第35話 瑠凛学園の日常


「……脅し過ぎではないですかね?」


 港では通話を終えたばかりのライダージャケットを着た、たくましい顔つきの男性に横から青年の声が掛かる。


「別に嘘は言ってねぇだろ? 最近のあいつ修司は弛みすぎなんだよ。ちょっとは脅しとかねぇと、この先の任務に集中できねぇだろうから、師匠の俺の優しさと思って欲しいもんだがな」

「はぁ……」


 霧崎に話しかけたのは、この地域を担当する警察署に所属する警部補の青年。

 過去に宗教団体に属していた危険人物の室岡の行方を追うにつれて情報機関ターミナル情報局から警察へと協力を要請し、寄越されたのがこの若き将来性のある警部補だった。


「で、その室岡って奴の状態はどうなってやがる?」

「記憶が錯乱してて、まともに会話出来ない状態だと」


 港で輸入をしていた作業員による通報によって、倉庫で半裸で吊るし去られていた室岡拓巳が発見された。その後は気を取り戻したもののガタガタと震えて、しかも記憶ショックで全然覚えていないようだ。喋る言葉も正直、言語として成り立っているのか不明で連行された警察署では取り調べには大分苦戦しているとのこと。修司から渡された室岡の犯した犯罪の報告書が証拠と認められれば、室岡は逮捕されるそうだ。


「それに、行方不明となっていた人が次々と発見されまして、どの人達も先月まで瑠凛学園へ通って退学になった生徒で……全員――室岡と同じ状態で発見されました」

「ちゃんと生きてはいるんだよな?」

「ええ……はい。でも正直自分から言いますと――見ていられません」

「死ぬよりも恐ろしい人生を歩む、か……」


 彼らが、どんなに逢ってしまったのか想像出来ない。

 死んだ方がマシだったかもしれない。

 発見された直後の室岡の状態を見た時の霧崎は中々体験しない悍ましさを感じ取ってしまった。あまり思い出したくない気分で吐き捨てる。


(俺からすりゃ生きている方が全然マシだと思うけどな)


「まあ、何にせよ室岡はこれで見つかったんだ。良しとしとくか」

「それで……はどうしますか?」


 警部補が港の沖の方へ見ると見た目は美人で、いかにも仕事が出来そうな大人の女が海辺に向かってグチグチと文句を垂れ流していた。


「……まったくなんで私が今大事な喫茶店を休んでまで、こんな仕事をさせられるのよ。昨日は新作メニュー開発やリリスの喫茶店衣装の改良の課題がまだまだ残っているというのに、しかもこんな週明けで客が沢山来る日に限って……。これも全部、修司がミスするからよ。ああもう、今度あいつには無賃でないのが有難いくらいにキリッキリに働かせて今日の分を取り戻してやるんだから――」

「……」


 日頃、弟子に厳しいことばかりしている霧崎も、今は修司には同情めいた気持ちが湧いてくる。


「おい、彩織。いつまでブー垂れてんだ。しっかり仕事しろ」

「……分かってるわよ」


 苛立ちを隠せないまま立ち上がった彩織は霧崎と警部補へと近寄って仕事をするように態度を切り替える。


「まず学園であいつ室岡を連れだした人と、ここへ連れ込んだのは全く別の人だと思うわ」

「ほお」

「学園付近から調べた足跡だと、この港とは違う方向へ向かってる。それに、あの足跡からだと途中でしているから追跡を警戒していた用意周到な人物よ。逆にあいつをこの港にまで運んだ人達は雑ね。この近くから発見した新しい足跡からは複数の男性。それも付近の交番を避けているルートだから……ヤクザ辺りの集団なんじゃない? 途中で車に乗って見失っているから、そこは警察に任せとくわよ」

「……参考になります」


 警部補は彩織に向かって礼をする。


 雨宮彩織は機関の中でも優秀な工作員。敵を追う術も身に着けている。

 足跡から情報を分析するトラッキングの技術を駆使して室岡を連れ出した人物を分析する。それも警察では長い時間を掛けて分析するよりも――いち早く。

 彩織が途中で言ったバックトラックとは追跡から逃れる為に足跡を誤魔化す技を指す。


「この近場ですと……やはり暴力団組織『神動』の仕業と見るべきですかね? 確か彼らの直系の組が近くに構えていますし」

「あの日本で一番デカイとこのヤクザか……。昔、戦ったことあるが中々手強い敵ばっかだぞ、あいつらは」

「戦ったことあるんですね……」


 警部補は細かく突っ込む気力はなかった。

 この霧崎東一という男は出鱈目に強いと、彼を知っている人達からは散々聞かされている。


「あと中々優秀ですね、彼女」


 警部補が横へ目を向くと、彩織は仕事を終えたのか再びグチグチと口を零しながらスマホを弄っていた。


「警察なんかにはやらねぇぞ、勿体ねぇ。けど、ツラは美人だが、さっき見ても分かる通り中々アレな物件でな。下手に口説くと――死ぬぞ?」

「……肝に銘じます」

「なんか言った?」

「いや、お前は優秀な人間だなって教えただけだ」

「……あっそ」


 霧崎はさっき彩織が言っていたことを思い出して考える。

 別の人物――室岡を学園から連れ出した人物だ。

 追跡されるのを分かっていて、なおかつ瑠凛学園の内側に居たと考えるならば……


「なら、俺の思い過ごしってわけじゃなさそうだな」

「ん? なに?」

「彩織。俺らも引き締めとかないといけなくなったぞ」

「はぁ?」


 霧崎はワクワクするかのように肩を回す。

 この男にとって退屈は嫌いだった。

 それを紛らわせる相手が出来て胸中は高鳴っている。


「思ったより、手強い奴らが瑠凛学園に潜んでやがる。それも俺らと張れる奴がな」



――――



 学園へ登校する為にマンションから出れば、すぐ外には俺の胸の背丈でしかない瑠凛学園中等部の制服の少女が迎えてくれて――


「マスターが無事で良かったです……」


 ぼふっと俺の胸に小さな顔を埋めるリリス。


「……ありがとな」


 と、お返しにリリスの頭を手で撫でると嬉しそうに俺の中で踊るように動かす。


「朝っぱらから道路でイチャつきやがって」

「透!」


 唾を吐き捨てるように呆れていたのは、俺とリリスと同じ機関である透。他校の制服を着ていて、同じく登校途中か。


「で、俺の情報は役に立ったか?」

「ああ、それは十分」

「じゃあ、お礼は瑠凛の女生徒との合コンをセッティングしてくれよ」

「お前なぁ……」


 抜け目のない奴だと俺も呆れ返す。情報を売っぱらったからには、それ相応のリターンを要求してくるのは当然なことだが、透の場合は面倒だ。


「期待してるからな。とりあえず考えとけよ」

「はいはい」

「……」

「? どうした、リリス?」


 さっきまで嬉しそうにしてたリリスは急に黙ったままだ。


「まだ昨日マスターに抱き着いた女の臭いがします……!」

「お、おいリリス。まだ昨日の疲れが残ってるのに……イタタタ!?」


 ギュウウウウウっと俺の腰を締め付けてくる。


「まだまだ前途多難がありそうってか?」

「透! ふざけたこと言ってないで助けてくれ! イタタタタタ!」



-2-



 学園へ登校すると――


「修司」


 自分の教室に入って席に座ると、後ろから雅人が俺の肩を叩いた。


「……なんだ?」

「色々あったようだからな。労いの言葉を掛けてやろうと思って」

「はぁ」


 そのまま雅人は俺の後ろから誰にも聞こえないように囁く。


「ここを退学した元瑠凛の生徒達の会社が倒産するのが今朝発表された」


 朝全くニュースは見ていなかったので今が初耳だ。


「だが、どの会社の従業員達も倒産する前には他の同業の会社へ出向するよう受けいれられている準備がすんなり出来ていた。しかも前の職場よりも、かなり良い待遇だそうだ。中々可笑しい話だと思わないか?」

「……そっか」


 問題を起こした彼らとは全く関係ない人達まで巻き込んで路頭に迷わせるような真似はしなかったということか。


「安心したような、してないような……」

「なんだそれは」

「……とにかくありがと、雅人」

「なら、今度から俺にも頼れよ」


 最後に雅人はそう呟き、何事もなかったように文庫本を取り出して読み始めた。

 

 俺は隣の席を見る。まだ登校していない。

 昨日のことだ。来れなくてもおかしくはないが――



「おっはー!」


 学校でいつも聞き慣れた騒がしい声が教室に響くなり、その女生徒は俺の席へと近寄っていく。


「おはよー、シュー君、マサ君」


 いつもの、ひよりだ。

 空元気でもなんでもない、明るい姿で瑠凛に登校していた。


「ねぇねぇ!  シュー君。今度私ゲーセン行って見たくてさー、このグッズがメッチャ欲しいの!」


 ひよりは俺に肩をくっつけてグッズが映っているスマホの画面を押し付けるように見せてくる。距離が近くて、うっすらとした香水と女子特有の香りが漂って、昨日ひよりに抱き着かれたことを思い出してしまった。


「そ、そんな

「えー?


「……いつの間に仲良くなったのか、お前達二人は? めでたくカップルになったということだな。おめでとう」

「雅人!? 違うから!」

「えーいいじゃん! 近くの店だとカップル割引があるんだしぃ」


 ひより、なんか前よりスキンシップ激しくなってないか?


「マサくんも一緒にゲーセンいこーよ!」

「行けたら行く」

「あーそれ、絶対行かないの知ってるんだからー!


 ホームルームの時間が鳴り――いつものように工藤先生は遅れてやってきた。

 今日もどことなくだらしないスーツ姿で教壇に立つ。


「遅れてすみません。実は長い職員会議が緊急で入りましてー」

「センセーは職員会議がなくても、いっつも遅れてるじゃーん」

「いやぁ……それは面目ない」


 いつもの、ひよりのからかいで教室はクスクスと小さな笑いに包まれる。


「さて、皆さん。まずは大事なお知らせがありまして――」


 倫理教科を担当していた室岡拓巳先生は諸事情によって学園から退職したと工藤先生から聞かされた。

 周りでは良い先生だったのに……と教室の女子生徒達がコソコソと話していた。

 ……隣の席のひよりを見れば室岡のことについて深刻そうな表情をして黙っていた、が。


「なーに? シュー君」


 俺の視線に気づくと屈託のない笑顔を向けてくれた。



-3-



 昼休みには――


「ありがとうございました。春川先輩」

「……感謝される覚えはないわね」


 相変わらずツンと冷めた態度の氷の風紀委員長はそっけない。

 しかし昼休みに、いつもの場所に居る俺の所へ来たのは、もしかして俺の心配を?


「残念ね」

「え?」

「もうあなたが学園に来ないと思って、ここを見回りすることが減って――ストレスが解消していたとこなのに」

「……」


 そうでもなさそうだ……。


「室岡先生のことは聞きましたよね?」

「そうね……ゴミが排除出来てなにより。それしかないわ」

「はは……」


 本当に先輩は容赦ない人だ。


「これからも俺に協力してくれますか?」

「……言ったはずよ。手を貸すのはあれっきりだけ。何であなたなんかに協力しないといけないの?」

(まだまだ手厳しそうだ……)


 でも、春川先輩の協力は必要不可欠だと思っている。

 いつかは――


「それで、これからどうするの?」

「これからって……別に今まで通りですけど?」

「――今まで通りに過ごせると本気で思ってる?」

「……」


 整ったまつ毛の下の切れ長の細い目からは、鋭い視線がきつく俺を捉える。


「どうすればいいんですかね……?」

「……珍しく弱音を吐くわね」

「こんな姿見せるの春川先輩だけですよ」

「……! もう用が無いないのならいい!」

「いやいや、結構真面目ですから! 置いてかないでください! 余ってるスポーツドリンクあげますから!」

「いらないわよ!」

「……今度は本気で真面目です。俺、どうすればいいんですかね?」

「……そうね」


 春川先輩はそれはそれは顎に手を当てながら真面目に考えてくれて――


「なら、あなたも学園から退学して消えた方がいいんじゃない?」

「そんな真剣に酷く答えなくても……どんだけ俺を追い出したいんですか……!」


 凄く真剣に言われれば、さすがに傷つく。



-4-



 放課後――生徒会室。

 近く行われる球技大会についての予算を生徒会長がチェックしていた。


「うん。私がいない間でもよく仕事をしてくれた」


 ニコっと微笑みながら労いの言葉を掛けてくれる会長。

 

「では――修司くん。私からのご褒美だ」


 会長はにこやかな表情で両腕を広げて、

 さあ、おいでと俺を迎えるボーズを取った。


「……褒美はいりませんってば」

「むっ。やはり私なんかの貧相なのより、体がふくよかな仁美の方が抱き心地が良かったのか……。悔しいけれど仕方ない。なら仁美、修司くんを抱いてやってくれ」

「はい!」

「いやいや!? そーじゃなくって! しかも副会長、なんで普通に乘っちゃってるんですか! 会長の悪ふざけに付き合わないでください!」

「あ、そーでしたわね。もう、奏ったら酷いわ」


 ふぅと安心すると、


「私の体は全然ふくよかじゃありませんから、女性の体型にそう言うのは失礼よ」


 あれ? そっち???


「そうか、それはすまない。ちなみにバストのサイズは今どれぐらいなの?」

「ええ、それは――」

「答えなくていいですから!」

「まったく……修司くんは我が儘ね。では、まだ抱かれて貰ってないレイナはどう?」

「カ、カナデ! ワ、ワタシはベツに……で、でも他のお願いはしとこうかな……」


 書記は顔を仄かに朱くしながら言う。

 まあ書記だったら常識的な範囲で――


「ワタシをモミなさい」

「……………………は?」

「え? モマないの? シュージ?」

「いやいやいや! 書記も一体何を言ってるんですか!?」

「レイナ。それは大胆で自信があるみたいだけど、さすがに仁美の前では……」

「あら? 私が?」


 たゆんと二つの大きな物体を揺らしながら副会長は疑問を浮かんでいる?

 それに気づいた書記は、


「あ……エ……チ、チガウ! 私はただカタを! 肩を揉んでほしいって言っただけよ! 日本語がうまく言えなかっただけなんだから!」


 いつも何ら変わりない生徒会だった。


 ――だからこそ、それが違和感だった


「……」


 この部屋の中で俺は会長の前で立って――真っ直ぐと会長を――3人を見据えた。


「なんだね? 修司くん」


 会長と一緒に駅前へ出かけた、あの日の時について、俺は思い出す。

 ショッピングモールでスカウトに絡まれた時に不意に見せた会長の怒りの目に――あの瞬間、俺は恐怖を感じた。だから心底恐れた俺は、あれ以上会長を怒らせてはいけないと強引な手段でスカウトを追い払ってしまった。


「会長――あなたは……いえ、『あなた達』は……」


 会長だけではない。

 書記も、副会長も、俺を迎えるように向いてくれる。


「……――君が何を言いたいのか私には分かっている」


 会長は微笑む。


「けど。これだけは信じて欲しい。


 ――私達は君の味方だ」



 瑠凛学園高等部――生徒会



「ええ、そうですよ修司さん。困ったことがあれば何時でもを頼ってください」


 ――副会長 火澤仁美。


「カナデとヒトミの言うトーリヨ、シュージ――に任せなさい」


 ――書記 レイナ・リンデア。


 そして……


「わかってくれるね? ――修司くん」


 ――生徒会長 山之蔵奏


(……やっぱり一筋縄ではいかないということか)


 この瑠凛学園の任務を成功する為にも俺は、『この3人』と……



 ――戦わなければいけなかった

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