6
ビルの屋上に女が立っていた。
身に纏うのは黒い露出度が高いエナメル質の黒い服。
彼女は腰まで届く長い髪を都会の風に靡かせる。
やがて訪れる夜を待ち侘びるよう、周囲の空間すらも薄暗く染めるほどの存在感をもって、その女は下界を睥睨する。
「ったく、東京勤務に転籍して最初の命令が迷子の子猫探しとはな!」
端正な顔を凶悪に歪めて女は不満を口にする。
彼女の側には野球のボールほどの大きさの黒い球体が浮かんでいた。
その球体の一部が裂け、生き物の口のように真っ赤な中身を露出しながら声を発する。
『文句を言うなアキナ。これは重要な任務なんだぞ』
男性の声である。
ひび割れていて元の声は判りづらい。
この声の主はアキナにとって上役にあたる人物のものである。
アキナは渋面を隠しもせず球体に向かって中指を立てた。
この黒い球体は通信装置の一種で、こちらの映像は向こうに伝わらない。
「特殊な兵器を持ったクリスタ共和国のスパイが東京に侵入したって? そんなのブシーズのゴリラ共に任せておきゃじゃねえか」
『もちろん先んじて命令は下してあるが、残念ながら未だ十分な成果を上げられていない』
「責任者を引っ張り出して処刑しちまえ。つーか、その兵器ってどんなんだよ? 近づいた瞬間にドカンとか嫌だぜ。いくら俺様がウォーリアだからって痛えもんは痛えんだからな」
『直接的な破壊を行う類の兵器ではない。が、実の所はよくわかっていないというのが実情だ』
「いくつかはすでに回収したって聞いてるぜ。解析班は無能揃いなのか?」
『それを言われると言葉もないが、なにぶん未知のアイテムなのでな。
「へいへい、結局ウォーリアの役目は汚れ仕事さ。せいぜい義務を果たすことにするよ」
『質問がなければ通信を切るぞ』
黒い球体が質問した時にはすでにアキナの姿はビルの上になかった。
強い風に攫われたように一瞬にしてここではないどこかへと移動する。
『健闘を祈る』
浮力を失った黒い球体は床に落ち、形を失って水が染みこむように消えてしまった。
※
「んあーっ、暇だーっ!」
読んでいた雑誌を壁に投げつけ翠は不満を声に出す。
テレビはつまらない。
ゲームも飽きた。
ラックの上の漫画は何遍も読み直した。
夕食後のこの時間は翠にとってひたすら退屈だった。
「ちくしょう、バイクがあればなー」
こんな狭い部屋でじっとしてないで街中を走り回るのに。
とはいえ、現実にはスクーターを買うだけの貯金は未だ貯まらず。
仮にお金あったとしても中学生の身で特例免許を得られる理由が翠にはない。
どんなにがんばってもあと二年は待たなければダメなのだ。
考えたら気が滅入ってきた。
ベッドにうつぶせになって部屋の隅を眺める。
「そういや今朝のあいつ……すごかったな」
なんとなく考えるのは紅葉とかいう転校生のこと。
特例免許を持っている上にケンカもめちゃくちゃ強い。
なにせあの六条先輩をあっさりとぶっ飛ばしちゃうほどだ。
翠は別にケンカ好きというわけでもないが、男として単純に強い奴には憧れる。
あいつは何か格闘技でも習ってるんだろうか?
次にバイト先で会ったらもっと仲良くしていろいろ聞いてみよう。
「よっ、と」
腕立ての勢いベッドから起き上がる。
そして壁のハンガーに掛けてある上着を着込んだ。
とにかく今はこの暇をなんとかしないと。
出かけるため鞄から財布を取り出した。
ついでに『アレ』も持って行こう。
自室を出て廊下の電気をつける。
母親はどうやらすでに眠っているようだ。
明日も午前中からパートだと言っていたが万が一にも起きて来ないとは限らない。
中学生の夜間外出は好ましい者ではなく、見つかればまたうるさく説教されるだろう。
抜き足差し足で玄関に辿り着き靴に履き替える。
そーっとドアを閉めて外に出てノブを回したままドアを閉める。
脱出成功。
「へへっ」
さてと、とりあえず近くのコンビニでも行こうかな。
※
一時間ほど雑誌を立ち読みして、ポテチとジュースを買う。
帰路につく頃にはすでに深夜零時をまわっていた。
明日は休みなので夜更かしは大丈夫。
東京は治安も良く、夜間でも大通りには車が絶えることがない。
この街で夜中に出歩く危険なんてほとんどなかった。
さすがに中学生なので
「……いな」
「ん?」
路地に入り、家の近くまで来たところで人の声が聞こえた。
道は狭くて近くには公園もない。
視界のどこにも人の姿は見えないが……
「どこで落としたんだ。ちくしょう、アタシとしたことがとんだマヌケだぜ」
やはり声は聞こえる。
若い女の声だ。
翠がいる道路の横。
壁の向こうから聞こえてくる。
まさか泥棒?
さすがに緊張した翠は息を止めた。
足音を消してゆっくり歩く。
下手に刺激して襲われたりしたらたまったものじゃない。
声の正体はわからないが、とにかく関わり合いにならない方が良さそうだ。
と、壁の上から何かが降ってきた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
思わず後ろに飛び退く。
翠が立っていた位置に何かいた。
よく目をこらすと、それは茶色い毛の猫だった。
「な、なんだビックリさせんなよ」
思わず胸をなで下ろす翠。
ところが。
「ビックリしたのはこっちだよ! なんで足音も立てずに歩いて――」
こちらを見上げながら
翠と猫は互いに目を点にしてしばらく固まった。
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