダイレクトに包み込んでくる。


「……ちょっと!?」

「ほら、褒美だ。喜びたまえ」


 このままギュっと俺の首に会長の両腕が組み込んで強く固定される、

 まさか、このまま首をゴキリと捻る気なのか!?


「……これのどこが褒美で……」

「ム。私の胸が起伏に乏しいのは分かるが、我慢してくれ」

「いや!? そんなことは――!」

 

 あるとは思う……か?


「ムム。確かに私はレイナや……特に仁美みたいに、あんなに大きくはないが、まだまだ学生で成長期だから将来に期待してほしいけど」


 それを聞かされる俺はどう反応すればいいんだ!?

 思考が鈍っている状態でも無理やり振りほどくことは出来るが、それはそれで面倒なことが起こりそうなので動けずじまいになってしまった。

 この凄く恥ずかしい体勢のまま数分……いや、時間の感覚さえ鈍る。


「……この前はごめんなさい。少々と手荒な行動で修司くんに迷惑かけてしまったのは自覚しているよ」

「……別にいいですよ」


 申し訳無さそうな口調で言われた。いきなり1年教室に訪れて騒いだのを少々で済ますのはどうかと思うし迷惑だったのは否定しない。あの後はクラスの皆から質問攻めにあったのは大変だったけど、あれで周りから俺が生徒会に上手く馴染んでいるという認識になっているのは結果的には都合が良かった。


「他にいくらでもやりようはあったんだけどね。私にはああした方がいいと思ってしまって、つい動いてしまったんだよ。思いついたらすぐに行動してしまう私は中々、だとは思うしょ?」

「……はい、そうですね。会長は変ですよ」

「――――!」


 急に黙ってしまった。しかも俺の顔に当たる会長の胸辺りからドクンッと心臓が大きく鼓動していたのを感じる。言い過ぎたか?


「あ、すいません。今のは失礼でしたね」

「……いや、いいんだ。フフ」


 小さな笑い声と共に会長の吐息が俺の後頭部へとかかってきてむず痒い。早く開放してくれないのか。


「……みんな私の家柄や生徒会長という立場、それにこんな珍しい容姿だというのを気にしてか私に対して直接そう言える人はいなくてね。特に男だと君が初めてだよ」


 言い方に何か別の意味が含まれてないか?


「ふふ、やはり君を生徒会に入れて良かった」


 ギュウウウっとなんかさっきより締め付けがきつくなってないか!?

 く、苦しくなってくる!


「あの……! もういいですか?」

「駄目だ。思ったよりも居心地が素晴らしくてね」

「……会長がやりたかっただけじゃないですか」


 ただただ呆れるしかない。これからも俺が生徒会にいる以上はきっと会長の思いつきに付き合わされるだろう。しかし、さっさと目的である任務を達成すればそんなことが終わる。秘密結社やマフィアやヤクザに関わっている場所から開放される。全ては任務の為でしかないんだから。


 ――ふと思った。俺は任務の為に生徒会へと近づいている。しかし彼女達は? 先輩として親身?に接してくれる会長達に隠れて裏で動いている俺は?

 こんな任務なんか規模は違えど今まで何度もあった。人を騙すのなんて数え切れないほどやってきた。それが諜報員――スパイとして当たり前のことだからだ。

 

「会長……俺は――」


 思考――判断力が鈍ったせいか言わなくていいはずのことを俺の口から滑ろうと

したその時だった――



「シュージ 何してるのよ……」

「あらぁ、まぁ」



 とてもとてもよく聞き覚えのある2人の女子の声が背後から聞こえた。

 いつの間に生徒会室に入室してきた――副会長と書紀が。


「い、いや――! ? これは違――!」

「カナデの胸に顔を埋めたまま言われてもね……」

「修司さん。そんなに甘えたいのでしたら私に言ってくれれば……」

「――あーもう!?」


 強引に脱出する。あら、残念と会長は両腕が空中で止まっていた。その仕返しか会長はニンマリとした笑顔で、


「なんだったら仁美もレイナも修司くんを抱いたり抱かれるといい。なかなか至福で女としての喜びを味わえるよ」

「え!? シュージと……だ、抱くって……」

「――まぁ、いいんですの?」

「だから、その言い方ぁ! 2人も誤解しないでください!」


 絶対わざと言ってるよな?

 あと2人もなんで満更でもなさそうに反応してるの!?

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