第34話 神は死んだ


 薄暗い部屋の中で捕まった瑠凛学園の教師、室岡拓巳の前には、

 瑠凛学園生徒会役員である3人の女性が現れた。


(なぜ……彼女達が?)


 学園での彼女達は瑠凛全校生徒達の憧れの的。

 明るく華やかに美しい姿を皆の前で見せている存在。


 だが、そんな姿とは一変して今の彼女達の雰囲気は――


 暗く重く冷たく


 と、普段の可憐な姿からは到底考えられなかった。


「……まさかヒトミがニホンボーリョク団『ジンドー神動』の家だったなんてね」


 ダークコートをパリのファッションショーに居るモデルのように軽やかに着こなすレイナ・リンデアが仁美に対して、ゆっくりと口を開いた。


「ええ……私もレイナがあのマフィアの『アルバロン』の娘だなんて知りませんでしたわ」


 花の刺繍が舞い散る黒い着物を着た火澤仁美が静かに応える。


「「…………」」


 国内最大規模の暴力団組織――ヤクザ『神動じんどう

 海外最大勢力のギャング組織――マフィア『アルバロン』

 どちらも裏の世界で名を轟かせている大物の闇組織。


(そんなの聞いてないぞ……!!)


 事前の情報では彼女達の家は裏社会と関わっていると訊いていたとはいえ――そこまでの子だとまでは室岡は聞かされていなかった。


「仁美、レイナ。すまない。どっちともお互いの裏については隠すように、私に頼んでいたはずなのに」


 漆黒のドレスを纏うのは山之蔵奏。

 銀髪の髪に透明な肌と黒い衣装が相まって歪な姿を醸し出している。

 

 目の前にいるはずのこの3人はまるで、今この場に室岡がいないかのように話し合っていた。

 奏は仁美とレイナに謝罪していた。


「でも今回は緊急事態として仕方ないと割り切って欲しい。分かるでしょ? なぜ、こうなったか?」

「……そーね。それに比べたら、こんなのは些細なモンダイになるよね」

「はい……今はそんなことを話す場ではありません」


 そして3人は同時に――室岡を再びした。


(マズイ……!?)


 室岡の本能が叫ぶ。

 ここで今――命乞いをするべきだと。


「待ってください! なぜ私がこんな目に!?」


 苦しい叫びの訴えが薄暗い部屋全体に響くが、3人は全く気にもしない冷たい態度のままだ。

 奏は心底呆れた目で室岡を見下す。


「自分でも分かっているはずだ。あなたは瑠凛学園を――私達を探ろうとしていた。違う?」

「そ、それは……」

「……でも、なによりも――」


 奏の目は細め、彼女の滑らかな唇からは、とても似つかわしくないギリッと歯軋りが鳴る。

 それに続くように仁美とレイナの視線が鋭く室岡へと向けられた。


。我々はそれが……――決して許さないことだ……――!」

「ッッッッ!?」


 ゾクリと室岡の全身に悍ましい重圧が襲い掛かる。

 頭の先から足元までの皮膚全てから気持ち悪い冷や汗がナメクジのように這う。

 とはまさにこの感覚なのかと、思い知らされた。

  同時に、あることに、室岡は気づいてしまった。


「ま……まさか……彼を襲った生徒達は……」


 風時修司を襲わせた瑠凛学園から退学した生徒達は、あれから連絡がつかずに行方不明となっていた。彼らは一体どうなってしまったか。


 「ああ、そんな人達が居たね」と、奏はくだらなさそうに呟いて。



「そう――全て潰したから。彼らの会社も――彼らの人生も――。――だってそうでしょ? 自業自得のくだらない復讐で……修司くんを襲ってしまったんだからね。彼らには、その報いを受けて貰うのは当然」



 あまりにも衝撃的だった。

 確かに退学した生徒は学園でも素行が悪かった。それがバレて学園から追い出された。たった1人の生徒に復讐しようとしただけで――


 彼らの未来、家、財産が一瞬で彼女――『山之蔵奏』の手によって消えてしまった。そんな恐ろしいことを平然と実行してしまったのだ。

 

 奏のすぐ側にいたレイナが付け足した。


「それもシュージの歓迎会を準備している裏でね。ワタシも少しは手伝ったけど、正直あれだけじゃヌルイと思うよネ? ヒトミも手を貸したんでしょ?」

「……」


 着物の女は冷たく黙りこくる。

 沈黙が答えだと言わんばかりに。


(……そんな)


 そんなのは知らない。

 知っていれば関わらなかった。

 激しい後悔だけが室岡の脳内を支配している。


「なぜ……なぜ彼にそこまで……。私は教師だぞ! 私よりも、たかが1人の生徒を信じるというのか!?」


 もう滅茶苦茶なことを言っているのは室岡自身にも分かっていない。

 ただただ――助かりたい為に主張して叫ぶだけだった。


「? 何を言っているの?」


 奏は信じられないかのような表情をすると、


「――私達は修司くんを信じているんだもの」


 当たり前のように答える。レイナと仁美も頷く。

 それが極自然と言わんばかりの純粋な気持ちで。

 室岡には全く理解が出来ない恐ろしいが、彼女達3人の存在から感じ取ってしまう。


「わ……私は!」


 ――パァン!


 室岡の顔面横に擦れ擦れで一瞬の速さで横切った。

 一体何をされたのか室岡には…いや、認めたくなかった。

 そんな物が、この場にあってはならないと。


「さっきからキャンキャンうるさいわねー。犬でもモット大人しいわよ」

「……ッ!?」


 鼻に突き抜けるの臭いが充満した。

 レイナの手に握られていたのは……だった。

 弾丸が発射された銃口からは硝煙が上空へ昇っていく。

 紛れもなく、人の体に穴を開けてしまう本物の武器。


「ひ、火澤くん! 君なら分かってくれるはずだ! 私は風時くんになにも――」


 この場で室岡にとって最後に望みがある人は彼女だけだった。

 火澤仁美。

 学園では職員生徒男女問わず全ての人に優しさを振り撒いている印象でしかない彼女ならば、と室岡は最後の希望に縋りつくように求めると、


「――……! 


 だまりなさい――!」


 普段の彼女からはりあり得ない怒気が含まれた重圧の声が――跳ね返ってきた。


「……ヒィっ!」


 室岡の顔面横に擦れ擦れで短刀(ドス)が、すぐ後ろの壁に突き刺された。

 大和撫子や聖母と評判と淑女であるはずの彼女の姿はどこにもない。

 極道の娘として――『鬼』そのものの姿で静かに室岡へと殺気が注ぎ込まれた。


「……二度と修司さんの名前を呼ばないでください――」


 汗、涙、鼻水とグチョグチョになってしまった室岡の顔はもう、皆が知る爽やかな教員としての顔、宗教に狂った犯罪者としての顔すら潰れてしまっている。

 室岡はコクッコクッと頷いて、もう声を出すことが出来なかった。


「……もうこれ以上は見ていたくないな――虫唾が走ってしまう」


 二の腕をさすりながら、コトコトと奏の足音が鳴り響く。

 この先の室岡拓巳の『全て』が終わってしまう宣告のカウントダウンを示す。

 

「レイナだけではなく仁美を怒らせるとはね。けど……


 ――――――――私も怒らせると恐ろしいぞ?」


 神などいない本当の地獄を味わった。



-2-



 翌朝に俺のスマホには霧崎さんから電話が掛かってきた。


『久しぶりだなー。元気にしてたか?』


 調子いい気楽な声色。霧崎さん本人だ。


「はい……久しぶりです。昨日はすみませんでした」


 昨夜学園で室岡を取り逃がしたことで、逃亡している奴の行方を霧崎さんと彩織さんが追うことになってしまった。

 

『ああ、その室岡だったな。とりあえず――見つかったぞ』

「本当ですか!?」


 俺は気だるい疲労が忘れたかのようにベッドから慌てて立ち上がる。


『話をよく聞けって。なんでもそいつは瑠凛学園から逃亡した後は、途中から失踪して行方が中々掴めなくてな。――だが、早朝になると、なぜか離れた湾岸で見つかったようでな。まあ、あれだ……中々酷い姿でな』

「……!」


 嫌な予感だけしかなかった。

 現実を認めたっていうのに、それでも考えたくなかったことが――


『ああ、どこかのが手を下したんだろうな。テメェだったら予想はついていると思うが』

「……」


 俺の考えを見透かすかのような霧崎さんの口振り。

 そうだ、こんな仕業をするのを真っ先に思い浮かべてしまうのは――

 その考えを振り切りたくて俺は霧崎さんに聞き続ける。


「それで室岡先……いや、室岡は一体……?」

『まあ……酷い有様だったと伝えておこう。あんまり詳細を言うと今日の飯が不味くなるだろ?』


 それを聞いただけで、ご飯が喉に通らなさそうだ。

 まだ朝飯も食ってないというのに……。

 今日は胃になにか入れるならスポーツゼリードリンクにしとこう。


『ああ、そうだ修司。テメェ、室岡という男と交戦した時に鳩尾に一撃当てやがったか?』


 室岡と交戦した時、俺が攻撃したのは手首や組み伏せる技しかしなかったはずだ。


「……? いえ。どうかしたんですか?」

『そうか。なんでもねぇ……俺の気にしすぎみてぇだ。まあ、それはそうと修司――』

「はい」

『よくやった』


 大変珍しい師匠からの褒め言葉だった。

 中々聞くことがないワードだけに俺は安堵する。


『と、言うとでも思ったか?』

「……はい?」


 わけでもなく――


『全く敵を取り逃がしやって俺に面倒なことさせやがってよ。相変わらずテメェは詰めの甘さが悪いんだったな。みっちりと鍛え直してやるから、すぐに俺のとこにも顔を見せろよ。逃げても俺が迎えに行くからな』


 と、一方的に言ってから通話が切れる。


「……最悪だ……」


 朝っぱらから重い気分にさせてくるとは相変わらずな人だ。


「でも――」


 霧崎さんに厳しくシゴかれた方が色々と忘れられそうな気がすると、どこか安心していた。時計を見れば、そろそろ学園へ登校する時間が迫っている。思っていたよりも俺は寝てしまったようだ。まだスーツを着ていたままだったのも、今気づいた。


「学園……行かなければならないよな」


 ひよりとは今日また学園の教室でいつも通りに会うと約束した。


 そして……生徒会の彼女達にも会わなければならないことも――


 ひとまず覚悟を決めた俺はシャワーを浴びた後、学園の制服に着替え、鞄を持ってマンションから登校した。

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