3 書庫

「で、紅葉君は参加しないのかい?」

「門下生のみなさんは兄との打ち合いを望んでいますから。僕の修行は後でも構いません」


 ある意味でアイドル扱いの陸玄と違い、紅葉は人と話すのが苦手なため、門下生たちからの評判も今ひとつであった。


 根暗で何を考えているのかわからないやつ。

 陸玄さんの弟のくせに見た目以外はちっとも似てないのな。


 そんな陰口を聞いたこともあるが、別に紅葉は少しも気にしていなかった。


 二人が道場に通うのは友だちを作るためでもなければ自己の鍛錬のためでもない。

 陸玄は門下生たちに剣術を教えるのが好きで、父に代わって先生の真似事をしているだけ。

 紅葉に至っては剣術とはまったく別の目的があった。


「良ければ書庫に行っても構いませんか?」


 師範代に尋ねる。

 ちょっと複雑そうな苦笑いをされたが、あっさりと許可は下りた。


「勉強熱心なのはいいことだ。うちの子にも見習わせたいくらいだよ」


 一礼して紅葉は道場を出て裏手にある母屋に向かう。

 途中、住み込みで働いているお手伝いさんに会釈をされた。


 師範代の家は昔からの名家で敷地もかなり広い。

 母屋の裏手に今は亡き先代が収集した無数の書籍が収められた石蔵がある。

 書庫と言ってもしっかりと整理がされて本棚に収められているわけではなく、書斎などとは口が裂けても言えないような古倉庫だ。


 何年かかっても読み切れないほどの本の山が積み上げられたその蔵は紅葉にとっては宝の山も同然であった。


 戸を開けて中に入る。

 すぐに手近にあった一冊の本を手に取った。

 考えて選んだわけではなく何であろうと知の探求は彼の欲求を満たしてくれる。


 その本の表紙には『ネット社会の生き方』というタイトルがあった。

 丁寧に一ページ目から一文字たりとも読み飛ばさないよう読みふける。

 退屈な著者前書きにだって無数の情報が詰まっている。


 本の内容は非常に興味深いものである。

 かつて世界にはインターネットという情報伝達手段があった。

 小さい機械の端末から誰でも容易に閲覧でき、世界中の情報を知ることができるシステム。

 今の時代から考えれば想像もできないような技術である。


 重要な軍事機密を敵国に知られたらどうするのだろう?

 そんなことを考えながら紅葉は夢中になって本を読みふけった。


 次に手にしたのは歴史書。

 書かれた日付は二十年前のようだ。


 冒頭の日本地図はまだ本州全土が日本国の領土になっている。

 各地域名もすべて旧県名で書かれていた。


 この蔵にある書籍はすべて、印刷技術も製本技術も今とは比べものにならないほど高かったE3ハザードより前に集められたものだ。


 本のタイトルは『二時間でさくっとわかる日本史入門』

 こちらは以前に読んだ本とたいして変わらない。

 当時の年若い学生のための教科書のようなものだった。

 紅葉の求める新しい情報はほとんど無かったので適当に読み飛ばす。


 三冊目は『基礎電子工学』

 内容は怖ろしく難しく半分も理解できないが、非常に興味深い書物だった。


 現在から十三年前まで、世界は電気エネルギーによって支えられていた。

 あの空に轟く雷の力を自ら作り出し様々な分野に利用していたのである。


 先のインターネットを初めとして信じられないような技術が人々の暮らしを支えていた。

 明かりを得るのに灯籠もガス灯もいらず、夜は世界中が人工の光に照らされており、地平線の果てまでも途切れぬ町並みが続いていた。

 蒸気を使わない自動車が無数に走って町を何万人もの人々の喧騒が埋め尽くす。

 そんな時代が確かにあったのだ。


 今の地球上でそんな水準の生活ができるのは隣国の紅武凰国と、太平洋の向こうにあるという封じられた地底都市クリスタ共和国くらいだろう。

 その二国はどちらもかつての電気時代に類する技術を持っているが、それぞれの理由で国境を越えて広まることはない。


 明り取りから差し込む西日が目を眩ませる。

 必死に文字を追いかけている内に気付けば日が暮れ始めていた。


 蔵の中では小窓から差し込む光がすべてだ。

 これ以上の読書は難しいと思った頃、ふいに戸を叩く音が響いた。


「紅葉、いるの?」


 陸玄だった。

 門下生の稽古が終わって迎えに来たようだ。


「すみません。今すぐ行きます」


 今さらながら兄に黙って道場を抜け出した気まずさを感じた。

 しかし戸の向こうにいた陸玄は少しも怒っておらず、普段通りの優しい微笑みを浮かべていた。


 紅葉が黙ったまま突っ立っていると陸玄は首をかしげた。


「ん、どしたの?」

「いえ」


 西日に照らされた兄の笑顔に見とれていたなんて言えない。

 顔かたちは自分そっくりなのに、目が離せないほどに美しい。


 別に自己愛の気質があるわけじゃない。

 きっと自分は兄がうらやましいのだ。


 知識を得ることは大好きだし、それは剣を振り回すよりも楽しい。

 けれど、みんなの中心で人気者になれる兄のようになりたいという憧れもある。


 もちろんそれは自分には望むべくもないものである。

 それに将来的にここで学んだ知識を活用できるとも思っていない。

 E3ハザード前ならともかく今の日本で田舎暮らしを営む者にそんなチャンスはあり得ない。


 ふと襲ってきたむなしさに視線を逸らす。

 すると陸玄が竹刀袋を差し出した。


「さ、行くよ」


 紅葉が市内袋を受け取ると、陸玄はさっさと歩き出してしまう。

 彼が向かう先は外へ続く門の方ではない。

 道場に戻ろうとしているようだ。


「早くしなって。みんなを待たせてるんだから」

「え、どうして?」

「せっかく来たんだから紅葉も少しくらい身体を動かしていきなよ」

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