2 なんで元に戻ってないの?

 あきらは絶望していた。


 一晩経てばすべて元に戻ると思っていた。

 昨日のは良い……もとい、悪い夢だったのだと。


 けれど現実は非常だった。

 朝目が覚めて、見慣れた自室の天井を眺めながら、翠はおそるおそる胸元に手を当てる。


 ふにょん。

 何とも心地よい、しかしそこにあってはいけない感触が掌に伝わる。


 掛け布団をはね飛ばす。

 カーテンを空けて部屋に光を入れる。

 そして戸棚の上の鏡で自分の顔を確認して叫んだ。


「何で元に戻ってないんだよーっ!」


 鏡に映っていた自分の姿は、やたらと量の多い翠色の髪の少女のままだった。




   ※


「うるさいなぁ……」


 部屋の隅で座布団を高く積んだ上にうずくまっている茶色い毛の猫。

 奴は人間のように目元を擦りながら文句を言っている。


 こいつだ。

 すべての災厄を連れてきた、こいつ。


「おいこら猫!」

「なんだよぉ。久しぶりにあったかい布団で寝てるんだから、もう少しゆっくりさせてよ」

「猫が布団で寝るんじゃねえ! っていうか状況を説明しやがれ!」


 叫ぶ自分の声も心なしか高くて女っぽいことに気付いて絶望する。

 猫はまぶたを擦り、二、三度ぱちくりと瞬きをした。


 面倒くさそうに掛け布団から這い出てくる。

 ひとつひとつの動作がやけに人間くさい。


「だから昨日も言っただろ。アンタは『クロスディスター』になったんだよ」


 猫は翠を見上げながら面倒くさそうに言った。

 それで話は終わりだとばかりに布団の中に戻ろうとする。

 翠は掛け布団を掴んで素早く畳んで押し入れの中に放り込んだ。


「なにすんだよ!」

「うるさいもっとしっかり説明しろ! なんでオレがこんな厄介なことに巻き込まれなきゃいけないんだよ!」

「アタシが落としたクロスディスターリングを拾ったの黙ってたからだろ」

「うっ」


 それを言われれば反論の余地もない。

 だがまさかこんな事になるとは誰が思うだろう。


 翠は昨日のことを思い出す

 猫のリシアと最初に出会った時、翠は小綺麗なリングを拾った。

 そして「売れば金になるかも」くらいの軽い気持ちで自分のモノにしようとした。


 だが、その後にリングを奪おうとする変な格好の女に襲われてしまう。

 翠はピンチから脱するためリングの真の力を知ることとなった。


 リングの力で翠はヒーローに変身。

 こんな姿になってしまったのだ。


 まるで何者かが自分を操って勝手に言わせたかのように『ディスタージェイド』と名乗りを上げ、自分でもビックリするくらいの力で襲ってきた女を撃退した。


 思い出せばテレビのヒーロー番組の第一話のようである。

 ただし、なぜ男の自分がこんな少女の姿になってしまったのか……


「というか、普通は戦い終わったら元の姿に戻るもんだろ!?」

「普通ってなんだよ。ジャパニーズアニメーションの話は知らないけど、クロスディスターは文字通り『変身』するんだから、そう簡単に戻ったりしないよ」

「マジかよ……」


 どうやら海の向こうの人には日本の常識が通じないらしい。


「運命だと思って諦めるんだね。っていうか、けっこう似合ってて可愛いじゃん」

「可愛いとか言われても嬉しくねえ」


 腰まで伸びる異常に多い髪がうっとうしくて仕方ない。

 しかも淡い翠色とかどんな不良だよって感じだし。


 変身したときに勝手に着替えたあのドレスは脱いで押し入れにしまってあるが、あれが親に見つかったらどうやって言い訳すればいいのか考えもつかない。


 それにこんな格好じゃ学校には行けない……

 と思ったところで、階下から翠を呼ぶ声がした。


「翠ーっ、行ってくるから!」


 母親は午前中からパートタイマーで働いているので家を出るのはわりと早い。

 起きたときにはすでに出勤した後だったこともよくある。


「朝飯は昨日のカレーが残ってあるから温めて食べなさい! 風邪薬買ってくるから、もし辛そうなら今日は学校休んでも良いからね!」

「お、おう!」


 翠が返事をすると、ドアが閉まる音がした。

 どうやら母親は仕事に出かけていったようだ。


 とりあえず一息である。

 昨日は帰ってくるなり具合が悪いフリをして即座に部屋に閉じこもった。

 なんとか今のところはこの姿を見られないで済んでいるが、さすがにずっと仮病で押し通すのは難しい。


 最低でも親の前に出られるようにならないと、まともな生活もできない。

 翠はパジャマのまま階段を降りて一階にあるリビングへ向かう。

 歩くたびに胸が揺れて自分の身体ながら顔が赤くなる。


 戸棚からハサミを取り出して風呂場へ向かう。

 とにかくこのうっとうしい髪を何とかしたい。


 鏡を見ながら散髪を開始。

 まずは肩の辺りで思い切ってざくっと切り落とす。

 それから適当に毛先を整えていく。


 見えないところは左手で適当にひっつかんで長さを確かめながら上手い具合に切っていった。

 多少は不格好だろうと応急処置なので問題はない。

 普段から散髪代を着服して自分でカットしている経験が役に立った。


「あーあー、もったいない」


 いつの間にか脱衣所に猫のリシアが入って来た。


「普通に生活してたらこれだけ伸ばすのに何年かかるかわかんないよ」

「だからってこんな格好で人前に出られるかバカやろう」


 切った髪の束を抱えたらちょっとした枕ほどもある塊になった。

 このまま排水溝に流せば一〇〇%詰まるのでゴミ箱に捨てる。


「あとは髪の色だな……」


 髪型は男でも通用する感じにはなったが、こんな不良丸出しの薄緑色じゃ目立って仕方ない。


「よし、今日は学校を休んで黒染めスプレーを買いに行こう」

「その前にアンタ肩も背中も髪だらけだよ。シャワー浴びてったら」

「うっ」


 昨日はとにかくあのドレスから着替えたい一心で素早く済ませたが、やはり出かける前に着替えなくてはならないだろう。

 しかもシャワーを浴びると言うことは必然的に裸になるわけで……


「おい、オレは本当に男に戻れないのか?」


 改めてリシアに確認する。

 返ってきた答えは非常だった。


「さっきも行った通りだよ。少なくとも簡単には無理だね。っていうかいつまでも照れてないで、もう自分の身体なんだからさっさと慣れちゃえよ」

「照れてるとかいうわけじゃ……」


 とは言っても翠も思春期の男の子。

 同級生と付き合うことに興味は無くても、異性の裸に無感情なほど枯れているわけでもない。


「ええい、わかった! とりあえずお前は出て行け!」


 翠は覚悟を決め、浴室の引き戸を閉めると目を瞑ったまま一気に着ている服を脱ぎ捨てた。

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