12 背信
生活する者が去ったビル通りは補修技術もなく常に崩落の危機がある。
畑から遠い中心街ほどかえって再利用して居住する人間は少ない。
植物は伸びるに任せて建物に絡みつき、独特な鉄のジャングルの様相を呈している。
緑の壁が左右に聳える小路、草木の生い茂る前時代の市街を三人は走り抜ける。
透輝たちは恐らく別の隠れ家にいるはずだと火刃は言った。
その直後、曲がり角から迷彩服の人間が飛び出してくる。
「貴様ら、止まれっ!」
小銃を構えて大声で威嚇するブシーズの女兵士。
紅葉は思わず足を止めてしまったが、陸玄と火刃はそのまま走り続けた。
「止まれって言ってるだろ、撃つぞ!」
二人が警告に従わないので、ブシーズの兵士は銃の引き金を引いた。
轟音と共に無数の弾丸がまき散らされる。
しかし弾丸は二人には当たらない。
一足先に距離を詰めた火刃が女兵士の腹に拳をめり込ませた。
女兵士が苦悶の声を上げて頭を下げたところ、処刑人のように陸玄の刀が首を斬り落とした。
「すごい……」
紅葉は二人の強さに改めて驚嘆する。
いくら人間離れした身体能力を持っているとは言え、銃弾を避けるのは並の度胸ではできない。
二人が見ているのは銃口の向きと敵の指先の動きだけで、引き金が引かれた時にはすでに射線から逃れているのだ。
口で言うほど簡単ではない。
一瞬でも遅れたら命がなくなるという状況。
冷静に相手の動きを観察できるのは並大抵の胆力ではない。
現に紅葉は足を止めてしまった。
もし撃たれたのが自分だったら今ごろ血まみれで倒れている。
「紅葉!」
「は、はい」
兄が自分の名を呼ぶ。
いま自分は心配をされている。
この二人の足手まといになっている。
それが悔しくてたまらない。
でも身体の震えは止まらなかった。
見かねた陸玄がこちらへ駆け寄ってくる。
ああ、ちくしょう。
「いたぞ、こっちだ!」
もたもたしているうちに新手のブシーズがやってきた。
三人の進路を塞ぐように二人の女兵士が立ち塞がる。
そして後方からも三人ほど別の兵士が駆けつける。
「気をつけろ、相手はSHIP能力者だ! すでに何人かやられているぞ!」
兵士たちは警戒するよう離れた位置から銃を向けてきた。
五つの銃口に同時に狙われては下手に動くこともできない。
陸玄と火刃は紅葉を守るようにそれぞれの方向の敵集団を睨みつけた。
視線を敵から外さないまま緊張した面持ちで現状打破の作戦を話し合う。
「おい陸玄。この人数を相手にやれる自信はあるか?」
「流石にキツいね。けど隙を突けば逃げる機会はあると思う」
「どういうことだ?」
「さっきの人もだけど、問答無用でぼくたちを殺すつもりはないみたいだ。戦闘のプロがあれだけの数集まって本気を出されたらぼくたちなんてとっくに殺されてるよ」
「一理あるな。だが奴らが手加減をする理由はなんだ?」
「例えばぼくたち裏の者の秘密を知るため生きたまま捕らえたいとか――」
「おお、ご明察!」
甲高い声と共に上空から人が降ってきた。
あまりに突然のことに紅葉だけでなく兄たちも呆気にとられている。
前方のブシーズと三人の間、巻き上がる砂煙の中にエナメル質の黒い服を着た女が降り立った。
腰まで届く長い黒髪。
端正だが凶悪に歪んだ面構え。
その見た目はどう見ても悪人のそれだ。
「けほけほ。ったく、田舎は埃っぽくて嫌だぜ。さっさと用事を終わらせて塔に帰りてえわ」
「アキナ殿!」
ブシーズの女兵士たちが小銃を体の中央前に上げて捧げ筒の敬礼をする。
「アキナ殿ー、じゃねーよ。ったく役立たず共が。ガキ相手に何を手こずってんだ」
「し、しかし、こやつらは手練れのSHIP能力者で……」
「言い訳すんなバカ。てめえら軍人だろうが」
「も……申し訳ありません」
屈強な肉体を持つ女兵士が恐縮している。
見たところ、新たに現れた女は細身で華奢な体格だ。
力比べをするならあちらのブシーズ隊員の方がはるかに強そうに見える。
別に特別貧弱そうというわけではないが、後ろの女兵士たちと比べたら明らかに普通の女である。
「ガキは生かして連れてこいとかほんとウゼェ命令だわ。面倒だけど俺様がやってやんよ」
女は肩越しに担いだ布バックを放り捨てる。
その口が開き、中から何かが転がり出てきた。
紅葉はそれの正体に気付いて息を呑む。
赤い線を引きながら転がるそれは人の生首だった。
こちらを向いて止まった、兄弟の父、秋山透輝の苦悶の表情。
「ち……父上っ!」
「行くな!」
思わず大声を上げて駆け寄ろうとする紅葉。
それを前方に割り込む形で陸玄が制する。
「あ、兄上! 父上が、父上が!」
「落ち着け、紅葉!」
半狂乱で叫ぶ紅葉は見上げた兄の顔を見て思わず息を呑んだ。
兄は怒っていた。
表情には現さず、静かな怒気を発している。
「うけけっ。ガキのくせに冷静じゃねえか。それとも親父と仲が悪かったのか? 死んで清々したとか思ってんのか?」
「貴様……!」
秋山を敵視していたはずの火刃の方がよほどわかりやすく怒りを露わにしている。
今にも飛びかかりそうな火刃を見たアキナという女は、なぜか不思議そうに首を傾げる。
「あんだ? てめえ協力者のガキだろ? 何を怒ってやがんだ」
「……何だと?」
「ああ、そっか聞いてねえのか。ったく、とんでもねえ野郎だなあてめえの親父は。友人だけじゃなく自分のガキまで売ったのかよ」
「何を……」
「わかんねえのかぁ? じゃあ教えてやるよ。てめえの親父はな、自分が紅武凰国の国民にしてもらう権利と引き替えにてめえらを売ったんだよ!」
「う、嘘だ」
「嘘じゃねえって。うけけ、今ごろは華やかな先進文明の生活を手に入れてほくそ笑んでるんじゃねえか? 気持ちはわかるぜ。俺様ならこんな未開の地で一日だって暮らしたくねえ」
「この野郎!」
「待て火刃――」
火刃が駆けだした。
陸玄が止める暇もなくわずか数秒で距離を詰める。
地面を思いっきり踏みしめて身体を半回転。
強烈な回し蹴りを叩き込んだ。
だが。
「うぉう。ガキにしちゃすげえ蹴りだなぁ」
「な……」
側頭部に蹴りを食らったにも関わらず、アキナはわずかに身体を仰け反らせただけ。
腰から下は微動だにしておらず痛みを感じている様子すらない。
「ほれっ」
アキナが無造作に拳を振るう。
火刃のように洗練された突きでも、ブシーズ隊員のように鍛え上げられた拳でもない。
その一撃は火刃を木っ端のように吹き飛ばした。
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